第9話 イセリアとの出会い
ダンジョンボスの部屋でしばしの仮眠をとったアレンは、ボスを倒すと現れる魔法陣を使い一階層へと戻ることにした。
スライムダンジョンにはそんなものは現れないので、実際アレンがこの魔法陣を使うのは初めてだ。そのため内心はドキドキしたのだが、マスクをかぶっているのでそれを他人に知られることはない。どちらにせよ、ここにはアレンしかいないのであるが。
アレンが魔法陣の中心へと乗るとその魔法陣が光を放ち始め、それが最高潮に達した瞬間その姿がボス部屋から消える。一階層へと転送されたのだ。
「えっ!?」
急に変わった視界に内心驚いていたアレンだったが、いきなり目の前から聞こえたその声にそのままの姿勢で固まる。
アレンが鬼人のダンジョンに入ったのは深夜だったがすでに一日半が経過しており、現在の時刻はほぼ昼である。普通の冒険者がよく探索に来る時間であり、たまたま一階層を探索していた冒険者の目の前にアレンが現れてしまったというのが今の状況だった。
突然現れたアレンを一人で探索していたらしいギリギリ十代か二十代前半といったくらいの若い女性冒険者が見つめる。
「キュー」
「あっ、おい!」
謎の声を発しながら気を失い、そのまま倒れていきそうになったその女性冒険者をアレンが慌てて支える。
まさかいきなり気を失うとは思っていなかったのでアレンも動揺していたのだが、さすがにこのまま倒れて頭でも打ったら危険だととっさに体が動いたのだ。
支えた瞬間、女性冒険者からふわりと花のような香りが漂い、アレンは別の意味でも動揺する。
ふぅ、と一度息を吐いて心を落ち着かせ、とりあえず床に寝かして頬をペチペチと叩いてみたもののその女性冒険者が起きるような気配はなかった。
「はぁ、仕方ねえな。外の出張所まで連れ出すか」
あっさりと起こすことを諦めて女性冒険者をお姫様抱っこし、アレンはダンジョンの外へ向かって歩き始める。
ライラックの街で長く冒険者をしていたアレンだったが、その女性冒険者には見覚えがなかった。
(最近違う街から来たのかもしれねえな)
腕に伝わる柔らかな感触をごまかすためにそんな事を考えながら、たまに出てくるゴブリンを蹴飛ばし、アレンは出口に向かって歩き続けた。
そして再びギルドの出張所である。前回は深夜ということもあり剣を突き付けられてしまったが、今回は昼であるし問題はないだろうとアレンは楽観視していた。していたのだが……
「お前、その女性を早く放すんだ!」
「……」
アレンは再び剣を向けられていた。
深夜に会ったギルド職員なら話は早かったのかもしれないが、現在剣をアレンへと向けているのは全く別のギルド職員だ。
アレンが相手にわからないようにこっそりとため息を吐く。またかよ、と内心思いながら。
このままではらちが明かないので女性冒険者を下ろそうとしたのだが、即座に「動くんじゃない!」と言われてしまいアレンは途方に暮れる。
放せと言う割に動くなとかどうすればいいんだ。いっそこのまま落としてやろうかとも思ったのだが、気を失っている女性冒険者には今の状況の責任はない。
それがわかっているからこそアレンは身動きが取れなくなっていたのだ。
「んっ、うん~」
その時アレンの腕の中で女性が声を漏らす。そして体を伸ばすような仕草をするとパチリと目を開けた。
そしてマスク越しにではあるがアレンの目とその女性冒険者の目が合った。
「ひっ!」
あからさまに怯えた女性の態度にアレンは微妙に傷ついたが、やっとこの状況が終わるとほっとしていた。
女性を下ろそうとするアレンの耳にキョロキョロと周囲を見回して状況を掴めたのか、女性の小さな声が届く。
「お姫様抱っこなんて初めて」
おそらく誰にも聞かせるつもりはなく、ステータスがとんでもないことになっているアレンだからこそ聞こえてしまったその言葉に、思わずアレンの顔が赤くなる。
マスクがあるため他の誰にもわからなかったが。
「大丈夫ですか?」
「えっ? ええ」
すかさず混乱する女性を引っ張ってアレンから離したギルド職員の態度に、アレンは思わず苦笑した。確かに自分があの立場だったらそうするだろうと考えて。
自分自身でも怪しい格好であることをアレンは十分に承知していたからだ。
あまり長居しても面倒なことになると考えたアレンは、とりあえずその場を離れようと入口へと向かって歩き出す。しかしそんなアレンの手を引っ張る者がいた。
もちろんギルド職員ではなく、アレンがここへと連れてきた女性冒険者だ。
「すみません。あなたが私をここに連れてきてくれたのですよね。ありがとうございました」
そう言って頭を下げる女性の姿にどうしようかと少し迷い、そして気にするなとアレンが手を振って伝える。
人に素直に感謝されることにアレンは慣れていなかった。そんなアレンの様子を見て、女性がにっこりと笑う。
「私はイセリアと申します。最近ライラックにやってきました。お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
「……」
そう聞かれてアレンは戸惑った。アレンはこの姿をしているときに人前で話すつもりはない。知り合いならば声だけでバレてしまう可能性もあるからだ。
さして親しくもないギルド職員と初対面のイセリアしかいないこの場でなら問題はないのかもしれないが、あまり例外を作りたくないと考えていたのだ。
「ダメ……ですか?」
イセリアの顔が悲しげに歪む。イセリアは女性冒険者の中というより一般の女性の中でもなかなかの美人だ。
女性冒険者は男性の冒険者と同じように筋骨隆々であったり、男勝りな性格をしている者も多いのだがイセリアはすらりとした体型をしており、その金髪もあいまって静かにしていれば深窓の令嬢といった雰囲気すらある。
そういった女性との関わりなど今まで全くなかったアレンは既に混乱の極致にあった。
何かいい方法はないかと辺りを見回し、一瞬でギルド職員用の机へと移動すると瞬く間に置いてあった紙に文字を書いてイセリアへと見せる。
「ネラ様ですか」
名前を知ったイセリアの顔が花のようにほころぶ。アレンはイセリアが自分を好きなんじゃないかと一瞬思ったが、今の自分の格好を思い出し即座にそれを否定した。
勘違いする三十近くのおっさんほど悲しいものはないと日ごろから自分自身を戒めていた成果だ。
「ネラ様はお強いんですね。ダンジョンのボスを倒されたのでしょう?」
「えっ、オーガキングを倒したのか? しかも単独で!?」
二人の言葉にアレンがコクリとうなずく。そしてバッグに入れていたオーガキングの魔石と角を取り出すとギルド職員の机の上へと置いた。
それをギルド職員が食い入るように見つめる。
「俺にはわからんがこの大きさならオーガキングと言われても納得だ。それに角か。結構な値段になるぞ」
「すごいですね、ネラ様は。きっと有名な冒険者なのですよね。すみません、私が無知なために気絶するなんて失礼なことを」
再び謝罪モードになりそうなイセリアの姿に、アレンが慌てて首を横に振る。そして身振り手振りで何かを伝えようとして、途中であきらめて再び紙に文字を書き始めた。
『冒険者ではない。ただ実力を試すためにダンジョンへと潜っているだけだ』
「ええっ、そうなのですか?」
『そうだ。だから気にする必要はない』
「ふふっ、ネラ様は優しいのですね」
イセリアに微笑みかけられアレンが顔を赤くする。アレンは表情を隠してくれるこのマスクを被っていて本当に良かったと改めて思っていた。
そんな二人のやり取りをよそに、一人取り残されたギルド職員は少し困った顔をしていた。
「しかし冒険者ではないとすると買い取りが面倒なことになるぞ。ネラ、だったか? お前冒険者にならないか?」
『断る。冒険者になるつもりはない』
ギルド職員の提案に対して、さらさらとペンを走らせ即座にアレンは断った。
確かに冒険者になれば素材の買取りが簡単だったり、ダンジョンの入場料が無料だったりと特典はあるが、逆に冒険者同士の付き合いや組織に属するがゆえのしがらみなども多いのだ。
その結果として半強制的に面倒事に巻き込まれる事態になりかねないことをアレンは十分すぎるほど知っていた。
せっかく自由で楽しい二重生活を始めたばかりなのに、わざわざ冒険者に登録するなんてことをするはずがなかった。
そもそもネラなどという人物は架空のものであり、身分証明など当然ない。冒険者ギルド証は公式な証明としても使えるものであるため、登録には身分証明が必須なのだ。つまり登録することは不可能なのだ。
「じゃあこの素材はどうするんだ? 商人ギルドに持ち込んでもいいだろうが、買いたたかれると思うぞ」
ギルド職員の忠告はもっともだった。冒険者は冒険者ギルドを通すから適正価格でモンスターの素材を売ることが出来るのだ。
個人で店や商人ギルドに直接売るということも出来なくはないが、そういった者はよほどの交渉力がなければ足元を見られ、適正価格よりもかなり安い金額で買いたたかれるというのが常識だからだ。
しかしその対策をアレンは既に考えていた。
アレンがギルド職員の机の横にある様々な書類が置いてある棚の中から、一枚の書類を取り出す。その書類の名前は「委託販売申請書」。
冒険者ではない外部の者が冒険者ギルドに代理で販売を依頼するための申請書である。その存在を知っている者はギルド職員でも決して多くはないという滅多に使われることのない手続きではあるのだが。
冒険者ギルドに委託するぶん、販売金額の15%を手数料としてギルドに取られるが個人で交渉したりするよりも手間はない。
それにオーガキングほど希少な素材ともなれば手数料を差し引いたとしても個人で売るより買取り金額が高くなることが多いのだ。
アレンはネラ名義で申請書を記入し終えるとギルド職員の男へと手渡した。
男がまじまじと渡された書類を見て、そして額にピシャリと手を当てる。
「そういえばこんな制度があったな。誰もする奴がいないから忘れてたが」
『頼んだ』
「ああ、確かこの辺に……おっ、あったあった。この割札を渡しておく。支払いは短くても一週間はかかる。失くさないでくれよ」
アレンが受け取った割札を適当な感じで服のポケットに突っ込み去っていく姿をギルド職員は諦めたかのように見つめていた。そしてこれから始まる面倒な手続きを思い出し、少しため息をこぼす。
その横でイセリアはアレンの消えたドアを見つめ、「おかしな人」と呟くと小さく微笑んだ。