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反芻

「倒したん、だよな……終わった……終わったんだ……!」

 視線を凛へ移し、驚きを含ませ声をかける。しかし、彼女から返事はない。

「凛……?」

 ゆっくりと屈むように倒れる凛を実央は支えた。

「おい、どうした!?」

 よく見ると凛の左前腕はあらぬ方向を向いており、肉は裂け折れた骨の一部が飛び出ている。ブレザー、スカート、周辺の床は滴る血によって朱に染められていた。

「……やっぱり、冷静になると、痛くなってくるね……あはは」

「笑ってる場合じゃねぇよバカ! 今救急車呼ぶから!」

 実央は急いでスマホを操作し電話をかける。

「実央……ごめん、危ない目に遭わせて……怪我させちゃった……」

「こんなんどうでもいいって! そもそも俺が出て行ったせいでこうなってんだから、俺が悪いに決まってんだろ!」

 実央の声は今にも泣きそうで、震えている。

〈怖い思いさせてごめんね、実央……〉

 凛の記憶はそこで途切れていた。




 目が覚めると白い天井、淡黄色のカーテンで囲われている中にいた。

 左前腕には金属製のリングとピンで骨折部位を取り囲んでおり、ワイヤーが皮膚を貫通している。

〈……こういうときって、ボタン……押すんだっけ……〉

 かろうじて言うことを聞く右手で辺りを探しナースコールを押すと、若い女性看護師が飛んできた。

「天羽さん、目が覚めましたか? 気分はどうですか?」

「えっと……左腕が痛いくらいで、他は大丈夫、です……あの、どのくらい寝てましたか……?」

「昨日のお昼くらいに運ばれたので、大体一日ちょっとくらいですかね。一緒に付き添ってた男の子がすごく心配してたから、早く教えてあげないとですね」

「そう、ですね……」

 ぼんやりとしている頭を働かせた。最後に見たのは、普段はお澄まし顔の実央が取り乱して泣き出しそうになっていた顔だった。

〈ちゃんと謝らないとな……〉

 女性看護師は家族へ連絡しておくこと、主治医に目覚めたことを報告しまた後で訪ねるとだけ伝え、部屋を出て行った。

 ふと討伐に行った際、スマートフォンを持っていたことを思い出す。

 ベッド横に設置されている床頭台へ必死に右手を伸ばし、引き出しを開ける。指先の感覚を頼りながらなんとかスマートフォンを取り出せた。

 画面をタップすると充電はそれなりに残っており、開くとメッセージアプリの通知が来ていた。

 実央から【俺のせいでごめん】【目が覚めたら教えて】と二通だけ送られていた。

「なんで実央が謝んのよ……」

 凛は【いま目覚ました】【私こそ巻き込んでごめん】と入力し送信ボタンをタップした。

 




 一時間後、病室には主治医と女性看護師、母親が集まった。

 主治医から診断や手術の説明をされると、今後の方針について二択を提示された。

骨癒合を優先してゆっくりと治療するか、生活を優先して早期退院の方向で治療するかのどちらかだと。

 今回は珍しく母親と意見が一致し後者を選択した。もちろん母親の理由は「一日でも早く復帰してもらわないと天英会の株が下がる」とのことだった。相変わらず考えは天英会中心だったが、必要な衣類や生活用品は持ってきてくれたようで、その点においては感謝した。

皆が出ていった数分後のこと。

「凛……?」

 声がする方を見るとカーテンと壁の隙間から実央が顔を覗かせていた。

「実央! 来てくれたんだ!」

 実央の顔を見た途端、安堵と喜びで強張っていた心がほぐれ、声が弾んだ。

 凛が笑顔になるにつれ、対照的に実央の表情は曇る。

「その腕……」

 どう頑張っても隠すことのできない創外固定。ワイヤーが皮膚を貫通している箇所は特にインパクトが強いのだから、驚くのも無理はない。

「これ見た目すごいよね! でも全然痛くないから、安心して! それより実央はその怪我……大丈夫? 痕にならないかな……」

 実央のこめかみに当てられているガーゼを指差し凛は尋ねる。

「あぁ、これはちょっと縫ったくらいで別に……」

「そっか……じゃあ多分、綺麗に治るかな?」

 実央はその場に屈み込み、震えるように息を吐き言葉を紡ぐ。

「ごめん……ごめん……」

「さっきも伝えたけど、私が巻き込んだからで——」

「俺が、協力したかったからしたんだ。……なのに、余計なことして、凛に守られて、怪我させて……最低だろ……」

 自分よりも三十センチメートルは背丈があり大きいはずの実央が弱々しく、脆く崩れそうなガラス細工に見えた。

 そんなガラス細工の彼に凛は容赦なく手刀を喰らわせる。

「え……な、なに……」

「それで言えば、一般人の実央を守りきれなかった私の方が討伐士失格でしょ。……はい、これでこの話はおしまい」

 本を閉じるように両手をパンッと合わせ、微笑む。実央は立ち上がり、まだ申し訳なさそうな顔をしつつも笑ってくれたことで凛は良しとした。


「そういえば、伊織はどうなったの? 大丈夫?」

「昨日、意識が戻ったんだ。今のところ、後遺症は無さそうだって」

「そっか……意識、戻ったんだ……良かった……!」

 その事実がたまらなく嬉しくて、凛は涙を滲ませた。

「ねえ、伊織に会いに行ってもいいよね。私も会いたい」

「待て待て、今は凛の方が重症なんだから伊織連れてくる」

 実央はそういうと病室を出て行った。

 なぜだか理由は分からないけれど、伊織に会えると思うと緊張感が高まった。そわそわしているとカーテンの向こうから声が聞こえた。

「……凛? ここにいるの?」

「伊織……!」

 カーテンが開けられる。伊織がいる。間違いなく伊織だ。

「凛……ごめん、俺……一人で大丈夫、なんて言って……それにこんな大怪我……」 

 凛は力いっぱい首を横に振った。

「ううん。そもそも私がちゃんと追えば良かった話だよ」

「はいはい反省会はもうしない。そんで凛の怪我は俺が原因!」

 両手を叩いて謝罪合戦を終了させる実央。さっきの真似したな、と凛はくすりと笑った。

「そういえば、伊織はいつ退院するの? 何か言われた?」

「えっとね、たぶん一週間……三日以内には退院するかな」

「わー、私置いて先に学校行くんだ。寂しいなぁ」

「俺らが毎日見舞いに来るじゃん」

 冗談を交えて笑って話し合える日常が戻ってきたのだと凛は実感する。こうして三人で話している時間が唯一、心の傷を感じずにいられる時間だ。


 あれから数日後、プレートでの固定を目的に手術が行われたことで、創外固定からギプスに変わったことで圧迫感が激減し自由度は増した。

 入院中はリハビリ以外にやることが無く暇で暇で仕方なかったが、伊織と実央が毎日顔を見せに来てくれることだけが唯一の楽しみになっていた。


 それでも、凛はいつまで経っても夜だけは慣れなかった。

 夜は、暗い。それは当然のことだが、人の心までも影を落とす。

 紗良を守れなかったこと。

 伊織を守りきれなかったこと。

 実央に怖い思いをさせ、怪我を負わせたこと。

 夜になるとそのことをいつも反芻し、凛は声を押し殺して泣いていた。

 

 ——あのときこうしていれば。

 ——どうしてできなかったんだろう。


 変えられない過去は考えても仕方がない、意味がない。全くもってその通りだと分かっていても、脳は思考を止めてはくれなかった。



「もうそろそろ退院してもいいでしょう」

 一ヶ月後、主治医から告げられた。

 もちろん骨癒合は不完全なため、もうしばらくは外固定とリハビリでの通院は必要となるが、それでも入院生活とおさらばできることを凛は喜んだ。




——ね〜凛! このストラップお揃いにしようよ〜!

 ——お揃い良いね、しよ!……紗良ってほんとネコ好きだよね

 ——だって可愛いも〜ん 凛はどれにする?

 ——んー……私はこの黒猫かな

 ——スンってしてるのが凛っぽい! じゃ〜私はこの三毛猫にしよ!


 そこで物語は閉じられ、目を覚ます。

 あれは小学校四年生のときのことだった。放課後遊びに行こうと紗良に誘われた凛は、日課の討伐訓練をズル休みして家を抜け出した。

 二人で十五分ほど自転車を漕いで、寂れている小さなショッピングモールへ行った。

 「ちょっとお腹すいた」って紗良が言ったから、ファストフード店でフライドポテトを分け合いながら喋って。

 そのあとはゲームセンターに行って、取れもしないクレーンゲームで騒いで。

 最後は百円ショップに寄って、なけなしのお金でお揃いのストラップを買った。

 家に帰ったら当然バレて怒られたし、ストラップはランドセルに付けようと約束して学校に行ったら先生に二人して怒られた。

 怒られた後は中学生か高校生になってから付けようと約束した。

 最後は散々だったけど、すごく楽しかった。


 遠い遠い、昔の思い出。

 小学生の頃に買った、たかが百円のストラップ。

 そのたかが百円のストラップはきっと、死ぬまで手放すことはできないだろう。


 感傷に浸っていると、じわりと膜が凛の視界を覆う。

 と、同時に両手で勢いよくパンッと頰をぶっ叩いた。

「やめやめ! 前を向け私!」

 いつまでも引きずらない、悲しむのはたまにだけ、と凛は決めていた。

 そうでないと、向こうにいる紗良から「どんだけ私のこと好きなの!」と思われかねないからだ。


「まあ別に間違いじゃないんだけどさ……とか言ってる場合じゃない、今日は退院だ!」

 昨日のうちに大体の荷物はまとめていたが、まだ準備は整っていなかったため、残りを片付ける。

 そうこうしているうちに予定時刻に母親が迎えに来てくれ、車で自宅へ向かう。




 運転席に母、助手席に凛。車の中ではエンジン音とたまにウィンカー音が鳴るだけであった。

「お、お母さん」

「何?」

「色々、ありがとう」

「……」

 気まずい空気を変えたかったが、更に気まずくしてしまったかと凛は悔やむ。

「別に、親なんだから普通でしょ」

 なんとなく、想定とは違った返答で少し驚いた。「もう迷惑かけないで」とか、「討伐で入院なんて情けない」とか、そういった苦言が飛んでくるものとばかり思っていた。

「そ…うかな……おじいちゃんは元気?」

「変わらずよ。連合で仕事して、皆の稽古相手してるわ」

「そっか、なら良かった」

「それよりあなた、復帰できそうなの?」

「右腕は無事だし討伐する分には問題ないよ。左腕はどこまで戻るわかんないけど……」

「そう……なら良いけど」

 凛は久々に母親と普通の会話を交わせたことが嬉しかった。こんな何気ない会話をしたのは小学生か、中学生ぶりかもしれないと思い返す。

 





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