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どうしてこんなことになったのか。
時間はつい先ほど、朝と昼の境目の時刻にまで戻る。
「盗まれただぁ!?」
「あ、あぁ。俺も一緒に探したんだが、店内どころか周辺にもなかったんだよ」
ザハはいつも通りギルドへと向かう道を歩いていると、唐突にある男性に声をかけられた。
その人物はこの街で酒場を経営している店主であり、ザハにとっては数年来の顔見知りである。
これまでも何度か店主からの依頼を受けてきたが、その時以上に焦っている顔を見たザハは、何か大変なことでもあったのかと身構えていたのだが。
「その客は随分と機嫌がよくてなぁ、なんでも大きな依頼を一つ解決したんだとかで、かなりの大金を手にしたらしい。その場にいた全員に奢るくらいには上機嫌で、その時にA級の冒険証を見せられたんだよ」
店主が言うには、およそこういった経緯があったそうだ。
時刻は深夜よりも少し手前、常連客で賑わう店内が少しだけ静かになった頃だったという。
おもむろに入ってきたその人物は、やけに顔を高揚させたまま麦酒を頼むと、あっという間に飲み干してしまったらしい。
店主はその様子に面くらい、思わず何かあったのかと聞いたそうだ。
「にしても、A級の冒険者なんて珍しいな…………」
「だろ?でも、冒険証に金色の金具がついてるから、俺も本物だーって思っちまってなぁ。で、そのまま夜通し宴をしてたんだが」
「目が覚めたらなくなってた、ってか」
なんとも馬鹿馬鹿しい理由だが、実際のところあまり状況は良くない。
ここ『明星の狼』では、冒険証の一部に金属の金具を取り付ける。
一種の魔器になっているそれは、特定の魔力に触れることで特殊な光を発するのだ。
それを利用して、本物か偽物かを判別している。
(盗まれたってことは、自力じゃ手に入らねぇ程度の連中。つまり、何かしらの悪用目的だろうな)
そもそも、順当に実力をつければ得られる冒険証を盗む理由はない。
あったところで、当の本人に相応の実力がなければただの装飾品だ。
だが仮に、金具の魔術陣を解析され、複製でもされたとしたら。
ギルドとしては、実力の足りない自称A級冒険者が蔓延る事態に繋がる。
一度破棄して作り直すという選択肢もないことにはないが、それにかかる費用も決して馬鹿にならない。
ましてそれを当事者たちに配布し、旧式のものと交換する手間を考えると、もうそれだけでどうなるか目に見えている。
「…………仕方ねぇ。別にそっちに非があるわけじゃねぇし、少し探してみるわ」
「本当か!?バレたら罰金とかにならないか!?」
「ならねぇよ。大体、盗まれた本人が悪いだけの話だろ」
そしてザハは、ひとまずダンジョンへと向かい、今日のダンジョンへの挑戦者を確認したのだが。
(C級が三組で、まだ一組だけ見つかんなかった。だからわざわざここまで来たんだが…………)
ザハは眠りこける少女の顔を見て、思わず額に手を当てる。
「よりにもよってガキとはな。信じられねぇぜ、オイ」
子供一人で潜れる階層ではないことや、服を一切纏っていないことに言及することなく、ザハは改めて少女を観察する。
アメジストの結晶に似た色と黒が混じった、一つの宝石のような髪色をしている。
髪は腰よりもずっと長く、丸くなって眠る少女の体よりも更に長い。
ボロ布で隠された箇所を除けば怪我もなく、呼吸もしている。
(生きては、いるな。つまりは誰かがコイツを連れてきて、ここで放置して下に降りたってことか)
すれ違った可能性もあることにはあるが、それを見逃すほど関所の職員も阿呆ではないはずだ。
その関所のある十五層から下でも、ザハは人がいたであろう痕跡を見かけていない。
つまりは消去法で、下に降りているという結論に至ったわけだ。
(十か、もうちょい若いか?体が小さいが栄養失調気味ってわけでもねぇ。むしろ肌は真っ白で健康的だ。身なりを見ても孤児ってわけでもないし、単に誘拐でもされたのか?)
いくら考えても答えは出ないが、その間に少女が目を覚ます気配もない。
仕方なく抱きかかえようとボロ布で少女の体を覆おうとすると、その端を見て動きを止めた。
「……………………マジか」
そこに描かれたいたのは、一匹の鴉だ。
黒い体で今まさに羽ばたこうとしているが、その半身は骨だけで、反対側はごく普通の鴉という、なんとも悪趣味な絵柄をしている。
そしてザハは、この絵をシンボルにしているギルドを知っていた。
「『可惜の鴉』。よりにもよって、ここが関わってやがるのか」
管理しているダンジョンは『巡らぬ岐路』。
挑戦者の数に対する死者数が、全ダンジョンで最も高いことで有名な場所で。
冒険者の間では、そこに挑むことそのものが一種の罰として認識されるほどに危険な場所とされている。
「…………めんどくせぇなぁ」
それでも知ってしまった以上、多少の情報交換は必要になるだろう。
ザハは顰めた顔を左右に振ると、手早くボロ布で包んだ少女を抱え、その場を去るのだった。