第39話 提案の結果
そして数日後、ドラゴンダンジョンの周りに砦を建設する事が大々的に発表され、それに付随してスラムの外縁部整備を行う事も伝えられた。
おおむねアレンの提案どおりに進んだのだが、一部については少し変わっていた。それはスラム周辺の住人が住宅の改修をするときに補助金を出すということとその融資についてだ。
まず融資については商人ギルドが行うことになった。これについてはアレンの想定の範囲内だった。
商人ギルドにはお金の融資を行う部門があるのは知られているし、新しく融資の部署を造るよりは最初からノウハウがあり、体制の整っているそこに依頼するかもしれない、と考えていたのだ。
実際、領主側から商人ギルドへと補助が出ているため利子については半年間免除されるし、その後も低利率であることから問題はないだろうとアレンは判断した。
そして補助金についてだが、これについては住宅を改修する本人ではなくそれを実際に行う大工の工房に対して行われる事になった。
補助金の分だけ価格が抑えられるため、住民が安い金額で改修を依頼できるという点では変わりはない。
住民それぞれに支給するより、窓口を大工の工房に絞った方が手続きは楽であり、トラブルも少ないからという理由でそうなったのだが、その結果起こったのが大工の工房による売り込みだった。
砦の建設に関しては建材が本格的に揃うまで始まらないためまだまだ先の話であるし、スラムに建てる簡易住宅に関しても立ち退き交渉やらでしばらく時間がかかる。
そのため直近では少し余裕があったのだ。
そこで目をつけられたのがスラム周辺の家々だ。
補助金があるため依頼人の支払いが滞ったとしても最低限の利益は確保できるということで、各工房がしのぎを削る勧誘合戦になるかと思われたのだが、ふたを開けてみればブラント工房の1人勝ちだった。
それはニックとその仲間の大工たちのおかげだった。
彼らはまさしくこの周辺に家を持つ者たちだ。まず彼らは自分の家を改修してみせ、そして知り合いにそれを売り込んでいった。
周辺の住人たちの懐事情を知り尽くした値段設定、そして目に見える実績に徐々に申し込みが増えていき、ついには殺到することになったのだ。
実際、アレンもニックに誘われて早々に家の外装を改修していた。
勧誘に来たニックがすっかり綺麗になっているアレンの家の中を見て、こりゃ都合が良いとばかりにアレンを手伝いに借り出して即日改修に入ったのだ。
普通であれば素人仕事ではない内装の改修に違和感を持つはずなのだが、教えた屋根の修理方法などをアレンが上手に行っていた事をニックは知っていた。
さらにレベルアップによる技量の上昇をいま正に実感しているニックからすれば、冒険者としてレベルアップを続けてきたアレンであればこの程度のことは出来るようになるんだろうと考えたのだ。
そもそも冒険者が本格的な大工仕事をするなどといったことはないため、それがおかしな基準である事にニックは気づかなかった。
これからの事を考えてアレンを引き抜きたいとは思ったが。
そしてアレンがわざわざ部屋の内部をニックに見せたのは、外装だけだから早く終わるぞということを知らせ、すぐに改修に入ってもらうためだった。
マチルダが来る前に違和感を抱かせない状態にしなければならないからだ。
その代わりニックが違和感を覚える可能性もちゃんと考慮していたが、たぶん問題はないだろうと楽観していた。
ニックがあまり細かい事にこだわらない性格なのは知っていたし、なにより部屋の内部の改修は大工作業の覚えたてのころに行ったものなので、さんざんそれらを行って慣れてきた今のアレンからすれば拙い部分が散見されたからだ。
わざわざ直すほどでもないためそれらは放置されていたし、そもそも自分だけが使うのだからと手を抜いた部分もあるので大丈夫だろうと考えたのだ。
そして実際にその読みは間違っていなかった。
そんな訳で、住宅問題も解消したし早速マチルダを家に、と思ったアレンだったがそれは出来なかった。
建築需要が増大したため、徐々に建材が不足し始めたのだ。
原材料費があまりに上がってはアレンの計画がうまくいかなくなってしまうため、ネラとして9階層に行き、アレンはウインドカッターでトレントを乱獲した。
建材として使いやすいだろう長さには切断したが、それ以外の加工などは一切せずにそれをマジックバッグへと詰め、アレンはそれを安価で材木商へと売り払った。
スラムの簡易住居、そしてその周辺の家々の建築を行う工房へと通常の材木とそこまで変わりない価格で売り払うように条件をつけた上で。
とりあえずこれで大丈夫だろうと考えたアレンだったが、その後に待っていたのはギルド長のオルランドに半強制的に受けさせられたトレントの建材への加工という依頼だった。
つまりネラとして丸太状態で納入したトレントを、結局アレンが建材として加工する羽目になったのだ。
もちろん本職の大工も行っているのだが、それでも手が足らないためトレントの加工で実績のあるアレンが振られてしまったのだ。
せっかくアレンとネラでトレントの討伐方法をわざわざ変えているのに、結局俺が加工するはめになるのかよ、などとぶつくさ文句を心の中で言いつつもアレンは依頼を終えた。
そしてやっと一息つけると思ったのだが、その頃にはスラムの立ち退きの話し合いが終わっており、そしてアレンはその建築現場の依頼を受けさせられたのだ。
マチルダを家に招くどころか、プライベートよりギルドで会うことの方が多くなってしまっているのが現状だった。
ギルドであったときにそのマチルダの首にかかるネックレスを見て、幸せな気持ちにはなるのだが、少し余裕がなさすぎだろ、と内心考えていた。
そしてそのスラムの外縁部の建築現場。午前中の作業が終わって昼の長い休憩に入り、むしゃむしゃと自家製の弁当を食べていたアレンの横にニックがどっかりと腰を下ろす。
「うまそうな弁当だな。少しくれ」
「いや、お前愛妻弁当があるって自慢してたじゃねえか。それを分けてくれるのか?」
「そんな訳ねえだろ」
「じゃ、やらねえ」
そんな風に少しだけじゃれあいつつ、2人が横並びになって食事を口に運んでいく。
そもそも簡易住宅であるので造りも複雑ではなく、ニックを始めとしたレベルアップした大工たちの活躍もあり建築開始から間もなくであるのにもかかわらず大まかな造りが見え始めているそこを2人は眺める。
「なあ、アレン。お前大工にならねえの? あれだけの腕があればうちの工房でも喜んで迎えいれてくれると思うぞ。今は景気が良いし安定した収入にもなる」
「あー、確かに儲かってそうだもんな。でも良いや。今は冒険者がしたいからな」
「そうか。冒険者か」
アレンの返事を半ば予想していたニックだったが、実際にそれを聞いて少しだけ肩を落とす。
そんなニックに申し訳なさそうな顔をしながらもアレンは自分の意思を変えるつもりはなかった。
マチルダと付き合うにあたって安定した職業というのは確かに魅力だった。しかしステータスが上がったことにより余裕を持って依頼をこなせるようになったアレンは、冒険者でもある程度安全に安定した収入を得られるのだ。
もちろん危険なところに不用意に飛び込むようなことはしないが、それでも未知の場所やダンジョンの深部など憧れはあれど今までできなかった冒険をしたい、というアレンの当初の思いは消えていない。
満足できたらその時は大工になってニックと働くのも良いかもしれないな、そんな思いがアレンの中にもチラッと浮かんだが、それがいつになるかわからない現状ではそんなことは伝えられなかった。
「しっかし、これだけのことをやっちまうなんてネラってすげえよな」
しんみりとした空気を嫌ったのか、おどけるような口調でニックがそんなことを言い、アレンが少しだけ顔を引きつらせる。そんなアレンの表情の変化に大雑把なニックは気づくことなく言葉を続けた。
「いやー、ちょっと前に聞いた噂では滅茶苦茶強いがイカれた格好をした頭のおかしい奴って印象だったんだが、スタンピードを止めたのに報酬を固辞したらしいし、その時の素材の売却で儲けた金も全部このスラムの開発に使うために寄付したって話だぞ」
「ああ、らしいな」
楽しそうに話すニックに、言葉短くアレンが返す。
確かにその噂についてはアレンも知っていた。特にこの付近の住民、そしてスラム関係で大きく広がっているのでアレンの耳に届いているのは当然だ。
その噂のおかげもあってネラに対するこの近隣の住民の評価は大きく変わっていた。中には崇拝するような者もおり、そこに目をつけた商人が軒先に飾れば魔よけなどのご利益があるとネラの仮面を模した商品の販売を始めたりもしている。その売れ行きはなかなかに好調らしい。
一人歩きし始めたネラの姿に、アレンはもうどうにかすることを諦めていた。ほとんどは自分本位の動機で始めた事なのだが、傍から見たらそう見えるのは間違っていないとアレンもわかっていたからだ。
まああまりにあくどい事を始めるような者がいれば、自分で止めるか、イセリア経由でナヴィーンに伝えてもらい取り締まってもらえば良いと割り切ったのだ。
本当に味わっているのかと思うほどの速さでパクパクと食事を放り込みつつ、ニックがその合間に言葉を続ける。
「孤児院にも寄付しているらしいぞ。あっ、そうそう孤児院のガキに聞いたんだが、今回の建設にあたって孤児院に領主様から炊き出しを依頼されたみたいでな。それが結構な収入になりそうって話だ」
「おっ、そうか。それは良かったな。というかお前、孤児院に結構通ってるらしいじゃねえか。この前俺が依頼中にトレントの端材で作ったおもちゃを持っていったら、ニックさんにいただいた物が十分ありますので売却して運営費にさせていただいてもよろしいでしょうか? って院長に聞かれたぞ」
ネラから話題がそれたことをこれ幸いと、ニヤニヤとした顔でアレンがニックに詰め寄る。それに対してニックはぐっ、と声を詰まらせて顔を赤くし、そして勢い良く弁当をかきこみ、そしてほどなく食べ終えると立ち上がった。
「よし、そろそろ午後の仕事の準備を始めるかな」
「お前、相変わらずごまかすのとか下手だよな」
「うるせえ! この木級冒険者!」
「違うわ! 忙しくて試験を受けていないだけで、もう鉄級になる条件は満たしてるんだよ!」
お互いに軽く罵倒しあい、そして少し笑ってニックがその背を向けて去っていく。その背中を眺め、アレンは大きく息を吐いて真っ青に晴れ渡った空を見上げたのだった。