第4話 昇級依頼の準備
鉄級への昇級試験の依頼としてギデオンの護衛依頼を受けたアレンは、さっそくその準備に入っていた。
最低でも1か月程度は街を離れる事になるので、イセリアにその旨を伝えたり、旅に必要な食料や装備などを買い込んでいく。依頼料とは別に支度金としてギデオンから結構な金額を渡されていたためアレンの懐が痛む事はない。
「しかし、まさかレベッカはここまで想定していたわけじゃねえよな?」
新しく手に入れたリュックの形をしたマジックバッグに買った物を詰めていきながらアレンがそんな言葉をこぼす。
以前ネラとして手に入れたマジックバッグの値段はおよそ6百万ゼニーであったのに対し、いまアレンが使っている物は1千万ゼニーだ。しかもレベッカはかなりお買い得な金額でそれを手に入れている。
はっきり言って今のリュック型のマジックバッグの方が扱いやすく、さらに言えばその容量もアレンの家が4軒ほど入ってしまうほどの広さだった。
つまり、事前に準備した品が全て入ってしまうのだ。馬用の飼料や塩なども余裕で入ってしまっているのだからその広さが良くわかる。
「とりあえず余裕を見ておいたが、やっぱ慣れてねえと不安が残るな」
マジックバッグの容量と予算に物を言わせてかなりの余裕をみて準備を進めていたアレンだったが、その顔には若干の不安が残っていた。
実際、アレンがライラックの街を出て本格的に旅をする事など、今まで一度しかなかった。その時にも色々と調べて準備し、実際に経験してみてこれが欲しい、と思った品などは今回の持ち物に含めていたがなにせ経験が不足しすぎている。
しかも今回は護衛依頼であり、自分の身だけを守れば問題なかった前回とは違うのだ。アレンが不安に思うのは無理もないかもしれなかった。
「ある程度基本的なものはそろえたはずだし、次は情報収集か。それによって買い足す品もあるかもしれねえし、やっぱ結構忙しいよな」
そんなことをぶつぶつと言いながらアレンは歩を進める。
その足が向かう先は自分が所属している冒険者ギルドではなく、つい最近付き添いで行ったものの中に入ることはなかった商人ギルドだった。
ライラックからキュリオまでの間には1つの町と4つの村が街道沿いに存在している。そのうち2つがライラック伯爵領の村であり、残りの1つの町と2つの村が辺境伯領に属している。
そもそもキュリオが建国される際に、街道沿いの休息地となるよう計画されて造られた町や村であるためその距離はほぼ等間隔ではあるのだが、ライラック領最後の村と、辺境伯領最初の村の距離だけは他の場所に比べて近かった。
それはその2つの間、ライラック伯爵領と辺境伯領を隔てる線となっているドゥル山脈を越える必要があるからだ。
街道として整備されているため馬車も問題なく通る事ができるのだが、上り坂、そして下り坂が続く事による馬などへの負担は少なからずあるためそういった配置になっていた。
そういった歴史的な背景については知らないが、他にキュリオまで向かう街道がない以上同じ道を通る事になるとわかっているため、アレンは地理的な面ではそこまで不安には思っていなかった。
それだけであれば冒険者ギルドでも十分に情報を集めるのに足るのだから、わざわざ自分の所属していない商人ギルドへと来る必要はない。しかしあえてアレンがやってきたのは……
「冒険者の方がそこまで気にされるのは珍しいですな。いや、失敬。決して冒険者の方々を馬鹿にした訳ではないのですが」
「いや、気にしないでくれ」
商人ギルドのカウンターの端で、アレンの対面に座る温和な顔をした中年のギルド職員が、少し感心したような顔をしながらアレンを見つめ、そして自身の発言の危うさに気づき謝罪する。
それに対してアレンは全く気にする様子もなく、首を横に振りながら返した。実際、アレンも自分のしている事は珍しいだろうなという自覚があったからだ。
「今回の依頼者は商人じゃなくて、……うーん、学者とかそれ系統の人なんだ。まあ御者も雇うらしいからそっちから情報は入ってくるかもしれないが、一応護衛として最低限の知識は入れておきたくてな」
「そうでしたか。そういった冒険者の方が増えれば我々にとっても喜ばしいのですが、専属でもない方々にそれを求めるのも酷というものですな」
アレンが差し出した5枚の金貨を目で確認し、それを納めたギルド職員の男がニコリと笑みを浮かべ、そして奥の棚へと向かい数冊の冊子を手に取り戻ってくる。
「こちらがライラック・キュリオ間の最新の情報です。奥の部屋へご案内しますので終わりましたら係の者へご返却をお願いいたします」
「わかった。もし同じ情報を聞きたい奴がやってきたら一旦返すから遠慮なく来てくれ」
「いえ、それには及びません。必要な事は全て頭に入っておりますので」
微笑を絶やさず、自分の頭を軽く触ったその男の姿に、アレンは心の中でこの野郎、と思いつつもニヤリと笑うだけに留めた。
そのギルド職員の仕草の中に、最新の全ての情報など要求しなくとも私に聞けばすぐに済んだのに、という驕りのようなものをアレンは感じ取っていた。
実際そうした方が時間をかけず要点も聞けるため、商人の多くはそうしているのだ。慣れない冒険者が馬鹿なことをしている、表には出さないようにしているそんな思いをアレンは見抜いていた。
アレンは何も言わずに指し示された方向へと数冊の冊子を持って歩き始める。
(なんでこう、冒険者を下に見るんだろうな。そっちが雇い主である事が多いのは確かなんだけど一応客だぞ。しかしレベッカと比べるとわかりやす過ぎだな、あいつは)
商人ギルドともめると面倒な事になるとわかっているアレンは、ギルド職員の考えに気づいていながらそれを指摘したり、遠まわしに皮肉ったりはしない。
しかし内心、少しはイライラしていた。しかしそれも大きく息を吐いて頭から追い出してしまった。今、重要なのはそこではなく、手の中にあるものなのだと考えて。
そうして一度うなずくと、目的へと集中するために商談室と書かれた小部屋が並ぶ区画に立っている職員へと近づき、そして空いていた小部屋へと入っていった。
アレンが5万ゼニーを支払って貸し出してもらったのは、ライラック・キュリオ間の街道や町村に関する最新の情報だ。
先日やってきたレベッカから行商人としての旅の苦労話などを聞いていたアレンは、その中で商人ギルドで行商人が行っている情報収集の話を覚えていた。
街から街へと旅を続ける行商人にとって、その行く先の情報を手に入れるのは必須事項である。
「でもね、レン兄。毎回買ってたら損しちゃうでしょ。だから行商人は別の対価を払うんだ」
「別の対価?」
「うん、そこにやってくるまで自分たちが通った道の情報をね」
胸を張り、得意げな顔でそう言ったレベッカの姿を思い出しつつ、アレンがその冊子へと目を通していく。そこにはレベッカの言葉を裏付けるかのように、街道に関する事項が事細かに記載されていた。
それは道中のどこで、どのモンスターに遭遇しただとか、通常使っている水場が枯れているためここでの休憩は出来ないといった必須事項から、街道の一部に凹みがあるから壊れ物を積んでいる場合は注意した方が良いといった商人らしいものも少なくなかった。
町や村に関しても、補給できる物資や逆に必要とされる物資なども書かれており、このとおりの品を持っていけば安全に儲けが出せるんじゃあ、と少しアレンは考えたが、途中でもしそうしたとしても利益が薄すぎることに気づいた。
必要とされる物品のほとんどが生活必需品であったからだ。陸の孤島のような場所ならいざ知らず、街道沿いである程度の流通があるその村や町であれば必要以上に高い物品なら買わないという選択肢がとれるのだから。
そしてだからこそここに情報として載っているんだと納得もする。さすが利に聡い商人らしいと。
資料を読み進めながらアレンは自身の記憶の中にある前回の風景とそれを組み合わせていく。幸いな事に前回からそこまで大きな変化はなく、ギデオンの護衛についても問題なく行う事が出来そうだった。
「不安要素はやっぱドゥル山脈を越えるときか。さすがに長期で護衛依頼をするんだから俺だけって訳じゃねえだろうけど、そいつらとも打ち合わせが必要だな」
資料とにらめっこして腕を組んだアレンが思案する。
ドゥル山脈を越えるといっても別に山の頂上まで行くというわけではなく、山と山の間を縫うようにして造られた街道を進んで越えることになる。だから最大でも標高500メートルほどではあるのだが、その道は森の中を切り開くようにして造られているのだ。
前回アレンがそこを通ったときも待ち伏せしやすそうな場所だな、と警戒していたし、実際その辺りでモンスターの襲撃を受けて冒険者が負傷したという記載も資料の中にはあった。
どう対処すべきか考えつつ、アレンは最後に記されたその街道を利用した商人の推移などを商人ギルドが取りまとめた資料を流し読みしていく。
ギデオンが出席する年一度の学会が開催されるこの時期に合わせるように商人の数が増えていることがその資料からは読み取れた。
「やっぱ商人と冒険者じゃあ考え方が……んっ? これは誤差か?」
例年に比べ行き来する商人の時期と数に微妙な違和感をアレンが覚える。
そして念のためにと聞いたギルド職員の男が当然のように言った、発表される内容によりかなり変化がある、という言葉に色んな常識があるもんだ、と面白く思うのだった。
そしてアレンが追加の物品を購入したりと準備を進めた4日後、いよいよ出発という段になってアレンは顔を引きつらせていた。
依頼人であるギデオンと御者の男がいるのは当然だ。
若干用意された馬車がアレンの予想を超えて高そうな物だったが、ギデオンの金銭感覚を知っているため少し驚くぐらいですんでいた。
そしてアレンの鉄級の試験官として紹介されたのがイセリアだったことも我慢できた。金級冒険者であるイセリアならば試験官としてなにも問題はない。
最近会ったときにちょっと楽しそうだった理由はこれだったか。先に言えよ、とは内心思うものの、気の合わない試験官と長旅する気苦労に比べればはるかにマシだとアレンは考えたからだ。
アレンが顔を引きつらせた理由。それは……
「同行する冒険者って『ライオネル』かよ」
アレンへと睨むような鋭い視線を向けるライオネルを見返しつつ、そう呟いたアレンは心の中でため息を吐いたのだった。