第41話 褒美の理由
ドラゴンダンジョンのスタンピード防衛成功の立役者たちへの褒美の授与も終わり、ライラックの街の領主であるナヴィーンは自らの執務室へと向かっていた。
ケネスを始めとした冒険者たちに支払った褒美には決して少なくない金額がかかっているが、それでも街に被害の出た前回から比べればその額は少ないと言える。
なにより一番の功労者であるアレンへの褒美が金銭などではなく、しかもナヴィーンの裁量である程度はどうにかなるものであったということもその要因の1つと言えよう。
執務室へとたどり着いたナヴィーンが護衛の騎士を部屋の前へと残し、1人で中へと入っていく。机の上に整然と積まれた先のスタンピードに関する書類の山に少しだけ顔をしかめ、そしてナヴィーンは視線をその手前のソファーへとかけてゆったりと紅茶を飲んでいる人物へと視線をやった。
ナヴィーンが入ってきたことに気づいたその人物は手に持っていたカップをゆっくりと机に置くと、ナヴィーンに対してやわらかく微笑む。
「お帰りなさいませ、ナヴおじさま」
「君にそう言われると、私も年をとったと実感するな」
「ふふっ。それでどうでしたか?」
「ああ。万事、君の思惑どおりに終わった。助言に感謝するよ、イセリア」
ころころと笑うイセリアの対面のソファーへと腰を下ろしながら、ナヴィーンが褒美の授与に関して簡単に伝える。
護衛どころか1人の使用人さえいない状況で疲れた体を休めるようにソファーへと腰を沈めるナヴィーンの姿からは、イセリアに対する信頼がうかがえた。
そんなナヴィーンにイセリアが手ずからナヴィーンの前のカップへと紅茶を注いでいく。その自然な仕草に、ピクリとナヴィーンのまぶたが動いた。
「慣れているな」
「ええ。美味しい紅茶には魔法がかかっているんだと、親切なお方が教えてくださいましたので頑張って覚えました」
そう言ってナヴィーンを意味ありげに見ながらクスクスとイセリアが笑う。イセリアへと苦笑を返しながら淹れてもらった紅茶をナヴィーンが口に含んだ。
淹れてから時間が経過しているためか多少味は落ちているようだったが、イセリアが淹れたその味はナヴィーンに昔を思い起こさせた。
外界から隔離された小さな箱庭の中で使用人たちに囲まれ、何も知らず、だが幸せそうに暮らしていた頃の幼いイセリアの姿を。
「イセリア、王都で何があった? なぜ君が1人でここにいる?」
ナヴィーンがイセリアと再会してからずっと気になっていたことをずばりと聞く。
その質問に静かに微笑んだイセリアの姿は、幼いころの面影を確かに残しながらもそのころにはなかった影をナヴィーンに感じさせた。
そしてゆっくりと、イセリアが口を開く。
「第二王子のシャロリック殿下に……」
「わかった。それ以上は聞かないことにしよう」
「ふふっ、相変わらず判断がお早いですね」
自分が聞くべき話ではないと即座に判断したナヴィーンがイセリアの話を強引に止める。イセリアはその姿に少しだけ笑みを深め、それ以上は何も言わなかった。
しばらくの間沈黙が続き、2人がゆったりと紅茶を飲むわずかな音だけが部屋に響く。内心の苛立ちを表面に出さずに平然と過ごしながら、ナヴィーンは断片的に得た情報から状況を整理していた。
イセリアが口にしたシャロリックとはライラックの所属するエリアルド王国の第二王子の名前だ。王妃ではなく側室の子であるが、その側室も侯爵家の出身であり正式に王家の血筋として認められている王位継承権第2位の人物である。
そしてなによりその者は王家で唯一の勇者の卵であり、王都の騎士団の一部隊を率いる団長の1人としてなかなかの人気を誇る人物でもあった。
しかしそれはあくまで表向きの話だ。実際王家の血を引く勇者の卵は1人ではない。なぜならナヴィーンの目の前にいるイセリアこそまさしくその人物だからだ。
王が手を出したメイドが身篭り、そして生まれたのがイセリアだった。貴族としては末端の士爵家出身であったため、慣例により王の子を身篭ったメイドはある程度の金額を渡されて実家へと戻った。
誰の子供かということを口外しない事を条件に、恩給名義で子供の養育費としては十分以上の金額がずっと支払われ、父親はいないものの母娘でなに不自由なく暮らしていくことができる。そのはずだった。
しかし運命は残酷だった。生まれてきたイセリアは勇者の卵、しかも最大レベルが999というかつてない可能性を秘めていたのだ。
そして母娘は引き離された。イセリアは王宮内の誰も近づかない離れへと半ば幽閉のような形で育てられることになったのだ。もちろん幼いイセリアにそんな意識は無い。その小さな箱庭こそイセリアの全てだったからだ。
余人に知られる事なく、有事の際には都合よく扱える駒の1つとしようという何者かの思惑がそこにあったとしても。
ある程度の思考が整理されたことで、ふとした疑問がナヴィーンの中で湧き上がる。イセリアが放逐された原因についてはある程度の予想がついたのだが、それに真っ先に対抗するであろう人物がいることをナヴィーンは知っているからだ。
ナヴィーンがイセリアと出会うきっかけになったその人は……
「メルキゼレム導師はどうしている?」
「おじい様は宮廷でのお仕事もありますし王都に残られました。箱庭を抜け出る良い機会だと考えよ、まずはライラックに向かいナヴィーンを頼ると良いと」
メルキゼレムという名を聞き表情を和らげながらそう言ったイセリアの言葉に、ナヴィーンは長年の疑問が氷解するのを感じていた。
メルキゼレムは王宮筆頭魔術師というこの国の魔法使いの頂点に長年君臨する半ば伝説の人物だ。この国でも有数の豊かさを誇るライラック伯爵家の息子とは言え、普通であれば相手にされるようなことはないはずなのだ。
しかしメルキゼレムはナヴィーンへと声をかけ、そしてイセリアへと引き合わせ、その出生の秘密を暴露した。
なぜそんなことをしたのか、それがずっとナヴィーンの心に残っていたのだ。
その答えが目の前の状況というわけだった。いったいいつからこのような状況が起こりえると想像して手を打っていたのか、改めてメルキゼレムの深慮に恐れを抱きつつも、そんな人物が信用に足ると自分について認めた事実にナヴィーンは口元が緩むのを感じていた。
その口元を隠していたカップを置き、そしてゆっくりとナヴィーンがイセリアを見つめる。
「頼られる前に、助けられてしまったがな」
「たまたまです。それに私は勇者の卵ですから」
その言葉に、きらきらとした瞳で勇者アーティガルドの話をせがんできた幼い日のイセリアの姿をナヴィーンが思い出す。
思わずその時のように頭へと手が伸びそうになるのをごまかし、ナヴィーンはこほんと1つ咳をした。
「ところで本当にネラに領民権を与えるだけで良かったのか? その功績から考えればそれなりの爵位や褒美を用意する事も出来たのだが」
「はい。ネラ様は自由に生きたいというのが望みで、地位やお金に執着はありませんから。むしろ下手な事をして縛ろうとすれば逃げてしまいます。こっそりと後ろ盾になってあげるくらいが丁度良い関係だと思います」
「そうか。英雄に逃げられるのは困るな」
自信満々なイセリアの言葉に、ナヴィーンが苦笑して返す。
ネラという正体不明の存在の調査を命じていたナヴィーンであったが、それはただ単に不穏分子であるかの確認のためではなかった。そういった存在は、存在している事自体を隠すのが普通なのに、ネラの行動は目立ちすぎていたからだ。
むしろ調査の主な目的は、ネラをどうにかして取り込む事が出来ないかというものだった。
ネラがギルドへと販売を委託したオーガキングの魔石は全て領主であるナヴィーンが手に入れていた。オーガキングほど強いモンスターの魔石が出回ることなどそこまで無く、それを譲る事を条件にいくつかの面倒な交渉をまとめる事に成功していたのだ。
もしネラを手中に収める事が出来れば、その利用価値は計り知れないとナヴィーンは判断していた。
無理矢理にでも繋がりを造るべきか、と画策していたナヴィーンを止めたのはスタンピード防衛の立役者としてやってきたイセリアだった。そしてそれに従いある程度良好な関係を築くことにナヴィーンは成功したのだ。
ネラが自らの領の民となるという確かな繋がりを。
「では、私はそろそろ行きますね。ナヴおじさまも無理をなさいませんように」
そう言って立ち上がり、ちらりと執務机の上に溜まった書類へと視線をやったイセリアに、ナヴィーンが「ああ」と返す。
何も知らない無邪気な少女ではなく、1人の人間として意思を感じさせるまでに成長したその後姿に向けてナヴィーンは声をかけた。
「イセリア、君はネラの正体を知っているのか?」
その言葉に立ち止まったイセリアがくるりと振り返って、満面の笑みを浮かべながらナヴィーンを見返す。
「いいえ、全く。私にとってネラ様はネラ様ですから」
そう言い残してイセリアは執務室から出ていった。
しばらくの間その扉を見つめていたナヴィーンが視線を外し、自らの執務机を眺める。そしてナヴィーンは大きなため息を吐いたのだった。