第3話 リセマラ
「あら、アレン。少し遅かったわね」
「ああ、ついでにちょっと用事を済ましていたんでな」
日も落ち、仕事を終えた冒険者たちが飲み食いのために酒場で騒ぎ出すころにアレンは自身が所属するライラックの街の冒険者ギルドへと戻ってきた。
ライラックは、世界で最も大きな陸地である中央大陸に存在する国の中でも3本の指に入ると言われるエリアルド王国の南西に位置する都市である。
人口のみを比較すればライラックより多い都市はエリアルド王国の中にいくつかあるが、経済規模で比較するとなると肩を並べるのは王都のほかに2、3しかない、それほどの大都市だ。
そしてライラックは周辺に4つのダンジョンを抱えることもあり、アレンが職員として働く冒険者ギルドも王都に次ぐ規模の大きさを誇っていた。
ギルドのカウンターの向こうには仕事を終えた冒険者たちがお気に入りの受付嬢を目当てに並んでおり、奥の酒場では報酬を受け取った冒険者たちがその日稼いだお金全てを浪費するような勢いで酒を飲んで騒いでいる。
ホールはそんな冒険者たちで溢れて混沌としており、慣れない者にとっては歩く事さえ容易くないほどだった。そんな光景をアレンは少しだけ懐かしく思いながら眺める。
アレンが入ってきたのは冒険者たちが出入りする正面の出入り口ではなく、職員が使っている裏口だ。既に冒険者を辞めたアレンが正面の入り口を使うことはない。
それはさておき、ギルドへと戻ってきたアレンに声をかけてきたのは元受付嬢のマチルダだった。
歳はアレンと同年代の20代後半であり、肩ほどの長さの明るめの茶髪を緩やかにウェーブさせた鼻筋の通った美人である。
アレンが冒険者として登録したほぼ同時期にギルド職員の見習いとして働き始めた、ある意味で同期のような存在だ。
アレンが冒険者だった時代には、そんなよしみもあったためマチルダの受付に並ぶことが多かったのだが、まさか自分がギルド職員になってマチルダと同僚になるとはアレンもついこの間まで思ってもみなかったことである。
「マチルダも遅いがどうしたんだ? もう勤務時間は終わってるはずだろ」
「私はこれ。ちょっと今日はダンジョンから帰ってきた人が多くて」
マチルダがアレンに手に持っていた書類をひらひらと見せる。
それは冒険者たちが持ってきた素材の数や状態を綺麗に書き直し、ギルドへの貢献ポイントを算定する重要な書類だった。
アレンも冒険者時代には知らなかったことではあるが、冒険者への報酬を渡すための書類は一時的な物であり、それは受付嬢から回収されてマチルダのような奥のギルド職員が改めて清書とギルドへの貢献度の算定を行っているのだ。
ちなみに受付嬢はこの作業には全く関わらない。受付嬢の仕事はあくまで冒険者の相手であって評価などの仕事は行っていないのだ。
なぜこんなことをしているかというと、冒険者を早くさばくためである。
書類の作成に時間がかかって待たせるなんてことになってしまえば、下手をすればイラついた冒険者が騒動を起こしかねないからだ。
と言うよりも現在のこの方法でもときおり問題を起こす者が出ているのだから確実に起こると予想できる。
だからこそ報酬の算定だけを最優先で行い、冒険者にお金を渡すだけ渡し、後でしっかりとした書類を作るという流れになっていた。
「それは大変だな。手伝うか?」
「いいわ。後で見直すのも大変だし」
「そっか、悪いな。ああ、今日のノルマ分は置いておく。確か176個のはずだ」
アレンが腰に下げていた袋を取り、机に置く。その袋の中身を確かめもせず、マチルダは秤の上へとそれを乗せて重さを確かめると、アレンに向かってにっこりとほほ笑んだ。
「相変わらずマメね。数なんて数えなくてもいいのよ」
「一応ノルマは1日150個って個数で決まっているはずなんだがな。じゃあ俺は帰るわ」
「お疲れさま。気を付けてね」
「マチルダもあんま無理すんなよ」
片手を上げ、そう言い残してアレンはギルドの裏口から帰っていった。
その後ろ姿が消えるまでそれを見送っていたマチルダはそのブラウンの瞳を細め、少しうれしそうな顔をしながら呟く。
「何か良いことがあったのかしらね。昔みたいな顔しちゃって……。さて、私ももう少し頑張らないと」
固くなった背筋をうーんと伸ばし、マチルダは再び目の前の書類へと取り掛かっていったのだった。
翌日、アレンは朝早くからスライムダンジョンへとやってきていた。もちろんアレン以外には誰も来ているような者はいないのだが、そのいつも通りの様子にアレンはほっと胸を撫で下ろす。
そして一目散にボス部屋にある隠し部屋へと直行はせず、全力で走り回ってはスライムを踏み潰して魔石を回収していった。
昨日の段階でレベルダウンの罠を使用してアレンのレベルは120まで落ちていた。
散々苦労して上げたレベルがみるみる落ちていくのはアレンとしても心に来るものがあったのだが、輝かしい未来への避けようのない犠牲だと考えれば我慢することはできた。
罠はおよそ3分で再設置されるため、1時間に下げられるレベルは最大で20レベル。今のアレンなら6時間それを続ければレベル1まで下げることが出来る計算になる。
現在は朝の6時半過ぎなので、今からレベルダウンの罠を踏み続ければ昼ごろにはレベル1へと戻れるはずだった。
しかし残念ながらアレンはギルドの職員だ。ギルドからのノルマであるスライムの魔石150個の納品は休みの日以外は必ず行わなければならない。レベルが下がればステータスも当然下がるため持久力や速さも落ち、スライムを倒す速度が遅くなってしまう。
だからこそアレンはレベルが高い今のうちに魔石をストックするつもりだった。レベルを上げるためにスライムを倒すのでおそらく足りるだろうと考えていたが、万全を期したのだ。
その日は一日中、食事でさえも歩きながら食べてスライムを倒すことに専念し、アレンは600個を超えるスライムの魔石を手に入れた。
そのうちの160個を何食わぬ顔でギルドへと提出し、準備のための一日が終わる。
いつもであればあれだけ嫌だったスライムの駆除が全く苦ではなかったことに少し苦笑しながらアレンは自宅へと帰った。
そして、準備は整った。
翌朝、アレンはスライムダンジョンへと向かうと一目散にボス部屋にある隠し部屋へと向かった。
もしかして罠が消えているんじゃないかという不安を少し覚えつつ、アレンは隠し部屋の中央へと足を踏み入れる。
赤い魔法陣が地面に浮かび、ピコンと脳内で音が鳴った。
「よしっ、ステータス」
そこに表示されているのは119というレベルだった。
「よしよしよし、あとはこれを繰り返すだけだ」
アレンはひたすらに待った。この待ち時間にスライムを倒せれば今日のノルマを気にする必要もなかったのだが、倒した瞬間にレベルが上がってしまうのだからそれは無理な話だ。
スライムダンジョン自体は真っ暗という訳ではないが、夕闇程度の薄暗さではあるため本などを読むわけにもいかず、アレンはただじっと時が過ぎるのを待った。
昼食を食べる最中もしっかりと3分ごとに罠は踏み続け、11時ごろにボスのヒュージスライムが復活してしまい1レベル上がってしまうということがあったが、アレンはめげずにレベルダウンを続ける。
そして開始からおよそ6時間後……
「やった。俺はやりきったんだ」
アレンが噛み締めるような笑顔を浮かべ、拳を握り締める。
アレンの目の前に表示されるステータスボードに記載されているのは、レベル1という文字と貧弱なステータス。アレンはついに180レベルから1レベルまで落としきったのだ。
「うっ、やっぱり武器が重いな」
腰に提げていた愛用の剣を抜いてみると、まるで大剣を持っているかのようにアレンの腕が震える。
少し前まで軽々と扱えていたはずの剣を満足に振るうことが出来ない、そんなことがアレンにはたまらなく嬉しかった。
「じゃあ行くか」
アレンが剣を床に置く。一応護身用として、いついかなる時も、冒険者を引退しギルド職員になってからも肌身離さず持っていた大切な相棒であるが、今の状況では邪魔にしかならないと考えたからだ。
アレンは部屋の外に出てスライムを踏み潰す。脳内にピコンと音が鳴り、レベルアップしたことを告げた。
「ステータス」
アレンがステータスボードを見る。レベルは2になり、ステータスの数値は一律で7増えていた。
「ダメだ。やり直しだな」
アレンはかぶりを振ると隠し部屋へと戻っていく。
普通ならば一律で7上がると言うのは破格の数値ではあるのだが、アレンに妥協するつもりなど一切なかった。
なまじ全ての項目が10上がる場合があるということを知っているために、それ以外の数値で妥協するなどありえないと考えていたからだ。
隠し部屋へと戻ったアレンはレベルダウンの罠を踏み、アレンのレベルは再び1になった。
そしてアレンはすぐにきびすを返すとスライムを踏みに行き、レベルアップして再びレベル2になった。
上がったステータスは一律で3。ため息をつきながらアレンは再び隠し部屋へと戻る。レベルダウンの罠を踏むために。
アレンはひたすらに戦いとも言えないその作業を繰り返していく。
スライムを踏んでレベルアップすると全てのステータスの項目の数値が一律で上がるとは言え、全てが10上がる確率は低かった。20回に1度出るかどうかといったところだ。
しかしアレンは諦めなかった。
今までの苦労を取り返し冒険者として本当の冒険をすることが出来るかもしれない、それがアレンの決意を強固なものにしていた。
ステータスが全て10上がった時、アレンは小躍りしながらレベルアップの罠を踏みに行った。
レベルアップの罠を踏むとレベルが1上がるが、ステータスは全て1しか上がらない。
しかしそれで良かった。アレンがレベルアップの罠を踏むのはレベルを上げるためだけなのだから。それは本来なら何体ものモンスターを倒さなければならないその時間を省くためだった。
全てが1上がったステータスなど、すぐにレベルダウンの罠を踏んでレベルアップ前の数値に戻るのだから、全く気にする必要はないのだ。
アレンはレベルダウンの罠を踏んでスライムを倒す。そしてたまにレベルアップの罠を踏みに行く。ひたすら愚直にそれを繰り返していった。
その結果、アレンのレベルは徐々にではあるが上がっていった。
そして1か月半後……
「やった。俺はやり切ったぞ」
アレンは普通の人間の上限レベルである500レベルまでレベルを上げ切った。もちろんステータスの伸びは全て10のみだ。つまり全てのステータスの数値が4990上がっていた。
成人のレベル1の者の基礎のステータスは平均100前後であるため、アレンの現在のステータスは攻撃力、防御力、生命力、魔力、知力、素早さ、器用さの全てが5000を超えている。
おそらく人類史上最強の男がここに誕生したのだった。