172.遭遇の裏側
少し前、シーズは屋敷にある自室でまたも癇癪を起していた。
シーズは怒り、手紙を床に叩きつける。
「あなた、どういうことよ! あの女――エミリアとの面会は不可、ですって!?」
それは今しがた届いた、ウォリス王国の外務省からの通達。
通達の手紙の内容は要約すると、次の通りだった。
『エミリア・セリドとの面会は不可。今後も取り次ぐので、とにかく静穏にするように』
つまりシーズの願いは真っ向から却下されたわけだ。
ソルミはなるべく穏やかに妻をなだめる。
「落ち着いて。やっぱりイセルナーレとの交渉はすぐにはまとまらない……。外務省も尽力しているんだから」
「ふざけないで! 王家も外務省も、イセルナーレにビビっているだけでしょう! 本当に情けないわね、ウォリスの誇りは――気高さはどこにいったのよ! 豚の餌にでもしたのかしら!?」
ソルミは身体を縮こませ、扉の外をちらと見る。
今は王制批判をしたところで即座に逮捕されたりするような時代ではない。
ウォリスにも憲法があり、言論の自由は保障されている。
だが、それでも――公の場でウォリス王家を批判することはタブーだ。
批判めいたことを口にする時にはひそやかに、レトリックを駆使しなければならない。
しかし自宅ということもあって、シーズの言葉はいつもより口汚く、危険であった。これが夜会や社交の場だったらと思うと背筋が凍り付く。
「……わかったよ、もう一度交渉してみる」
「くれぐれもお願いね、あなた! もし上手くいかなかったら、私にも考えがあるから!」
だが、ソルミの嘆願はウォリスの外務省から再び却下された。
一切の考慮の余地なし、ということだ。
やむなくソルミは次善の手を模索する。
それがウォリスの外務省と裏で交渉し、シーズをなだめるためだけにアンドリアへ連れ出すという、手の込んだ芝居であった。
無論、エミリアと面会できる可能性はない。
どこにいるのかも知らないのだから。
ただ、一週間ばかりのアンドリア旅行をソルミはシーズとするだけだ。
(はぁ……まったく、無意味な仕事だよ)
面会は途中でキャンセルになった、という風にするしかない。要は面子の問題なのであって、シーズを満足させれば嵐も収まるだろう……というのがソルミの考えだった。
アンドリアのステーキはウォリスでも一定の評価を得ている。
他国を見下すことに余念がないウォリスの貴族も、国境に近くアンドリアの大平原に存在する牧場の価値を無視することはできなかった。
そして外務省のコネまで使い、会員制のホテルを押さえたのだ。
だが、外務省が請け負ったのはシーズを連れ出すための虚偽の手紙とホテルの予約まで。
金は一切出さないということだった。
このような馬鹿げた茶番にまで税金を投じるほど、ウォリス政府も間抜けではない。
ガス抜きのお膳立てはしてやる、程度だ。
なので宿泊費や交通費などは自費である。ソルミが実家から借りた金で払うのだ。
実に痛い出費だが、実家をなんとか説得して金は用立てた。
これっきりだ、ということで。
そうしてセッティングしたアンドリアの旅行期間中、シーズの機嫌は悪くなかった。
観光客として扱われることで満たされた自尊心、ステーキ、大河の遊覧船――。
三角柱の最上階に位置する高級ホテル「ロイヤルキャッスル」のエントランスはやや古風で、ウォリスの貴族の趣味にも合致していた。
「鼻持ちならない新参者の国にしては礼儀がわかって、料理もそこそこの出来栄えね」
というところまで機嫌が戻ったのだ。
そして最終日である今日、ソルミが「エミリアとの面会ができなくなった」ということを伝えてもシーズは眉を寄せるだけであった。
「ふん、もしかして逃げたのかしら?」
「そうかもね……。そう、きっとそうだ。いずれにしても、ウォリスの外務省は今後もきちんと仲介してくれるよ」
「……まぁ、いいわ。私たちはウォリスの栄光ある貴族なんだから、それにふさわしい応対を今後もしてくれれば」
執事にチェックアウトを任せ、シーズは居丈高にエレベーターに向かう。
そんな彼女の少し後ろを歩くソルミはとにかく、ほっとしていた。
(ウォリスの外務省にも呆れられたし……そう何度も使える手じゃないにしても、悪くはなかったんじゃないかな)
とにかく、シーズの激する波風を制御することが最重要だ。
このまま列車に乗り込み、ウォリスに戻れば……。
またシーズは荒れるだろうが、荒れ狂うまでに多少の時間はかかる。
だが、まさか――シーズとソルミがエレベーターに乗ろうとしたその時。
開いたエレベーターの扉の向こうに、エミリアがいたのだ。
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