第一話 星宮昴
わたし、唐梅千草は高校二年生になった。
本来なら、進級おめでとうとなるところでも、わたしにとっては違う。
高校二年生になった。それはつまり、わたしが好きな人に想いが告げられないまま一年が過ぎたということなのだ!
高校に入学して、別々の中学校に行ってしまっていた幼馴染、昴くんと再会して。昔と何も変わらない彼に、胸が熱くなったのを覚えている。態度は大きいのに背は小さくて、顔は中性的に整っているのに目つきばかり険しくて、そのくせ、泣き虫だったわたしを事あるごとに助けてくれた、優しい彼だ。
これはもう、運命だった。少女漫画で言えば、わたしがこう、どアップになって「きゅん」と効果音がつく感じ。わたしはそこに確かな恋の予感を感じたのに。
この一年、何の成果もあげられませんでした……!
もう、何喋っていいのかわからないのだ。
昔、どうやって喋っていたのか曖昧だし、加えて泣き虫だったあの頃と同じと思われたくはないから、余計にどう声をかけていいかわからない。教室まで行っては彼の姿だけ見て帰ったり、下駄箱で待ち伏せしては結局そのまま見送ってしまったりと、とにかくうじうじしてばかり。
とはいえ、それも今日で終わりになる。
わたしは目の前の文芸部のドアに向き合う。
親友のくるみちゃんに教わった、恋愛相談部のウワサ。なんでも、この文芸部は去年、謎の新入生に乗っ取られたらしく、その名前すらわからない謎の新入生は、どんな人の恋も叶えてしまう恋愛マスターらしい。故に、恋愛相談部。
わたしはごくりと唾をのんだ。ウワサはウワサで眉唾だけど、五月になって活気づく部活の掛け声、わたしも青春に向けて歩みだしたかった。
古びて、ところどころ凹みのある金属製の引き戸に手をかける。
「し、失礼しまひゅ!」
か、噛んだ……!
意気込み過ぎたのだろうか。ばぁんと開け放った分恥ずかしさもひとしおで、誰もいないでくれと願ったくらいだが、無念、わたしの目の前に誰かいた。
『どうも。ご依頼ですか? 冷やかしですか?』
その子は、わたしと違う世界の人間だった。
ありていに言ってしまえば美少女。
冗談みたいな銀髪のツインテールが、ウィッグなんじゃないかと思うくらいキラキラと日の光を反射して、それに包まれたちいちゃいお顔。切れ長の瞳が、彼女がただ可愛いだけじゃないのだと主張する。
足元までデニールの高いタイツで包んだ秘密主義の彼女は、どうやら声を発することをしないらしい。胸元に掲げたホワイトボードに、彼女の問いかけはつづられていた。
「冷やかしじゃないです。恋愛の、相談に来ました」
わたしは彼女に気圧されながら答える。間違いなく彼女が謎の新入生だ。だって、こんなに目立つ子なのに名前知らないし。
彼女はわたしの返事にぴくりと眉を動かすと、入室を促すように体を引いた。軽く会釈してそれに応じる。
理科室の隣にある準備室のような、手狭な教室だ。両脇をスチール製のラックで占拠されているから、余計に狭く感じるのだが。そこに並んだ本と、わずかな埃臭さに、逆に秘密の部屋のような感覚を覚える。彼女がその中央に置かれた長机についたので、わたしもその向かいに腰を下ろす。
『それで』
座るなり、彼女はホワイトボードになにか書きつける。
『恋愛の相談ということですが』
「あっ、はい。じつは、その……私二年生なんですけど、一年生からずっと告白したい人がいて」
『なるほど。恋の相談ですね』
「えっ? えぇと、まぁ、そうですね?」
うん? 恋愛の相談って、恋の相談って、何か違うっけ?
『私は、恋は叶えられても、その後の愛については一切関知しません。それでも大丈夫ですか?』
「あぁ、そういうことなら、全然大丈夫です!」
つまり、付き合ったあとまでは知らないぞと、そういうことだろう。生徒の間でウワサになるほどだから、付き合ったあとまで一々面倒を見てたらやってられないのかもしれない。
『このまま、少し確認させてもらいます』
「はぁ」
『あなたは、その人のことが本気で好きですか?』
「えっと、まぁ、はい……」
『付き合って、付き合ったことを絶対に後悔しませんか?』
「それはもちろん!」
その後も繰り返される、わたしの意思の確認。あくまで事務的な彼女の対応は、むしろわたしをワクワクさせた。なんだか、プロっぽい。
彼女の質問ラッシュが止まる。いよいよ本題に入るのかもしれない。わたしは、思わず前傾姿勢になる。
彼女は、難しい顔をしながら、次の質問を選んでいるようだった。他にやることもないので、じーっと彼女の顔を眺めていると、あれ、なんだか見覚えがあるような……。
そして、ついに彼女の次の言葉がやってくる。
『ダメだ。やはりこのやり方はオレの主義に反する』
「へ?」
今までと違って乱雑に書かれた文字は、まるで男子の字のように勢いがあった。
主義……というより、オレ?
混乱するわたしの前で、女の子は自分の頭をがしっと掴んだ。そして、そのウィッグもかくやという銀髪を、ウィッグみたいに外した。ヘアネットまで取り去ると、ばらりと広がる黒い髪。
「騙すような形になって、すまなかったな」
女の子にしては低すぎるハスキーなイケメンボイス。目元にかかる黒髪から覗く険しい目つき。
「昴くん?!」
「あぁ、そうだ。星宮昴だ。話すのは久しぶりだな、千草」
あんぐりと開いた口が塞がらない。目の前にいるのは、間違いなく星宮昴だった。女子制服着てるけど。
確かに、昴くんは中性的な顔立ちをしていた、小学校低学年の時は女の子に間違えられることもあった。でも、自分から女の子の格好をしていることはなかった。それも、目の前のありえない景色を見ていると疑わしい……。
「危なかったな。知人に、知人であるとは知らずに恋を打ち明けるところだったぞ」
「え、あ、あっ……!」
言われて気づく。
女装に気を取られ過ぎていて気付かなかったが、わたしは昴くんに対する想いを、昴くんに相談するところだったのだ。恥ずかしさがふつふつと湧き上がってきて、頬がこれまでになく熱くなる。
「そ、そうだよ! 紛らわしいじゃん。なんでそんな格好してるの?!」
「恋愛相談をしているからな」
「女装しなくたってできるじゃん!」
「何を言ってる? 冷静に考えろ」
感情のままにまくしたてるわたしを、昴くんは鼻で笑う。
「こんな生意気なガキに、恋愛相談したがる女子はいない」
あぁ、おっしゃる通りですね!!!
ふんぞり返る昴くんは、私だからこそ怒らずにいられるけれど、赤の他人からすればムカついてしょうがないだろう。なんだか不思議と納得してしまって、わたしは攻撃の方向性を変える。
「そもそも、なんで恋愛相談なんてしてるの?」
「できるからだ」
「えぇ……?」
「オレは中高生の恋愛なら大体叶えられる。中学時代をそれに費やしたからな。オレ自身はもう恋愛する気はないが、培ったノウハウを腐らせるのはもったいないだろう」
オタクのような早口で理屈を並べ立てる昴くん。昔から頑固な彼だ。そう言うならそうなのである。
というより今、恋愛する気がないというショックな情報が聞こえたような。
「それで、結局お前の好きなヤツとは誰だ。俺でよければ叶えてやる」
「へっ? いやそれはそのぅ、手違いといいますか……」
「手違いで、こんな廃部寸前のクソ文芸部に来る奴があるか」
「あはは~」
「ほら、言ってみろ。誰が好きなんだ」
恋愛マスターのくせにデリカシーはないんか。
「だからいないって!」
「最初にいると言ったじゃないか」
「今いなくなったの!」
「つまり、冷やかしか? オレは冷やかしが一番嫌いだ」
「えっと、そう、二次元なの!」
「冷やかしじゃないか」
「うぐぅっ」
一瞬険しくなった表情が、そのまま呆れ顔に変わった。今わたしは、彼の中でどういう評価になったのだろう。二次元の恋愛相談を他人に持ち掛けるとかイタすぎでは?
とにかく、彼は納得したらしく、すっと席を立った。
「まぁそれなら、オレにできることはない。オタ活、頑張れよ」
昴くんはわたしに背を向け、ウィッグを被りなおした。「あっ」と声が漏れる。せっかく、そうだ、せっかく彼と話ができたのに、この時間がもう終わってしまうのが惜しかった。
がたんと音を立てて席を立つ。昴くんの視線がわたしを再び捉えるが、彼を呼び止める言葉は出てこない。
どうしよう。
そう思ったとき、部室のドアががらりと開いた。
「ちょっと、恋愛相談部ってここであってる?」
無遠慮にぶっきらぼうに入ってきたのは、ブラウンの髪をツーサイドアップに結った、モデル顔の女の子。去年同じクラスだった、西園寺ゆめさんだ。
彼女はじろりと室内を見渡し、わたしに気づく。
「あ、千草。あんたも恋の相談? そういえば、ほし「わー! わー! わーっ!」
絶対に「星宮昴が好きだったわね」と口走りかけた彼女を、わたしは必死に遮った。変人を見る目で返される。
彼女は、わたしが星宮昴を好きなことを知っているのだ。
まずいことになった。西園寺さんの発言に、昴くんも眉をピクリと動かす。
前門の虎、後門の狼。西園寺さんを納得させ、かつ昴くんと話す機会を失わず、この場を切り抜けるには。
わたしの脳裏に突然アイデアがひらめく。
「違うの西園寺さん! わたし――」
なんだか変なことを考えている気もするけれど。
ええい、ままよ。どうにでもなれ!
「わたし、ここの助手になりに来たの!」
次回更新は、5月8日の24時です!