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1.



「なんでも、隣国で『つがい婚』があったらしいわよ」

「きゃー、英雄様って言われる方でしょう?」


 庭で掃除をしているメイドたちの声が聞こえてくる。風に舞う落ち葉が多いらしく、掃いても掃いても終わる気配はないようだ。段々飽きてきたのか、年若いメイドたちはおしゃべりの方に熱が入ってきたらしい。


「私も誰かに見初めてもらえないかしら」

「あんたじゃ無理よー」


 きゃらきゃらと楽しそうに話している声が、部屋で紅茶を飲んでいたウィステリアの元まで聞こえてくる。ウィステリアはティーカップをテーブルの上に置き、自分とあまり年の変わらないメイドたちの喧騒を微笑ましく聞いていた。


 多くの若い子はやっぱり『つがい婚』に憧れるのね。確かに、恋愛小説でも『つがい婚』を取り扱ったものは多いわ。そんな感想を、自分も若い娘であるはずのウィステリアは他人事のように思う。彼女にとって、『つがい婚』はあまり興味のない出来事であったから。



 この世界には、現在純粋な人族はいないと言われている。多種族との婚姻が進み、見た目はほぼ人族に見えるが、皆何かしらの獣人の血を引いているからだ。そしてある種の高位の獣人は、生まれた時からつがいという唯一無二の存在を先天的に持っていたという。しかし、今は多種多様な獣人の血が色々混ざり合ってしまったために、そうしたつがい認識能力は一般の者には現れることはなく、つがいの存在を感知できるのは、かなりの力――権力や財力、魔力や知力など、何かしら他者を凌駕する巨大な力――を持つ者に限ると言われている。それが突然変異なのか先祖返りなのかは分からないが、そうした者たちは、超越した力を持ち憧れと共に語られる存在となる。


 彼らは、ある程度近くの距離につがいがいると、その存在を感知し、たとえ目を瞑っていてもつがいの元までまっすぐに進むことができると言われているほど、そのフェロモンを認識する能力に長けているらしい。そして、一旦つがいを認識すると、つがい以外のものを決して愛することはないのだという。

 その力は何故か男性にしかなく、つがいに選ばれた女性は、その男性と結婚することを義務付けられる。


 こう聞くと女性にとってかなり不利とも思われるが、女性としては高スペックの男性からの溺愛を受けるため、その後の生活に不便を強いられることはない。つがい認識するということは、相手はつがい至上主義であり、つがいの嫌がることなど決してしないと言われているからだ。

 男性の場合でも、また女性の場合でも、既婚者であった場合は『つがい婚』のためとして特別に前の結婚は無効とされる。この際、無効とされる元結婚相手には多大な慰謝料が払われることとなるが、これは神殿で支払いが保証されており、滞ることは決してない。何よりその程度の慰謝料が払えないような男では、『つがい婚』ができるわけがないのだ。

 そして、通常の婚姻は離婚が可能であるが、『つがい婚』は決して離婚ができない。唯一無二のつがいであるから当たり前ではあるが。



 ウィステリアは、年若い娘にしては珍しいほど『つがい婚』に興味は全くなかった。育ちのせいもあったのかもしれない。ウィステリアはゼネス王国では随一と言われる老舗の商会である、ガールンド商会現会長の娘である。上に年の離れた兄二人がいるが、既にそれぞれ支部を任され仕事に精を出している。現在17歳のウィステリアも本当は商会で働いてみたかったが、両親がそれを許してはくれなかった。女性は大人しく家にいるものだ、というのがこの国で主流な考えであったためである。


 勿論父は貿易商を営んでいるため、他国の事情にも精通しており、この国の女性蔑視的な考えは良くないことは重々承知している。また、この考えは貴族に端を発しているため、平民の場合働く女性は多いこともよくわかっている。しかしながら、この国で今後結婚をするであろうウィステリアが、今後貴族に縁付く場合も考えて、少しでも醜聞となる可能性を排除しておきたいと彼は愛情ゆえに考えていた。

 ウィステリアも17歳。そろそろ結婚を考えてもいい年である。


 ガールンド商会は国一番の商会のため大金持ちではあるが平民であったため、貴族のようにウィステリアに幼いうちから婚約者を宛がうということはなかったが、やはりゼネス王国を誇る貿易商の娘としては、今後の貿易に有利になる相手に嫁ぐのが家のために良いとウィステリア自身は思っている。政略婚で構わない。そのため、『つがい婚』など気にもしたことはなかった。勿論両親も兄も、ウィステリアには自由に結婚してかまわないと常々言ってくれているが。


 しかしながら、実は今回隣国に3店舗目の、そして初の隣国王都への大型店舗の出店手続中であるが、国益にかなり寄与している商会を営むウィステリアの父を、その除幕が済んだらゼスト王国が男爵として叙爵するつもりであると内々に話があった。本国出身の商会が隣国の中枢に食い込むことなど今までなかったため、国としてはガールンド商会を優遇し、囲いこんでしまいたいのだろう。

 そう考えると、今後の貴族との付き合いを鑑みて、ウィステリアは自分の相手は貴族である方が好ましいのではないかとは思っている。勿論、元平民を蔑ろにするような相手では困るが、お互い政略婚としての立場をきちんと認識できる相手であれば問題はないだろう。

 勿論、愛し愛される結婚というものに憧れていないわけではない。けれど、あまり期待しすぎるのも後々辛かろう、と17歳にしてはかなり枯れたことをウィステリアは既に考えていたのである。



 ウィステリアは、幼い頃から手のかからない子であった。兄二人がかなり好奇心旺盛で親を困らせていたのを、傍で見ていたからかもしれない。あちらこちらに走り回る兄を、乳母や母が一心に止める姿を見ていたウィステリアは、いつも静かに待っている子供であった。周りの状況を読み他者を困らせることをしない、というのが、兄二人に手を焼く親や使用人を見ていて、ウィステリアが早いうちに覚えたことだったのかもしれない。


 親が望むこと、それは自分の幸せな結婚らしい。けれど、何をもって幸せというのだろう、とウィステリアは思う。父はいつも幸せそうではあったが、母は大人しい人でただ微笑むだけで、あまり自分の意見を言うところを見たことがない。ウィステリアも、母のように大人しいと言われるが、口には出さないだけで内心色々思うことはある。

 母が実のところ何を考えているのかがよくわからなかった。本当に幸せなのか、それとも父に合わせているだけで本当は不満があるのか。そう考えると、幸せな結婚とは何だろうと思う。それ故に、政略婚でも互いに相手を思い遣れるならば、それはありだと思ってしまうのかもしれない。



 実際のところ、身近に結婚相手になりそうな人物はいないわけではなかった。

 これは自分が自信過剰なわけではない、とウィステリアは思っている。彼の些細な行動は、どう見てもウィステリアには気があるそぶりに見えて仕方がないのだ。

 しかし、直接告白もされていないのに、こちらから何か言うのもおかしいし、何より自分は相手を、年上ではあるが手のかかる弟のように思ってしまっている分がある。ただ、平民ではあるものの気心は知れているし、向こうがきちんと付き合いを望むのならば考えてもよいとは思っている。上から目線な態度で大変申し訳ないと思っているが、ウィステリアにとって彼はそのくらいの認識の男であった。


 その相手とは、隣に住むロドリエンド・ルストだ。

 彼の両親はもともと平民の宮廷薬師であったが、高位貴族お抱えの宮廷薬師に権力闘争で負け――というか一方的に仕掛けられたらしい――、都落ちしてきた彼らは平民とはいえ薬師として高度な知識を持ち、また暗殺まではないだろうが勝手に付け狙われる可能性があったため、彼らの処遇を心配した人物の伝手により、ガールンド商会が持つ広大な敷地の傍に住むことになった。なぜならガールンド家はその身の安全のため、この商会の敷地近辺には私兵を配置しているからである。

 平民ではあるが、長年商会会長一族が住むこの地は、創業の時から脈々と続いた場所であり、当時はそれなりに繁栄した街の一つでしかなかったが、商会が発展していくに従って街も潤い、今では王都に次ぐ第二の都市となっている。本店を王都に移した際に、引っ越すことも検討したがやはり創業時から住み慣れた地ということで、一族は基本ここを拠点としている。また、商会に携わるものが多く住んでおり、商会の恩恵を受けている者が多いため、私兵だけでなく街全体が治安維持に努めている感があり、安心安全な街でもあった。


 その元宮廷薬師の一人息子のロドリエンドは、ウィステリアよりは3つ上の20歳。遊び仲間として、もともとはウィステリアの兄たちの後を追いかけていたが、彼らは年が離れていたため、ロドリエンドは年の近いウィステリアと一緒に残されることが多かった。ウィステリアにしてみると、兄たちによく揶揄われたり、走り去る兄たちに追いつけずにいたりして泣いているロドリエンドを常に慰めていたため、年上だけれど弟のような気分で接していたものだ。

 ロドリエンドは多少偏屈なところがあり、また人見知りも激しかったのか、ガールンド家以外とはあまり交流を持つこともしなかった。そのため、どうしても最終的にはウィステリアと一緒にいることが多くなっていったのだ。


 そんなロドリエンドが、兄たちに会うためでなくだんだんと自分に会いにこの家に顔を出すようになってきたとウィステリアが理解し始めたのは、兄たちの仕事が忙しくなってきたころ。

 ロドリエンドは幼い頃から魔力が桁違いに強く、魔導士としての才を持っていたため、ロドリエンドの親の伝手で魔導士となるべく15歳で王都へと旅立った。勿論学校からの推薦もあったらしいが、魔導士がその若さで王都の魔導士塔へ入塔できることは余りない。普通は、各地の支部で経験を積み、王都の本塔へ入れるのは早くて18歳頃だ。そう考えるとロドリエンドの力は桁違いだったということがわかる。


 早くして本塔での魔導士となったロドリエンドは日々忙しいはずだが、彼は休みのたびに領地へ帰ってきていた。そして、何かしら王都の土産を持ってきては、ウィステリアの元へと顔を出す。ウィステリアの両親は、幼い頃から見慣れすぎているのか、ロドリエンドはウィステリアの兄のつもりなのだ、などと言っているがウィステリアはそうは思っていない。だが、逆に言うと親にもウィステリアの結婚相手と認識されないほど、家族枠に入っているということらしい。ここで下手なことを言って、却って関係を悪化させるのも、とウィステリアは言葉を飲み込む。


 なによりロドリエンドはヘタレのため、お土産は色々と持ってくるが、特にウィステリアに気の利いたことが言えるタイプなわけでもないので、何も気が付かないふりをして、ありがとうとただお土産を受け取るに越したことはないのだ。


 勿論もらってばかりではいけないと分かっているため、ウィステリアは同程度の品物をきちんと父の商会の中から見繕い、お返しとして返すことは忘れない。それもロドリエンドに、ではなくルスト家に、という形で全体へ還元できるものを主とすることで異性として認識をしていると取られないよう気を付けている。

 ウィステリアにはロドリエンドに恋愛感情はない。これは申し訳ないが全く、とウィステリアは思う。けれど、話をしていて気を使わなくて済むので楽ではあるし、ウィステリアが大人しいように見えて、内心は色々と考えているということをよく認識している相手ではあるので、言いたいことを好きに言えるというのも好ポイントではあった。

 また、両親に息子の一人のように気に入られているというのも大きい、とウィステリアは考える。平民が自分の力で若くから頭角を現しているのは、同じ平民として頑張ってきている父の琴線に触れる部分があったのだろうと思う。


 だから、幸せな結婚と言われると、彼となら息苦しくなく暮らせるのかもしれない、とは思う。けれどそれが本当に幸せか、というのは分からない。実際に彼と結婚したいという気持ちは、まだウィステリアには全くないからだ。


 そう考えると、お互い愛情はないけれど、一緒に頑張りましょうと言い合える契約婚の方がいいのかしら? とウィステリアは頭を悩ませることになってしまうのだ。勿論、ロドリエンドから何も言われていないのに勝手に悩むなど烏滸がましいにもほどがある、と思いながら。



年齢記載に誤りがありましたので修正いたしました。

誤字報告いただきました。ありがとうございます。修正いたしました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まだ話が動き始める前段階ですが、一話が長くて設定もしっかりしていて、読み応えがあって期待大です! [気になる点] >つがいの存在を感知できるのは、かなりの力―――権力や財力、魔力や知力など…
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