第5話 仕事の変化
アレンがスライムダンジョンの構造の変化を報告した翌日、冒険者ギルドに1つの専用窓口が開設され、そのことを街中に知らせるように、という依頼が冒険者ギルドの掲示板の一番目立つ位置へと貼り出された。
噂を広めるだけで弱いモンスターの討伐依頼の2倍程度の報酬がもらえるということで、新人の冒険者たちは先を争うようにその依頼を受け、そしてその噂はギルドの目論見通りその日のうちに街中へと広がっていった。
冒険者ギルドが、スライムダンジョンに出現したレベルアップの罠の使用について制限をかけることを決定し、その管理をするための部署を新設した。
このことに従い、スライムダンジョンのレベルアップの罠の使用には冒険者ギルドのその部署にて事前の予約が必要になるという話だ。
表向きはダンジョンの管理者である冒険者ギルドが専用の部署を設立させる事でレベルアップの罠を取り合い、争いとなることを防ぐための措置ということになっている。
しかし本当は、レベルアップの罠を餌にしてレベルを上げたい人から金を巻き上げるための部署を作ったというのが実情だった。
レベルアップの罠は冒険者からは嫌われている。
それなのになぜそんなことが成り立つのかと言えば、冒険者や兵士など以外のモンスターと戦うことのない住民からすれば、たとえ上昇する数値が全て1であろうともステータスが伸びるということが魅力だからに他ならない。
普通の人の上限レベルは500。つまり現在のレベルが1であるならば今よりも499もステータスが上昇することになるのだ。それは普通にモンスターなどを倒してレベルアップした冒険者などでいえば100レベルに相当する数値である。
訓練や修行などによりレベルアップによらずともステータスを伸ばす方法はあるのだが、その上昇率は決して良いとは言えないものだ。そしてなによりそれにはかなりの努力が必要になる。
レベルアップの罠をただ踏むだけという、大した苦労もせずにステータスが伸ばせるこの方法に需要があるのは当然だった。
もちろん全員が全員そうというわけではない。特に貴族や大金持ちなどは独自に冒険者などを雇ってレベル上げをしているため早々にレベルアップの罠には頼ろうとはしないし、現状の生活に不満がなく必要性を感じない者も少なくないからだ。
だからこそ冒険者ギルドがレベルアップの罠1時間使用、つまり最大20レベルアップのために設定した金額は昼は5千ゼニーで、夜は4千ゼニー。普通ランクの宿一泊分ほどの料金で、少し生活に余裕のある者ならば出せるくらいの絶妙な金額になっていた。
つまりレベル1の者が最大のレベル500まで上げるのにかかるお金は夜だけに限定すれば10万ゼニーが必要だ。それを安いと見るか高いと見るかはその者次第だろう。
少なくともそれさえ支払う事のできない、レベルアップしたら問題を起こしそうなスラムの住人などは事前にはじけているのだから値段の意味がないということはない。
「はぁ、まさか私も窓口に戻されるなんてね」
「仕方ないんじゃねえか? やっぱこれだけ予約でいっぱいだと調整やらなんやらで経験豊富な方が良いだろうし」
「経験豊富で悪かったわね」
ジロリとした視線をマチルダから向けられ、失言に気づいたアレンがとっさに顔をそらす。そんなアレンの様子に少し表情を柔らかくしながら、マチルダがはぁーと深いため息を吐く。
そして目の前に並んだ予定表を見ながら眉根を寄せて再度ため息を吐いた。そのため息は先ほどのものよりもはるかに重いものだった。
「ため息を吐くと……」
「幸せが逃げるってんでしょ。わかってるんだけどね。だとしてもこれはちょっと厳しいわよ」
マチルダが髪をかき上げ、頭をもむ。そんな悩まし気なマチルダの様子にアレンは心の中で謝罪していた。実際このようにマチルダを悩ませている原因の一端はアレンにもあるのだから。
スライムダンジョンの構造の変化を伝えないということも出来たし、伝えるにしてもレベルアップの罠を省いて報告するということもアレンには出来たのだ。
しかしそうしないと選択したのはまぎれもなくアレンだった。
実際変化が起きてから2か月以上は誰にもばれなかったのだから隠し通せる可能性だってあった。それを理解したうえで、万全を期すために、自らの希望を叶えるためにアレンはわざわざ報告した。
その事を考えるとマチルダが負った苦労について少しは責任があるとアレンは考えていた。だからといって後悔はしていないが。
マチルダの目の前に広がっているのはレベルアップの罠の予約表だ。日付と時間で区分けされたそれは、窓口が開設され受付が始まった今日だけですでに1か月分の予約が埋まっていた。それも夜中も含めた24時間全ての時間だ。
明日以降になればさらに多くの人が申し込みに来るのはわかりきっており、それに伴って予約の時期をめぐってのトラブルも頻出すると予想されていた。
ベテランの元受付嬢であるマチルダがその窓口へと抜擢されたのはそういったトラブルへと対応するためだった。
「そもそも一気に噂を広げるのがおかしいのよ。あのタヌキめ~」
怨嗟の声をあげるマチルダの様子にアレンが一歩後ろに下がる。触らぬ神にたたりなしという言葉が彼の頭の中で駆け巡っていた。
少し引き気味で様子を見るアレンの目の前で、マチルダが、ふぅー、と深く息を吐く。ほんの数秒目を閉じ、そして開けたマチルダは先ほどまでの表情が幻であったかのようにいつも通りの顔へと戻っていた。
あまりの変わりようにアレンの中に懐かしさが芽生える。
昔、マチルダが受付嬢をしていた時にも理不尽な冒険者の対応などでこういったことがあったのをアレンは思い出していた。
マチルダは気持ちを切り替えるのが非常にうまい。前の冒険者がいかに嫌な奴だったとしても次の冒険者には疲れた顔1つ見せなかったのだ。
そんなかつての光景がアレンの脳裏へと鮮明に蘇っていた。
「アレンは楽そうにしてるけど夜の担当なんでしょ。大丈夫なの?」
「ああ。一日あたりの時間は長くなったが、代わりに休みが増えたからな。まあ大丈夫だろ」
「体には気を付けてね」
「ああ。マチルダもな。じゃあ行ってくる」
顔を見合わせ、お互いに苦笑してから、アレンが右手を上げて去っていくのをマチルダは見送る。
そして姿の見えなくなったその裏口へと続く扉をしばらく眺め続け、少し微笑むとマチルダは再び仕事へと戻っていった。机に残った大量の書類から推測できる残業時間を少しでも減らすために。
「まっ、予想通りだったな」
食堂などがにぎわう夕方の空気から人通りの減る夜へと移り変わる狭間の時間に、そんなことを呟きながらアレンはライラックの街の北門へと向かっていた。
スライムダンジョンへ最も近い街の門が北門であり、その場所が夜にレベルアップの罠を使う予約者との集合場所として決められているからだ。
ライラックの街の門は午後九時には閉門し、翌日の六時に開門する。その間にやってきた者は特殊な事情がない限り街の中へと入ることは出来ない。逆に言えば街の中にいる者も同様に外に出ることが出来ないのだ。
そのため、午後七時に北門へ行き、レベルアップの罠の夜の予約者を連れてスライムダンジョンへと向かい、翌日朝に街へと連れて帰ることがアレンの仕事になっていた。
レベルアップの罠のことを報告すれば、スライムダンジョンの管理という仕事からこの仕事になるであろうとアレンは予想していた。
昼であれば冒険者に依頼を出せばその仕事を受ける者もいるのであろうが、夜の依頼は受ける者が少ないだろうと考えていたからだ。
昔のアレンは特殊だとして、冒険者というものは皆どこかしら冒険することを望んで冒険者になっている者が多い。
スライムダンジョンの案内と護衛などという仕事は、安定したお金は入るかもしれないがスリルなどほぼ無くレベルアップも出来ない。言うなればつまらない仕事の最たるものだ。
仕事の合間などに小遣い稼ぎとして受ける冒険者などはいるかもしれないが、生活のリズムを崩す夜の依頼を受ける冒険者が少ないことをアレンは知っていた。
そして冒険者ギルドがそのことを重々承知しており、そういった時にお鉢が回ってくるのはアレンのような元冒険者のギルド職員である事も。
そういった事情もあり、アレンの仕事は午後七時に北門で予約者と会い、スライムダンジョンのレベルアップの罠へと連れていき、その場にいるギルド職員に引き渡した後いつも通りにスライムを倒しに行き、翌日の朝八時に予約者をライラックの街まで連れ戻るというものに変わった。
連続で十三時間の勤務であるが、今まで週五日およそ七から八時間勤務で休日が一日というスパンだったのが、週三日勤務で休日が三日と変わったのはアレンの目論見通りである。
労働時間としての差異は一時間程度ではあるのでほとんど変わらないが、この三日の休みというのがアレンの希望だったのだ。
実際レベルアップの罠が見つかり同様のことをした前例が他に無いわけではない。
アレンはこの半月の間に書類の整理と言いつつそういった過去の事例についてどんな対応がされたかを調査していた。そしてその前例にのっとればアレンの仕事が高い確率で夜の案内の仕事に変わると予想がついた。
問題は業突く張りのギルド長が休日を減らすのではないかということだったのだが、さすがにそこまでのことはしなかった。その事実にアレンはこっそりと胸を撫で下ろしていた。
(さて、ここまでは想定通りだ。三日後の休みからさっそく次の段階に移るとするか)
こっそりとそんなことを考えながら、アレンは退屈な仕事をこなすため足取り軽く北門へと向かうのだった。