第5話 キュリオへの旅の始まり
ライオネルと打ち合わせすんのかよ。面倒な事になりそうだ、と内心思いつつも護衛依頼を受けた冒険者としてやるべきことはしようとアレンがそちらへと足を踏み出そうとしたその時だった。
「では『ライオネル』の諸君、頼んだぞ。行くぞ、アレン。それと……」
「イセリアです」
「おお、そうじゃ。イセリアさんだったな」
「えっ、あっ、おい。じいさん」
イセリアに向けて好々爺然とした笑みを浮かべたギデオンに腕をとられ、用意された馬車へと困惑した顔のままアレンが半ば強引にひきずられていく。
そしてその後を何も言わずにイセリアが追った。
自分たち用の馬車へと乗り込み出発の準備を始めた『ライオネル』の面々の様子を、アレンは離れていきながらしばらく眺める。
そしてふぅ、と一度息を吐いてそれをやめた。
馬車の前で待っていた御者がまるで何も気にしていないような顔で扉を開けて、3人が馬車へと乗るエスコートをする。
その姿に、こんな変な状況なのにそれをおくびにも出さないなんて御者も一流のプロみたいだな、と妙な感想を抱きつつ、アレンはその馬車へと乗り込んだのだった。
華美な装飾こそ施されていないものの、アレンの見立てではハンギングツリーの素材を使用した箱馬車の中は、大人3人が座ったとしても十分に余裕なほどの広さがあった。
その座席は以前アレンがスラムの件で領主の館に行った時に座ったソファーに引けをとらないほど良い物だ。
むしろアレンとしてはどこかふかふかして落ち着かなかった領主の館のものより、適度に弾力のあるこちらの方が良いな、と予想外すぎる現状から逃避するようにそんなことを考えていた。
「では出発いたします」
「うむ」
馬車の前方にある小窓を開けてそう言った御者に、鷹揚にギデオンが返し馬車が進み始める。
その滑り出しは非常にスムーズであり、中にいるアレンたちに大した振動さえ感じさせない。
「良い馬車ですね」
「うむ。ライラックで借りる事のできる最上級の物と注文したからのう」
明らかに慣れている様子のイセリアとギデオンに比べ、アレンは一人落ち着かなかった。
高い馬車に乗っているということもなのだが、護衛であるはずの自分がここに乗っていて良いのかという思いがあるからだ。
確かに馬車の側面についているガラスとは明らかに違う、高い透明度と厚さをした、おそらくなんらかの魔物素材の窓からは外が見えるのだが、最低でも御者の隣などのすぐに身動きができる場所にいるべきではと考えていた。
「じいさん。護衛依頼だし、俺が中に乗ってたら意味がないと思うんだが」
「護衛なら『ライオネル』がおるじゃろ? ライラックの中でも優秀で信頼が置ける冒険者という話じゃぞ」
「いや、まあそれは十分知ってるし、別に俺が出てなくても大抵の事なら対処できるってわかってはいるんだが」
アレンは言いよどみ、そこでちらっとイセリアの方へと視線をやる。その意味を理解したイセリアが微笑みながらアレンへと言葉をかけた。
「鉄級の試験であればそれでも問題はないと思います。ギルドから合否の基準として示されたのは、依頼者を安全に送り届ける事、そして依頼者を満足させる事ですから」
「なんというかふわっとした基準なんだな。と言うか話しちまって良いのか?」
「特に口止めはされませんでしたよ」
あっさりとそう言ったイセリアに、普通は話さないから注意されなかっただけなんじゃあ、とアレンは考えたが、まあ聞いてしまったものは仕方ないと諦める事にした。
しかし自分が考えていたよりもはるかに合否の基準があいまいである事にアレンは少し衝撃を受けた。もっと明確な審査項目があり、それに基づいて合否の判定が行われていると思っていたのだ。
はっきり言ってイセリアに聞いた基準が本当であれば、試験官の裁量にかなり左右されてしまうことになる。
それが一度は鉄級になったアレンだからそうなのか、それともそもそもがそういうものなのかアレンには判断が出来なかった。
考えても結論は出なさそうなのでアレンはそこで考えるのをやめる。
「まあ良いや。じゃあとりあえずじいさんが満足できるように努力する。とは言え活躍するにしても料理とか身の回りの世話くらいだよな。料理なら多少腕に覚えがあるが、じいさん嫌いなものとかあるか?」
「ないのう。まあ旅の最中の料理など知れとるから気にせんで良い。むしろ今後の研究のためにも休憩などの時に周囲の薬草でも採取してくれた方が助かるのじゃがな」
「もはや護衛依頼じゃねえな。まあ言われればやるよ」
一応依頼の形としては護衛依頼のはずなのに、その護衛対象者から離れるってどうなんだとアレンは思わなくもなかったが、ギデオンとの今までの付き合いから考えて、それが本心である事は疑いようがなかった。
だからこそアレンは苦笑しつつもその希望を聞くことに決めた。
依頼者を満足させるためにはその方が良いだろう。そして自分が離れたとしても『ライオネル』であれば問題なく対処できるだろうとアレンは信頼していたからだ。
『ライオネル』と一緒になった事で問題が起こるかと思われた旅路だったが、アレンが護衛に対して何も口を出さず、逆に『ライオネル』の面々も何も言ってこなかった事で平穏に進んでいた。
むしろ嫌味の1つぐらい当然言ってくるだろうと思っていたアレンにとっては、ライオネル個人が静かな事が少し不気味なくらいだった。
他のメンバーへ視線をやっても苦笑を返してくるだけなのでなにか問題があるというわけではないと判断して放置していたが。
旅の最中の料理になど期待していないと言っていたギデオンに、料理人に匹敵する腕で振るわれるアレンの料理を食べさせた後、「なぜ冒険者なんぞをしておるんじゃ?」と本当に不思議そうに聞かれたり、採ってきた薬草の追加を要求されて出発が少し遅れたりといった事はあった。
しかしそれ以外は特に問題なく、6日目の昼にしてもうすぐ2つ目の村へとたどり着くところまでアレンたちはやってきていた。
御者が操る馬車の中には相変わらずアレン、ギデオン、イセリアの3人が座っているのだが、その様子は出発時とかなり変わっていた。
「たしかにモンスター研究の大家であるウォーレス様の文献に、モンスター自身がその体表からエーテルを発しているとの記述があったはずですが」
「ふむ、つまり薬草はそのエーテルを吸収している可能性があると言いたい訳じゃな」
「そう考えるなら薬草がエーテルを吸収するのは根だとは限らないんじゃねえか? むしろ逆に、エーテルが集まりやすい場所に自ら動く性質があって、この場合は薬草にモンスターから発されたものが勝手に溜まっていくという可能性も……」
「いやいや、それならば……」
馬車の中では3人による白熱した議論が交わされていた。エーテルという、存在は濃厚ではあるものの未だに研究途上で議論されている専門用語を飛び交わしながら。
最初はギデオンが自分の研究や今回の論文について語っていたのだが、それについて他分野の広い知識を持つイセリアがこういった書物を読んだ事があると意見を出したりしていた。
アレンは当初、2人が楽しそうに議論するのを聞きながら、その情報を黙って頭で整理していたのだ。
しかしだんだんとその内容が自身の経験などと結びついていき、いつの間にかアレン自身もその議論に参加するようになっていた。
「確かにゴブリンマジシャン等の魔法を使う上位種族は、取りまきを多く連れている事が多いな。今までは護衛だと思っていたんだが、そういったエーテルを利用して魔法の効率化を図っている……ってのはちょっと行き過ぎか」
「いや、本能で生きるモンスターだからこそ知っておるという可能性はなくはないぞ。エーテルなどまだほとんど解明されておらんのじゃし」
「ギルドで読んだ資料ではゴブリンマジシャンの身体能力は、同じ上位種族のナイトなどには及ばないもののゴブリンより高いと書かれていましたし、ゴブリンキングなどのさらに上位の取り巻きには必ずマジシャンがいることを考えるとその可能性も……」
まだまだ3人による議論は尽きそうにもなかったが、御者の男が小窓を開けて告げた村にもうすぐ着くと言う言葉に一旦話が止まった。
アレンがマジックバッグから昼食時に用意しておいたお茶の入った水筒とコップを取り出して、ギデオンとイセリアにお茶を注いだコップを手渡していく。
時間が経過しているため既に冷めてしまっていたが、議論で白熱していた2人にとってはむしろその方が心地良かった。
「続きはまた明日以降じゃな」
「いや、明日は馬を休ませるから1日村で休息だぞ。薬草の採取はするつもりだが、いつもぐらいで良いか?」
「うむ、出来ればいくつか条件を分けて採取してくれれば助かる」
「了解。イセリアは?」
「私は先日と同じで村を散歩してみます。こういった機会でもないとなかなか出来ませんから」
そう言ってにこりと笑ったイセリアにうなずき返し、アレンは窓の外へと視線をやる。
その先には御者の言ったようになんの変哲もない村と、この旅最大の難所であるドゥル山脈の山々がそびえ立っていた。




