第3話 ミスリル級冒険者
「ふむ、驚いているようだな」
アレンが目の前の『ミスリル級の冒険者として認定する』と書かれた紙を見つめて固まっている様子を、オルランドが少し目を細めながら観察する。
その言葉に反応し、顔を上げたアレンは思わず「当たり前だろ!」という言葉が口から出そうになるほど驚いていたが、なんとか口を引き結んでそれを止めた。
冒険者のランクは木級から始まり、銅級、鉄級、銀級、金級、ミスリル級、そして最高位であるオリハルコン級に分けられている。
基本的に新人の冒険者は木級から始まり、依頼をこなす事でギルドへの貢献度を溜めてランクを上げていくという制度だ。
とはいえこれはあくまで基本的な話であり、冒険者になろうとする者が戦いの経験などない、ずぶの素人である場合に限られる。
どこかで戦いの基礎訓練を受けた者や、防壁など無い村の出身者でモンスターとの戦闘経験がある者、兵士からの転職者といったある程度の武力を保持している者は、冒険者になるときに規定の試験を受ける事で木級を飛ばして銅級冒険者として登録できるのだ。
そんな制度があるのは、冒険者ギルドがランクによって受けられる依頼に制限をつけているためである。
そのため全ての者を木級から始めさせると、せっかく実力のある冒険者なのに戦いの素人でも達成できるような簡単な依頼しか受けられないという事態になってしまうのだ。
無論そういった依頼は報酬も安く、そんな依頼しか受けられないという制限がかかってしまうと冒険者になろうとする実力者をみすみす逃してしまう事になる。
とは言えランクによる受注できる依頼の制限を撤廃する事は冒険者ギルドには出来ない。
そんなことをすれば実力に見合わない依頼を受けて失敗するものが続出することは明らかだったし、それに伴って死亡する冒険者の数も今とは比べ物にならないほど多くなるだろうと予想されるからだ。
そういった事情もあって出来上がったのが、登録時の試験によるランクの認定制度なのだ。
アレンもその存在自体はよく知っている。12歳で何の経験もなく冒険者になったアレンは当然試験など受けずに木級から始まったが、大半の者はその試験を受けるからだ。
そもそも冒険者になろうとする者は腕に自信のある者が少なくない。アレンのように生活が逼迫して手っ取り早い金の稼ぐ方法としてなる者も同様に少なくはなかったが。
アレンがさらさらと取り出した紙にペンを走らせ、そしてそれをオルランドへと見せた。
『冒険者になりたての者がミスリル級になれるのか?』
その文字を確認したオルランドが眉根を寄せながら、ふんっ、と小さく鼻を鳴らす。その態度から感じられたのは、この決定が明らかにオルランドにとっても不服であるというそんな感情だった。
ならなんでわざわざそんなことをするんだ、と疑問に思いつつオルランドを見つめていたアレンに、わざとらしくため息を吐いた後、オルランドがその口を開く。
「ギルドの規定上ではギルド長の権限によりミスリル級までであれば登録が可能なのだよ。とは言えいくつかの難しい条件がクリアされて初めて、ということだから事実上ミスリル級で登録されることはありえないと言っても良かった。私の経験では、元騎士が銀級として登録されたというのが最高だったな」
そんなオルランドの説明を聞き、全くそんな事を知らなかったアレンは感心していた。ぶくぶくと太って、職員に嫌味を言ったり、面倒な仕事を押し付けるイメージが強かったオルランドがしっかりとギルド長としての知識を持っていることを知ったからだ。
前回のスタンピード対応時の毅然とした態度のこともあり、オルランドの株が自分の中で上がっていくのを感じつつ、アレンは小さく相づちを打って続きを促す。
「ミスリル級となる条件は3つ。20階層以上のダンジョンを踏破した経験があること。ギルドに対して5000万ゼニー以上の納品などを行う事、そして最後が最も難しいのだが王侯貴族による推挙があることだ」
眉根を寄せながら言ったオルランドの言葉に、アレンが思わず首を傾げる。
20階層以上のダンジョンを踏破した経験があるというのは納得できる。アレンがたびたび周回していた鬼人のダンジョンは30階層のダンジョンだ。ボスであるオーガキングの魔石などの販売をギルドに委託していたためそのことをギルドが知っているというのは自然な事だった。
だが残りの2つについてはアレンには心当たりがなかった。
アレンが鬼人のダンジョンを単独でクリアしたのは、今までで計6回。最初の5回は魔石と角の両方をギルドへと納めたが、最後の1回について納めたのは魔石だけだ。
角は今はエリックの帯剣となったアレンの愛剣を修復するのに使うために納めなかったからだ。
魔石と角の売り上げ金額はおよそ1回につき600万ゼニー。複数回納品しているうちに多少値下がりはしたものの、最低でも550万ゼニーだった。そして最後の魔石のみの売却金額は300万ゼニー。
つまりどう考えても5000万ゼニーには遠く及ばない。
そしてなにより王侯貴族からの推挙などアレンには全く心当たりがなかった。そもそも貴族の知り合いなどいない、とそこまで考えたアレンがふと気づく。
(推挙ってもしかしてライラック伯爵か? いや、でもどっちにしろ納品については額が足らねえはずだぞ)
首を傾げたまま納得のいっていないことが丸わかりのアレンの様子に、オルランドが小さく息を吐き、そして補足を始める。
「20層以上のダンジョンは鬼人のダンジョンのことだ。他にも踏破しているのかもしれんがギルドとしては把握していない。次の5000万ゼニー以上の納品については、鬼人のダンジョンの委託販売分とスタンピードの時のドラゴンパピーなどの分だな。氷漬けになっていたため状態が良い物が多かったが、その分解体に手間がかかっている。それを差し引いた金額にはなるが、かなりの金額が後日得られるだろう」
そこまでオルランドの説明を聞き、こくこくとアレンが首を縦に振る。そういえばイセリアを助けるためにアイスコフィンで出口に向かう直前のドラゴンたちを凍らせたっけと思い出しながら。
イセリアを助け出した後、エリックの事が心配でそのもとへ直行したアレンの頭からは完全に凍らせたドラゴンたちのことなど消え去っていた。ある程度の収拾がついたらすぐに逃げてしまったこともあり、今オルランドに言われるまで欠片も記憶になかったのだ。
「推挙はライラック伯爵からだな。もし君が冒険者として活動するのであれば最大限の助力をしてほしいとの言葉を預かっている」
そう言って言葉を切ったオルランドの顔にはどこか苦々しいものが浮かんでいるようにアレンには見えた。しばらく待ってみたが、それ以上何も言うつもりがなさそうだという事を察し、アレンはその書状を手に取って立ち上がった。
これ以上ここにいても何もないだろうし、出ていった方が良さそうだと考えて。
そしてアレンがオルランドへと背中を見せたその時、後ろでギシッ、というソファーが鳴る音が聞こえた。足を止めたアレンに立ち上がったオルランドが声をかける。
「すまない。君がこの街の救世主である事も、ミスリル級を自ら望んだ訳でもないことはわかっているんだ。そしてある意味で君のおかげで私が生きている事も」
そこで一度言葉を切り、そしてオルランドは目を閉じた。その苦悩に満ちた表情はアレンには見えていない。
「だが……だが私自身の冒険者生活はなんだったんだと、仲間と共に命がけで過ごした日々はなんだったのかと、傷つき倒れていった仲間たちの果てに私がたどり着いたミスリル級の冒険者という立場が軽くなってしまったような気がして、気持ちの整理が未だにつかないんだ。本当にすまない」
まるで泣いているかのような感情の含まれたその言葉に、アレンは何も言えなかった。その気持ちを十分すぎるほど理解できたからだ。
冒険者は危険な仕事だ。安全を優先して仕事を選んできたアレンでさえ死にそうになった経験は一度や二度ではない。
オルランドがミスリル級になるまでの過程でそれ以上のことがあったことは想像に難くない。そしてその中には誰かの死が含まれているだろうことも。
振り返ってなにか言葉をかけるべきか、とそんな考えが浮かんだアレンだったが、少し考えそれをやめる。
自分がもしオルランドの立場だったなら、今は姿を見られたくないだろうと思ったからだ。
しかし、それでもこのまま去ることはアレンには出来なかった。オルランドに背を向けたまま、アレンがその口を開く。
そこから聞こえてきたのは沈み込むような深みを持った低い声だった。
「死線を越える場所は冒険者ばかりではない。たまたま私が冒険者ではなかった、それだけだ。貴殿の人生の重みが変わることなどない。だから自らを誇れ、散った友のためにも」
変えた声でそう言い残し、アレンがギルド長室から出ていく。内心、偉そうに、何様だよ? と自分自身で思いながら。
そんなアレンの思いなど知らないオルランドは、1人残された部屋の中で膝をつき、顔を手で覆い隠して声を殺しながら、溢れ出る涙のままに泣き続けたのだった。




