第三話 小東ここね
西園寺さんがしらけ切った空気を作ったその後――本人は不本意そうだったけど――、恋愛相談はいったんお開きとなった。具体的な方策を練る前に、ちゃんとデータを集め直したいとは昴くんの言葉。彼は頑固に完璧主義だった。
何せ、今回は恋のライバルがいるらしいのだ。その子と北向くんが同じクラスになって、それで西園寺さん視点、二人の距離が急接近して見えるらしい。それで、恋愛相談部に駆け込んだんだとか。
だから、まずは現状視察。明日のお昼休みに、北向くんとその恋のライバルがいる一組の様子をうかがうことになって、話は終わり。西園寺さんは「それじゃ」とぶっきらぼうに残して恋愛相談部を出ていった。
「……行ったか」
昴くんはドアのそばで聞き耳を立ててそれを見送ると、ドアにガチャンと鍵をかけて、ウィッグを取った。学校で普段見かける昴くんの姿に、顔だけ戻る。
「それで、どういうことだ?」
「どういうことって?」
「西園寺ゆめは最初、何を言おうとしていた?」
ぎくっ、と動きが固まる。
わたしの咄嗟の噓に合わせて、誤魔化してくれたのだ。それは、自分が一体何の片棒を担いだのか気になるのが普通だろう。そのごまかしを考えていなくて、私はまた必死に考える。
「えーと、そのー、恥ずかしかったっていうかー」
「何がだ。お前の二次元趣味ならもう聞いていたぞ?」
「ほら。その、ウソをついていたから」
「ウソ?」
お、今度はまともなごまかしが言えるかもしれない。
「西園寺さんにウソついてたの。二次元彼氏に向けて作ったお弁当食べてたなんて言えないから、適当な人の名前言って、その人のことが好きなのーって」
実際は、わたしと親友のくるみちゃんで放課後に喋ってたら、タイミング悪く西園寺さんが通りかかって、昴くんが好きなのがばれたんですけどね!!!
「だから、ほら。好きでもない人のこと好きっていわれるの恥ずかしいし、ウソ言ってたのばれたくもないしーって、そんな感じ?」
「なるほど。そういうものか」
どうやら、やり過ごせたらしい。ふっと肩の力が抜ける。
昴くんは興味をなくしたようにわたしから視線を外し、掃除用具入れを開けた。何をするのかと思ったら、中からマネキンヘッドが出てくる。そのまま外したウィッグをマネキンに被せると、掃除用具入れの中に丁寧にしまいなおした。普段女装してないのに、女装道具をどうしているのかと思ったら、完全に部室を私的に支配しているようだった。そのまま、今度は男子制服を取り出して、机の上に放る。あの分厚いファイルが下敷きになった。
「ていうか、昴くん」
わたしはその、服の下からでも存在を主張するファイルの厚みに、ふと不安を思い出す。
「このファイルって、わたしのことも載ってるの?」
「まぁ、そうだな」
「じゃあ、わたしの恋愛のことも、知ってたんじゃないの……?」
昴くんがわたしを見据えたまま、動きを止めたのがわかった。顔は見れない。もし、これでばれていたらと思うと、それこそ不思議に恥ずかしかった。このままフラれてしまうんじゃないかとまで思った。
「知らなかった」
「……ほんとに?」
「悔しいがな。お前の想い人の候補が上がらなかった。確実に誰かにアプローチをしようとしているはずなのに、候補が誰一人として上がらなかった」
わたしからしたら、どう考えても一人しか候補の人物はいないのだけど、昴くんからすると全く一切、そんなことはなかったらしい。
「だがしかし、今日でそれもはっきりした」
昴くんは自信満々に言う。
「妄想彼氏と恋愛ごっこをしていたのだろう。そういう文化もあるのだと、聞き及んだことがある」
「あははー、ばれちゃったー」
もう、恋愛マスター返上したらいいのに。
◇◆◇
「それで、結局助手になって帰ってきたの?!」
「うん。今日も手伝うことになってるの」
翌日の登校の道すがら、わたしはくるみちゃんに事の顛末を報告していた。なにせ、恋愛相談部を紹介してくれたのはこの水守くるみちゃんその人なのだ。報告するのが当たり前だった。
それに。くるみちゃんは外跳ね気味のショートカットが似合う、元気で裏表のない子だから、その分拗ねやすい。それこそ、苗字の水守を水守と読み違えると、一日拗ね続けるくらいだから余計だ。
「それにしても、星宮君が恋愛マスターかぁ……」
含みの在りそうな言い方だが、それはそうだろう。くるみちゃんも星宮昴という人物を全く知らないわけではない。くるみちゃんと昴くんは中学校で三年間同じクラスで、だからくるみちゃんは、わたしほどではないにしろ昴くんを知る人物。わたしと同じで、イメージがつかないのだろう。
「意外だよね」
「うーん、まぁ」
あれ、珍しく煮え切らないような?
「それに、恋愛マスターは美少女って噂もあったから」
「それは嘘じゃないかな! かな?!」
「そんなおっきい声出さなくても聞こえるよ?!」
と思っていたら、急に危険なパスが飛んできた。流石に、彼の名誉のために、女装のことは秘密にしてあげるべきだろう。
あくまで、相談相手が昴くんで、結局相談はできなかったことと、西園寺さんにばらされそうになって、慌てて助手になったこと。この二つだけを話して、女装の話には触れないようにする。ついでに、わたしがとんでもない二次元オタクになってしまったことも隠しておいた。恥ずかしいし。
「でも、良かったんじゃない? 距離は縮まったでしょ」
「うん。やっぱりそうだよね! 縮まったよね! LIMEのアカウントも交換したし!」
「そうそう! 今日もお昼に会うんでしょ?」
思わず頬が緩む。そう、実際、一年話しかけもしなかった私からすれば大躍進と言えるんじゃなかろうか。スマホのメッセージアプリを起動して、そこに追加されている昴くんのアカウントを見るだけで、夢の中みたいにふわふわした気持ち。もしかしたら、このまま昴くんはわたしを好きになって、告白してくれるかも。
そんな風に想像を膨らませていたところに、くるみちゃんが一言。
「ちゃんと、今日は一緒にご飯食べようって誘ったりもした?」
「あ……」
「え、千草さん?!」
そういえば、そういう話はしなかったな……。あの昴くんだから、多分調査が終わればほんとにその場で即解散だ。せっかくのチャンスだったのに…………。
「だ、大丈夫! まだチャンスあるよ!」
「そうかな」
「そうだよ! 助手だって、これで終わりなわけじゃないんでしょ?」
「どうかな、そういう話しなかったから」
「……あー。うん。そしたら、もうあれしかないね」
頬をポリポリとかいたくるみちゃんは、満面の笑顔で頼もしくサムズアップ。
「がんばろ!」
◇◆◇
そしてとうとう昼休み。
「いくわよ千草」
「えっ、ちょ!」
わたしは有無を言わさず西園寺さんに拉致、もとい誘拐された。あれ、どっちにしろ犯罪だった。
元来、わたしはそんなに、交友関係の広い方じゃない。それこそ、誰かにアピールかけようとしてるっぽいけど、ウジウジしすぎてそれが誰だかも見えてこないわたしだ。ただの恋バナのネタとして遠巻きにされている。
それが、いつもクラスの陽キャ女子たちの中心にいる西園寺さんに連れていかれて、ちょっと奇異の視線を向けられつつ。西園寺さんはわたしをぐいぐいと引っ張っていく。
確かに。わたしたちのいる四組から、北向くんのいる一組まで、確かに距離はあるから急ぐ気持ちはわかる。が、それにしたって本気度が違う。それこそ、クラスについて時にはもう学食に行ってましたとか、そういう入れ違いを絶対に許さないぞという気迫を感じる。
つまり、西園寺さんは北向くんがそれくらいに好きなんだろう。
流石に目的の教室が近づくと、西園寺さんも怪しまれないようにペースを落として、普通を装う。私たちは廊下の教室の入り口が見える位置で立ち止まり、窓辺で雑談する風にしながら教室の中を伺った。
一組には実は、昴くんもいる。窓際の列の後ろ。俗にいう当たり席に座って、彼は一人でカロリーバーをかじっていた。
「北向くんは……あ、あそこか」
そんな昴くんの視線を追って、教室の真ん中あたりに、北向くんを見つける。西園寺さんとセットで見かけることがあったから、わたしでも顔と名前は一致していた。教室内は授業が終わり、緩慢に人が流れていく最中で、北向くんも近くの友達と机を合わせて、昼食を食べるところのようだ。
そして、離れたところから、お弁当の包みを両手でちょこんと持って近づいていく女子が一人。
「見なさい。あのちょこまかしたのが、小東ここねよ」
悪意丸出しの表現に、なんだかこの敵情視察の先行きが不安になる中、わたしはその女子に注目する。
小東ここねさん。きれいな黒髪をおさげにして垂らした、小動物じみたかわいらしさのある子。身長百五十一センチ(星宮昴調べ)、体重四十三キロ(星宮昴調べ)、スリーサイズはさすがにプライバシー。とはいえ、小柄でかわいらしいスタイル。中学生の頃、学習塾で北向くんと同じクラスになり、そこから親しくなったようだとは、西園寺さんの証言。
そんな私怨がっつりの証人さんは窓のへりを指でトントンと叩きながら。
「まったく、なんでアタシが恋敵のことをじっと観察しなきゃいけないのよ」
「ほら、すば……恋愛マスターも言ってたじゃん。敵を知れば百戦危うからずって」
「それ言ったの孫子でしょ、しかもちょっと違うし」
意外と教養力のあるギャル。西園寺ゆめだった。
正直、西園寺さんとはお互い名前がわかって、話そうと思えば話せるくらいの仲でしかないので、明らかにイライラしている西園寺さんと一緒にいるこの状況はどちらかと言わなくても気まずい。初の二人きりイベントが恋敵の状況視察って、多分ほかに経験したことのある人いないでしょ?
こういう時の対処法は一つ。ひたすら仕事に没頭するのだ!
教室の中では、小東ここねさんが北向くんに話しかけるところだった。声をかけられ、顔を上げる北向くんは柔和に微笑む。西園寺さん、そんな窓枠に爪突き立ててると、きれいに磨いてる爪が割れちゃうよ。
「だ、大丈夫だよ。北向くん、誰にでも優しいから」
「言われなくても知ってるわよ」
「ハイ」
声を荒げるとかではないが、下手に返事するとおっかない声色だったので、無難に返事する。
廊下のこの位置からでは、教室の中の会話なんて正確に聞き取れないが、身振りなども合わせて西園寺さんと二人で推測するに、多分こんな感じの会話。
「北向くん、お昼、ご一緒していいですか?」
「うん、もちろん。木村もいいだろ」
「イイゾ」
「では、失礼しますね」
ちなみに、北向くんの予想がわたしで、小東さんの予想が西園寺さん。最初に北向くんと机を合わせていた木村くんは、どっちもよく知らないので適当だ。
とにかく小東さんは、男子二人で行われようとしていた昼食に見事割り込んだ。すごい胆力だ。
「コアズマサン、ベントウ、スゴイ」
「ふふっ、ありがとうございます」
「本当にすごいね。自分で手作りしてるんでしょ」
「そうなんですよ。お母さんが、自分でそれくらい作れたほうが、いいお嫁さんになれるわよって聞かなくて」
「へぇ。でもそれで、ほんとにちゃんと作れちゃうんだからすごいや」
「大したことじゃないですよ? そんなに褒めてくださるなら、今度北向くんにも作ってきましょうか」
「えー、それは迷っちゃうなぁ」
そして、小東さんも木村君に対しての反応が適当だ。弁当を覗き込んで反応を返したのは木村くんも北向くんも同じなのに、木村くんへの返事だけめちゃくちゃ省エネなのが遠めでもわかる。営業スマイル一つだけ。
「色目使ってんじゃないわよ、この泥棒猫……!」
そして北向くんへのアピールは、西園寺さんがメロドラマの登場人物もかくやというセリフ回しになってしまうくらいすごい。コンビニの総菜パンでお昼にしようとしていた北向くんも、食欲も後押ししてか小東さんの話への食いつきがすごい、ように見える。
オーバーになりすぎないリアクションで、品を作る小東さんは、なんだかここまで、恋愛に慣れている感じしかしない。
「ではとりあえず、一回味見してみませんか?」
そして、それは確信に変わる。
「え、いいの?」
「はい。ちょっと卵焼きを入れ過ぎてしまって、よかったら食べていただけると助かります」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
あれは、あーんだ! あーんをしようとしている!
女の子であればちょっとは憧れる、あーん。なんかこう、それが許される関係っていうのは、ほんとにお互い好き合っている感じがして憧れる。なんならわたしが昴くんとしたい。ちらっと昴くんの方に視線を送ってしまって、無念、彼は北向くんと小東さんのイチャイチャシーンをじっと観察中だ。
ついに卵焼きは小東さんのお弁当箱を離陸し、北向空港へと飛び立って――
いや、ちょっと待て。これ、西園寺さんに見せちゃヤバイ!
「西園寺さん見て! あの雲、ダイオウグソクムシ!」
「ちょっと! 賢人いる?!」
わたしが咄嗟の機転で注意を引こうとしたときには、西園寺さんが一組の扉の前に仁王立ちしていたのだった。
次回更新は5月22日の24時になります!
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