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 十一時になり昼食をとる生徒が食堂に集まり出すと、咲良がぐっと伸びをした。

「ん、お昼にしよっか。片付けよ」

「……」

 無言でノートを閉じる杏花の目は虚ろだ。頭の中身が脳ではなく、ふわふわのスポンジになったような気がする。視界がなんだか黄色い。何だろう、今までもこれくらいの勉強時間は普通だったはずだが、こんな状態になった覚えがない。咲良は途中から飽きてきたのか杏花の髪をずっといじっていたが、そんなことを気にする余裕すら無かった。今自分がどんな髪型なのかも分からないまま、杏花は咲良に促されるまま配膳口に向かう。今日のメニューは生姜焼き。大葉入りの千切りキャベツの上に、てらてらと脂が光る豚肉と玉ねぎの炒めものが載っている。何の躊躇いもなく「大盛り」を取っていく咲良の後ろから、杏花はその半分もない「ミニ」をそっと手にした。ほぼ何も考えずにご飯と味噌汁、小鉢をトレーの上に並べ、先をすたすた歩く背中を追いかける。教科書類が散乱したテーブルの隣に腰を下ろす咲良に続き、杏花もその正面に座った。

「いただきます」

「…………」

 「いただきます」の代わりに長い溜め息が出てくる杏花に構わず、咲良は生姜焼きをどんどん口に運んでいく。以前は脂身の感触を想像するだけで食欲を失っていた杏花だったが、目の前に運動部の男子のような食べっぷりの同室者がいるせいか少しはマシになってきていた。茶色く染まった肉片を一欠片箸で摘み、そっと噛み締める。醤油の塩気と脂の甘さが口に広がっていくのを感じながら、ご飯を一口。ゆっくり噛んで飲み込んだら、今度は味噌汁。ゆっくりゆっくり食べ進める杏花を気にする様子もなく、咲良は大盛りのご飯をどんどん飲み込んでいく。決して無作法ではないが、上品とはまた何か違う。そんな彼女を見ているうちに、杏花の頭も少し回復してきた。

「杏花ってさ」

「はい」

「好きな食べ物とか無いの」

「好きな、食べ物」

 初めて聞く言葉のように首を傾げる杏花を見て、咲良の眉間にきゅっと皺が寄る。吊り目気味のせいで睨み付けているように見えるが、単に呆れているのだと杏花にもなんとなく分かるようになってきた。

「なんかあるでしょ?あ、和菓子とか?持ってたもんね」

「いや、特には」

「じゃあケーキと最中ならどっち?」

「ええと……どっちでも」

「そこは選ぼうよ……」

 咲良の眉間の皺が深くなる。これは何か悩んでいるところ。群星学園に来てから、誰かの表情をじっくり見たのは初めてかもしれない。顔を縁取るように流れる細く柔らかな髪が、春の日差しを受けてきらきら輝いている。咲良はよく杏花の容姿を羨ましがるが、杏花からすると咲良もはっきりした顔立ちの美人だ。全体的に陰気な自分よりもよっぽどいいと思う。

「杏花、聞いてる?」

「えっと?」

「だから和食と中華ならどっち?」

「どっちでも……」

「選べってば」

「あれ、咲良だ」

 とっくに食べ終えて手持ち無沙汰そうな咲良に、横から声がかかった。杏花も見たことがある顔だ。たしか、花園さん。同級生で寮生だが、閉じこもっていた杏花はまるで接点が無かった。

「おー小春だー。終業式ぶりー」

「久ー。そっか、入寮したんだっけ」

「うん。もうベテランよ」

「何がよ」

 小春の手にはお昼ごはんのトレーが握られている。春休みも中盤を過ぎ、実家に帰省していた寮生達が戻ってくる頃だ。彼女もそうなのかな、と思いながら生姜焼きをもぐもぐ食べている杏花に、小春の視線が向いた。

「……誰?」

「誰て。杏花だよ。水守さん」

「水守さん……水守さん!?は?」

 綺麗な二度見をした小春は、ぽかんと杏花を見下ろした。小春の知る杏花は、いつも俯いていて長い黒髪が顔を覆い、どんな顔をしているのかもよく分からない子だった。墨絵で描かれた幽霊画のようで、裏で硯女と呼ばれているのにも何の違和感も無かった。今ここにいるのは……全く違う子だった。長い髪は耳が出るように緩く編まれたうえでハーフアップにされ、前髪もすっきりしているおかげで顔がよく見える。白い肌に大きな目。線の細い顎。ノーメイクでこれ?シンプルなニットを着ているせいで、細身のスタイルの良さが際立っている。春の日差しに照らされた彼女は、今は日本画に描かれる美人図のようだ。小春が視線を戻すと、ドヤ顔の咲良と目が合った。

「どーよ」

「なんであんたが自慢気なんよ」

「羨ましいか?」

「お前は水守さんの何なんだよ」

「何なんだよって」

 ぽんぽん軽口を交わす二人を、杏花はただすごいなあ、と眺めていた。前は自分のことが話題になっていると思うと逃げ出したくなったが、今は大丈夫だ。すっかり蚊帳の外のつもりの杏花をちらりと見た咲良が、にっと笑う。

「友達だよ。ねえ?」

 友達。

 改めて言われると気恥ずかしいような、つい反射的に否定したくなるような。さあっと顔が赤くなるのが分かった。つい一週間前までは、自分の人生と一切関わりが無い、華やかな世界にいると思っていた人。群星学園に来て初めて、杏花を認めてくれた人。少し強引だけど、杏花のために何かと走り回ってくれている。咲良の向こうに、散乱した勉強道具が見えた。図書室から借りてきた参考書。図書室のある本館には、校則で制服でないと入れない。だから朝から制服だったのかと、今更ながら気付いた。

 何故そこまでしてくれるのか、杏花にはまるで分からない。でも、それが咲良の言うように「友達」だから、だとするなら。

「…………うん」

 つい俯いてしまったのは、恥ずかしさからか、嬉しいからか。色んな感情がごちゃ混ぜになって、どうしたらいいか分からなくなって。杏花は目の前の千切りキャベツに集中することにして、ただひたすら箸を動かした。

ここでエピソードとしては一区切りです。次回、学校が始まる予定です。

今後もお付き合いくださるようでしたらブックマーク等していただけますと幸いです。

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