聖女召喚された私が世界を救って日本に帰る日。悲しいけれど、今日でお別れです。
フリッチェ王国の王都中心部にある豪華絢爛な王宮。その中心にある聖女の間に私はいる。この部屋に入ったのは、三年前突然ここに召喚された時以来だ。
魔法陣の周りには私を帰還させるために魔力を提供してくれる魔術師の皆がいて、そして――
――私の隣には、この三年間私を優しく支えてくれた、フリッチェ王国王太子であるアルベルト様がいる。
「アルベルト様、そろそろ……お別れですね」
涙を堪えて必死に笑顔を作って、最後は晴れやかな笑顔でお別れしたいと思ってアルベルト様を振り返ると、アルベルト様は苦しそうに唇を引き結んでいた。瞳からは静かに涙が溢れている。
「泣かないで、ください……っ」
「……すまない。ただ、今日が最後だなんてっ……」
私はひたすら静かに泣くアルベルト様に手を伸ばし、その大きな体に抱きついた。騎士としても優秀なアルベルト様には、いつも安心感を与えてもらっていた。
「今まで、本当にありがとうございました。アルベルト様のおかげで、聖女としての役目を全うできました」
「……我が国は、この世界は、ハルのおかげで平和を取り戻した。本当に、本当にありがとう……役目を終えたら送り返すことしかできない、私の不甲斐なさを許してほしい」
この世界に召喚された聖女は、世界の瘴気を払うとその力を失う。するとただの日本人に戻った体は、この魔素が濃い世界では長く生きられないのだそうだ。
だから最初に召喚された時、役目を終えたら送り返すと言われて安心した。でも今は……帰りたくないと思っている。アルベルト様と、ずっと一緒に生きていきたいと思っている。
あの綺麗な花畑や湖、美味しかったご飯、楽しかった舞台、たくさんの思い出が蘇る。これから先もアルベルト様と楽しい思い出を積み重ねたかったけど……それは叶わない願いだ。
「勝手に呼び出し救ってもらったのに、ハルの望みも叶えられない私を許してくれ……」
「いえ、アルベルト様のせいではありません。ご自分を責めないでください。……聖女として私が召喚されたのは、女神様のご意向です。この世界を救おうと決めたのは、私の意思です」
「ハル……っ」
アルベルト様に強く抱きしめられて、私の瞳から涙がこぼれ落ちた。それからしばらく抱き合っていると、魔術師長から声がかかった。
「ハル様、準備が整いました。そろそろ魔法陣の上にお願いいたします」
「――分かりました。ではアルベルト様、お元気で」
「ああ、ハルも、元気でな。ハルは集中しすぎると食事を疎かにするから、しっかり、食べるんだぞ?」
「はい……はいっ。アルベルト様も、鍛錬に励みすぎて体を壊さぬよう、お気をつけください。アルベルト様は、頑張りすぎてしまうお方ですから……っ」
それからしばらく泣きながら二人で見つめあって、私たちは体を離した。そして最後に頑張ってヘタクソな笑みを浮かべて、私はアルベルト様に背を向けた。
「ハル様、転送の魔法陣を起動させてよろしいでしょうか?」
「はい。私は召喚された時と同じ日時に戻るのですよね」
「成功すればそのようになるはずです」
「……分かりました。では、お願いします」
魔術師達が魔力を込めると魔法陣が光を放ち始め、私は最後にアルベルト様に視線を向けた。アルベルト様は涙を流しながらも優しい笑みを向けてくれていて――
――その笑顔を最後に、私の視界は真っ白に染まった。
体がふわっと浮くような感覚が収まり、ゆっくり瞳を見開くと……そこは、私が一人暮らしをしている部屋の中だった。
そうだ、朝ご飯にパンを焼いて食べようとしてたら召喚されたんだっけ。転送は成功したようで、パンはまだ暖かい。三年ぶりに触るスマホをつけてみると、日時は私が召喚された時そのままだった。
なんだかあの三年間が、夢だったみたいだ。私はこれからこの日本で、また大学生として毎日を過ごしていくのか。
「はぁ……」
心にぽっかりと穴が空いたみたいで何もやる気が出ない。友達に家族に、あんなに会いたかったのに心が浮き立たない。
私にはもう何の力もないから、あの世界に戻ろうと奮闘する術もない。今私が着ている服とアルベルト様がプレゼントしてくださったピアス、それから指輪だけがあの世界にいた証だ。
――それから私は数週間引きこもって泣き腫らして、涙が枯れ果てた頃に大学生としての生活を再開した。
突然引きこもった私のことを友達は心配してくれて、嬉しかったけど……やっぱり気分は上がらない。私の中でアルベルト様の存在がどれほど大きくなっていたのか、今になって身に染みて実感している。
離れたらだんだんと忘れていくかもしれないとか、そんなのは楽観的な考えだった。
「春、最近本当に元気ないけど大丈夫?」
「……うん。大丈夫だよ」
「全然大丈夫じゃなさそうなんだけど!」
「……心配かけてごめん」
もうこんなやりとりを何度繰り返したか。でもどうしても、元の私には戻れない。笑顔で明るくいようとしても、引き攣った笑顔になってしまう。笑い方を忘れたみたいだ。
「アルベルト様、会いたいです。また、抱きしめて欲しいです」
それからも日常は過ぎていき、普通の大学生に戻って一年が過ぎた。さすがに毎日泣くようなことは無くなったし、友達の前では取り繕えるようになったけど、心に開いた穴はそのままだ。
自室に一人でいると思い出す。アルベルト様と過ごした時間を、アルベルト様の笑顔を、優しい声を。
私の名前を柔らかい声音で呼んでくれるあの声を思い出していると……瞳から涙が一粒零れ落ちた。
するとその瞬間、後ろから誰かに強く抱きしめられる。一瞬身を強張らせたけれど……
「ハル……会いたかった」
そう呟かれた切ない声音で、顔を見なくても誰がいるのか分かった。アルベルト様だ……っ。
「なっ、何で……っ、夢?」
「ははっ、現実に決まってるだろう?」
アルベルト様にくるっと後ろを振り向かせられて、顔を覗き込まれた。アルベルト様だ、アルベルト様が目の前にいる……
「良かった。また会えた」
「ど、して……っ」
私は混乱と嬉しさから涙でぐちゃぐちゃになりながら何とかそう聞くと、アルベルト様はイタズラな笑みを浮かべて私が付けているピアスを指差した。
「このピアスには私の魔力が込められているんだ。その魔力を頼りに魔術師に魔法陣を作らせた」
「そんなことができるなら……っ、なんで、言ってくれなかったんですか……!」
「すまない。成功する可能性は三割ほどだと言われていたんだ。だから期待をもたせないほうが良いと思った。それに……王太子がいなくなるには、様々な場所への手回しが必要だ。それが上手くいかない可能性もあった」
そうだ……アルベルト様がここにいるってことは、フリッチェ王国の王太子がいなくなるということで……アルベルト様は国民に慕われている良い王子だった。良い王様になるだろうと言われていた。
「も、戻れるんですか!?」
「ははっ、ハルならその心配をするだろうと思っていたよ。だからちゃんと帰れる手段も整えてきたんだ。そのおかげでここに来るまでに五年もかかってしまったけどな」
そういえば……アルベルト様は前よりも大人っぽくなっている気がする。私が日本に帰還した時に二十歳だったはずだから、今は二十五歳なのか。
「こちらではどれほどの時が経っている? ハルがこちらに戻って一年後ほどの時間にしか飛ばせないと言われたのだが……」
「魔術師さん達の言う通り、一年が経っています」
「そうか、それなら転送は大成功だったのだな。良かった。私がフリッチェ王国に召喚されるのは一日後だ。その時にハルがこの指輪をつけ、私と手を繋いでいれば一緒に戻れる。さらに魔法陣に、ハルを守る結界の魔法を込めてある。魔術師たちの五年間の結晶だ。それでハルは向こうの世界でも生きていけるらしい」
魔術師さんたち……私のために頑張ってくれたのか。凄く嬉しい。本当に嬉しい。三年間共に瘴気と戦った仲間たちの顔が思い浮かび、懐かしさに涙が出てきそうになった。
「……ハル、私はハルが好きだ。生涯を共に生きたいと思っている。ハルに生まれ育った世界を捨てるよう願うのは心苦しいが……私と一緒に来て欲しい。そして、私の妻になってくれないか?」
私はアルベルト様のその言葉を聞いて、また涙が溢れてしまった。でも今度は嬉し涙だ。
「もちろんです。私も……アルベルト様のことが大好きです」
「ハル……っ、そう何度も世界の移動をできるのかは分からないから、もうこの世界に来ることができない可能性もある。それでも良いのか……?」
「はい。それでも、私はアルベルト様と共にいたいです」
家族は分かってくれると思う。私に何かがあったことは察してくれていて、私の好きにして良いといつも言ってくれる。
「それに、魔術師さんたちは凄いので、また日本に戻ってくることもできますよ」
「……ははっ、そうだな」
私は楽しそうなアルベルト様の表情を見て、また泣きそうになってギュッと強く抱きついた。
「アルベルト様、これからもよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
それから二人が二つの世界を行き来して、幸せに暮らしたのはもう少し後の話だ。
女神はそんな二人によって長く平和が続いた国を見て、役目を終えた聖女が国に残る選択肢を選べるようにしたとかしないとか。それもまた、もっと先の話。
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また他にも短編や長編など色々と書いていますので、そちらもよろしくお願いいたします!
蒼井美紗