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街へと繰り出したスーは、その一歩目で動きを止めた。
「ひとが、いっぱい」
「これでもこの国で一番大きな街だからな」
レンガのタイルと西洋式の建築物は整然と並び、街をある人々はどこか忙しそうに歩いてまわる。
行商人の荷車が通り抜けると、そこから現れるように複数人の子供が駆けていった。
「大丈夫か?」
「…………うん。へいき」
そう答えるスーだが、しっかりとザハの手を離さない。
どうやらこれまであまり人と関わったことがないのか、大勢の人の姿を見て動揺している様子だった。
それを見たキツバは、おもむろに彼女の頭を撫でた。
「大丈夫だ」
「…………うん」
スーはもう片方の手でキツバの手を握ると、キツバの方から握る手を強めた。
「迷子にならないよう、気を付けるんだぞ」
「わかった」
「んじゃ、行くか」
そして三人は歩き出す。
行先は、ギルド本部から少し離れた路地裏にある、小さな仕立て屋だった。
「俺らの知人がやってる店でな、困ったときはよく頼ってるんだ」
「…………?」
「まぁ、いい人がいるって話だよ」
ザハは苦笑すると、大通りを抜けて路地裏に入った。
路地裏には人の姿はないものの、建物が陰になっていて薄暗く、少し複雑に入り組んだ迷路のような構造になっている。
(…………大丈夫そうだな)
とはいえ、ザハとキツバがいる以上、不意をつかれることも、遅れをとることも決してない。
ただそれでも、ザハはスーの手を握る力を少しだけ強めた。
「ざは?」
「ん?あぁ、そうだな。少し力を入れすぎた」
どうやら思いのほかに力が入っていたらしく、そう謝罪すると少しだけ手を緩める。
そしてそれに気づいたキツバは、こう胸の内で反芻した。
(まだ三年しか経っていないからな。警戒するのも無理はない)
ザハの顔には明確に緊張の色があり、恐らくスーもそのことに気づいているのだろう。
そしてその原因を、キツバは知っていた。
(最低最悪の時代。『明星の狼』の記録が残る中で、最も在籍する冒険者が少なかった、悪夢の歴史か…………)
ギルド『明星の狼』が管理するダンジョン『連れなる社』は、七つあるダンジョンの中で最も簡単だとされている。
単純明快な構造に、全体を通して危険度が低く、浅い層なら素人でも行き来ができるほどだ。
だから必然的に、所属する冒険者の数も全ギルドの中で最も多くなる。
それが、覆った時期があったのだ。
(ザハは当事者だ。既に終わったことではあるが、心中は複雑だろうな)
今から五年ほど前のこと。
ザハがまだ、一介の冒険者に過ぎない時にまで遡る。
──────当時のエルフィン王国は、貴族に支配された国だった。
当時の国王、フォルティレの父は穏健な王ではあったが、同時に物事を荒立てることを酷く避ける性格でもあった。
そして、貴族によって半数以上が占められていた、あらゆる決め事を定める議会を放置したままにしていた王でもあった。
「…………ばい」
そんな事情など露知らず。
ギルド『明星の狼』の本部がある街の屋根を、全力で走る少年がいた。
「やばいやばいやばいやばい!」
名前を、ザハ。
作務衣とバンダナはなく、全身に防御用の装備を着込み、背中に特徴的な流線を持つ剣を担ぐ彼は、屋根から屋根へと飛び移り移動していた。
「完全に遅刻だ!あぁどうしよ、絶対怒ってるよ!!」
当時から人助けの癖があった彼は、ほぼ日常的に遅刻していた。
それはまだ駆け出しの冒険者であり、チームにおいては雑用係でしかない彼にとっては、あってはならない失態だった。
事実、前に遅刻した際は、それこそ一時間以上の説教を受けたのだ。
「ぬありゃ!」
ザハは三階建ての屋根から飛び降りると、地面を転がりながらなんとか着地。
そしてそのまま、ギルド本部の建物の奥へと駆けていく。
「すんません!遅くなりまし」
「遅い」
開口一番、謝罪をしようとするザハの声を、その場の一人が遮った。
黒色の肌のその男は、簡素な装備と槍を背負い、ギロリとザハを睨みつける。
その目元には獣に引っかかれたような傷跡があり、似た跡が右手の甲にも残されていた。
「五分と二十秒の遅刻だ。遅刻するなと伝えたはずだが」
「そ、それはそうなんだけど…………」
「人助けをするのは勝手だが、それでチームに迷惑をかけるのは論外だ。二度とするな」
「で、でも!」
「貴様の落ち度に振り回される道理はない。全ての原因は貴様の力量が足りないだけだ」
(こ、このヴァ―イの頑固野郎がっ!)
ザハが内心でそう悪態をつくが、ヴァ―イの意見は至極真っ当なもの。
だからこそ、隣に立つ女性もまた、困った様子で笑みを浮かべていた。
「ヴァ―イ君が大体の事を伝えてくれたので、私から言えることは何もありませんね」
彼女の名前はカルテラ。
チーム『フェンリル』の副隊長であり、今回の依頼の隊長を担う人物である。
三つの髪留めで茶色の前髪を止め、後ろ髪を赤色の紐で一つにまとめている。
背丈はザハよりも少しだけ小さいが、踵の高いブーツに緑色のジャケットを身に着けているからか、外見以上に大きい。
常に柔和な笑みを浮かべているのも、それを増長させる一因だと言っていいだろう。
ヴァ―イはカルテラの言葉を聞き、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ですが、後半の言葉は余計ですね。あなたも彼に諭せるほどの力量ではないでしょう?」
「…………その通りです」
「なら、これでおしまいにしましょう。時間も押していますし、少し急ぐことになりそうです」
ヴァ―イはザハよりも少し先にチームに加入した先輩であり、カルテラに七度決闘を挑んで完敗した過去がある。
そしてザハはヴァ―イに決闘で勝ったことがなく、おおよその力関係はこれらが起因していた。
「荷物はどこっすか?」
「既にダンジョン前まで移動済ですよ。サオリさんが指揮を取っています」
「す、すいませんでした」
どうやら遅れてきたのはザハだけで、来るのを待つために二人でここにいたらしい。
徹頭徹尾ザハに非があるのだが、カルテラの表情は明るかった。
「平気ですよ。元からあなたが定刻通りに来るなんて全く期待してませんから」
「…………すんませんでした」
「急ぎましょう。既に本隊は三日前に突入しています」
カルテラの号令にヴァ―イとザハが同時に頷く。
彼らのチームの名は『フェンリル』。
ここ『明星の狼』における、最も優れたチームである。