第30話 イセリアのレベルアップ
しばらくして落ち着いたイセリアが、顔を隠しながらアレンから離れる。その様子からなんとなく見ない方が良いんだろうなぁと察したアレンはサッと後ろを向き、周囲の警戒でもしているかのように振舞った。
(うん、なんだろう。俺が悪いわけじゃないのに気まずいな、これは)
背後でイセリアが何か動いている音を聞きながらアレンがそんなことを考える。弟妹を養うことで精一杯だったアレンは、こういった経験が圧倒的に不足していた。
アレンも女性と付き合った事がないというわけではなかったが、どうしても幼い家族を優先しがちになってしまいそれが長続きした事がなかった。
そして弟妹が独り立ちしたときには既に29歳になっており、一般的には20歳までに、遅くとも25歳くらいまでにする結婚の適齢期を過ぎてしまっており、恋愛対象とは見られなくなっていたのだ。
むろん、同じように結婚していない者がいない訳ではない。独り身の生活を満喫している者も少なくないし、特に命の危険がある冒険者などにはその傾向が強かった。
アレン自身も結婚できなかった事を多少残念には思うものの、そこまで悲観しているわけではなかったのだが、こういった事態に対して無力である事を実感すると思うところがあるのは確かだった。
「申し訳ありませんでした。服を汚してしまいました」
身なりを整え、泣いた形跡をほとんど消したイセリアだったが、その赤く充血した目だけは変わらなかった。振り返ってその姿を見たアレンは、しばし何を言ったらよいのか考えたのだが、良い言葉は全く思いつかなかった。
しかし、何かを言わなければと焦ったアレンは思いついた言葉をそのまま口に出す。
「い、いや。この服はダンジョンの宝箱から発見した汚れがつかない機能がある服だからな。気にしなくて良いぞ」
ほら、汚れてないだろ。と服を伸ばして見せるアレンとそれを見つめるイセリアの間に静かな時が流れる。
あれっ、これってお前の涙は汚れ物だって言ってるのと同じじゃねえか? とアレンが気づき、焦ってフォローの言葉を入れようとする前に、イセリアが噴き出し笑い始めた。
「はい。とっても綺麗ですね」
「そ、そうだな」
満面の笑みを浮かべたイセリアに対して、アレンはぎこちなく微笑み返す事しか出来なかった。
倒したサイクロプスはそのまま放置し、2人は新たなモンスターを求めて歩き始める。最初のころは1人でぎくしゃくしていたアレンも、もうなるようになれと開き直ってからは普通に会話する事が出来ていた。
「ところで今のレベルはどのくらいなんだ?」
「先ほどの戦いでレベル46まで上がりました。ありがとうございます」
「そういう取引だからな」
感謝を述べるイセリアにアレンが手を横に振って気にするなと伝える。
イセリアとの取引でアレンが得たものは魔法大全という魔法書を貸してもらう事だが、その対価としてアレンがイセリアへと提示したのは先日イセリアが行っていたレベルダウンの罠を使用したレベル1への復帰だけではない。
今日、ダンジョンで一緒に戦っている事からもわかるように、その取引の中にはイセリアのレベル上げの補助も含まれていた。
自ら望んだ事ではないとは言え、イセリアは1000を超えるステータスで今までは過ごしてきたのだ。それが突然レベル1の貧弱なステータスになってしまったら、ろくな目にあう事は無いだろうとアレンには容易に想像がついた。イセリアの容姿が整っているからなおさらだ。
だからこそアレンは少なくともイセリアが以前のステータスの値程度になるまでレベルアップの補助を行うつもりであり、そして現在行っている最中である。
「しかしレベルが一気に45も上がるなんて、さすがサイクロプスだな。トレントとは比較にならん」
ニックと行ったライラックのダンジョンでの1日かけてのトレント狩りによるレベル上げの成果を、1レベルとはいえ1体で超えてしまったのだ。これなら案外早くステータスを元に戻せるかもな、と考えながら発言したアレンの言葉に、イセリアが反応する。
「確かにすごいですね。連続でレベルが上がった音が鳴ってびっくりしました。でも上がったレベルは44レベルですよ」
「んっ、でも今46レベルだって……」
「実は私、2レベルだったんです。スライムダンジョンでレベルが上がって、その時も恥ずかしながら泣いてしまったんですけれどね」
頬を赤く染め、恥ずかしそうにしながらそう言うイセリアを見てアレンは可愛いなと思いつつ、そりゃそうかと納得もしていた。
レベルダウンの罠の効果は、そのレベルに上がってから稼いだ経験値が全てなくなり、1つレベルを落とすだけなのだ。
何かモンスターを倒せばレベルが上がると言うのは、それを何度も経験したアレンが最もよく知っていた。そしてそれに気づくと同時にアレンは嫌な予感がするのを感じた。
「そうそう、最初のレベルアップは神様に祝福をもらったんです」
「へー、そうなんだ」
嫌な予感が強まっていくのを感じながらアレンが相づちを返す。そしてニコニコと嬉しそうにしながら続けたイセリアの言葉は、アレンの予感が的中していることを決定づけるものだった。
「全てのステータスが10上がったんですよ。きっと神様が私に勇者の卵として精進せよ、と仰ったのだと思うのです」
「ウン、ソウカモナ」
片言になりながらもなんとか返事を返したアレンだったが、その心臓は早鐘のように響き渡っていた。幸いにもそれがイセリアに聞こえる事はなかったが。
その日は夜にアレンの仕事もあったため、そこまで時間はとれず、イセリアのステータスが元の数値まで戻ることはなかった。
しかしその後、休日を含んだ数度のレベリングを行った結果、イセリアのレベルは飛躍的に伸びていき、遂にはレベル200に到達した。
魔法の方が得意と言っていたイセリアの言葉を尊重して、途中からは魔法で戦う事をアレンが勧めた事もあり、魔法関連のステータスは軽く1400を超えるまでに成長していた。逆にそれ以外のステータスは1000に届いていないのだが。
一般の冒険者としてみればかなりのステータスである。さらに中級以上の魔法を使用できるという長所があるのだから、大抵の事はなんとかなるだろうとアレンは判断した。
「じゃあ、今日で取引は終わりだ。大事な本を貸してくれてありがとうな」
「こちらこそ、ありがとうございます。ネラ様に受けた恩、一生忘れません」
「だから取引だって言っただろ」
「それでも、です」
街へと戻るためにオーガキングを瞬殺し、戻ってきた鬼人のダンジョンの1階層。アレンとイセリアが初めて出会った場所で、真摯に見つめてくるイセリアの瞳に、アレンは困り顔をしながらごまかすように頭をかいた。
ここで気の利いたセリフでもいえれば多少は格好がつくと、アレン自身わかっているのだが、残念ながらアレンには何も思いつかない。
「まあ、恩のことはいいや。それより人生の先達として一言言わせてもらうとしたら、楽しめってことだけ覚えておいてくれ」
「楽しめ?」
「ああ。勇者の卵ってことにとらわれ過ぎてちゃだめだ。悲壮な顔してる奴とか、余裕の無い表情の奴とかに助けてもらったとしたら、助けられた奴はありがとう、よりも申し訳ないって思いそうだろ。だからイセリア自身、人生を楽しめ」
その言葉にはアレンの実感が十分すぎるほどこもっていた。弟妹を育てるために必死だったアレンだが、全てが辛かったという訳でもない。
でもアレンには余裕が無かった。そのせいで弟妹たちに心配されたことは枚挙にいとまがない。
今、その必要がなくなり、そして力を手に入れた今だからこそ、それを改めて実感していたのだ。
わかったような、わからないようなあいまいな表情をしながら少しうつむいたイセリアにアレンは微笑み、そしてその肩を叩いて横をすり抜けていく。
これ以上自分自身で何を言っていいかわからなかったし、結論を出すのはイセリアだからと考えたからだ。
ゆっくりと遠ざかっていく背中をじっと眺めていたイセリアだったが、ぎゅっと胸の前で手を握り締めて顔を上げた。
「またいつか、一緒に冒険してください」
「おう」
片手を上げて、自分の方を見もせずにそのまま去っていくその姿を、その姿が見えなくなってもなおイセリアは見つめ続けた。