第二話 恋愛相談部のヒミツ
「はぁ、あんた、何言ってんの?」
西園寺さんがすごい顔でわたしを見ている。
うん。そりゃ、まぁ。
わたしだって驚きですよ。そんなもん!
立ち上がってまで大声をあげてしまった手前、引くに引けない。昴くんだって西園寺さんだって、二人ともわたしを見ていて、口の端がぴくぴくと引きつる。なんだ助手って、恋愛相談に助手がいる場面をいまだかつて見たことがあろうか。いや、ない。
わたしは助けを求めて、昴くんへ視線を送る。すっかり美少女の仮面をかぶりなおした昴くんは、すました顔を伏せると、小さくため息をついた。ホワイトボードの上をマーカーがキュッキュと走る。
『わかりました。助手をしてもらいましょう』
「えぇ?! ほんとに言ってるの?!」
「ちょっと。なんであんたが驚いてるのよ。なりたかったんでしょ」
「え、あぁ、そう! めっちゃ嬉しい!」
え? ほんとに?
思わず驚いてしまったのをごまかしながら、わたしは昴くんに手招きされるまま、彼(彼女)の隣に立つ。そして、わたしの座っていた席を西園寺さんに譲った。
『頭を下げろ』
隣にいるわたしにだけ見せられた言葉に従い、頭を下げると――
「おい」
「わひゃっ!」
急に耳元でささやかないでくれます!?
ぞわっと背筋を駆け下りる感触に、背筋がピンと伸びてしまう。「はぁ?」という顔をした西園寺さんと、「あぁ?」とあきれ顔の昴くんと、それから明らかに変人のわたし。恥ずかしくなりながら、もう一度頭を下げる。
「何をしているのかしらんが」
好きな人にささやかれてびっくりしてたんです!
「ここは合わせてやる。だから、お前も助手として振舞え」
「わ、わかった」
とりあえず、助手にはなれるらしかった。わたしは、まだドキドキとうるさい心臓をごくりと飲み下し、姿勢を正した。
「それで、話は終わった?」
すっかり除け者扱いされて、不機嫌そうに脚を組んだ西園寺さんから声がかかる。そんなに余裕のあるスカート丈じゃないはずなのに。そういえば西園寺さん視点、この部室には女の子しかいないのだった。
ちらっと昴くんの視線を確認するが、すごい、まったく興味なさそう。
「ねぇ、恋愛マスターさん。本気で千草を助手にするの?」
『というと?』
「その子、一年の頃、なんで彼氏できないの選手権一位なんだけど」
「ちょ、ちょっと。西園寺さん!」
『知っていますよ』
「知ってるの?!」
西園寺さんが言うことは、悔しいが事実だ。
わたしは去年、昴くんにお弁当を作ってきたことがある。渡せなかったけど。
それをくるみちゃんと悲しく教室で食べていたのだが、花の女子高生がお昼に弁当を二人分食べているのが悪目立ちすることに、なぜかわたしは気づけなかった。誰だかわからないが、わたしが誰かに告白できずにウジウジしていることは、それをきっかけにクラスにばれたのだ。
「え、あの。何で知ってるの」
『それでも、助手は必要です。この通り、私は喋れないので』
「さっき思いっきり耳打ちしてたじゃない」
『喋れないので』
「……あぁ、もう。じゃあ、そういうことでいいわよ」
「ねぇ、無視しないで?!」
何なら両肩をがっしと掴んで体をゆすってやりたいくらいだけど、目の前の銀髪美少女は少女ではなく昴くんなのである。行き場のない手をぶんぶんと振りながら抗議しても、昴くんが聞くわけがないのだった。
『それで、西園寺さん。ご用向きを伺っても?』
「ご用向きって、そんなの決まってるじゃない。察しなさいよ」
『そういうあいまいな物言いしかしない方のご依頼は、残念ながらお断りしております』
「ちっ、融通利かないわね」
西園寺さんは乱暴に足を組み替える。
クラスでは、いわゆるスクールカーストのトップみたいな、女王様みたいな彼女だ。前に渋谷を歩いていたら、モデルのスカウトにあったこともあるとかで、実際女のわたしから見ても、西園寺さんはイケてると思う。ブラウンのツーサイドアップはよく手入れされているのか軽く風になびくし、着崩したブラウスの首元は下品ではなく、ファッションとして受け入れられる。
そんな彼女だから、てっきりズバッと本題に入る……かと、思いきや。彼女はきまり悪そうに、脚をもう一度組み替えた。そしてそっぽを向いたまま、ぼそっと言う。
「……恋愛」
『もう一度』
「恋愛。そうよ、恋愛の相談に来たのよ! 悪い!?」
だんっ!
机をたたいて宣言した西園寺さんは、ものの見事に真っ赤な顔をしていて。それからはっとして、元の姿勢に戻る。
『いいでしょう。恋愛相談。私は恋の相談までしか受け付けませんが、それでいいですね?』
「いいわよ!」
西園寺さんが吐き捨てる。
『その相手のことが、本気で好きなんですね?』
「そ、そうよ! 好きなの!」
西園寺さんはもうヤケクソだ。
『付き合おうとして、今の幼馴染としての関係が崩れても、後悔しませんね?』
「後悔しないわよ! ……って、ちょっと待って。今、なんて言ったの?」
そして、そろそろ昴くんが西園寺さんをおちょくって遊んでいるのではないかと訝しみ始めたころ。西園寺さんは何かに気づいたみたいだった。
え? 何かおかしいところあったっけ。
「なんであんた、アタシの好きな人のこと、知ってるのよ」
言われて、思い至る。そうだ、何で昴くんは、幼馴染と断言できたのだろう。
確かに、西園寺さんには幼馴染がいる。北向賢人くんだ。ただ、全然恋仲というわけじゃない。北向くんはいつも呑気にのへーんとしていて、西園寺さんが彼の背中を蹴っ飛ばす。流石に、もののたとえではあるけど、そういう関係性だ。
カマをかけたのだろうか。ただ昴くんは頑固に自分の正しさを信じる人だから。あまりそういう搦め手を使うイメージがない。
その時、昴くんがわたしの袖を引いた。顔を下げろということらしく、わたしはそれに素直に従う。
「書棚の一番上に、三冊のファイルがあるだろう。そのうちの、二年生と書かれたファイルを取ってくれ」
「わかった」
言われるがまま、振り返って書棚を見上げる。確かに、一番上の棚には大きなファイルが三冊並んでいた。進路指導室の、進路資料をまとめたファイルみたいに、「教科書何冊分?」って感じのファイルだ。
わたしは背伸びをして、なんとかそのファイルを抜き取る。見た目にそぐう重量感で。ちょっとよろけながらも、昴くんに手渡した。彼はそれをばっと開く。
A4サイズのルーズリーフの束だ。それには見出しシールが貼られていて、彼はわたしと西園寺さんのクラスである四組のページを、一枚ずつめくっていく。わたしはなんとなくその内容を目で追って、そして、口をあんぐり開けた。
だから、昴くんが他ならぬ西園寺さんのページを開いて、そこに書いてる文章を指さし、視線で「読め」と伝えてきたとき、わたしは何も考えず読み上げていた。
「西園寺ゆめは、北向賢人とは幼馴染の間柄であり、幼稚園、小学校、中学校と、全て同じ場所へ通っている。告白などの噂はなし。二人きりで遊ぶ場面の目撃は、小学生の頃が最後。中学生までは付き合ってるのじゃないかと囃されることもあったが、本人は否定。実際、進展などは見られず、噂は立ち消えに。北向賢人本人が否定したことが大きく……」
「え、ちょっと待ってキモイ」
「読んでるだけなのに?!」
「いやいやいやキモイでしょ。ちょっと、それよこしなさい、よっ!」
シャッと西園寺さんが手を伸ばし、シュバッと昴くんがファイルを守る。その攻防が延々と続き、そこではたと気づく。昴くんは現状ホワイトボードを使って反論できないから、もうこの争いには肉体的決定しかないのである!
しかし、そこは男子である昴くん。やがて息の上がった西園寺さんを涼しい顔で見返して、ホワイトボードに綴る。
『どうしました、西園寺さん。何かご不満でも?』
「不満も何も、なんでそんなアタシの資料みたいなのがあるのよ。アタシが来るのがわかってたの?」
『そういうわけではありません。単純に、全員分をそろえているだけです』
「……は?」
西園寺さんが、さっきのわたしと同じ顔をする。
そう、昴くんの手元のファイルには、本当にいろんな生徒の情報が書いてあったのだ。なんか、しれっと特に仲良くもない子の好きな相手を知ってしまって、ちょっと後ろ暗い気持ちだったりする。
実際キモイ。というか、それならわたしの好きな相手が昴くんだとばれている可能性すらあって、なんだかわたしもファイルを奪い取りたくなってきた。
『この学校の全生徒分、恋愛にまつわる噂、経歴、能力、ステータス、このすべてがこのファイルの中にあります。私が調べ上げました』
「そんなバカな事、やれるわけないじゃない!」
『であれば、帰っていただいていいですよ。私はこのデータと、ノウハウでもって、全ての恋を成功させてきたので』
「……」
西園寺さんは何か言いたげだったけれど、口をつぐんでしまう。だって、昴くんは恋愛マスターだから。ウワサであっても、あらゆる恋を叶えてきて、そしてわたしたちはそのウワサを曲がりなりにも信じてここに来たのだ。
西園寺さんは昴くんをにらみつけるのをやめて、椅子にどっかりと座り込む。安いパイプ椅子だったから、ぎぃっと軋む音がした。
「わかったわ。なんだかイヤだけど、それでいいわよ」
『ありがとうございます』
「ほら、だったら早く、恋愛相談に入りなさいよ」
『えぇ、もちろん』
西園寺さんは腕組をして、昴くんと正面から向かい合う。すごいと思った。わたしだったら、それこそ昴くん自信が好きな相手だからっていうのもあるけど、なんだか怖くなってしまうかもしれない。それでも西園寺さんがぐっとこらえているのは、それだけ今の恋に本気なんだろう。
『では、相談内容をより具体的に伺っても?』
「それは、ほら……あれよ。意外かもしれないけど」
西園寺さんは言いにくそうに、髪先をくるくるしながら。
きっと、すごく重大な悩みが出て来るに違いなかった。何せ、幼稚園からずっと一緒の幼馴染に、想いを打ち明けられない理由が出てくるのだから。
昴くんですら空気を読んで、ホワイトボードを伏せて言葉を待っている。
西園寺さんはその空気が居心地悪いのか、早口に言った。
「アタシ、すぐぶっきらぼうになっちゃって。素直になれないのよ」
あー、うん。
そっすね。
次回更新は5月15日の24:00です!