第34話 ソドモ砦の日々
「情けない姿を見せてしもうたな」
「いいんじゃねえの。知ってるとは思うが、俺だって家族のことになると弱いからな。あんたにとってイセリアは家族ってことなんだろ」
「ふふっ、そうかもしれんのぅ」
メルキゼレムは小さく笑うと、腰に提げていたマジックバッグから地図を取り出し、それをテーブルの上に広げる。
それはこのソドモ砦を中心とした周辺の詳細な地図だった。
「用件は終わったんじゃが、せっかくだし現在の状況を伝えておこうかのぅ。ここに来るまでに北の防壁は見たと思うが、あれはこの地図で見てわかるように北と南を完全に隔離しておるのじゃ」
「マジで切れ目なく海から海まで続いてんのか?」
ソドモ砦の北側の陸地は半島がくの字に突き出ており、その半島の出口を囲うような形で防壁が描かれていた。
たしかにこの方法であれば北からの進行を防げるのかもしれないが、実物を目にしているアレンにとってはよくこんな物を造ろうと決断したなと考えてしまう規模なのだ。
まだ実際に海を見たこともないアレンは驚きを隠せない。
「まあ大部分は王宮魔術師の訓練として造らせたからのぅ。そこまで大変というわけでもないわい」
そんな風に言って笑いながら、メルキゼレムは黒い石を半島の中心部にある森の中に置く。
「魔王はこの場所にいると推測されておる」
「実際に見た奴はいないのか?」
「ここに近づくほど強力なモンスターが群れを成しているんじゃ。無理して先に進んだ者は帰ってこんかった。そういうことじゃ」
魔王に対して偵察を行おうとしているのだ。それに参加した者は一流の斥候だっただろう。そんな彼らをしても姿さえ確認できないほどのモンスターがひしめく場所。
そう言われれば、確かにそこに魔王がいると考えるのが自然だった。
「今はまだ動かずにじっとしているようじゃが、いつかは南下してくるじゃろう。度々こちらの様子をうかがいに来るモンスターどももおるしのぅ」
「俺たちは守備を固めて、本格的な侵攻を待ち伏せるってことか」
「うむ。森の中で戦うのは、奴らの方に利があるしのぅ。それに防壁にはエルフたちが用意したとっておきの魔道具もあるんじゃよ。そういえばアレンも少し関わっておるんじゃったか?」
「なんのことだ?」
その言葉に全く心当たりのなかったアレンが不思議そうに聞き返すと、メルキゼレムはごそごそとマジックバッグを漁り、金属製のミニチュアの弓のような姿をした魔道具を取り出す。
形は弓であるのにそこには弦がなく、魔法陣が刻まれた弓柄の中心部分には半球状に凹みがある。そこには赤く色身の付いた魔石がはめられていた。
その魔石にアレンは見覚えがあった。
「エレメントバットの魔石か」
「うむ。この魔道具は属性付きの矢を放てるのじゃ。しかも魔石の属性を変えればその矢の属性も変わる。特定の属性に耐性を持つモンスターは少なくないし、魔石さえあれば矢や魔力切れの心配もないのじゃ」
「だからあいつら毎日必死にエレメントバットの魔石を集めてたんだな。もちろんレベル上げも目的にしていたんだろうが」
アレンが作ったライラックのダンジョン内の小屋を維持管理してくれていたエルフたちのことを思い出し、アレンが小さく笑う。
アレンは下層に潜るときにしか行かなかったが、アレンがいない日もエルフたちは毎日エレメントバットを倒していたのだ。
魔石一つでどれだけ使えるのかなどはまだアレンにはわからないが、メルキゼレムの自信ありげな様子からして物資は十二分にあるのだろうと推測する。
「魔王たちが来たらこれを防壁の上から一斉に放って応戦する予定じゃ。今はそのための準備をしておるところじゃな」
「待機している間、俺たちはその準備を手伝えばいいと」
「そうじゃ。これから本格的に人も集まってくるじゃろうし、毎日同じ仕事というわけにはいかんじゃろうがのぅ」
「了解。いい情報をありがとうな、おじい様」
「ふん、あの子を振った男におじい様と呼ばれる筋合いはないわい」
「俺は妻帯者だっての。というかそんなことまで知ってんのかよ」
冗談で言った「おじい様」の呼び名に、強烈なカウンターをメルキゼレムから食らったアレンが呆れた視線を向けてソファーから立ち上がる。
伝えられたことは理解したし、これからこの砦でやっていくための指針も固まった。
アレンはメルキゼレムの気遣いに感謝を伝えて離れると、扉のノブを回して外に出ようとして止まる。
その目の前には先ほどのメイド服ではなく、メルキゼレムが着ているのとよく似たローブを羽織ったユーナが少し驚いた様子で立っていた。
「あっ……」
小さく声をあげ止まったユーナのしっとりとした肌から、お湯でも浴びたんだろうと察したアレンが少し気まずそうにぽりぽりと頬をかく。
別に自分のしたことが悪いとはアレンも思っていなかったが、まだ少女と言っても通りそうなユーナに対してやりすぎたかもという考えが頭にちらついたのだ。
「さっきは悪かったな」
「いえ、私こそ申し訳ありませんでした。アレン様のおかげで少し目が覚めました。もうお帰りですか?」
「ああ、用事が終わったんでな」
どこかすっきりとした様子を見せるユーナに、アレンもその表情をやわらげる。
「ではご案内を……」
「いや、大丈夫だ。今はメイドじゃなくて王宮魔術師の一員だろ。そのローブ似合ってるぜ。それじゃあ、また機会があったらな」
「はい。いつか、また」
そう言葉を交わし、アレンは軽く手を振ってユーナの横を通り過ぎていく。適当に歩いているかのように見えて、隙の全く見当たらないその後ろ姿をユーナはぽーっとした視線で見送る。
今まで見たこともない表情をしているユーナを見つめ、メルキゼレムは大きくため息を吐いたのだった。
メルキゼレムとの面会を終え、無事にミスリル級の宿舎へと入ったアレンたちはソドモ砦での生活を始めた。
メルキゼレムの話を元に、アレンたちは防壁の向こうの森を切り開く依頼を受け、それを順調にこなしていく。
ライラックのダンジョンのトレントの伐採をアレンは懐かしく思い出したりしながら、ときおり襲ってくるモンスターたちを討伐する日々を過ごしていた。
時が経つにつれソドモ砦にやってくる兵士や冒険者たちは増えていき、それに合わせるように商人の行き来も多くなっていく。危険は大きいが、今最も稼げる場所がどこか彼らはしっかりと把握していた。
そんなある意味、今この国で最も活気のある砦に三人の男女が足を踏み入れていた。薄紫の特徴的な長い髪を適当に後ろでまとめた女性が背中の両手剣を揺らしながら歩いている。その様子を、隣を歩く小さなエルフがじっと見つめていた。そのエルフは何も言わない。ただ心配そうにその女性を見ていた。
「リーラ。いい加減それやめな!」
「泣かない?」
「いつの話をしてるんだよ、まったく」
ふんっ、と鼻から強く息を吐き、その薄紫の髪をした女性、テッサが、仲間の魔法使いであるリサナノーラの無言の圧を吹き飛ばす。
それでやっと視線を向けるのをやめたリサナノーラとテッサに、後ろを歩いていた人の良さそうな中年の男が話しかける。
「いやー、なんだか昔に戻ったみたいだね。また二人と一緒に戦えるなんて思わなかったよ」
「私はエルフの里で結構鍛えなおしたから大丈夫だが、ルパート、あんたはどうなんだい?」
「僕はそれなりに。まあそこらの斥候にはまだまだ負けてないとは思うよ。僕のようなあまり戦いが得意じゃない者も戦えるような魔道具があるらしいし、きっと大丈夫でしょ」
そう言ってルパートと呼ばれた男がニコニコと笑う。一見すれば愛想が良く温厚そうな姿は、商人かなにかに見間違えそうなほどだった。
ルパートが絶え間なく周囲から情報を得ていることに気づくことができるのは、このソドモ砦に集まった精鋭たちの中でもごく一部だろう。
なにせ二人でこの砦に向かっていたテッサとリサナノーラの前に、まるで待ち合わせでもしていたかのようにルパートは現れたのだ。その情報収集能力の高さは、人並みはずれていると言っても過言ではない。
「ミスリル級の宿舎にはまだ空きがあるはずだ」
「くせの強い奴等を同じ場所に集めているのか。別の場所で野営した方がマシじゃないかい?」
「まあまあ、一度見に行ってから決めればいいさ。リーラもそれでいいだろ?」
「うん。いざとなったらルパートがなんとかする」
「それもそうだね」
なにか問題が起きてもルパートがいれば大抵どうにかなる。過去の経験からそれを理解している二人はあっさりと同意し、その反応を当然のように受け止めたルパートが二人を外に残して冒険者ギルドに入り手続きを済ませた。
受付嬢の宿舎への案内を断り、冒険者ギルドを出たルパートはテッサたちのところへ戻ると宿舎への道を迷うことなく進んでいく。
そしてもうすぐミスリル級の宿舎にたどりつくところで、ルパートはその足を止めた。
「どうしたんだい?」
不思議そうに尋ねるテッサに、ルパートが笑いながら道の先を指差す。そこには斧を片手に談笑しながら歩いてくるテッサにとって見覚えのある冒険者たちの姿があった。
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