邂逅
ここはどこにでもある普通の田舎。百五十年近く前に暁ノ村と宵ノ村が合併して生まれた薄明町という町。
ただ一つ、芥と呼ばれる異形が現れることだけが普通ではなかった。現れるだけなら可愛いものだが、人間に害を及ぼすのだからたまったものではない。もちろん対策しないわけにはいかず、やがては芥を討つ討伐士なる者が誕生した。
それから毎日毎日芥が現れては討伐して。一般人に救急要請されては駆けつけて。
この町はこれまでもそうやってきたし、これからもそうしていくのだと信じていた。
春の始まり、夕暮れ時。まだ肌寒くも少し温かみを帯びた風が頰を撫でる。一見和やかな時間であったが、それは突然壊される。
「う……わぁぁあ!!」
女の子の悲鳴が辺りに響き渡り、すぐさま悲鳴が聞こえた方向へ走り出す。
丁字路の角を右に曲がると恐らく悲鳴を上げたであろう小学生の女の子。そして彼女の前にはバランスボール程度の球体に単眼、おまけに手足が伸びている灰色の異形、それが二体。芥だ。
芥は悲鳴に反応し、細長く鋭い虹彩を彼女に向けていた。
少女は黒のポニーテールを揺らめかせながら助走をつけ跳躍し、前方へ宙返り。その最中に両腰からレイピアを抜き、着地と同時に二体の異形を同時に両断する。芥は為すすべなく体が崩れ、霧散していった。
「大丈夫? 怪我はない?」
「だいじょおぶ……」
女の子は安堵からぽろぽろと涙をこぼしながら答えた。
「これからはブザーも鳴らしてね、気をつけて帰るんだよ」
少女はレイピアを鞘へ収めたあと、途中まで女の子を見送った。
ふう、と一息つき、討伐士の努力義務である巡回を再開しようと思った直後——
「す……すごい!」
背後から声がした。振り返ると少女と同年代の黒髪少年。薙刀を手にしており、彼も恐らく討伐士なのだろうと推測される。
「え……えっ、と……?」
「いきなりすみません! さっきの討伐、凄かったです! 俺も討伐士なんですけど、酷いくらい下手で……そ、それで……できたら俺に教えてください!」
初対面の人に弟子入りの申し出をされ、思考停止する。討伐士になって十年以上は経つが、初めての出来事であった。
「いや私、弟子はとってない……っていうか、そんなことできる人間じゃ……」
「少し!! 少しだけお願いします!!」
「え……えー……うーーん……す……少し……なら……」
突然のことで内心パニックになっており、彼の勢いに負けてしまった。こちらの心持ちとは反対に、黒髪少年は全身で喜びを表す。
「やったーーっ!! 俺、月宮伊織って言います! よろしくお願いします!」
「あ、天羽凛です……よろしく……」
満面の笑みで右手を差し出す彼に、苦笑いで握手をするしかなかった。
凛は突拍子もない展開に気が動転し約束を交わしてしまったが、「また今度」と誤魔化しそそくさと帰宅した。
自宅は大きく古めかしい日本家屋だからか、威圧を感じる家構えをしている。門を通り、やや重い引き戸を開けながら「ただいま」と告げる。
靴を脱いでいると背後から足音が近づく。母だ。
「凛。あなた、今月の討伐数落ちてるわよ。もう高校二年生でしょ? 天英会の次期当主としての自覚を持って」
帰ればすぐにこれだ。心の準備をしていても苦痛なことに変わりはない。
「……はい、ごめんなさい」
「謝るくらいなら最初からしっかりして。その辺のくだらない討伐士とは違うのよ」
母親の顔を見ずに真っ先に階段を駆け上がり、自室のベッドへ倒れ込む。制服の皺や汚れを気にする余裕はなかった。
枕に顔を埋めながら、自らを落ち着かせるよう言葉を頭の中で唱える。
〈大丈夫、いつものこと。〉
〈あぁ、全部止めてしまいたい。〉
薄明町の一部である暁ノ村では先々代が腕の良い討伐士を集め天英会を創設した。そして着々と権威を持ち始め、その他所属の討伐士たちとはギスギスした関係が今も続いている。
生まれたときから身内に次期当主と圧をかけられ、幼少の頃から高名な討伐士に囲まれ、技術を叩き込まれた。そんな凛が身内と分かり合えない点は、その他の討伐士を蔑視していることだった。
〈それでも私には、天英会しかないんだ。〉
だが今は母親からの非難に心を乱されている場合ではない。最も気にするべき出来事に目を向けなければならないのだ。
翌朝、教室でホームルーム待ちをしていると「凛、おはよ〜」と声をかけられた。
ぱっちりとした目の上には綺麗にカールされたまつげが並び、栗毛色の髪は右耳の横でふんわりとしたシュシュによってまとめられている。
昔からの唯一の友達、柊紗良だ。
「おはよ……紗良、聞いてほしい話があるんだけど……」
「わー、長くなりそ〜。お昼休みでいい?」
さすが幼馴染、察しが良いようだ。
「あははは! それで押しに負けたの?」
晴れやかな天気の下。賑わっている中庭で昼食を取りながら昨日の一部始終を説明すると、紗良は笑って言う。
「いや、やっぱり無理無理。断るよ」
「え〜!? 絶対面白いって!」
「あのねぇ……」
面白いのは紗良でしょ、と言いかけたそのとき。
「あ! 天羽さん!」
不意のことで心臓がドキリと痛いくらいに拍動する。後ろを振り返ると、声の主はまさに昨日の彼である。
「伊織、あの天羽さんと知り合いだったの?」
彼よりもやや背が高く、首元に毛先が付くくらいの長さでハーフアップにしている男子生徒が尋ねる。
続けて紗良も口を開いた。
「あ、弟子入り君って転校生のことだったんだ~」
〈転校生ってなに!? 知らないけど!?〉と、紗良に顔で訴える。
「この田舎に転校生が来たって、隣のクラス騒いでたでしょ〜」と、小声で告げられた。
紗良の発言が気になったハーフアップの少年はまた尋ねる。
「っていうか、弟子入りって何?」
「俺、昨日天羽さんの討伐見てさ……すごかったんだよ! もう一瞬でサッと飛び込んで斬ってさ! 弟子入りは無理だったけど、少し教えてもらえることになったんだよ!」
黒髪の彼は純真な目で身振り手振りを加えながら説明する。凛としては説明されている張本人ゆえ、気恥ずかしい。
「そりゃあ、天羽さんはこの辺じゃ有名も有名よ。あのエリート集団の天英会の人だし」
「え、エリート集団……!?」
この村では誰もが知っていて当然と言わんばかりの説明に黒髪の彼は困惑する。
〈エリート集団、ねぇ……〉
「名前だけだよ。私は別に、すごくないし」
思い出したくもない母親の言葉を思い出し、俯いて言い放つ。だが間髪入れずに反論が飛んできた。
「暁のこととか、てんえいかい? のこととかはまだよく分かんないけど……天羽さんがすごいのは本当です! だって俺、見たから!」
それは黒髪少年の心から迷いなくまっすぐに出た本音だと直感で理解した。
聞いた後から時間差でだんだんと視界が歪み始める。
母親からは実績が足りていないと非難され、周囲からは天英会の次期当主だと敬遠されたことが多かった人生。平静を装うために、必死で目に留めているものが決壊しないよう堪えた。
紗良がこちらを一瞥した直後のこと。
「転校生の……えーと」
「月宮伊織!」
「月宮くん! こっちこそ凛のことよろしくね! あと、良かったら友達にもなってくれると嬉しいな〜!」
紗良は凛の心情を把握しているにも関わらず完全無視の行動に出たのだ。
「ちょ、紗良!?」
「良い人っぽいし、大丈夫でしょ〜」
紗良が耳元で言う。良い人かどうかより、こちら側に問題を感じるから不安なのだがとは言い出せなかった。