第22話 レベッカの嗅覚
『ライオネル』のパーティメンバーに酒場で話を聞き、そして酒を数本ひっさげて帰った翌日、アレンは約束通り朝からレベッカと一緒にライラックの街を巡っていた。
「うーん、結構変わってるもんだね」
「そうか?」
行商の一環として街を連れまわされ、多少疲弊した表情をしたアレンに比べ、生き生きと楽しげにレベッカは店めぐりをしていた。
この街でずっと暮らしているアレンには、そう大して変わっているように思えなかったのだが、レベッカはうんうん、とうなずきながら言葉を続けた。
「うん。さっきのお店は息子さんに代替わりしてたし、他にも仕入先が変わったのか並ぶ商品の質が落ちてるところもあったよ。レン兄が行きそうな店はそんなに変わってなかったけど」
「へー、よく見てんな。さすが行商人」
「一流の、が抜けてるよ」
「へいへい、一流、一流」
えっへん、と胸を張って威張るような仕草をするレベッカに対し、いつもしているダンジョンでの探索に比べれば明らかに体力的には楽であるはずなのに、それ以外の部分をゴリゴリと削られたアレンが適当に返事を返す。
そんなアレンの様子にレベッカが表情を崩して笑いだした。
「ははっ、レン兄って相変わらず買い物が苦手だよね」
「違う。俺だって普通に買い物くらいするからな。お前の買い物の基準がおかしいんだよ。どれだけ回るつもりなんだよ」
「えーっと、とりあえず今日は南地区の全店?」
「勘弁してくれ」
自分で首を傾げながらそう言ったレベッカに、天を仰ぎながらアレンがその顔に手を当てて嘆く。
エリアルド王国で有数の都市であるライラックにはかなりの数の店があるのだ。街を4等分した内の1区画だとしても、それを1日で巡るというのはアレンからしてみれば正気の沙汰とは思えなかった。
「冗談だよ。ある程度目星はつけてあるから。それにレン兄も可愛い女の子とのデート気分を味わえるんだよ」
「可愛い女の子って言っても、妹だしなぁ」
「いいじゃん。彼女さんとの予行演習にぴったりだよ。私ならなにか失敗しても問題ないし」
あまり乗り気ではないアレンに、少し頬を赤くしたレベッカが手振りを加えながら力説する。
その様子を見ていたアレンは、なんで赤くなってるんだ? と少し疑問に思ったが、店を巡ってテンションが上がっているんだろうとさらりと流した。
本当は、可愛い女の子の部分を否定もせずにさらっと認めたアレンの態度に、レベッカ自身が恥ずかしくなって赤くなっていたのだが。
「じゃあ次に行こっか。次はレン兄お得意の材木商のところだよ」
「いやお得意というか屋根の補修ではお世話に……そういやレベッカ、家の中が変わったことについて聞かれなかったけど、気づいていないって訳じゃねえよな」
「あー、綺麗になってたこと? もちろん気づいてるよ。しかもちょっと良い木材だよね」
微妙なアクセントをつけたレベッカの言葉に、やっぱりトレントの建材を使っていることに気づいていたか、と考える。
行商人をしているくらいだし、色々と聡いレベッカであれば家から離れている間にかなりの知識を身につけているだろうとアレンは予想していたが、正にその通りだったわけだ。
「うん、それもあって材木商にも寄りたかったんだ」
「いや、あれは買った訳じゃなくって自分で採取してきたんだぞ」
誤解を解こうとアレンがそう伝えるが、レベッカは笑いながら首を横に振ってそうじゃないと示した。
「それはわかってるよ。ニックさんにも聞いたし」
「あれっ、ニックに会ったのか?」
「あっ! うん。たまたま家に帰るときにばったり会ってね。リリーちゃんの自慢話されちゃった」
思わぬところでレベッカからニックの名前が出てきたので聞き返したアレンに、一瞬目を見開き、そして苦笑しながらレベッカがそう答えた。
「あー、なんというかお疲れ様」
「うん。あれはリリーちゃんの将来が心配になる溺愛具合だよね。たぶん構いすぎてそのうち嫌われると思う」
「辛らつな意見だな。まあ、今度ニックに伝えとく」
リリーとはニックの愛娘である5歳の女の子のことだ。ニックと同じ赤い髪をしており、母親に似た緩くウェーブしたその髪が動きに合わせてふわふわと舞う姿はまるで天使のようであり、その汚れなど一切ない澄んだ瞳は宝石に勝るとも劣らないと評判の美少女である。
まあ言っているのは全てニックであるのだが。
孤児院で仕事した時も、そして9階層でトレントを倒していた時もなのだが、リリーに関する話を延々とアレンは聞かされたのだ。
そんなアレンの頭には、ニックが嬉々としてレベッカにリリーの話をしている様子が浮かんでいた。
なにせアレン自身、リリーとの面識はそこまでないはずなのに、趣味から好みの食べ物、苦手な虫、はたまたお気に入りの靴まで覚えてしまっているくらいなのだ。
てっきりプレゼントを催促しているのかと疑ってしまうくらいなのだが、ニックにそんな気が一切ないことは付き合いの長いアレンにはよくわかっていた。ただ単にリリーのことが話したくてたまらないだけなのだ。
レベッカの言うとおり、もしリリーに嫌われたりしたら絶望してなにをしでかすのかわからないと思えるほどだった。
だからアレンは少々強引にでも言って聞かせようと決意する。親友の悲しむ姿は見たくないからだ。
そんなことをアレンが考えている間にも材木商へとたどり着き、レベッカが興味深そうに商品を眺めていく。顔見知りの店員とアレンは挨拶を交わしながら、アレン自身も補修に使う材木を眺めていた。
内部をトレントで完全にリフォームしたためあまり必要はないのだが、放置しすぎて外側がぼろくなりすぎても問題になる。
だからアレンは定期的にここには来るつもりだったのでついでというやつだ。
自分の必要になりそうなものをある程度見終わり、店員となにやら話しているレベッカの姿をアレンは眺める。
その姿は行商人と言うより、普通に街の住人が買い物に来ているようにしかアレンには見えなかった。店員も笑っているため、余計にそう思えるのかもしれなかったが。
しばらくして話を終えたレベッカが笑顔でアレンに近寄ってくる。その姿は店内に入る時よりも明らかに上機嫌である事がアレンにはよくわかった。
「良い事があったみたいだな」
「うん。まあまあ収穫があったよ。本命じゃなかったけど」
「本命?」
まるで今日の店めぐりはそれが目的だったかのような言い草に、アレンが聞き返す。それに対してまるで世間話をするかのようにレベッカは答えた。
「うん。でも本命はもうちょっと後かな。伝手が全然足りないんだー。最悪レン兄に頼るかも」
「いや、別に最悪じゃなくても頼っても良いぞ」
「うーん、でも今はやめとく。ちょっと自分で頑張ってみたいし」
そう言ってふんっ、と息を吐いて力こぶをつくるレベッカの様子に、アレンはそれ以上言うのを止めた。せっかくレベッカがやる気になっているのにそれを邪魔しては意味がないし、それが行商人であるレベッカのプライドに関わる事のように思えたからだ。
だからアレンは優しい眼差しでレベッカを見守るだけにした。今はやめとく、ということだからいつかは頼られるかもしれない。その時にできる限りの事をしてやれば良いと自分を納得させて。
「で、どうすんだ。まだ店めぐりを続けるのか? そろそろ昼だし、どこかで飯でも食って一旦休憩させてくれると俺としては嬉しいんだが」
少し冗談めかしてそんなことを言ったアレンに、ニパッとレベッカが待ってましたとばかりに満面の笑みを向ける。
どこに出しても恥ずかしくないような完璧な笑顔なのだが、なぜか寒気が走ったアレンが体を震わせる。
「私、『木漏れ日の庭』に行ってみたい」
「『木漏れ日の庭』って、お前、ライラックでも1、2を争う高級店じゃねえか!」
「庶民にとっては、が抜けてるよ」
『木漏れ日の庭』と聞いて驚愕するアレンに、いたずらに成功したような顔をしながらレベッカが言葉を付け足す。
その店はアレンが言ったようにライラックの食事どころの中で1、2を争う値段を誇る高級店だった。もちろん貴族などが行くような店ではないのでドレスコードなどはなく、庶民がとっておきの時に行くようなそんな類の店だった。
アレンが普段行く食堂の優に10倍以上の値段のメニューしかないという噂であり、当然アレンがそんな場所に行ったことなどある訳がなかった。
「いや、そうかもしれんが……さすがに。それに昨日支出が多いってお前が言ったんだろ」
「まあね。でもこういった店を知るのも経験だよ。いつか役に立つかもしれないじゃん」
「そんなことを言って、ただ食べてみたいだけだろ」
アレンがジトッとした目でレベッカを見つめる。それに対してなんて事の無い風を装いながらレベッカは視線をそらせていった。その口元には笑みが浮かんでおり、からかわれていることに当然アレンは気づいた。
「やっぱやめだ。レベッカ、冗談もほどほどにしろよ」
「えっ、冗談じゃないよ。からかったのは本当だけど」
「金はどうすんだよ。たぶん手持ちで足りるとは思うが、自慢じゃねえが保証できねえぞ」
「本当に自慢じゃないね」
吹き出すようにレベッカが笑う様子をアレンはじっと眺めていた。そして続いてレベッカの口から出てきた言葉にアレンはしばらく理解が追いつかなくなる。
「私がおごるから」
「はっ?」
「小金はもってるからね。代わりに1つレン兄に提案があるんだ。これを前金として私の依頼受けてもらえない?」




