44.エミリアの名誉
キレてしまったセリスの姿をオルドン公爵が呆然と見つめる。
「セ、セリス……」
「はぁー、はぁー……っ!」
「そ、そんな……! お前まで、俺を……!」
息を切らせ、セリスがオルドン公爵を睨みつけた。
生涯で初めてこれほど怒り、叫んだセリスは涙目になっている。
次に口を開いたのは、エミリアだった。
エミリアにはセリスの想いがよくわかっている。
「よく言ったわね。とても偉かったと思う」
「……エミリアさん」
「あなたを巻き込んでしまうけれど、出来る限りのことはするつもり……。それだけは信じてほしい」
「はい……」
セリスがうなだれる。
オルドン公爵と結婚したくないなら、これしか道はない。
16歳ながらセリスはそれを悟っていた。
(……さて、いよいよ仕上げね)
エミリアがロダンへと視線を送る。
視線を受けたロダンが1枚の書類を取り出した。
金の模様、イセルナーレの宮殿の透かしが入った最高級紙だ。
ロダンが怒りを隠さず、オルドン公爵へ言い放つ。
「貴様がエミリアに言い渡した離婚、そんなものをイセルナーレは認めぬ」
「……なに?」
絶望に包まれたオルドン公爵が力なく顔を上げる。
そこに容赦なくロダンが追い打ちをかけた。
「先日、貴様が言い渡したという離婚は無効だ。今、この瞬間においても依然として貴様とエミリアの婚姻関係は継続している」
「ははっ……それがどうした! 何の意味がある!?」
「わからないのか?」
オルドン公爵はまだ気づかなかった。
その言葉の意味を。
ロダンが取り出した書類を翻し、オルドン公爵へと突きつける。
書類には特別な形式で名前が書かれていた。
『特例離婚届』
「イセルナーレは法務官の祝福した婚姻における離婚を認めない。だがオルドン公爵の病状を鑑み、結婚生活の継続は不可能と判断し、特例での離婚を承認する」
ロダンがこの流れに持っていった理由のもうひとつ。
それがエミリアの名誉だった。
単にオルドン公爵を幽閉するだけでは、エミリアが離縁されたという不名誉は変わらない。
そして法務官の祝福した結婚が踏みにじられた、という事実も残る。
ロダンにとって、どちらも許しがたいことだった。
エミリアに非はない。
どこまでも、徹底的にそうあるべきなのだ。
「貴様の罪はエミリアとその息子フォードをないがしろにし、神聖な結婚を己の野心の道具にしたこと」
「ぐっ、うぅ……」
「次にイセルナーレに祝福を求めたにも関わらず、身勝手にも結婚を終わらせようとしたこと。このようなことは300年振りの愚かなことだ」
「……うっ、ああ……」
「さらには祝儀を隠匿し、私腹を肥やしたこと。あまつさえ、再び祝福を求めようとする厚顔無恥。どれもが言語道断の振る舞いだ」
罪をつきつけられ、オルドン公爵はうめくことしかできない。
まさにその通りなのだから。
だが、イセルナーレは、オルドン公爵の申し渡した離縁を認めないという方針を下していた。
では誰が離婚を申し出るのか? 離婚届けにサインするのか?
答えはひとつだった。
「この離婚はエミリアの署名をもって、有効とする」
「お、お前……っ!」
離婚を選択したのはエミリアという風にイセルナーレでは記録される。
もちろん真実の経緯は機密文書として残りはする。
数百年後、埃をかぶったロダンの書類を読んで真実を知る者もいるだろう。
しかし、今現在は――エミリアが離縁を選択した、というのが事実になる。
離縁されたのはオルドン公爵の側になるのだ。
このロダンが用意した離婚届にエミリアがサインをすれば……。
ロダンが優雅な所作で離婚届とペンをエミリアへと手渡す。
あの書類にエミリアがサインすれば、オルドン公爵は破滅だった。
それを察したオルドン公爵が心から焦り、前に出る。
「ま、待て!」
「……待て?」
「待って、待ってください! どうか、どうか!」
オルドン公爵が膝から這いつくばり、頭を下げる。
冷たい床に額を擦りつけてオルドン公爵は懇願した。
「反省する! エミリアの気持ちはよくわかった……! 俺が悪かった!」
「――あなた」
エミリアはそれを何の感慨もなく見下ろす。
いまさら頭を下げられて、許されると思っているのだろうか?
「だから、この場での離婚だけは! ウォリスに帰ったら、いくらでも金を渡す! 心を入れ替える……! だからチャンスをくれ! 許してくれ!」
はぁ……とエミリアは息を吐いた。
この期に及んでもまだ許しがあると思っているらしい。
「私は別に、あなたを嫌ってなんかいないわ」
「エミリア……! じゃ、じゃあ!」
オルドン公爵が望みを見出して顔を上げる。
絶望、焦り……でも反省はしていないな、とエミリアは感じた。
結局は我が身を守りたいから謝っているだけなのだ。
それを見抜けない今のエミリアではない。
「……あなたは病気なのよ。強欲と傲慢っていうね。治してもらったほうがいいわ」
エミリアはにこりと微笑み、書類にサインを書き込んだ。
震えることもなく、ささっと終わる。
「――ッ! ああっ!!」
「意思決定は下された。オルドン公爵はこれより、モーガン修道院で無期限の療養生活に入る」
「モーガン修道院……!? あそこは、あそこは……!」
どうやらモーガン修道院の名前を知っているらしい。
まぁ、イセルナーレの教訓本や史書には名前が載っている場所だ。
悔悟のため、絶海の孤島に築かれた修道院。
壁にルーンを刻み、死の最後に許しを乞える――。
死のその瞬間の許しまで島から出ることは許されない。
「嫌だ! せめて、あそこは!」
「構うな。連れていけ」
ロダンが呼ばわり、衛兵が脱力したオルドン公爵を連れ出す。
彼もようやくだが理解しているのだ。
これで破滅、終わりなのだと。
もはや助けはない。永遠に日の当たらない場所へいく。
それがイセルナーレを侮った者の末路である。
かくして、オルドン公爵とエミリアの離婚劇は幕を閉じる。
ウォリスにも事実は速やかに伝わるだろう。
オルドン公爵が不治の病につき、結婚生活が不可能になったと。
そしてエミリア側から涙を呑んで離婚届にサインした――と。
これにて第4章終了です!
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