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悪意と好奇

 気がつけばしっとりとした空気が肌に纏わりつき、本格的に暑さが増す頃となっていた。

 凛にとって約一ヶ月半ぶりの登校日であり、制服の袖を通すのが懐かしく感じる。半袖に切り替わったため、ギプスを着けていても着替えは楽だった。

 校門をくぐり、教室前に来たところで心臓がドキドキし始める。別に悪いことをしたわけでもないのに、何故だか恥ずかしいような気持ちだった。

〈……まあ、誰も興味ないでしょ〉

 教室の中へ足を踏み入れた瞬間だった。

 クラスメイトたちから一斉に視線を向けられる。

 やはり一ヶ月くらい休んでた人が来たら気になるものなのか、と凛は考えたがそれにしては視線に妙な違和感を覚えた。

「わ、すごいね。普通に来たよ」

 ざわざわとしている教室の中、ひっそりと言ったつもりだろうが確実に耳に入った。言ったタイミングからしてもきっと自分のことだと推測できる。

 どこか棘を含んだ言葉であり、何を意味しているのかすぐには分からなかった。


 四時間目が終わり、お昼休憩に入る。教室でお弁当を広げる者、食堂や購買へ行く者、皆それぞれ行動し始める。

 凛はいつものように中庭へ向かう前、トイレへ寄った。続けて三、四人の集団が入り、手洗い場前で止まる。化粧直しのために来た様子だった。

「ねえあの噂って、ガチ?」

「や〜、怪しくない?」

「え、なに? 噂って」

 出ようと思った途端、話題が話題なだけに一旦個室の中で待機する凛。早く終わってくれと願った直後。

「天羽さんがあの殺人芥を仕組んでたって話。ヤバくない?」

 心臓を握り締められたような感覚になった。それならば、教室に入った際の異様な視線の意味も発言も辻褄が合う。

「なにそれ!? 知らないんだけど!」

「だって柊さんでしょ、隣のクラスの月宮くんと氷ヶ屋くんも怪我したし。皆、天羽さんの周りにいた人ばっかりだよ」

「とんでもない芥が出たって周りに思わせて、自分が討伐。そしたら天英会の名誉になるって寸法よ」

「え〜! やることだいぶエグくない!? 柊さん死んだんだよ!?」

「それな! 立派な殺人でしょ!」

 女子集団は怖がり、笑いながらトイレから出ていく。凛もワンテンポ遅れて個室から出た。

「……まじか……」

 噂には尾鰭がつく、とよく言うが尾鰭がついたなんて可愛いものではない。

 今すぐにでも誤解を解きたい。しかし、自分はただ芥を討伐しただけ、何も仕組んでいないと言うことはできても証拠はない、証明できるものはない。

〈私は何もしてないんだから胸を張れ。それに伊織と実央がいるんだから大丈夫〉

 ショックを受けたことに変わりはない。けれど、ありもしない話を気に病んでも仕方がない、堂々としていればすぐに噂も消えるだろうと凛は自分に言い聞かせた。

 凛は教室へ戻りお弁当を持って中庭のいつものテーブル席を目指す。すでに伊織と実央が座っていた。

「ごめん! ちょっと遅くなった!」

「全然大丈夫だよー」

「なんかあったのか?」

「えっ、あー、いや……ちょっとトイレ混んでただけ!」

 理由を尋ねてくる実央。いざ聞かれると動揺してしまった。

「なんだ。てっきり休んでた分、授業追いつかなくて泣いてたのかと」

「し、失礼な! 伊織も笑ってるし!」

 実央はクールっぽい見た目とは裏腹にジョークをかましてくる。伊織も手をグーにして口元を隠しているが笑っていることはバレバレである。

「冗談冗談。俺のノート貸すよ。クラス違うけど、被ってる科目あるだろ」

「うわ、それはめっちゃ助かる……」

「待って凛! 理系科目は俺のノート貸すから、実央のはダメ! 途中式が結構抜けるし、式の組み立てがそもそも意味分かんないときあるから!」

「人の親切をダメ呼ばわりはひどくね?」

「俺も貸してくれたのはありがたかったけど! 理解不能な解き方がところどころあったの!」

 わちゃわちゃしている二人を見ていると自然と笑みが溢れる。

 楽しい時間なのに、さっきのことが頭の隅にずっとこびりついていた。この二人は知っているのだろうか。気になればなるほど無視はできず、凛は意を決して口を開いた。

「あのさ……私が休んでる間に、なんか変わったこととか、無かった?」

「変わったこと……?」

 うーん、と二人は考え込む。気を遣って隠している雰囲気は無さそうであり、噂は知らない様子だった。

「や、別に何かあったかなって気になって! 無いならいいの——」

「あー! あるある!」

 伊織が急に思い出した様子で声を上げる。

「今週の金曜日、学年でバレー大会があるんだって! 試合は男女別だけど合同でやるって!」

「いやそれ変わったことっていうか、イベントな。それに凛は見学だろ」

「あっそうか」

「たしかに普段とは変わったことだね」

 ずっと続いてほしい時間ほどすぐに終わってしまう。談笑していればあっという間にお昼休みの終わりを告げる鐘がなった。

「あと二時間だ、がんばろ〜」

「それが長いんだよねぇ」

「じゃあな、凛。放課後にノート渡すわ」

「俺も用意しておく!」

「うん、二人ともありがと。またね」

 廊下で別れ、二人が教室へ入るのを見届けた。

 ここからは、一人。 

 教室に入るだけなのに恐怖心が芽生えてくる。

 一度深呼吸してから中に入り、席へ着く。

 朝よりは少ないがあの視線が刺してくる。

 知ってしまったからにはもう、違和感として受け流すなんてできない。

 凛は知らなかった。ただ敬遠されるのと悪意と好奇が入り混じっているのとでは雲泥の差だということを。

 そんな窒息しそうなほど息苦しい中、午後の授業と帰りのホームルームを終えた。

「あ、天羽さんちょっと」

 教室を出ようとすると担任に呼び止められた。

「休んでた分のプリント類を各教科の先生から預かっててな。いつでもいいから取りに来てくれないか?」

「分かりました、ありがとうございます」

〈伊織と実央からノート借りた後で職員室に行くか〉

 そう考え廊下へ出てすぐのことだった。

「天羽さんだよね? 話あんだけど」

 教室の前で待ち伏せていたのか、女子生徒三人組がいた。他二人は全く知らないが、話しかけてきた茶髪ショートボブの女子は紗良の近所の子だったと記憶している。名前は知らないが。

「……なに?」

「紗良のことだよ。自分でわかってんでしょ」

 このタイミングで紗良の知り合いが話しかけてくるとしたらそれしかないだろうとは気づいたものの、正解の回答が分からない。

「紗良のことが、どうしたの」

「とぼけんの? 計画のことだよ。アンタが紗良を殺したんでしょ?」

「おまけに他に男子二人も怪我したって聞いたけど。アンタの周りにいた人にだけ被害被ってるのおかしくない?」

 多勢に無勢。真っ向から集団で来られるとこうもしんどいものなのかと足が震える。

 勝てるとは思わないし勝とうとも思わない。ただ真実を言うことだけしかできない。

「……私は芥を討伐しただけ。三人とも、守れるなら守りたかった」

「……っ! 嘘つけよ!」

 ショートボブ女子の右手が凛の肩へ飛んできた。後ろへ突き飛ばされ、背後にあったロッカーへぶつかる。突然のことで体勢が整っておらず、膝が折れ地面に座り込んだ。

「ちょっと!?」

「なにしてんだよ!」

 伊織と実央が駆け寄って来てくれる。正直、今の場面は見られたくなかった。

「……もう行こ!」

 二人を見た途端、分が悪いと感じたのか三人組は去った。

「大丈夫!? 凛が話してたから待ってようと思ったんだけど、押されたの見たら止めなきゃと思って……」

「痛み出したら我慢すんなよ……で、なにがあった?」

「大丈夫大丈夫!……うーん、なんだろね、勘違いみたいな? あっ先生にプリント預かってるから取りに来いって言われてたんだった! ごめん先にそっち行ってくる!」

 凛はぐちゃぐちゃな感情を一旦リセットしたかったこともあり、優先度最低順位のタスクから処理を始めようとした。

 言い終えると同時に凛は走り出した。その瞬間、涙が堰を切ったように溢れ出す。

 あれ、なんで泣いてんだ。安心? 驚き? 悲しみ? 恥? 怒り? 原因がどれかわからない。きっと全部なんだろう。複雑に感情が交差して、訳もわからず涙を流す。

 と、そのときだった。

「凛!!!」

「待って!!!」

 背後からしたのは実央と伊織の声がだった。こうなれば職員室など行けるわけがないと凛は考え、撒くために一階まで降り、犬走りを目指す。

「なんで追いかけんの!」

「逃げるからだろ!」

「追いかけるからじゃん!」

 犬走りを過ぎ、中庭に入ったところで右腕を掴まれ、振り向かせられる。せめてもの抵抗で俯いた。

「凛……」

 掴んだのは実央だった。少し遅れて足音が聞こえてきた。おそらく伊織だろう。

〈伊織、討伐士なのに足で実央に負けてんじゃん……〉

 それは自分もか、なんて大して重要でもないことを考える。

「凛、なに、なんで逃げんの」

「……」

 声を出せない。顔を上げられない。今の状態を見られたくない。

「なにか、あったんだよね?」

「黙ってても分からないんだけど」

 伊織の加勢と実央の追撃が来る。

 二人が屈んで顔を覗こうとした瞬間、咄嗟に両手で顔を隠す。

「み、見ない、で。…………いま……見せられる顔っ……じゃ、ないから……っ、一人にして……」

 止まれ止まれと念じても止まることのない涙。二人の前で嗚咽を漏らすなんて恥ずかしくて惨めでたまらない。

「嫌だよ。そんな凛、放っておけない」

「泣いてるの見て、一人にすると思うか?」

 きっぱりと即答でノーと答える伊織と実央。

「……っ、な……なんで……」

「……教えて、凛の力になりたいんだよ」

「俺らは凛に助けられて、凛は俺らに助けさせてくれねぇのかよ」

 これ以上、優しい言葉をかけないでほしい。そんなことを言われると余計に涙が止まらなくなるから。

「ありがとう……でも、ごめん、言えない……言いたく、ない……」

 二人の好意を無に帰す発言だと分かっている。分かっているが、言う勇気なんてない。

 迷惑をかけてしまうということと、とにかく恥ずかしいという感情で頭がいっぱいだった。

「……分かった。じゃあ今は聞かない」

「実央!?」

「言いたくなったら言えばいい。……だから、とりあえず落ち着いて、泣き止んで。教室戻ろう、ノート渡すから。あ、その前に職員室か」

「あ……ありがとう……」

 ごしごしと手の甲で目元を擦る。そのあとに三人で職員室へ向かった。


「じゃあ、ちょっと行ってくるね」

「おう」

「うん」

 凛は職員室のドアを開け中へ入っていく。伊織と実央は壁にもたれながら見送った。

 伊織は怒りを孕んだ目で実央に問いかける。

「……ねぇ実央。なんで聞き出さなかったの?」

「なんでって、言いたくないって言うんだから仕方ないだろ」

 実央は伊織と対照的に落ち着き払い淡々と答えた。

「仕方ないって……! じゃあ凛が苦しんでるのを黙って見てろってこと!?」

「気持ちはわかる。けど無理矢理言わせたところで、凛にとって苦痛でしかない。俺たちがやるのは自白の強要じゃねえだろ」

「それは……そう、だけど……!」

 伊織は実央の考えを聞くと一旦落ち着き、理解はした。しかし、そうするとどうしても凛を放置する形になってしまうことが気になって仕方がない。

 しばらくすると職員室から凛が出てきた。

「ごめん、お待たせ!」

「いーえ。はいこれ数学と世界史のノート」

「英語と国語のノートで良かったっけ、はい」

「本当にありがとね」

 凛は二人から差し出されたノートを受け取り礼を言う。ただ、一つだけ問題があった。

「残りの教科、大丈夫……?」

「生物だっけ。俺ら物理だからな……」

 伊織と実央の言っている通りである。まさしく凛が悩んでいることであった。

「だ、大丈夫! クラスの子に借りようと思ってるから!」

「そう? それなら良いんだけど……」

 たしかにそう考えていた。登校するまでは。だが今のクラスの雰囲気では到底言えたものではなかった。




 その後実央はバスケ部の助っ人要請があるから、と体育館へ向かい、凛と伊織は巡回へ向かった。

「伊織さ、私がいない間巡回できてたんでしょ? もう一人でも大丈夫じゃない?」

「一応できるレベルだよ。まだまだ技術磨きたいし、凛と一緒に組みたい」

「……そっか、なんか嬉しい」

 凛は伊織の成長に感慨深いものがあった。会った当初は芥が怖くて冷や汗をかいていた子が、見たこともない人型芥と戦って、一人で芥を討伐できるように……と親だとこんな気持ちになるのだろうかと感じた。

 その日はとても珍しく、伊織のエリアでも凛のエリアでも芥は発見されなかった。

「すごい、こんな日あるんだ」

「だね、すぐ終わっちゃったよ」

 二人の間に謎の沈黙が訪れる。なんだか、気まずい。

「じゃ、もう帰ろ——」

「凛!」

 食い気味に言い放たれた伊織の声量に驚く凛。

「えっ、な、なに?」

「さっきのこと、凛が言いたくないのは分かった。……けど、やっぱり俺、なにもしないのは嫌だ……だから、俺になにかできることとか、してほしいことはない!?」

 その言葉、その心だけで本当に十分なんだよと凛は泣きそうになった。自分のことをそんなふうに思ってくれる人がいるだけで、自分は恵まれてるのだと思える。

「ありがと、伊織。……今日みたいに一緒にいてほしい」

「え……そ、それだけ?」

「うん。それだけが私のお願い。……実央にも伝えておいて」

「……わかった……」

「ほら、帰ろっか」

 他に何もいらない。伊織と実央さえいれば、それだけで足りてるんだ。凛は心の底からそう思えた。


 翌日の朝。凛の隣のクラスで伊織は机の上に突っ伏していた。

「……え、なにがあった?」

 伊織の後に登校してきた実央が思わずツッコむ。

「凛から伝言。昨日みたいに一緒にいてほしいってさ」

「いや過程が抜けてて全然分からないんだけど」

「実央の解き方そっくりでしょ」

「それを会話に持ってくるな」

 伊織がむくりと上体を起こす。

「昨日、巡回のときに俺に何かできることはないかって聞いたんだよ。……そしたらそう言われた」

「要するにそっとしといてくれってことだろ。なんも進展してないじゃん」

 伊織はムッとなった。たしかに実央の言っていることは正論である。正論だからこそ腹が立つ。

「……それはそうだけど。でも放置の実央よりは俺の方が歩み寄ってると思うけどね」

「……はぁ? 俺は凛の意思を尊重してるんであって放置じゃねぇ。歩み寄ってるって言うけど、それって自分が知りたいだけのエゴだろ」

 伊織の返しに実央もカチンときてしまい、思わず語気が強くなる。

「言いたくないのは俺たちに迷惑かけたくないと思ってるからでしょ!? そんな理由なんだから言いたくなるときなんか絶対来ないよ! なんで分かってあげられないの!?」

「本人の心の準備もあるだろうが! なんでもすぐに共有して問題解決することだけが手助けじゃねぇぞ!?」

 喧嘩はヒートアップし、教室がザワついていることに気づく二人。そこで冷静さを取り戻す。

「……ごめん、言い過ぎた」

「……俺もごめん。自分も気になってて、カリカリしてた」

 互いに話し合った結果、三日待って切り出されなければ再度尋ねてみよう、という結論に達した。


 凛はすぐに噂は鎮火すると信じていたが日を重ねても収まる様子はなかった。直接何かを言われるわけじゃない、何かをされるわけでもない。ただ、必ずどこかから刺すような視線が飛んでくる。

 次第に教室へ入ると息苦しさだけではなく、吐き気を催し手足が冷えていくような感覚になった。

 そうしているうちに力を抜ける唯一の時間、お昼休みでさえも苦痛に変わりつつあった。

「え、お昼それだけ!?」

「うん、ちょっと食欲なくて。夏バテかな?」

 当然食欲など湧くはずもなく、なんとか喉を通るゼリー飲料を口にする。

「……食べられるときに食べとけよ。じゃないと悪化すんぞ」

「うん、ありがと実央」


 授業が終わり学校から解放されれば放課後の巡回。この時間は討伐に意識が向くため嫌なことを忘れられた。我ながら芥討伐に精神面を助けられるとは、かなり状態が悪いのだろうと思い知らされる。

「ごめん凛! あっちにまだ一体残ってる!」

「了解!」

 民家の中へ入った芥を凛は追いかける。門を飛び越え芥の背後から一突き。

「よし、これで終わりかな?」

「おっけい、帰ろ〜!」

 伊織も、あれから深くは聞いてこない。気を遣ってくれているのだと痛いくらいにわかる。

 それならば話してしまった方が良いのではないか、けれど……とループする思考から脱することはできなかった。


 伊織と実央が約束した日から三日が経過した金曜日の朝。

「実央、もう見てられないよ。顔色が悪すぎる」

 実央の顔を見ると真っ先に切り出した伊織

「俺も分かってる」

「もう、今すぐに——」

「中途半端な時間に行っても仕方ないだろ。放課後まで待つんだ」

「〜〜っ、……わかった」

 お昼休み。凛は相変わらずゼリー飲料を片手に疲れた顔で笑顔を向ける。二人、特に伊織は聞き出したい気持ちを堪え今まで通り接した。

 午後はプチイベントのバレーボール大会が行われる。凛はまだギプスが外れていないため、見学は確定。それだけが救いだった。

 更衣室で着替えたのち、体育館へ集まる。

「初めてだね、一緒に体育やるの」

「なんか新鮮だね」

「そもそも男女合同でって体育祭以外ないもんな」

 教室ではない広い体育館。クラスメイトだけでなく伊織や実央、二年生全員がいる。凛はこの空間ななら少しは息がしやすい、今日は余裕だなと思えた。

 トーナメント表が張り出され、それぞれクラス男女別に分かれて試合を開始する。

 一回戦から伊織と実央のクラスが試合をするため、見えるポジションへ移動する。

 伊織はきちんと型通りにレシーブ、トスをしており、そつなくこなしているという印象。

 一方で実央は伊織のトスから強烈なスパイクを生み出し、拾えなさそうな球でも足を伸ばして拾いに行くというスポーツ万能感がひしひしと伝わるプレイスタイルだった。

〈伊織は討伐士だし、スポーツくらいはそれなりにできるよね。実央はさすがってかんじ。助っ人じゃなくてちゃんと部活入ればいいのに〉

 じっと見ていると実央と目が会い、実央が伊織に伝え伊織もこちらを向く。二人が笑いかけて手を振ってきたため、凛も振り返した。


 しばらくして一回戦が終了。二人は試合を終えてこちらに向かってくるときだった。

「あの二人も殺すのかな?」

「ちょっ、やめなよ!」

 背後を通った人から聞こえた。二人とも笑っていた。声の主は誰か分からないし知ろうとも思わない。

 途端に襲ってくる吐き気と首を絞められたような圧迫感。これはかなりまずいと思い、体育館を出た。伊織と実央も追ってくる。

「凛!? どうしたの!」

「や、ちょっと、しんどくなって……休んだら良くなるから……」

「保健室行くぞ」

「そ、そこまでじゃ——」

 そう言いかけたとき、目の前が暗くなり意識が強制シャットダウンした。

 咄嗟に伊織が抱えたため、凛は地面に倒れ込まずに済んだ。

「凛!? 凛!?」

「気、失ってると思う。運ぶから俺の背中に乗せて」

「……り、凛くらい俺だって運べ——」

「お前もまだ完治してないだろ。傷口開くぞ」

「……わかった」

 伊織は屈んだ実央の背中に凛を預ける。凛を背負った実央と伊織は保健室へ向かった。


「——うーん。多分聞いた感じ、迷走神経反射ね」

 保健室のベッドに凛を寝かせ、養護教諭に状況を説明しつつ看てもらうとそう返ってきた。

「な、なんですかそれ……?」

「睡眠不足とか、ストレスとか。そういうのが原因で気分が悪くなったり倒れたりするの。あくまで推測だから、体調不良が続くようなら病院に行くように本人にも伝えるわ」

「あ、ありがとうございます……」

 二人は保健室出ると体育館の方向へ歩き出した。

「……ごめ——」

「違うよ。二人で決めたことなんだし、実央が悪いんじゃない。……終わったら凛迎えに行って聞こう」

「そう、だな」

 実央はこの前のように責められる覚悟で謝ろうとしたが伊織に遮られた。二人はどうするのが最適解だったのだろうかと考えても出ない答えに思考を巡らせた。


 気がつくとベッドの上。自分がどこにいるのか分からなかったが、起き上がって辺りを見回すと保健室だと理解する。時計の針は午後三時半を指していた。

「あら、起きた?」

 デスクに座り書類業務をやっている養護教諭が顔を覗かせ、様子見に来る。

「あ、はい……え、私なんでここに……」

「男の子二人が運んできてくれたのよ。倒れたって」

 気分が悪くなって体育館の外へ出たことまでは覚えていた。そうか、意識を失ったのかとようやく気づいた。

「多分、ストレスとか疲労が原因だと思うんだけど、違う?」

「……そうですね」

「ちゃんと睡眠取ってご飯食べてたら良くなるわよ。あと、ストレス発散もしっかりね。……あ、そうだ会議あるから私出て行くけど、帰れそうだったらいつでも帰ってね!」

「はい、ありがとうございます」

 養護教諭はそういうと保健室を出て行った。その後もう一度上体をベッドへ預ける。

「……結局迷惑かけっぱなしだったなぁ……」

 二人に迷惑をかけたくない、恥ずかしい、時間が過ぎれば良くなる。勝手にそう思って黙った挙句迷惑をかけていれば元も子もない。凛は反省した。

「……言うかぁ……」

 直後、ガラッと扉が開き複数人が入ってくる足音が聞こえた。扉の方を見ると伊織と実央だった。

「あ……」

「凛! 目覚めたんだ!」

「具合はどう?」

「うん、もう全然大丈夫」

 凛は手を振りながら問題ないことを伝える。

 よし、言おう。と口を開きかけたときだった。

「ごめん、気づいてあげられなくて。つらかったよね」

「……え?」

「今更なんだけど、さっき……知った」

 二人は顔を曇らせた。

「ごめん、言おうと思ったんだけどね。……な、なんで、知ったの……?」

「……それは——」


——一時間半前。

 凛を保健室へ運んだ後、その辺にいる先生に報告をし他クラスの試合をぼうっと眺めていた。

 次の対戦相手は凛のクラスだった。伊織と実央は指定されているコートへと向かう。

 試合開始前の待ち時間中。対戦相手のクラスからやたらとニヤニヤしたような、軽蔑したような視線が二人に向けられる。伊織はたまらず目の前にいた男子生徒に尋ねた。

「ねえ、なんなの? 何か言いたいことでもあるの?」

「いやぁ、お前らも大変だなって……」

「なんのこと?」

「噂になってんぞ。殺人芥の件、天羽が名声のために仕組んだことだって。だから天羽は人殺しで、お前らにも怪我させたんだって」

「…………は?」

 伊織と実央は心の底から怒りが湧いてきた。思わず怒りで手が震え出す。

 こんなことを真に受けている人間も、隣のクラスなのに全く気づけなかった自分たちにも。

「ふざけ——」

「ふざけんなよ!!」

 実央は伊織よりも怒りを露わにし、男子生徒の胸ぐらを掴む。

「あ、ごめん。もしかして天羽から金貰ってたりする?」

 男子生徒は笑いながら続ける。実央は右手に力が入っており、今にも拳を振り上げそうだった。

「実央、待って!」

 そんな実央を見たことで伊織は冷静さを取り戻し、実央の右腕を掴んだ。

「伊織は巡回中にアイツが現れたから戦って怪我したんだ! 俺は自分の不注意で怪我をした! 凛は伊織のときも俺のときも助けてくれた!」

 体育館の中ではボールを叩く音や落ちる音、床を蹴り上げる音に混じって怒声が響き渡り、実央は周囲の一部から注目を集めていた。

「大体仕組むってどうやるんだよ! 誰が言い出したんだよ! 凛のことなんもしらねぇくせに、勝手な憶測で人殺し呼ばわりすんな!!」

 凛のクラスの人たちはニヤニヤした表情から変わり、目を泳がせていた。

「ど、どうした!?」

 凛の担任が騒ぎを聞いてやってきた。実央は男子生徒の胸ぐらから手を離す。

「先生も知ってたんじゃないんですか? こんなくだらない噂が流れてるの」

 先生だろうと関係なく実央は鋭い目を向けた。

「い、いや、僕はその、なにも——」

 しどろもどろに答える担任を見て実央は鼻で笑った。

「そうですか。じゃあクラスのこと全然知らないんですね。もっと生徒のこと見た方が良いですよ」

 実央は凛の担任に背を向け、審判役の生徒に声をかける。

「騒いでごめん。試合開始してもらって良いから」

「えっ!? あっ、はい!」

 二人はひたすら消化できていない怒りをボールに全て込め、圧勝した。

「……あの」

 試合の直後、伊織は対戦クラスに声をかける。

「間違っても、凛に謝らないでね」

「え……?」

「そんなことされても迷惑なだけだから」

 伊織は一切表情を変えず真顔で伝えるとすぐに背を向け、コートから出る。

「……おい、一応謝らせた方がいいんじゃないか?」

「ダメだよ。そんなことしたら凛なら嫌でも許すでしょ。それに、謝罪ってやった方が楽になる手段でもあるしね」

 実央は伊織の発言に少し慄く。普段は穏やかで天真爛漫な伊織から飛び出したとは思えない考えにギャップを感じた。

 こうして途中で騒ぎがあったものの、なんとかバレーボール大会は無事に幕を下ろした。


「——っていう経緯で……」

 凛に説明する手前、伊織と実央の詳細な発言は伏せ怒って止めさせたと伝える。

「そっか……二人ともごめん、ありがとう」

「別に大したことしてない。だから、もう何も言われないと思うし、大丈夫だ」

「もー、実央がブチギレるからほんとヒヤヒヤしてたんだよ! 俺だって怒りたかったのに今にも殴りかかりそうだったし!」

「えっ、実央が!?」

「別に殴ろうとしてねえよ……ムカついたから握りしめてただけだし。てか伊織の方が最後怖かったけどな」

「伊織が怖かったってなに?」

「なんもないから気にしないで!」

 早くに目が覚めていれば普段とは違う二人の様子が見れたのにな、と余裕を持っている今から思える。

 と、三人で話していたら保健室のドアが開いた。養護教諭が帰ってきたのかと思ったが、そこにいたのはショートボブの女子生徒だった。この前とは全く違い、元気がない様子であった。

「……あの、さっきの話、ちょっと聞いて……謝りたくて」

 伊織は他クラスの人間もいたのか、と心の中で大きく嘆息をつく。だがここで水を差すのもよろしくないと判断し見守ることにした。

「私、紗良のことで冷静に考えられてなくて、噂鵜呑みにしてた。……本当に、ごめんなさい」

 ショートボブ女子は深々と頭を下げた。

「……うん、いいよ。……けど、その代わりに生物のノート、貸してくれない?」

「へ……?」

 想定外の代わりにショートボブ女子は呆気に取られた。

「私一ヶ月くらい入院してたから遅れてるんだよね。だから、貸してくれると嬉しいな」

「あっ、う、うん……分かった」

 肩にかけていたバッグからノートを取り出し凛に渡した。

「ありがと。すぐ返すから」

「いや、いつでも大丈夫……」

 そう言ってショートボブ女子はもう一度頭を下げ、保健室を出て行った。

「……それが代わりでいいの?」

 訝しげな顔で伊織は問う。

「うん、十分だよ」

「凛ってお人好しだよな」

「違うよ」

 その発言に伊織と実央は不思議そうな顔で見合わせた。

「伊織と実央がいてくれるだけで良いから。他のことはどうだっていいの」

「な……」

「こ、こっちが恥ずかしくなってくるんだけど……」

 伊織と実央は凛から視線を外しそっぽを見る。

「え、私そんな変なこと言った? ねえ」

「ほら凛、帰るよ!」

「何言ってんの巡回行くよ?」

「倒れたくせに」

「実央うるさーい」

 深い水の底に沈んでいた体は、二人のおかげでやっと浮かび上がり、水面から顔を出せた。

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