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ザハは少女を抱きかかえたまま、ギルドの本部の一室に向かった。
関所の人間には驚かれ、ついでに質問されたが適当に言いくるめ、ラフェールに言伝を頼んでその場を後にした。
正確な説明ができるほどザハに情報があるわけではないので、変に話すと状況がややこしくなりそうだと考えたからだ。
ザハは遠慮なく部屋の中に入ると、背中に背負っていた少女をベットに寝かせ、腰に下げていた剣を壁に立てかけ近くの椅子に座った。
「さて、と。どうすっかな…………」
背もたれを抱きかかえるように座ったザハは、組んだ腕に顎を乗せると少女に視線を向けた。
体を揺すり起こすこともできるが、ここまでの移動でも目を覚ます気配はなかった。
つまりは普通の睡眠ではなく、何かしらの方法で気絶させられていると考えるのが自然だろう。
となれば、無理やり起こすのは少しだけ危険であり。
そこまで急ぐほど、今日のザハは忙しくなかった。
(このガキの連れはギルドの連中に任せて、『可惜の鴉』の連中には後で連絡すりゃいいだろ)
とはいえ、気乗りしないザハは、特に何かするわけでもなくしばらく眠る少女の顔を見ていた。
「…………んん?」
「お、やっと起きたか」
少女をベットに寝かせ、部屋に備えてあった適当な本を半分ほど読んだ辺りで、少女はゆっくりと体を起こした。
どうやら事態を把握できていないらしく、重たそうな瞼を擦りながら部屋を見渡し、ザハと目が合う。
(────────────マジか)
思わず、動きが止まった。
そんな動揺を悟ったのか、少女はこう告げる。
「おなかすいた」
チチチと、窓際にいる鳥がそう囁く。
やがて少女は、再度口を開いた。
「おなか、すいた」
「……………………別に聞こえてないわけじゃねぇぞ」
あまりに想定外の発言に、ザハはらしくなく面食らっていた。
そして両手の掌で顔を擦り、そのまま太ももを叩いてこう尋ねる。
「驚かないのか?」
「?なんで?」
どこか感情の読みにくい顔でそう尋ね返され、ザハはまたしても面食らってしまう。
どうやらこの少女、自分がどうしてここにいて、ザハが何者かなのか全く興味がないらしい。
それどころかグゥ、とお腹を鳴らし空腹まで主張してくる。
(…………肝、据わりすぎだろ)
コテンと首を傾げる少女に慄いたザハは、分かったと返事をして立ち上がる。
「おいていくの?」
「まず自分の状態を確認しろ。話はそれからだ」
そして部屋を後にしたザハは、階段を降りながら先ほど見たものを反芻する。
(あの眼、間違いなく魔眼だ)
魔眼は、権能と魔眼の中間に位置する存在であり、魔術の祖とされている。
特異的な力を発揮する代わりに、その間は瞳の色が通常とは異なる模様を描くのだ。
そしてあの少女は、左右の瞳の色が違っていた。
片方の目は紫色の、髪色に似た色をしていたが、もう片方は全体的に黄緑色をしているが、その端が何故か黒く靄が揺らいでいた。
髪色を見ればどちらが通常の瞳で、どちらが魔眼なのかは明確だろう。
(でも、なんで片方だけなんだ?普通っつーか、片目の魔眼なんて聞いたことねぇぞ)
そもそも魔眼は、魔力の躍動によって瞳の色が変化する現象である。
瞳の色が変わることそのものに意味はなく、あくまで体表に現れるサインのようなもののはずだ。
だというのに、少女は両目でザハを見ていた。
片目が見えていないのなら多少なり説明がつくが、見た限りでは少女は両目で物を見ている。
「……………………ま、特に何かあるわけでもねぇしいいか。そもそも俺も魔眼を持ってる奴なんて一人しか知らないしな」
一階にあるレストランに近づきながら考えを中断すると、備え付けの購買で複数個のパンと牛乳瓶を二本買って部屋に戻った。
シジマではなく牛の乳はそこそこ高級だが、シジマの乳はそこそこ癖があって子供からは不人気なのだ。
少女の好みは知らないが、それでも配慮するに越したことはないだろう。
「おーい、買ってきたぞ、って…………」
両手が塞がっているので足でドアを開けると、全裸のまま窓の外を眺めている少女の姿があった。
「おー!ごはんだー!」
「ウロウロすんなって。飯を置けないだろ」
ボロ布を巻かせるのも忍びなく、少女用の衣類なんて持っていないため、ザハは特に拘泥することなく事務作業的に抱えていた荷物を机の上に置いた。
ドサリと置かれたそれを見て、少女は目を輝かせる。
「たべていいの?」
「食えるならな」
さっきまで座っていた椅子によじ登ると、全く躊躇うことなく少女はパンを頬張り始める。
そんな姿を眺めていたザハは、息を一つ吐いてから部屋のドアに寄り掛かった。
「美味いか?」
「…………??」
「あぁ、悪いな。気にしないでくれ」
どうやらよほど空腹だったのか、少女は無我夢中でパンを口の中へと押し込んでいく。
ふと嫌な予感がすると、割と早く結果が起きた。
「…………ッ!?ッッ!?!?」
「あーもう、一気に詰め込むなよ。これ飲め」
大量にパンを押し込んだせいで、少女は頬をパンパンに膨らませたまま苦しそうに胸を叩く。
それを見たザハは少女に近づくと、牛乳の瓶の蓋を開けて少女に渡した。
「ゆっくり飲め。別に誰も盗りゃしねぇよ」
「……………………ぷはぁ。しぬかとおもった」
「パンの食べ過ぎで窒息死でもしたら、それこそ笑い者だったな」
カラカラと笑うザハの顔を、少女は不思議そうにのぞき込む。
「ど、どうした?そんなにつまらなかったか?」
「なんで?」
「…………は?」
「なんで、たすけてくれたの?」
その平坦な表情の奥にある何かを見たザハは、くだらなそうにこう聞き返す。
「逆に聞くが、助けてほしくなかったのか?」
「…………それは」
「まぁどうでもいいんだけど」
「…………え?」
今度は少女が聞き返す番だった。
ザハはくだらなそうに鼻を鳴らし、こう告げる。
「ぶっちゃけお前の意思に興味はねぇよ。助けたいから助けた。それだけだ」
「…………」
「で、名前は?つか、自分が何歳か知ってるか?」
少女は牛乳瓶を持つ手に少し力を込めると、ゆっくりとこう答えた。
「スー。歳は、きっと八」
「俺はザハだ。よろしくな」
そして笑うザハの顔を、スーはじっと見つめているのだった。