第38話 アレンのスラム対策
ライラックの領主の館の一室、本来の応接室よりはるかに狭いが、それでも人が10人程度はゆったりと過ごせるようなその部屋の向かい合ったソファーに現在3人が座っていた。
1人はこの館の主であるナヴィーン・エル・ライラック伯爵だ。その後方には2人の騎士がまるで戦場にいるかのような真剣な表情をしながら立っており、そしてその脇には老年の執事が穏やかな笑みを浮かべながら控えている。
そしてナヴィーンと向かい合うように座っているのはネラの姿をしたアレンとイセリアだった。
(うん、領主様に会う方法を教えてくれとは言ったが、これはいくらなんでも違うよな)
そんなことを考えながらアレンが少し途方に暮れる。
アレンが思いついた方法をとるには、領主であるナヴィーンの許可を取る必要があった。というよりアレン個人では出来ない事なので、提案をして後の指揮などはナヴィーンに丸投げするつもりだったのだ。
まあスタンピードである程度の恩は売れたし、そのくらいはしてくれるだろうという打算もあった。
ドラゴンダンジョンから街へと戻る道中で、アレンは計画についてイセリアに伝えていた。それを聞いたイセリアの反応も悪くなかったため、これはいけるんじゃねえか、とアレンも自信を深めたのだが、まさかその足で領主の館へとイセリアが向かうとは思ってもみなかったのだ。
東門に入るときにイセリアと話していた門番が急に走って去っていった事の意味を、止められることなく領主の館へと迎えられた時にアレンは理解した。あれは先触れだったのだと。
まだそれだけであればアレンもここまで驚かなかった。
ネラもイセリアもスタンピードを防ぐためにかなりの貢献をしている。たまたま運よく時間が空いていて、その恩を返す意味でも面会できるように都合してくれたという可能性もあるからだ。
しかし案内人に連れられて入った、この大きさはそこまでではないものの一目で貴賓を迎えるための部屋とわかる応接室で、領主であるナヴィーンが既に待っていたのだ。しかも立ったままで。
それがどれだけ異常なことなのかは、貴族にあまり詳しくないアレンでもよくわかる。
そして機嫌よさげなナヴィーンに促されてソファーに座ったのが今の状況だった。
「さて英雄ネラよ。君の提案の概要は伝令に来た兵士から聞いたが、もう少し詳しく聞かせてもらっても良いかね?」
「ナヴおじさま。それについては私から説明させていただきます」
イセリアの言葉にチラッとアレンの方を見たナヴィーンに、無言のままアレンがうなずいて返す。
元々ネラは身バレ防止のために人前では話さないようにしている。そのため普通に説明しようとすると時間がどうしてもかかってしまうのだ。
アレンとしてはある程度の概要をあらかじめ紙に書いておきそれを見せるつもりだったのだが、もちろん直行したためそんなものは用意できていない。
だからこそイセリアの提案は願ってもないことだったのだが、それよりもアレンには気になる事があった。
(ナヴおじさまって……しかも伯爵も当然のように受け入れてるし)
そのことをおかしく思っているのはアレンだけであり、2人の騎士も執事も特になんの反応もしていない。そのことから、アレンは少なくともこの部屋にいる者にとってはイセリアが伯爵をおじさま呼びすることは当然の事だと認識されていると理解した。
(貴族とかそれに連なる感じだとは思っていたが、伯爵の姪だったんだな。それにしてはなんか面倒くさいことになってたような気が……あぁ、そういう事があったから伯爵に庇護を求めてここに来たって感じか。うわっ、貴族の世界って怖えな)
一部変な勘違いをしつつも、大筋では間違っていない推理にアレンは1人納得する。そして改めて貴族の世界の面倒さを感じ、イセリアの過去については詮索しないように心の中で誓った。
そんなアレンをよそに、ナヴィーンと向かい合ったイセリアが、微笑みを浮かべながら口を開く。
「既に概要はご存知かと思いますが、ネラ様のご提案は砦の建築に携わるスラムの者、そしてその家族への住宅の提供ですね。資金としてネラ様がスタンピード時に倒したモンスターの売却報酬である6億ゼニーを伯爵家に寄付し、それを原資にとのお考えです」
「それはこちらにとってはありがたい事だが、本気なのかね?」
確認のためかアレンのほうへと視線を向けるナヴィーンに、アレンが迷うことなくこくりと首を縦に振る。
アレンのその発想はシンプルだった。
アレンの家がスラムに近いのだからマチルダに危険が及ぶ可能性が高いのだ。だから西地区にあるスラムの外縁部の住宅を建替え、そこに仕事に就いた者を住まわせる事でスラムの規模を縮小してやれば、その分だけアレンの家からスラムが離れる事になるという訳だ。
領主の肝入りで作られた住宅なのだから見回りの兵士たちの巡回ルートにも入るだろうし、安全性は格段に増すはずだとアレンは予想していた。
そしてあまりにも高額すぎて使い道に困っていた6億ゼニーという問題を解決できるというのもアレンにとっては喜ばしい事だった。
現状として鬼人のダンジョンで手に入れたネラの装備でアレンは十分に満足していたし、マジックバッグも得ているため死蔵するくらいしかないと思っていたのだから。
その反応を見たナヴィーンがイセリアへと視線を戻す。それに気づいたイセリアがちらっとアレンの方を眺め、そして満面の笑みを浮かべながら話し始めた。
「ネラ様はスラムの現状を憂いているのです。いつしか空を見上げることなく地を向き、希望を見失った人々が再び空を見上げる事が出来るようにと。ナヴおじさまも困っていらっしゃったではないですか。砦造りの人足として募集してもスラムの者になかなか信用されないと。それは使い捨てにされるのではないかという危惧からではないでしょうか?」
「その可能性は考えている。実際にそういった報告も受けているしな」
「住居を与えるというネラ様のお考えであれば、それを覆せます。使い捨てする者のためにわざわざ住居を用意するはずがないと誰にでもわかりますから」
まるで演者のように熱を持って話すイセリアの勢いに、ナヴィーンが少しだけ身を引く。しかしその表情の中には理解の色が含まれていた。
イセリアに指摘された事に間違いはなかった。砦の建築という大事業を行うにあたっては大量の人員が必要になる。その人員の一部としてスラムの者を雇用し、スラム問題の解決の糸口としようとナヴィーンは計画していたのだが、実際募集が思ったよりうまくいっていなかったのだ。
部下からの報告から考えても、この方法をとればそれが改善する可能性はあるとナヴィーンは判断した。
仮に失敗したとしても、資金はネラの寄付によるものでありナヴィーンの懐が痛むわけではない。
現在の家を壊す事で恨みを買う可能性もあるが、スラムの住居とはそもそもが不法占拠しているようなものなのだ。
それを領主の権限で撤去したからといって誰に咎められるものでもないし、一時的に恨まれたとしても継続的に良い暮らしが出来るようになればそれは一転するはず、そこまでナヴィーンは瞬時に計算した。
一方でそれを横で見ていたアレンは、動きそうになる体をかろうじて動かないように自制するので精一杯だった。
(いやいやいや、なに言ってんの? スラムの現状を憂うって、いやその気持ちが全くないって訳じゃねえけどそんな大げさなもんじゃねえし。むしろ自分のためだぞ)
あたかもネラが大層な人物であるかのように話すイセリアを内心では止めたいアレンだったが、聞いているナヴィーンの納得するような姿を見るとそれも出来なかった。
下手な事をして話が駄目になってしまえば、困るのはアレンなのだ。
さらにイセリアが言葉を続ける。
「加えて、周辺の住民、施設が住宅を改修する場合に補助金及び融資を出すことも検討してもらいたいとのことです」
「なぜ周辺に……いや、そういうことか」
問い返そうとしたナヴィーンだったが、すぐにその意図に気づき、感心した様子でアレンを見つめる。
西地区にはスラムがあるが、スラム付近の住人も貧しい者が多い。そんな場所でスラムの住人のためだけに新しい住居を与えればそれらの一般層からの反発を招きかねない。
そういった不満がスラムの住人に向いてしまえば、今でさえある確執が深まるのは確実だ。それは領主であるナヴィーンの望むところではなかった。
ナヴィーンはネラに対する評価を引き上げる。武力のみならず治世の方面にも知恵が回るのだと。
それと同時に取り込んでしまいたいという気持ちがナヴィーンの中にむくむくと湧いたが、目の前でも小さく首を横に振るイセリアを見てなんとかそれを自制した。
無論、アレンはそこまで考えてその提案をした訳ではない。
そんな事になれば、近所の知り合いたちが羨ましがるだろうし、その結果愚痴大会に巻き込まれそうな嫌な予感はしていたが。
そもそもそんな提案をした一番の理由は、アレンの家が改装されている理由付けにもなると考えたからだ。
なにせ、マチルダがそのうちに来るのだから、いっそのこと補助金が出るからという理由でニックあたりに外装も修復してもらえば良いと思ったのだ。
ネラとバレないようにという以外に、周囲の家々に比べ、明らかに新しくなってしまうと招かれざる客がやってくる可能性が高くなるということもあり、アレンは外装をそのままにしていた。
しかしその心配もこの制度が運用されていけば考えなくても良くなるのだ。
しばし沈黙の時が流れ、そしてゆっくりと大きくうなずいたナヴィーンが、真っ直ぐな視線をアレンへと向けた。
「わかった。英雄ネラよ。君の慈悲深い心に感謝する。その心に応えるためにも必ずこの計画は成功させてみせよう。我らライラック伯爵家の名において」
その言葉にアレンはうなずく事しか出来なかった。
そしてなに考えてんだよ、とチラッと視線をイセリアへと送るとそれに気づいたイセリアは、チロっと少しだけ舌を出し、そしていたずらが成功したかのような笑顔を一瞬だけ見せた。
その顔にアレンはレベッカの姿を幻視する。
(あー、もしかしてこいつレベッカの影響受けてねえか? 一緒に過ごしたのなんてほんの数日のはずなのに、なにしたんだよあいつ)
既に街から出ていってしまい、旅の下にいるレベッカへとアレンがそんな恨み言を飛ばす。
そして想定とは違うが、計画は実行してもらえそうなのは良いことだ、と自分で自分を納得させながらアレンは小さく息を吐いたのだった。




