第9話 マチルダとのお出かけ
昼の1時過ぎ、ギルド職員が出入りする冒険者ギルドの裏口で待っていたアレンのもとに、マチルダがやってくる。
冒険者ギルド職員の受付嬢などの内部勤務の者が着る制服ではなく、落ち着いたブラウンでありながらワンポイントのウエストリボンが可愛いプリーツワンピースを着て、肩掛けの小さなバッグを持ったマチルダの私服姿に、思わずアレンが息を飲む。
「待たせちゃったわね。ごめんなさい、アレン。……アレン?」
「お、おう」
「そこは今来たところだから気にするな、とかじゃないの? まあそんなところもアレンらしいけど」
そう言ってふふっ、と笑うマチルダに笑い返しながら、アレンは内心焦りまくっていた。
(やべえ。ギルドで散々見ているはずなのにマチルダが滅茶苦茶美人に見える。そういや、マチルダの私服姿なんて見るのいつぶりだ?)
若干現実逃避気味にそんなことを考えたアレンだったが、記憶を探ってもすぐにそれを思い出すことは出来なかった。
そんなアレンに少しだけ不思議そうな顔を向けて首をかしげたマチルダだったが、すぐに気を取り直しアレンに声をかけて歩き始める。
「じゃあ、行きましょ。この時間ならたぶん空いてきていると思うわ」
「了解。ってどこに行くんだ?」
「私のオススメのお店。冒険者ギルドの女性職員に人気だから味は保証するわよ」
「へー、やっぱ内勤だとそういう話が出るんだな」
歩き出したマチルダの横にアレンが並ぶ。さりげなくマチルダがギルドの話を混ぜたことで、調子が狂っていたアレンも落ち着きを多少取り戻していた。
共通の話題である冒険者ギルドについてのアレコレやギルド長の悪口などで盛り上がりつつ2人は歩き続け、そして大通りから一本入った落ち着いた雰囲気のお店へと足を踏み入れる。
普段自分が行くようなザ・食堂といった感じではなく、明らかにランクの違うシックな店の造りにアレンは少し気後れしていた。
しかし特に何も気にする様子もなくマチルダが席に着くので、なんとかその気持ちに蓋をして自然を装いつつアレンも対面に座る。
「約束どおりなんでも注文して良いわよ。オススメは日替わりのランチね」
「じゃ、それで」
「いいの? 結構高いメニューもあったはずよ。ほらっ、チャージボアのステーキなんてのもあるけど?」
「いや、それ五千ゼニーもするじゃねえか。おごってもらえるからってそんなもんを注文する奴は心臓に毛が生えているような奴だろ」
ちらっと値段を確認し、普段行く食堂の2倍以上の金額がずらりと並ぶそのメニュー表に頬を引きつらせていたアレンとは対照的に、マチルダはそんなアレンをからかうような口調で話しかけながら笑っていた。
結局、2人は日替わりのランチを注文し、そしてほどなくしてそれが運ばれてくる。
スープ、サラダ、パン、そしてメインとなる肉がバランスよく配置され、見た目からして美味しいだろうとわかるその様子に思わずアレンの喉がごくりと鳴る。
「あっ、パンはお代わり自由よ。とはいっても限度はあるけど」
「了解。2、3個にしとく」
「お代わりしないって選択肢はないのね。まあ良いわ。食べましょ」
食前の祈りを短く済ませ、2人が食事を始める。最初こそ雰囲気に飲まれ気味だったアレンだったが、その食事の美味しさを実感するうちに慣れていき、自然に会話を交わせるまでになっていた。
楽しげに会話を交わす2人が周囲からどんな関係に見えているかは明らかなのだが、アレンはそのことに全く気づいていない。
そもそも自分がマチルダのような美人のそんな対象になるはずがないという思い込みのせいだ。
「へー、じゃあレベルアップの罠についてはだいぶ落ち着いたんだな」
「ええ。予約がいっぱいなのは相変わらずだけれど、当初のような熱はないわね。そもそも一気に広げすぎなのよ、あの強欲ギルド長が」
そう言ってブスッとフォークを肉に突き立てるマチルダをアレンがなだめる。
一時期はマチルダの目にクマが出来るほどの忙しさだった事を知っているアレンには、その気持ちは十分に理解できた。
「今はリピーターが多いから楽になったって監視と説明担当の職員たちが言っていたわよ」
「あー、あれこそきつい仕事だよな。ダンジョンまで連れていって、その後はスライムを踏み潰していた方がマシだ」
アレンがげんなりとした顔をしながらそんな事を言う。
以前、アレンがギルド職員のときに行っていたのは、レベルアップの罠を使用する人をダンジョンまで連れて行くということだった。
その後は現地で待機している監視と説明役のギルド職員が引き継ぐ訳だが、やり方を毎回説明して何か変な事が起こらないかひたすら監視するという、アレンからすれば苦行のような仕事をその者たちはしているのだ。
「ダンジョンに連れていく道中と違ってダンジョン内にはスライムしか出ないから安全だし、それでも一応ダンジョン内の業務だから危険手当が出て給料も上がるって事で一部には人気よ」
「そんなもんかね。そういや俺の後任ってどうなったんだ?」
「ちょうどジョセフさんが冒険者を引退したいって申し出があったらしくて、調整中らしいわ」
「へー、大盾のジョセフがついに引退か。まあ真面目が歩いているようなあのおっさんなら適任かもな」
内心少しだけ安堵しながらアレンが食事を口に運ぶ。
自分の後任としてスライムダンジョンの管理をするギルド職員について、アレンは気にしていたのだ。
普通の冒険者であればまず行かない場所だし、腕の良い斥候でもない限りは隠し通路は見つからないとアレンはその経験から断言できた。
しかし自分の後任として元斥候の冒険者などがついた場合は危ないかもしれないと考えていたからだ。
とは言えその可能性は低いともアレンは考えていた。確かに冒険者ギルドの職員は安定した職業と言えるが、あの隠し通路を普通に発見できるほどの実力を持った斥候であれば、大きな屋敷の警備員など、ギルド職員よりはるかに高給が払われる職場から引く手あまたであることを知っていたからだ。
警戒、発見、監視などが出来る鋭い観察眼を持つ斥候は警備として最適な人員であり、腕次第では貴族の館で働くようになる者までいるのだ。
後任として話題に上った大盾のジョセフとは、齢46になる大盾使いの鉄級冒険者だ。ライラックの街の人間の冒険者の中では最年長の男であり、アレンも何度も世話になった事があった。
性格は真面目で温厚だが少し不器用であり、大盾を使って仲間を守るという自分の仕事に全神経を集中させ、それを完璧にこなす一方で、それ以外のことは苦手という典型的な専門職の冒険者だった。
まあそういった冒険者は決して少なくなく、アレンのように全て平均的にこなせる冒険者の方が少数派ではあるのだが。
(ジョセフのおっさんなら大丈夫だろ。スライムを倒すって仕事だし、もしかしたらボス部屋に行く事さえしないかもしれないな)
そんなことを考えながらもぐもぐと噛んでいたパンを飲み込んでその後味を楽しみ、そして少し遠慮気味にアレンは2つめのパンのおかわりを店員にお願いしたのだった。
食事を終え、おごってもらった事に感謝を伝えつつ、アレンはマチルダと一緒に目的地へと向かって歩いていた。
アレンの家の方向である西方向へとマチルダは迷いなく進んでいき、そしてもうすぐスラムが見えてくるといったところでマチルダがその足を止める。
アレンにとって、とても見覚えのあるその場所の目の前で。
「孤児院?」
「そうよ。あっ、ちょうど良いところに。すみません、昨日ベッドを買ったマチルダです。受け取りに来ました」
孤児院から出てきた男を見つけたマチルダがすかさず声をかける。アレンは声をかけられたその男、この孤児院の院長が近づいてくるのを眺めながら、なんとなくではあるが今後の展開を察していた。
「あぁ、マチルダさんですね。お待ちしていました。あれっ、そちらの方は確かアレンさんでしたね。以前孤児院の修復をしていただいた」
「お久しぶりです、院長」
「あなた方のおかげで本当に助かりました。あれからニックさんも気にかけてくださっていまして、ときおり様子を見にこられるんですよ」
「そうだったんですか」
院長の丁寧な口調に引きずられるアレンを見て、マチルダがこっそりと笑みを浮かべる。
アレンはといえば、自分に一言も言わずにそんなことをしている親友が、たまたま通りかかっただけだ、とか言いながら子供たちのためにおもちゃを持ってきている姿を想像してしまい、思わず顔がほころびそうになっていた。
「あっ、そうそうベッドですね。中にご用意してあります」
そう言って孤児院の中へと案内する院長の後についていった2人が、たどり着いた場所で見たのはアレンにとってとても見覚えのあるベッドだった。
それもそのはずで、気絶したイセリアを寝かせるためにアレンが造り、一昨日アレンがネラの姿で孤児院へと寄附したものだったからだ。
(いや、自由にしてくれとは確かに伝えたけどよ。あー、でも自分たちで使うより売った方が孤児院としては助かるのか)
まさか自分の造ったベッドをマチルダが買うことになり、それを自分が運ぶことになるなんて思わなかったアレンはそんな事を考えて苦笑したのだった。