19.委任状
エミリアはごくりと唾を飲み込んだ。
ロダンが動けば、イセルナーレの宮廷に知られるのは当然のこと。
覚悟は決めている。
あの日、ベルに離縁を申し渡された夜に。
(――構わないわ。大事になっても。どうせあの元夫と義両親は、私を追い出したと吹聴しているんでしょうから)
元夫の女癖の悪さは、屋敷に閉じ込められていたエミリアでさえ知っている。
エミリアを追い出したなら、大手を振って女をかき集めることだろう。
それよりも、エミリアが望むのは正当な権利の財産だ。
結婚前までの資産まで分与しろとは言わない。
でも、イセルナーレから受け取った祝儀まで隠していたのは到底納得できない。
「……フォードの名誉に配慮してもらえれば、いかようにも」
「ああ、それは当然のことだ」
ロダンが読書するフォードの後ろ姿をちらりと見る。
「あの子の平穏が乱されないよう、配慮して動く」
「ありがとう」
それから祝儀の内容について、説明とヒアリングがあった。
ダイヤモンドの燭台とエメラルドの指輪についてはエミリアも現物を知っている。
指輪はベルが身につけているし、燭台は大広間に飾られているからだ。
だが、他の品物については説明を受けてもどうなっているかわからない。
オルドン公爵家のどこかにあるのか、売り払ったのか。
「売り払っていたほうが、より大変なことになる。イセルナーレでは、祝意として贈られた武具や装飾品はしかるべき格式を持って伝えられるべきとされるからな」
「まぁ、そうよね……」
これは安っぽい皿やタオルの話ではない。
ウォリスの公爵家とイセルナーレ王国とのやり取りなのだ。
イセルナーレは子々孫々に伝えられる友好の証として、祝儀を贈っている。
それが万が一、金目当てで売り飛ばされていたら激怒するだろう。
とはいえ、オルドン公爵家の気質を考えるとその可能性は結構あるように思えた。
「にしても、まさか土地の割譲と鉄道利権も祝儀にあったなんて……」
「それについては、イセルナーレも下心がないわけではなかったがな」
イセルナーレからウォリスへ一部割譲されたシェルド地方は、山と盆地だ。
数百年前、両国が争っていた時代から帰属が行き来していた地域でもある。
今回、祝儀と将来の友好のためにイセルナーレから割譲されたのだとか。
もちろん、ただ贈ったわけではない。
見返りはオルドン公爵家からウォリスの全貴族への働きかけだ。
「精霊魔術の普及緩和と新規鉄道の開通促進――このふたつが得られるなら、シェルド地方の一部割譲と鉄道利権は高くない」
エミリアは数日前のフローラとのやり取りを思い出していた。
彼女は確か、こう言っていた――。
「北のゼルディ共和国から、良質のミスリル鉱石が運ばれてくるんだっけ」
「もうそこまで頭に入れていたか……その通りだ」
ロダンがエミリアの知識に唸る。
もっとも、これは偶然仕入れた知識ではあったが。
「これから精霊魔術と鉄道はますます重要になる。イセルナーレが大陸の北とやり取りするうえで、どちらも至上命題だ」
「……だから揉めてたシェルド地方を渡して、貸しを作ろうと」
「平たく言えばそうなるな」
説明されて背景はかなり納得できた。
あの最悪の結婚式の裏では色々と政治劇が進行していたらしい。
無論、ロダンも良かれと思って動いたに違いない。
長年の領地問題を解決し、長期的な利益を見込む。
だから大掛かりな法務官なんかの制度を使い、祝儀を贈ったのだろう。
(問題は――元夫から、私が何も聞かされなかったことなんだけど!)
そう考えるとエミリアの怒りが再燃してくる。
……おっと。
まだ話し合いの途中だった。
(ちょっと落ち着かないと……)
深呼吸をして、待っていてくれたロダンに話の続きを促す。
こうした呼吸をわかっていてくれるので、エミリアとしてはとてもやりやすい。
「今後の具体的な動きとしては、離婚調停の代理人を君に選定してもらう。この場合は結婚式にも立ち会った法務官の俺になるが」
「ふむふむ……」
「書類はもう揃えた。これらの委任状と委任契約書を読んで、問題なければサインをしてくれ」
ロダンが差し出したのは金の装飾がされた高級紙を使った書類だった。
紙からして公的文書の格式が漂っている。
「最後にひとつだけ念を押しておく。その委任状にサインしたら俺は打てる手を全部打つ。元夫と義実家に情があるのなら、サインはやめておくことだ」
「……とことんやるってことよね?」
委任状には委任解除の項目もある。
でも、この件はただの離婚調停ではない。
ふたつの国と領土問題も巻き込む大事件になるのだから。
一度走り出したら、容易には止められない。
ロダンが冷たい瞳を委任状に向ける。
「法と正義の範囲内で、な」
その答えでエミリアには充分だった。
ロダンの能力と――性質はエミリアも良く知っている。
敵に回したことはないが、一線を引いたロダンは恐ろしい。
学院時代、ロダンは敵になった人間に容赦と手加減をしなかった。
だが、いまさら躊躇することなど何もない。
エミリアは用意されたペンを手に取った。
「望むところよ。存分にやって」
エミリアは委任状と委任契約書にささっとサインをする。
これで、ついに事態は動き出すのだ。
【お願い】
お読みいただき、ありがとうございます!!
「面白かった!」「続きが気になる!」と思ってくれた方は、
『ブックマーク』やポイントの☆☆☆☆☆を★★★★★に変えて応援していただければ、とても嬉しく思います!
皆様のブックマークと評価はモチベーションと今後の更新の励みになります!!!
何卒、よろしくお願いいたします!







