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読書感想文「ドラマとは何か? ストーリー工学入門」映人社 1987年、ほか「ゲームシナリオ作法」「ゲームシナリオ創作指南」新紀元社 川辺一外 著 を読んで

作者: Reckhen

読書感想文「ドラマとは何か? ストーリー工学入門」映人社 1987年、ほか「ゲームシナリオ作法」「ゲームシナリオ創作指南」新紀元社 川辺一外 著 を読んで


『何が売れて何が売れないのか、何が大当たりして何が大失敗になるのかは、誰も教えることができない。そんなことは誰にも分からないからだ』

とロバートマッキー師は仰った。いきなり引用です。(「ストーリー  ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」フィルムアート社)

この言葉を前提としていた私の目に、ある日、川邊師の以下のお言葉が飛び込んできたのです。

「ドラマとは何か? ストーリー工学入門」映人社 1987年 川辺一外 著 より引用


『古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、その「詩学」の中で、ドラマの効用として「カタルシス」という言葉を挙げています。

これは、もともと当時の医学用語で「瀉血」つまり体内にわだかまる悪い血を排出することを言ったものらしい。

アリストテレスはこれを心理的に応用し、人間の心の中に鬱積するモヤモヤ、あくたもくたを一度に吐き出させるという意味に使ったのでしょう。

現代の私たちも、日常生活の中で多くの不平不満、大小様々のフラストレーションを募らせています。世の中思ったように行くとは限らない、青春の熱い夢も冷酷な現実に無残にも押し潰されて、というわけです。

そこで私たちの多くは、劇場や競技場に行き、積もり積もった胸のわだかまりの「瀉血」を求めます。

映画のヒーローが並み居る悪人どもをバッタバッタとなぎ倒し、人気スラッガーが起死回生の大ホームランをかっ飛ばす時、私たちが送る大喝采は、そこに私たちの隠された夢が、生き生きと実現されてあるからに他なりません。

私たちはスターに熱狂しているのではない。スターに投影された、自分自身の夢に酔っているのです。

自分の胸のつかえを吐き出し、「胸のすく」爽快感を味わうためなら、私たちは、ほとんど千金を投じても惜しいとは思わないのです。

人々の隠された、くじかれた夢を探り出し、それをビビッドに造形し、現実化して見せること、そこに「カタルシス」の祭司としての作家の機能があることは間違いないようです。』


この「ほとんど千金を投じても惜しいとは思わない」が刺さりました。

つまり儲かるってことですよね。

どうしたらカタルシスは得られますか?


『「面白さ」の秘密は、「正・反・合」のドラマのメカニズムに於いて、まさに「合(劇的行為)」の現前するその瞬間にあります。

「反(環境・社会枠)」の抑圧が強ければ強いだけ、「正(主人公)」の反抗はそれだけ強く、その爆発力も強烈となるでしょう。

今までにない新しい行為の発出は、出来るだけ突然で瞬発的であるほど良く、思い切って意表をつき、大胆に予想を裏切るものほど望ましく、しかも「溜飲の下がる」痛烈なカタルシスを持つものほど好ましいのです。

俗に「話を面白くするにはカセ(環境の力)を強くしろ」あるいは「人物同士に大いにケンカさせろ」などと言われるのは、この辺りの機微を言っているのです。』


「話を面白くするにはカセ(環境の力)を強くしろ」「人物同士に大いにケンカさせろ」。これこれ!こういうの!

映画の脚本でたたき上げされてる感じ、このエッセンスを取り込めたら。

いきなり「正・反・合」を説明の部分を飛ばして引用していますが、何度も出てくるので本を読めば分かると思います。


『ここで注意すべきことは、ドラマの「面白さ」は正・反・合、それぞれ別々に切り離した、一つ一つの要素それ自体の中にはないということです。

その魅力は、あくまでその三者(正・反・合)が一体となって絡み合い、運動することにあるのです。

初心者の陥り易い誤りの一つは、しばしば素材それ自体の魅力に惚れ込んでしまって、それをドラマの魅力と取り違えることです。』


陥ってました! どうやって面白そうな素材・アイデア・モチーフを捜すかにばかり気を取られ、本質を見ようとしていませんでした。


『ドラマの「面白さ」は、素材それ自体の面白さではありません。

それらの素材が、矛盾と対立の力動的関係の中に組み立てられ、運動し発展する時、生き生きと躍動し、光り輝くのです。

ドラマが「面白い」のは、まさにドラマの根底にあるこの「正・反・合」のメカニズムが、私たちの行為の-、私たちの生きてあることの根本のメカニズムと合致し、それを極めて効率よく抉り出しているからに他なりません。

逆を言えば、この三位一体のメカニズムに沿って作品全体の構造を強化し、また簡潔化し、それによって出来るだけユニークで、直截な訴求力を持った劇的行為を創り出すこと、

そこにこそ「話をより面白くする」黄金の鍵が隠されているのです。』


川邊師の著作を調べたら映画からゲームシナリオの方に進まれているらしく、ゲーム制作を志す若者向けの指南書を複数表しておいででした。

といってもプログラミングの話はほとんど見られず、もっぱらRPGのシナリオ・ストーリーの重要さを説いておられるようです。

ドラクエ・FFなどの改善点を論じられているけどそれはひとまず置いて、若い世代へドラマとは何たるかを伝え、ゲームの可能性をお考えなのではないでしょうか。


「ゲームシナリオ創作指南」新紀元社 2014年 川邊一外 著 より

川邊師は以下のように、我らワナビの心情に寄り添ってくださります。


『「あの程度ならオレだって」というわけで、さてその「オレオレ・ストーリー」を書き始めて見ると、どうもこれがそう一筋縄では行かない。一応スジは通ったのだが、どうもどこかで聞いたような話だ。

さて、いったいこれが「面白い」んだろうか。人に見せても、返ってくるのは、あたりさわりのない外交辞令か、内輪褒めばかりだ。

自分では惚れ惚れするような作品で、自信満々、「受賞の言葉」まで考えてコンクールに出すのだが、いっこうにナシのつぶて。

初めは勢い込んで書き出して、天晴れ天下の名作をと、夢と希望は広がるのだが、やがてピタリと止まる。原稿用紙を破ろうが、髪をかきむしろうが、ニッチもサッチもいかない。

どうした!どうすりゃいいんだ!頭のシンが痛んで、煙でも上げそうだ。

「才能がないんだ!」「運が悪いんだ!」やがて結論はそこにやってくる。「ええい!やめちまえ!」』


「クローズアップで見れば悲劇だがロングショットで見れば喜劇だ」、ということで、他人事なら笑えるんですが。

ここで注目したいのは「ナシのつぶて」の破壊力は食らった人にしか分からないだろう、ではなくて、ゲームシナリオって原稿用紙に書くんですか、でもなく、「どうすりゃいいんだ!」でしょうね。


〇具体的な作業

「ゲームシナリオ作法」新紀元社 1999年 川邊一外 著

にて「基礎」「実践」「完成」の流れで教えていただいています。

こちらの「実践」の方に、具体的な「どうすりゃいいんだ!」の答えがあるように思われました。

「基礎」は、なぜ「実践」がそのように進めるのか、を理解するのに役立つと思うので、普通は先に「基礎」を読んだらいいと思います。

「完成」パートでは、テーマとか、ドラマとは何か、とか、名作での解説、みたいな、より高次の話だったので写しませんでした。


『実践1、十本企画―自分は何を作りたいのか

1、いつ?時代

2、どこで?場所

3、だれが?主人公

4、何をする?目的語+動詞

5、なぜ?動機・悪玉

6、発端、初めに何が起こるか?

7、展開、真中あたりはどうなるか?

8、クライマックス、最後にどうなるか?

9、主題、何が言いたいのか?

10、題名

漠然と「自分はいったい何がやりたいのかあな?」と、ムキにならずにると、いくつかのアイデアが浮かんでくる。

金魚でも掬い上げるように大事にやんわりと拾い上げる。一行以内で収める(原稿用紙)、浮かんできたまま、理屈で考えない。

2時間で十本。

十本を見渡す感じになると、自分が実際には何をやりたかったのかが見えてきます。自ずと優先順位、数本が一本にまとまって強い力、こうして真っ先に自分がやりたい企画一本が絞り出される。

いくら理屈で考えても本当にやりたいことは出てこない。

抑圧を外すという意味でペラと2b鉛筆がベスト。良質の消しゴムも。ワープロは20字を越えないように。』


ペラとは原稿用紙の半分のやつで200字のものらしいです。

二時間かけて、十本、企画を出しましょう、というのが「どうすりゃいいんだ!」に対する答えの一つではないかと。

他に膨大な項目のチェックリストも付けていただいているのですが、ちょっとやる気にならず、この二時間十本勝負ならやってみようかな、となりました。

実際に手を動かすと出てくるアイデアなどもありましょう。2B鉛筆と良質の消しゴム、あと原稿用紙なら千円もしないんじゃ。あ、鉛筆削りのいいやつも欲しいな。

「基礎1、発想の基本技術ー発散と集中」には

『アイデアを得るための最初の手段は、やみくもに一生懸命な「集中」ではなく、リラックスと「発散」にある

肩の力を抜き、ごくごく気楽にできるだけ多数の情報に心を開き、自由で活発な探索と攪拌の中から、突然ひらめくようなインスピレーションが……』

とあるので、リラックスして、自由連想みたいなのがいいんじゃないでしょうか。


「ゲームシナリオ創作指南」新紀元社 2014年 川邊一外 著

の方で、さらに踏み込んだ「創作秘伝」を教えていただいていています。


『創作秘伝1、根元にさかのぼる

「環境」(反)と「主人公」(正)は、想像の中の世界とはいえ、共存は不可能ですから、作者は苦しまざるを得ません。「決着」(合)を求めて、現実と同じように、無数の選択肢の間を苦慮し、模索するでしょう。

熟慮によってかインスピレーションによってか、解決は突然にやってきます。うまくいった場合、それには、どう考えても「真実で正しい」という確実な「感じ」ぎあり、独特の「美しさ」を示します。

別の言葉で言えば「面白い」のです。一つの作品は、このような「決着」の密度の高い連鎖によって生まれます。それは、限りもない試行錯誤の結果といえます。

その決着の選び方には、まぎれもない作者の個性が現れていて、それこそが人々を感動させ、素晴らしいヒット作を生み出す素因ともなっているのです。

物語作者は、「正反合」の枠組みのもとに「ストーリー」の展開を考えて行きます。彼が魅力的な物語を紡ぎ出せるのは、彼自身の意識をも超えた試行錯誤の積み重ね、つまり修練の結果です。

書いて書いて書きまくってやる。練習量を増やすためなら、一日千本の素振りも辞さない。そう覚悟して修行を始めたつもりの文豪の卵も、たちまちカベにぶつかる。いったい、何を、どう書いたらいいのだ。

意欲は満身にあふれ、資料は山をなすばかりだが、どこから手をつけていいのかわからない。いったい、どこから、どう登ればいいのだ。いい作品を、と思えば思うほどプレッシャーは上がり、練習量は限りなくゼロに近づく。

「いい作品」とは何でしょうか。「真実で、正しく、美しい作品」「今までにない面白い作品」。では、どうしたらその方向に向かい、着々と練習量を増やして行けるのでしょうか。

デカルトがとったのは「少しでも疑わしいところがあるものは、それを虚妄のものとして退けて行く」という方法でした。』


「いったい、何を、どう書いたらいいのだ」は共通する問いとして、デカルトですか?


『(中略)こうして彼が最後にたどり着いたのは「すべてを疑っている自分の存在だけは疑うことができない」、という「真理」でした。すなわち「我思う、故に我有り(cogito ergo sum)という有名な命題です。

世界のすべてを否定したデカルトも、やがて世界の方に戻ってきました。世界を数学で理解しようと考えたのです。

私たちは「科学」を志しているのではない。志すのは「創作」です。志向するのは「感覚」です。世界に戻ろうとして、まず最初に出会った情報を、感じとります。世界の中に確かに何かがあり、それを「感覚」している。

少なくとも、その事実は信じていいのではないでしょうか。それは「真実」であることは確かです。それは「正しく美しい」と感じられるでしょうか?それは「面白い」でしょうか?

この操作を繰り返し、気がつくと、私たちの手の中にはcogitoのチェックを経た情報が集まり、面白いことに、それらは期せずしてある意味を持つ構造を形作ります。』


「自分が面白いと思うものは何か」を、固定観念を捨ててゼロから考えましょう、みたいな?

そうすればオリジナリティも出るかもしれませんね。


『これは、まったく暗黙の中の、ほとんど「無意識」とも言える、感覚の操作です。この仕組みが「作品」の基礎になるのは、言うまでもありません。感覚の内容は、どこからくるのでしょうか?

それを選ぶ基準は、どこにあるのでしょうか?構造は、どうして生まれてくるのでしょうか?

答えはありません。全ては、無意識に、自然にそうなるのだ、と言う他はありません。しかも、そこには、紛れもない「個性」の刻印が見出されるのです。

絶対に確実と信じられる、ぎりぎりの「感覚」から出発すること。そこで得られた情報のみによって、企投ハイデッカーよりし、作品を構築すること。

この方法で、作品はいわば「向こうから」やって来ます。私たちは、真実で生き生きとした素材と対話しながら、創作を進めます。どんな素材が出現するか、どんな構成になるかは、私たちの意識を超えています。

作品が完成したとき、私たちは初めて、「ああこれだった」と気付くのです。』


途中でハイデッカーも来た気がしたけど。

「アイデア出しの時はリラックスしましょう」という秘伝でしょうね、きっと。


『cogitoは、心理学で言う「潜在意識」や「無意識」とは、まったく異なった概念です。

しかし、私たちが創作のアイデアを得るために、初めて出会うのが、しばしば、意識の奥深くに眠っている、潜在的な記憶の感覚であることは、十分に考えられます。(以下、アラヤ識の話)

そのような「無意識」の感覚的選択の上に立ちながら、創作は進行します。創作の質を上げるには、その「試行錯誤」の量を増やすしか方法はありません。それが創作の「修行」というものなのです。

普通に言う「意識」からは、「創作」や「創造」の仕事は、「神秘」に見えます。その意識にあって、導きとすべきはやはり、理性でしょう。「神秘」は理性によって、ぎりぎりのところまで追いつめることができる。

「向こうから自然にはたらく力」は、ありのままに受け入れ、私たちはやはり理性によって行動し、理性の方法によって創作してゆくべきでしょう。上手に使いながら練習量を増やし、技能を上げて行くべきでしょう。』


アラヤシキ、聖闘士星矢で出てきたような。

簡単に「二時間で十本、企画を考えよう」と言ってると思わせて、裏にある広大な論理や思想信念も知っておくと効率がいいかも。


また戻って、「ゲームシナリオ作法」新紀元社 1999年

『実践2、ストーリー作りの準備ー四つのステップ

1、環境(社会枠、舞台、世界、世界観)

取材、情報を

2、悪玉(敵役、超ボス)

自分中心な利益のため他人の利益を損なう、など

3、主人公

最も大切なのは超目標、どうすれば気がすむのか?物語の根幹が定まる

4、クライマックス

終わり近くに主人公と悪玉が総力を挙げて激突、決着がつく、しかるべき舞台を選び両者を激突させればよい。

準備段階でクライマックスを考えておくことは一つの秘伝、クライマックスにはそのドラマの全てがある。』


十本企画を一本にまとめて、何か見えたら、今度はストーリーに最低限必要な4つを設定しましょう、と。これもできそうです。

まず主人公をどう設定するか、を一番に持ってこないのがおミソでしょう。


できそう、と思わせて、秘伝2がありました。

「ゲームシナリオ創作指南」新紀元社 2014年 川邊一外 著


『創作秘伝2、何を書くのか? 選択の瞬間

まず、何を書くべきか?この問いに直面するとき、作者はきわめて孤独です。

自分は、「世界」に対して、何を提出すれきなのか?どのような問題を、いかなるメッセージを伝えればいいのか?この境域で、頭のテッペンの「理屈」を喋り出しても、あまり意味がありません。

いつかどこかで聞いた、とうに世間に流布している「意見」が出てくるだけのことです。それら表面の雑音をすべてスイッチオフし、ひとり無心に、自分の中に見える「世界」と向き合うのです。

それは、表面意識よりは深い「無意識」のレベルで、あるいは理知よりは重い「情念」によって、世界を感じ取る、とも言えます。こうすると、「世界」に対する自分の「感情」が見えてきます。

いや、もっと深いところに根をおろした「情動」とでも言うべきものです。その情動は、いまの世界のあり方に対して、なんとなく満足していません。不安や「憤り」さえ抱いて、動き出そうとしています。

この情動こそ、あらゆる創作の原点、作家のメシのタネなのです。人が、芸術作品を見たいと思い、作りたいと考える、根本の動因がそこにあります。』


芸術論まで行きますよね。

この「世界」が「1,環境」と「2,敵役」で、アンチテーゼがアウフヘーベンするコギトが「3,主人公」でしょうか。


『実を言うと、これによって、逆に「世界」がよく見えてきます。情動は、不断に世界に向かって問いかけ、はたらきかけるからです。きみは「何」が不安なのか?「何」を憤っているのか?いったい何を、どうしたいのか?

マスコミや人の噂で、何故か心惹かれる話材に出会うことがあります。全ての人が同じように興味を抱くわけではなく、自分だけが独自に面白いと感じるのです。自分の中にある「世界への不安=憤り」が共振したのです。

私たちはその話材の世界に入り込み、その世界に話しかけ、世界が語るのに耳を傾け、「欠落感」の解消を図ります。

私たちと「世界」の間には、常にある種の「違和」があります。私たちはそれを埋めようと、本能的に作品を紡ぎ出さずにはいられないのです。

こうして出来上がった作品には、現実の歪みを正し、人間を本来の生き生きとした姿に戻そうとする復元作用があります。

すぐれた作品は、期せずして、社会の隠された強張りを指摘し、人間に新しい生命の息吹を回復させる、すこやかなアピールを持つことになります。実は、これが芸術作品といものの機能であり、効用なのです。』


ストーリーの効能としてロバマキ師は人生のシミュレーションみたいなことと仰っていたと理解していたけど、こちらは社会の見方・切り取り方、みたいなものでしょうか。


『どんな幻想的・空想的な作品を目指すにしても、あらゆる創作の基本はリアリズムにあります。新しい作品とは、私たちの生存の中のいまだ誰にも気づかれないでいた「現実」をえぐり出したもののことです。

私たちは、従来の通念とされたものの見方、世間一般の合意する常識の枠を思い切って去り、現実のあるがままの姿を正しく知覚することが大切です。

わが「環境」の囁き出す言葉に虚心に耳を傾け、そこに存在する歪みを鋭敏に感じ取る必要があるでしょう。こうして得られた世界に、私たちは一人の主人公を投入します。

私たちは主人公になって、その環境の中に入り込み、その歪みを補正するため、「行動」を開始するのです。』


この後、タイタニックやアバターの例などあり、ヒット作には時代性とか、その時代を反映しているとかありまして、狙ってやるのはうさん臭くなりそうだけど、大まかに意識しておくのもいいでしょう。


また戻って、「ゲームシナリオ作法」新紀元社 1999年

『実践3、プロットの制作ーその心理技術

プロットとは、シナリオの構成がわかるように書かれたストーリーのことで、ペラ(200字)20~30枚が目安。

プロットの執筆にも秘伝、作者が「主人公」になって、想像した「環境」の中で、現実と同じように行動する、ということ。

作者が自分で想像した環境の中に入り込み、主人公の情報体の衣を着て、主人公と同じ超目標を持って行動すること。

作者は主人公の目的を達成するために、環境と対話し、戦い、問題を解決しながら進んでいく。作者、すなわち主人公の行動の軌跡こそストーリー。』


プロットとは、人によって様々なフォーマットがあるようですが、師は「20~30枚」とサラッと仰います。

「作者が自分で想像した環境の中に入り込み、主人公の情報体の衣を着て、主人公と同じ超目標を持って行動すること。」は、ロバマキ師の「魔法のもしもで考えよう」と重なりますね。


『「魔法のもしも」で考えよう。もしも自分がこの登場人物で、このような状況にいたら、どうするだろうか。何と言うだろうか。その正直な答えに耳を澄ますことだ。

それはいつでも正しい。あなたは人間らしく振る舞い、人間らしく話すのだから。』

「ダイアローグ 小説・演劇・映画・テレビドラマで効果的な会話を生み出す方法」フィルムアート社 ロバート・マッキー著


まだ実践3の途中でした。

『もう一つの秘伝、書き出しはクライマックスから逆算せよ。

状況や人物の説明から書き始めない。冒頭にはクライマックスと同じ根本矛盾をズバリ提出するのです。主人公が貫通行動を開始するに至った直接原因、悪玉の悪の行動を頭にぶつける。

刑事ものなら殺人事件、忠臣蔵なら刃傷事件、ロメジュリなら両家のケンカ、など。主人公は悪玉の起こした事件に強い衝撃を受け、超目標を決意して行動を開始する。必ずしも悪玉が冒頭に顔を出す必要はない。

主人公の貫通行動の強い動因になるなら、死体が転がっているだけでもよい。この操作が正しく行われれば説明や紹介は自然に付いてくる。』


一つ目の秘伝は「準備段階でクライマックスを考えておく」で、もう一つの秘伝、ですね。「秘伝」と「創作秘伝」は別物です。本が違うから。

冒頭の掴みはアクションで、とか、キャラを走らせて、とか言われますが、クライマックスとのリンクまで考えておくといいらしい。


『第一着手の行動は、第一回の挑戦ではうまくいかない。主人公は最初は失敗し、懸命に考え、情報を集め、創意をこらした新しい挑戦によって関門を突破する。ゲームとしての楽しみ。

展開部2は第一の挑戦をパスしていなければ決して挑戦できないよう設定する。

いくつかの関門が並列ではなく、前の関門が次の関門の通過の条件に。ドラマの緊張度はエスカレートして最後のクライマックスで頂点まで盛り上がる。

プロのライターの間では並列的な展開は「ダンゴの話」と呼ばれ、最も安易な組み立てとして嫌われます。串ダンゴのように主人公がいくつかの出来事をストレートに繋いでいるだけだからです。

RPG環境の中では主人公はただ一つの超目標を目指して行動します。その目的を達成するためには千変万化の選択肢があります。ただ一つの目標が決まっているからこそ、安心して千変万化できるのです。

主人公はGM(ゲームマスター、テーブルトークRPGの話)の設定する世界の中に生き、無数の情報とアイテムの中からら自身の自由な創意で、独自の組み合わせを選択し、ユニークな行動とストーリーの軌跡を描いていきます。

超目標が一つだからこそ無限の選択肢が生まれます。「垂れ流し」、この並列の中からはどんな選択肢も生まれないのです。』


この辺は「実践」を先に持ってきているので「基礎」を読んでおく必要あるかも。


『基礎4、ドラマとは何か?ー構成の問題

ドラマとは、目的を持った主人公の「正」の行動が、それを妨げる環境の「反」の力と真っ向から激突し、そのぎりぎりの土壇場で、その両者のいずれでもない新しい「合」の行動を生み出す、その一連の仕組みのことです。

最初のシークエンスで生まれた「合」が、次のシークエンス「正」となり、これにまた新しい「反」が激突し、そこで生まれた「合」が次のシークエンスの「正」になる、という連鎖反応的、重層的に組み合わされた構造体なのです。

シークエンスを重ねるごとに行動のパワーとテンポは上昇、環境の妨害力も増大、二つの相対抗する力の極まるところ、双方が総力を挙げて激突する最後の大爆発「クライマックス」がやってくる。

ドラマの緊張体系の中では千変万化の出来事が起こる。しかし主人公の目的はひとつ。ただ一つの目的に固執するからこそ千変万化の出来事が起こる。

各シークエンスの小目的は決してバラバラではなく、全体を貫く主人公の目的によって統一されている。

全編を統一する目的を「超目標」と呼び、全編を一貫する主人公の行動を「貫通行動」と呼ぶ。貫通行動は一種のバックボーン。

普通の映画は7つのシークエンスで構成されている。

第一シークエンス・発端部、クライマックスで解決されるべき根本の矛盾が提出され、主人公が超目標を確立する。

根本の矛盾とは「正」の力を代表する主人公と、正反対の「反」の「悪玉」の葛藤。

ここを書く上で大切なのは、冒頭の強烈な衝撃と圧力であり、主人公がそれに対抗する強い初速をもって貫通行動を開始すること。(刑事もの・殺人事件、復讐もの・愛するもの殺され、など)

第二シークエンス・展開部1、第一着手の行動。必ず失敗する。

第三シークエンス・展開部2、途方に暮れるが、環境の方から動き出し、新しい行動の糸口を見つけ、第二着手の行動が開始される。うまくいかない。

第四シークエンス・展開部3、第三着手の行動、かなりうまく行くが、かえって主人公が窮地に。

第五シークエンス・展開部4、絶体絶命、なんとか血路を開こうと死に物狂いで戦う。

第六シークエンス・クライマックス、超目標が達成されるか、成否いずれにせよ、最後の答えが出る「ヤマ場」、主人公と悪玉が総力をあげて激突し、胸のすく解決が生まれます。

全編のテーマの集約される大スペクタクル場面、今までのすべての出来事はこのクライマックスを盛り上げるためにあった。

第七シークエンス・エピローグ、終局部、大爆発が終わった後の均衡状態、主人公と周囲の人々が勢ぞろいし、将来への希望で締めくくる。

構成のメモを現場では箱書き、略してハコと呼んで打ち合わせに使う。いくつかの箱のような枠の中に要点が書き込まれる。』


ゲームのシナリオだとどんどん分岐したりして、労力は途方もないんでしょう。

主人公の「超目標」はロバマキ師曰く「内的・外的欲求」でしょうし、第一着手の行動は最小限のリスクを試みるが上手くいかない、というのも共通していると思いました。


〇まとめ

自分の頭で考えて、自分の言葉で説明することにより、アウトプットで脳に定着させたいんだぁ~。


ロバマキ師のお言葉を思い出す。

『登場人物はどんな人間で、何を求めているか。それはなぜなのか。どうやってそれを手に入れようとしているのか。それを阻むものは何か。その結果、どうなるのか』(ストーリー  ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則より)

さらに、

『物語とは、単純化すると、ある人の人生がどう変わったか、理由(why)と過程(how)を示したものです。』

変化を効果的に見せるために、誘因→紛糾→危機→山場→解決という一連の流れを備えています。」

(米国の若手リーダーが注目、論理力を超えるプレゼン・説得スキル「物語力」とは)

正直いまいちピンと来てなかったけど(いきなりの暴露)、川邊師の教えと合わせて考えると見えてくるものがありました。

「why」とか目的とかの説明なしで、結論だけ言われても腑に落ちないないですよね。


川邊師曰く、カタルシスについて『自分の胸のつかえを吐き出し、「胸のすく」爽快感を味わうためなら、私たちは、ほとんど千金を投じても惜しいとは思わないのです』

(ドラマとは何か? ストーリー工学入門)

さらに、

『言葉の正しい意味に於けるドラマ」とは、人間から人間らしさを奪う硬直した環境の抑圧に対し、人間が人間本来の生き生きと柔軟な生命の息吹を回復するため、闘争する主人公の行動を描くもので、

その価値回復の落差と社会的意味こそ、「ドラマ」の価値を決定づけるものに他ならないのです。』


「価値回復の落差」というのが、ロバマキ(呼び捨て)の「価値要素の変化」ということなのでしょう。

単に変化しましたよー、って言うのだけでは読者は「だから何?」となっちゃうなあ、ってずっと思ってました。

カタルシスが得られるタイプの変化を見せると面白いストーリーになるんだ、って、人によっては超基本的でわざわざ語る必要もないようなことかも。

(「カタルシス」と「語る必要」で韻を踏んでいます)


ではどんなのだとカタルシスを得られますか?

『それは、表面意識よりは深い「無意識」のレベルで、あるいは理知よりは重い「情念」によって、世界を感じ取る、とも言えます。こうすると、「世界」に対する自分の「感情」が見えてきます。

いや、もっと深いところに根をおろした「情動」とでも言うべきものです。その情動は、いまの世界のあり方に対して、なんとなく満足していません。不安や「憤り」さえ抱いて、動き出そうとしています。

この情動こそ、あらゆる創作の原点、作家のメシのタネなのです。人が、芸術作品を見たいと思い、作りたいと考える、根本の動因がそこにあります。』「ゲームシナリオ創作指南」


著者自身が社会に対して不安や憤りを感じているもの、つまりムカついているもの、をベースにしようと。

そのムカつきが解消されたら(疑似体験でも)カタルシスが得られるんじゃないか。

読者も、そのムカつき(著者の個人的な)に共感できたら、読んでカタルシスも疑似体験できるのでは、ってことかなあと。


水戸黄門や仮面ライダーが、悪者をやっつけてスカッとするとして(ス〇ッとジャ〇ン終わるんですってね。見たことないけど知ってる影響力)、

悪代官や怪人が強ければ強いほど、酷いことすればするほど、得られるカタルシスは強くなりそうな気がしていました。

だが、ムカつきに視聴者の共感がなければ、どんなに強力な設定の超絶最強悪代官を倒してもカタルシスは弱いのでは?

わかりやすく、悪代官が強烈に年貢を取り立てたり、権力を乱用して町娘の帯を引っ張ってクルクルしてるのを見て、視聴者は現実のムカつき(まあ政治でしょ)とリンクさせて、

偉そうにふんぞり返っている悪代官にライダーキックや印籠で土下座させるのを見て、現実で感じているムカつきを投影してスカッとする、じゃないですか。

それが具体的にどんなこと?っていうのが、著者が個人的に普段から感じているムカつきで、すなわち「作家のメシのタネ」ってことなんじゃないの。


恐れ多くもオレガイルを例に挙げさせてもらうと、

現実で感じている陽キャマウントや同調圧力に対し、ひねくれ主人公が自分自身を貫いていく姿が、自分もああなりたいって投影してカタルシスを得られている、ということで

単に「時代を映している」だけではダメで、「読者が時代に感じてムカついていることを代弁している」とかじゃないですか。売れてる理由は。

よって、簡単に「ラブコメ売れてるから」とか「ファンタジー好きだから」でテーマを選ぶのではなく、著者のムカつきと読者の共感も考える必要ありますね。


ラノベ入門にありがちな「主人公の欲求・目的」をまず設定し、それを阻む悪役を設定して」、というやつで、

「主人公がやりたいことは何ですか? この問いがめんどくさい。何にも浮かばないんだわ」

となり、

「そもそも、俺という個人は何がやりたいんだ? 何のために生まれてきたんだ? ずっと流されて生きてきただけじゃないのか……」

と、しばらく中年の煩悶が続きましたが、いろいろあって川邊師のご著書に出会い、

「カタルシスがあれば売れるのかー。そのためには、俺個人が何にムカついているか、自分と向き合って考えないとだな」

という「正・反・合」が成されたわけです。


「作家になりたい主人公」に対し

「俺の才能を頑なに認めようとしない世界」というムカつきが、広く読者に共感されるものだとしたら

「各師匠の教えでグレードアップした主人公がついに爆売れし、今まで一次審査で落としてきた出版社の偉い人が俺にペコペコする」

という価値要素の変化がカタルシスを呼ぶ、となったらいいのにな。

一次落ちワナビが創作論をぶち上げ続けるものが売れるとは思えず、このままでは使いませんけども。


「次のモチーフは何にしようかな、悪魔も銃も飽きてきたな」に対しては

『マスコミや人の噂で、何故か心惹かれる話材に出会うことがあります。全ての人が同じように興味を抱くわけではなく、自分だけが独自に面白いと感じるのです。自分の中にある「世界への不安=憤り」が共振したのです。』

とのことで、今までの新聞スクラップを見返すというのも、どんな記事に自分が興味をもったのかが分かって良いかもしれませんね。埃まみれだけど捨てないで良かった。


結論ですが、二時間で十本企画、からプロット、から一本書いてみないと何とも言えないかな、と思います。

やってからアップしろ、って話ですが。

闇雲に企画をひねり出すだけでもやらないよりはずっといいでしょうけど、川邊師の、特に創作秘伝1・2を念頭に置いてひねり出そう、来週から、と思いました。

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