82.嵐の日
タコとイカは新鮮で旨味が詰まっていた。
適度に薄いスライスなので、歯応えも楽しめる。
小さなガーリックトーストは、前世でいうところのブルスケッタとほぼ同じだ。
刻んだトマトがメインに、キャビアが少量入っている。
さくさくぷちぷちとして、酸味が心地良い。
生ハムにかかっているのはトリュフの粉末だ。
芳醇な香りが食欲をさらにかき立てる。
値段については考えないようにしよう。
絶対にお高い。
「おいしいですね……」
「ここは前菜に力を入れていますからね」
イヴァンも優雅に前菜と食前酒を頂いている。
正直、エミリアも手が止まらない。
良いレストランを紹介されると、その人の評価が上がってしまうのはなぜだろうか。
「正直、エミリアさんのおかげで胸を撫で下ろしています」
「……? それはどのような意味でしょうか」
「弊社は改名しておりましてね。前はシンプルにロンダート船舶だったのです」
ウェイターがほどよいところでペンネ・アラビアータを持ってくる。
香辛料とかすかなチーズとペンネの炭水化物……。
イセルナーレで食べたパスタ類の中でもトップクラスの味だ。
お酒へのマッチも申し分ない。
「ずっと貿易業に邁進していた弊社ですが、15年前の海難事故で……」
イヴァンの目が窓の外に向けられる。
このレストランは防音設備がしっかりしており、外の音が入ってこない。
港には雨が降り続けている。
ブラックパール船舶の前身、ロンダート船舶は貿易業を中心とする企業であった。
造船は主要業務ではなく、運航に注力する。
そのような会社だったらしい。
その日、10代半ばだったイヴァンは父の率いる輸送船団に乗り込んでいた――。
護衛の軍船はブラックパール号。艦長はロダンの母であるマルテ。
カローナ連合とは緊張状態にあったが、交易なしではイセルナーレは立ち行かない。
イセルナーレは海軍を割いて貿易を続行していた。
「今思えば、むしろ逆でしょうか。イセルナーレは威信にかけて、カローナ相手に引くつもりがなかったのです。なんとしても輸出入の貨物量を落としたくなかった」
「わかる気がします」
イセルナーレは誇り高く、面子にこだわる。
そのおかげでエミリアは離婚調停で助けを得られた。
一方、衝突寸前でもイセルナーレは引かないということか。
勇ましいが、当の荷物を運ぶ人間はどうなのだろう……。
食前酒が終わり、次のアルコールを頼む。
イセルナーレの酒は知識がないので、同じ系統のスパークリングなカクテルだ。
熟成と炭酸のコラボレーション。
久し振りのアルコールが身体に回ってくるのを実感する。
「……あの日、空は確かに晴れていました。波はありましたがね」
カローナ海を横切り、さらなる遠隔地へ荷物を運ぶ。
情勢を考えれば危険な仕事だ。
「さすがに撃沈されたりはなかったようですが、カローナの海軍に荷を略奪されるという話はありましたからね。ふっ……父も渋っていましたが」
「それなのに船団を……」
「しがらみという奴らしいです。まぁ、男爵の位を貰ってしまっているのでね」
イヴァンにもアルコールが作用しているのだろうか。
普段よりも饒舌に聞こえた。
でも、不快感はない。
むしろ人間味を感じる。
彼がどういう人間なのか、どう生きてきたのか。
心地良い声が彼という人間を運んでくる。
「私はあの日を生涯忘れないでしょう……」
幼い頃からイヴァンは波に揺られ、海を駆けていた。
経験豊富な船乗りと一緒に、いずれは船団を率いるため。
イヴァンは15年前でさえ覚悟していた。
荒波も大嵐も……遠くの敵対国も。
ロンダート船舶の船団はだが、商船だった。
十数隻の船団といえども武装はたかが知れている。
「あの時、カローナ連合は決断していたのだと思います」
「……何をでしょうか?」
イヴァンの語り口に引き込まれ、エミリアの酒を飲む手が進む。
彼の声や調子には人を惹きつけて聞かせる力があった。
多分、生粋の商人と貴族としての賜物だ。
イヴァンがゆっくりと恐ろしい言葉を放つ。
それはエミリアが予想もしていなかった歴史の裏側だった。
「イセルナーレとの戦争を、です」
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