1.離縁を申し渡されて
「お前とは離縁だ! 荷物をまとめて出ていけ!」
それが夫であるベル・オルドン公爵との久し振りの会話であった。
「……はい」
妻であったエミリアはそれを黙って受け止める。
……嫌な予感はずっとしていた。
「今晩だけは猶予をやる。明日の朝、子どもを連れて出ていけ」
反論もできず、一方的に会話を打ち切られたエミリアは貴賓室から寝室へと戻る。
とぼとぼと薄暗い公爵家の廊下を歩きながら、エミリアは思い返す。
この政略結婚の最初から――いや、婚約の段階からベルの愛情は薄かった。
だが明らかな兆候はいつからだっただろうか。
多分、エミリアが4年前に出産してからだ。
ベルとエミリアの子ども、フォードの魔力は生まれた時からかなり少なかった。
これにベルはひどく失望したのだ。
抱きかかえることも言葉をかけることも、ほとんどない。
ベルにとってフォードは……愛情を注ぐ対象から外されてしまった。
「こいつは俺の子じゃない」
「出来損ないにオルドン家は継がせられん」
どれだけ心無い言葉を投げかけられただろうか。
しかしエミリアは耐えた。
(魔力がない、なんて……そんなことで)
天性の魔力だけが全てを決めるわけでもないのに。
この世界に存在する精霊魔術では、修練のほうが大事だ。
魔力が少なくても国に貢献する人はたくさんいる。
そもそもベルの魔力自体、一般的なレベルなのに。
しかも子どもの頃のベルも魔力がとても少なかったとか。
エミリアはメイドからちらっと聞いたことがある。
しかし、だからこそか。
息子が同じ凡人であることにベルは納得できず、耐えられなかった。
(でも、この子は……私とあなたの子なのよ?)
そんなエミリアの想いは夫には届かなかった。
まず夫の香水が変わった。
そんなこと、気付かないはずがないというのに。
赤子のフォードを抱きながら、エミリアはベルに何も言わなかった。
何も言えなかった。
夫婦生活は途切れ、さらに夜会から戻ったベルに、女性用の香水の匂いがうっすら残っていることもあった。
(……ベルは、もう……私のことはどうでもいいのね)
それでもエミリアは耐えた。
メイドに陰口を叩かれ、義母と義父に無視されても。
フォードはエミリアの子なのだ。
例え、オルドン公爵家で認められなくても。
息子を育てて守るという現実は何も変わらない。
だが、エミリアの悲壮な決意に現実は残酷だった。
結局、離縁を切り出されたのだ。
嫁ぎ先のオルドン公爵家で過ごしたのは5年ほど。
フォードはもう4歳になっていた。
その結婚生活がついに終わってしまう。
寝室に戻り、エミリアはベッドに倒れ込んだ。
きめ細かい夜色の髪がばさっと広がる。黒色の瞳がソファーを映す。
そこには愛しの一人息子であるフォードが絵本を手にすやすやと眠っていた。
「……フォード」
輝くほどに黒い髪、すっと切れ長の目。天使のように柔らかな頬。
ずっと眺めていても飽きない。自分の息子ながらとても可愛いと思う。
どうやらフォードは絵本を読んでいる途中で眠気に襲われたらしい。
言葉も思考も達者なほうで……自分の息子ながら将来も有望なはず。
わずかに動く口元は「お母さん……」と言っている。
何か夢を見ているのかもしれない。
(……これからどうしよう)
離縁されて追い出され、生活をどうすればいいのか――答えはない。
フォードの将来もどうなってしまうのか……。
エミリアはシーツをぎゅっと掴む。
「なんでこんなことになっちゃったんだろう」
「エミリアはいつもおっとりしているねー」
それが公爵令嬢のエミリア・セリドに向けられる評であった。
もちろん、この言葉には良い意味はない。
エミリアの頭の回転は鈍くはない、むしろ速いほうだ。
でも意志を見せるのが不得意で頭と口が上手く繋がっておらず――どうやらこの世界の神様が手を抜いたようで、親にも知人にも侮られることが多かった。
貴族学院の座学では、常に首席。
実技の精霊魔術でも他を寄せ付けず講師陣から絶賛され。
でも口が回らないために人の評価は、おっとりしているというものだった。
それはそれで訂正する気もないのだけれど。
貴族学院を卒業したエミリアは、そのままベル・オルドン公爵へ嫁いだ。
その時のエミリアは17歳だった。
そして結婚式でベルはエミリアに吐き捨てた。
「これは政略結婚だ、忘れるなよ」
ベルは酒も女も好きで、慎み深いエミリアとは真逆の人間だ。
顔の造形はエミリアにはよくわからなかったが、悪くはないほうだったらしい。
でもそんなことは意味がない。
エミリアにとってベルは初めての異性で――夢を抱くことさえもなく結婚生活は過ぎていく。
そしてあっという間に懐妊してフォードを産んだ。
今、エミリアは21歳になってフォードは4歳。
(……神様、どうかフォードだけは)
苦しくて、悲しい。
自分のことは別にどうなっても構わない。
でも――フォードだけは、息子だけは。
人並みの幸せと生活を送れるようになって欲しい。
それは果たしてできるのだろうか。
実家は頼れない。結婚してから両親は他界し、兄が継いでいる。
猫の額ほどの領地しかない公爵家に金銭的余裕がないことは、エミリア自身がよく知っていた。
(私は何でもやります。フォードのためなら……)
だから。もっと自分に力が欲しい。
子どもを守れるくらい、はっきりとした自分と意志。
エミリアの心がぎゅっと縮まって……その瞬間、彼女の頭の中に膨大な記憶が流れ込んできた。
それは青い星、天にまで届くビル群、もうひとつのわたしの人生……。
「……これって」
目の奥がチカチカして枕を掴む。
押し寄せる情報の嵐の中で、ようやくエミリアはこれらの情報の意味を悟る。
これは前世だ。前世の記憶だ。
離縁を申し渡されたその夜、エミリアは前世を思い出していた。
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