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ダンジョンにおいて最も懸念すべき事項は、食料である。
ダンジョンは基本的に全ての動植物が人工的に再現されたものであり、生息する魔獣もまた独自の技術で生成されている。
その多くが体の一部を除き塵になるため、その殆どが食べることができないのだ。
したがって、ダンジョン内で行う飲食に関しては、基本的に外から持ち込んだ物に限定される。
「報告」
「んーっと、特になし」
そのため冒険者の多くが自前で食料を抱えてダンジョンに挑むのだが、そうなると必然的に荷物の量が増えることになる。
抱える荷物が増えれば増えるごとに機動性は損なわれ、不意に襲われた際の対処に遅れやすくなる。
かといって食料の量を減らせば、そのまま生死に直結する事態を招くリスクも跳ね上がる。
「ヴァ―イは警戒しすぎだろ。俺の権能を信じてないのか?」
「遅刻魔の発言をどう信じろと?」
「だからそれは、っとそろそろか」
故に多くの冒険者は複数人でチームを組むことで、リスクの分散を図るのだ。
その分消費する食料の数も増えることになるが、それ以上に警戒する範囲が減るほうがずっと大きい。
ザハの所属するチーム『フェンリル』もまた、同様の選択肢を選んでいた。
「伝令班、信号は?」
カルテラの言葉に、後方から声があがる。
「依然として動きはありません」
「分かりました。それでは皆さん、よろしくお願いします」
彼らの取った選択肢は、少々独創的だ。
内容はそこまで珍しくない。
まず隊長であるラフェールが率いる先遣隊を向かわせ、その道中の危険を予め排除、及び道程を確認する。
そして一定の階層に留まり、そこに拠点を構えるのだ。
「はー、これが一番きついんだよなぁ」
「口ではなく手を動かせ」
そしてカルテラが率いる別動隊が追加の食料を運びながら、敷設された拠点へと向かう。
ここまで見れば、恐らくはよくある兵糧入れに近いだろう。
だが、変わっているのはその方法だ。
「っしょっと」
声と共に樽を担いだザハは、そのまま階段を降りていく。
ダンジョンの階層を分ける階段にはスロープもなければ、大量の食糧を運び入れる荷車が通れる広さもない。
そのため『フェンリル』は、階層を降りるたびに荷車を分解して荷物を運び、一つ下の階層へと移動させ、再度組み立てているのだ。
「はぁ、はぁ、しんっど!」
「早くしろ」
ザハらが向かっているのは第三十層。
既にB級冒険者では単独での往復が難しい階層でありながら、D級冒険者であるザハから軽口が出るほどに余裕がある。
「お、やっと来たね」
ひらりと手を振ったのは、一人の女性だった。
黒を基調とした服装に、青色のネクタイを結んだその人物は、斜めに切られた前髪を軽く揺らしてザハらを迎えた。
「お疲れっす、サオリさん…………」
「お疲れ。本隊はあと一つ下だから、もうちょっとだけがんばろ」
サオリ。
チーム『フェンリル』の一人で、ザハらと同じタイミングでダンジョンに入り、単独で先行していた人物でもある。
元々はギルド『闇夜の牛』に属するチーム『ワルキューレ』に属していたのだが、ラフェールの誘いに応じて『フェンリル』に加入した来歴を持つ。
戦闘能力は別動隊の中で最も高く、今回は先回りして安全を確保するのが彼女の役割だ。
「おいザハ。さっさと組み立てるぞ」
「へいへい」
ヴァ―イにせかされ、ザハは痺れる手を揺らしながら荷車の組み立てを開始する。
従来なら数日かけて製造される代物だが、『フェンリル』の使うものは完全独自のオリジナル。
かなり簡易的な構造をしており、慣れれば一時間近くで組み立てることができる。
尤も、その耐久性は高くないため、強い衝撃を受けるだけでバラバラになる欠点も抱えている。
「流石は二人だね。この中でも断トツで早いんじゃない」
今回運び込んだ荷車は合計で十台。
途中で別動隊の補給の為に消費した分を含めても、数週間はダンジョン内で生活できる食料が搭載されていた。
荷車は基本的に四人一組で警戒と運搬を行うのだが、ザハとヴァ―イは二人で一台を担当。
分解、運搬、組立を終えた時点で、まだ半数近くが組立の段階に入っていない。
「いえ。まだまだです」
ヴァ―イが顔色一つ変えずにそう返事をすると、ギロリとザハを睨んだ。
「終わったのなら、他の者の手助けをしろ」
「うへぇ、少しは休ませろよ」
「つべこべ言うな。早くしろ」
露骨に顔を顰めるザハの尻を蹴り飛ばしながら、ヴァ―イは運搬の途中の荷物を取りに上の階層へと戻る。
それとすれ違う形で、カルテラが下へと降りてきた。
「お疲れ様です、サオリさん。首尾はどうですか?」
「ざっくりとですが、概ね変化はなさそうです。本隊は第三十一階層にて待機しているものかと」
「分かりました。しばし、休息にあたってください」
カルテラがそう命令を下すと、サオリは分かりましたと返事をする。
するとカルテラが、ふと小さく笑みを浮かべた。
「では、少しだけ世間話でも」
「…………ここで?」
「えぇ、何か問題でも?」
「別にないけどさ。攻略の最中は役職に相応しくない口調は避けるようにって、そう言ったのカルテラじゃん」
「それはそれ、これはこれです。なにより、諫める人はここにいませんから」
「…………まぁ、いいけど」
一つしか年が違わない二人は、忙しなく動き回る隊員の姿を眺めるように壁に寄り掛かった。
「また、関税が上がるそうです」
「またぁ?この前も上がってなかったっけ?」
「頻度が上がっています。この調子だと、更なる流出は避けられないでしょう」
「ったく、何考えてんだか」
この時代が最悪の歴史と言われる所以は、異常なほどに高い税金にあった。
元々、貴族が治める土地は、治安維持の対価に一定量の代金を支払っていた。
それ自体はそこまで問題ではなかったが、事態が変化したのはギルドが似た制度を導入し始めたこと。
まるで貴族の真似事をするかのように、属する冒険者や関係する人間に対し、一定額の納金を求め始めたのだ。
「私からも強く言いますが、あの人は他人の意見なんて聞きませんから」
「だろうね。つか、あの耳って飾りじゃないの?」
「さて、随分と武骨で趣味が悪いとは思いますけど」
そう言うと、カルテラとサオリはくすくすと笑みを交わす。
二人の時間をぶち壊すように、誰かの怒号が響いた。
「ザハ!荷物は丁寧に運べと言ったはずだ!」
「うっせぇよバカヴァ―イ!ちんたら運んでたら終わんねぇだろうが!」
「荷を乱雑に運ぶ理由にはならん!大体、お前はいつもいつも!」
「あぁなんだぁ?やろうってのか?」
「上等だ。そこに直れ叩き潰してやる」
どうやらヴァ―イとザハが、価値観の相違で喧嘩を始めてしまったらしい。
二人ともまだ雑用係だが、ラフェールが直々に鍛えているだけあって、並みの冒険者では止めることすらできない。
そうこうしている内に、二人は武器を構えたまま奥へと向かって行ってしまった。
「止める?」
呆れた様子のサオリに対し、カルテラはくすりと笑みを浮かべた。
「いえ、やらせておきましょう。ここまで戦闘がなくて、体力が有り余っているんだと思います」
やがて遠くで爆発が見えると、近くで作業している隊員たちは苦笑いを浮かべるのだった。