第33話 マチルダの決断
コルネリアたちの背を押して帰らせたアレンは、閉まったドアをしばらく見つめていた。そしてゆっくりと振り返りソファーに座ったマチルダを見つめる。
昼間アレンとたくさん遊んだせいか、疲れきっていた様子のレックスはマチルダの膝を枕に眠ってしまっており、その髪をマチルダがすいている。
どこまでも優しい空気の一員になるべく、アレンはレックスを挟み込むようにその隣に座った。
「なにがあったの?」
優しく心配するマチルダの声に、アレンはしばしの沈黙の後に口を開いた。
「今回は七十一階層の探索をしたんだ。白い壁が続く迷路状になった階層でな、探索した限りモンスターはいなかった。ただやっかいなことに通路の壁が現れたり消えたりするんだ。それに気づいたときにはもう手遅れだった。結構色々試したんだぞ。石を置いてみたり、壁に傷をつけてみたり、全力で走ってどこかに脱出路がないかも試したな」
アレンの独白をマチルダは黙ったまま聞く。淡々と話してはいるものの、そこからは確かにアレンの恐怖がにじみでているような気がしていた。
「なんとなく寝るのはまずいような気がして徹夜で探索を続けていたんだが、さすがに限界でな。このままここで死ぬかもしれないって思ったんだ。怖かったよ。だが怖かったのは死ぬことじゃなくって、マチルダに、そしてレックスに会えなくなることがなにより怖かった」
わずかに震えるアレンの頭をマチルダは引き寄せ、自分の頭とこつんとぶつける。レックスがいて動けないが、少しでも自分の存在をアレンに感じてもらえるように。
山のような形を二人でつくり、アレンは深く息を吐いた。胸の中にある恐怖は消えたわけではない。しかし触れたふとももに感じるレックスの体温が、そばで聞こえるマチルダの息づかいが少しずつそれを薄めていくのを感じていた。
「それと同時にふざけんな、って感じで怒りもこみあげてきてな。そこからは記憶も少しあいまいなんだが、最終的には壁を魔法とステッキでぶっ壊して脱出できたんだ」
「そう」
「五十階層のエルフたちにも世話になった。またお礼の品を持っていかないといけないな」
胸の内を話したことで少し心に余裕のできたアレンは、照れくささをごまかすように背伸びをして体を離す。
そんなアレンをマチルダはじっと見つめ、そしてすやすやと眠るレックスに目を落とした。
「ねえ、アレン。このまま攻略は続けるつもり?」
「正直にいえば迷っている。今回は運よく帰ってこられたが、次もそうだとは限らないからな。今回のことで壁の性質に予想はついたからいけるような気もするんだが、そもそも物資の補給で時間がかかりそうだし、どっちにしろしばらく本格的な探索はお預けだ」
アレンが今回五本消費した高級ポーションは、基本的には注文があって初めて作られるものである。いざと言う時に備えて冒険者ギルドや薬士ギルドなどに在庫はあるにはあるだろうが、それが売買されることは基本的にない。
高級ポーションともなると素材の採取から始まり、作製できる者も限られるためそれなりの期間がかかるのが常だ。それを五本ともなると、少なくとも一か月程度はかかるだろうとアレンは予想していた。
肩をすくめるアレンの様子をマチルダは眺め、しばらくの間考え続ける。そして一度小さくうなずくと、しっかりとアレンの瞳を見据えた。
「私は攻略を続けるべきだと思う」
思いがけないマチルダの言葉に、アレンが目を見開いて驚く。マチルダは真剣な表情のままゆっくりとうなずいた。
「もちろんアレンが死ぬなんて嫌よ。ダンジョンにも行ってほしくないと思うときだってあるもの。もちろんアレンが私たちのことを思って、ダンジョン攻略をしてくれているのはわかっているんだけどね」
「悪いな。でもそれならなんで攻略を続けるべきだと思うんだ?」
「勘よ」
「受付嬢としての?」
「そっちはもうすっかり錆びついちゃってるわ。だからこれは私の、アレンの妻で、レックスの母としての勘」
アレンの言葉にマチルダがくすくす笑う。
冒険者を続けているアレンにとって冒険者ギルドは身近な場所であり、そこで働いていたマチルダも自分と同じように感じているんだろうと考えていた。
しかしマチルダはそうではなかった。すでに二年ほど現場を離れ、そしてまた妊娠がわかったことでそれが延びることは決まっている。冒険者との信頼関係が重要な受付嬢には二年という期間でも長すぎた。それ以上となれば受付嬢としての復帰は難しい。
もちろんそれがわかっているからこそ、マチルダは復帰後裏方として働くつもりだった。後輩をフォローしながら事務をこなす、そんな働きを期待してくれたからこそギルドも一時的な休職として取り扱ってくれたのだ。
もう冒険者ギルドには戻らないかもしれない。そんな予感をマチルダは抱いていた。
未練がないといえば嘘になる。これまで受付嬢として勤め、ドゥラレの新支部の受付の取りまとめという立場に抜擢されるほど働きが認められたのだから。
うまくいけば、ライラックという大都市の窓口を統括する立場になれたかもしれない。受付嬢の頂点ともいえる、そんな立場に。
でも、それが本当に自分のやるべきこと、目標にすべきことだと、マチルダは思えなくなっていた。
アレンと結婚して妻になり、レックスを産んで母になった。その二人ともが大きな運命に巻き込まれているようなそんな気が、マチルダはしていた。
だからこそ、妻として、母として二人を支えることが一番大切なのではないかとマチルダは思っていたのだ。
「ねえ、アレン。あなたって基本的にこわがりでしょ?」
「うーん、否定したいところだが、まあそのとおりだな。無謀な冒険者は生き残れねえし」
「そんなあなたが、こんなに怖い、死ぬような目にあっても迷っているって言っているのよ。ならきっと出来るってどこかで確信しているか、攻略しなければならないって予感があるんじゃないかしら?」
「言われてみたらそんな気もするが……」
腕組みして考え出すアレンの頬をマチルダが撫でる。
単独で大昔に攻略されたときの最下層である七十階層を突破し、前人未到の七十一階層に到達しただけでネラの功績としては十分すぎる。
闘技場で得られる新種を含めたモンスターの素材は、ライラックの経済を大いに活性化しており実利の面でも申し分がなかった。
無理する必要など全くない。しかしマチルダはあえてそっと背中を押した。なんとなくだが、それが正しい選択のように思えたから。
「まあアレンもじっくり考えたらどう? コルネリアに時間を与えたように」
「そうだな。そういやコルネリアはどう決断するかな?」
「たぶん聞くことを選択するんじゃないかしら。好奇心の強い子だから」
「聞いて後悔しないといいんだがな」
「どうかしら?」
ふふっと笑いながらレックスを抱き上げ、マチルダがベッドにそっと寝かせる。少しむずがるような声をもらしながらも、レックスは目を覚まさなかった。
マチルダもそのままベッドに入り、ソファーに座ったアレンを手招きする。眉根にしわを寄せていたアレンは、軽く首を振って立ち上がるとベッドに入り横になった。
アレンの頭をマチルダが引き寄せ、その胸にくっつける。心臓のトクトクという音に安堵を覚えるアレンの耳にマチルダの優しい声が届く。
「私はずっとそばにいるから、離れてもここにいるから。だから安心しなさい」
「ああ」
子どもをあやすようにマチルダに背中をリズム良く叩かれ、アレンはいつの間にか眠りに落ちていた。
その表情はとても安らかで、不安などまるで感じさせない子どものような寝顔だった。
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