第26話 闘技場
その後、七十階層までの五階層を一人で戦い抜いたアレンは、目の前に倒れ伏した獅子とヤギの顔に蛇の尻尾を持つキマイラをじっと見つめていた。
しばらくの間油断なくそれを続けていたアレンだったが、ピクリとも動かないことを十分に確認するとゆっくりとその息を吐く。
戦いの前は平らに整えられていたはずの地面は、今は何か所もえぐれて荒れてしまっており、その所々には毒々しい紫色の液体が異臭を放っている。
改めて気づいた匂いにアレンは顔をしかめる。
「はぁ、タフな奴だったな。死んだふりまでしやがるし」
幾度となくステッキを振るい、普通のモンスターであれば貫通するほどの威力をもった突きさえもキマイラの体には傷ひとつつけられなかった。
ただそれはあくまで表面上のことであり、内部にはしっかりとダメージがとおっていたため倒すことができたのだが、その途中でキマイラは何度か死んだふりをしてアレンの油断を誘おうとしてきたのだ。
初めて死んだふりをされたとき油断したアレンは不用意に近づき、尻尾の蛇によって腹に強烈な一撃を食らっている。
壁にまで吹き飛ばされ、砕けた瓦礫にまみれたせいでアレンの姿はすすけている。それを軽く払いながらアレンはキマイラをマジックバッグに入れるために解体を始めた。
「とりあえずマジックバッグに入る程度に適当に切るか。何が必要なのかわかんねえし、とりあえず全部持っていけばいいだろ」
冒険者生活が長いとはいえ、アレンがキマイラと戦ったのは今回が初めてだ。それどころかギルドの資料室でもキマイラについての資料を見たことはなかった。
当然必要とされる素材などわかるはずもなく、それどころかアレン自身は今自分が戦ったモンスターの名前さえ知らないという状態なのだ。
適当に今までの冒険者としての経験と鍛冶や魔道具などを作った経験から、素材として使うならこんな感じかもなという直感を頼りに解体し、次々にアレンはそれをマジックバッグにつめていく。
全てを収納し終えたアレンは立ち上がると、先へ進む通路をしばらく眺め、そしてそれに背を向けて歩き始めたのだった。
罠の階層とはうって変わり、六十六階層から七十階層までの闘技場の階層をわずか半日足らずで攻略してしまったアレンだったがその表情は芳しくなかった。
六十六階層のデュラハンに始まり、空を飛び遠距離から攻撃で翻弄してきたハーピーキング、強力な魔法を使いこなすアンデッドであるリッチ、見上げるほどの巨木で枝を使って逃げ場のない広範囲攻撃をしかけてきたドライアド、そして先ほど戦ったキマイラ。
それら全てのモンスターをアレンは倒すことができた。しかしその戦いは無駄が多いものであり、それがアレンの表情を苦々しいものにしていたのだ。
「今回はまだ余裕があったからよかったものの、本当に実力が拮抗したときのためにもっと早く判断ができるようにならねえと」
アレンが自分の手を見つめながら考える。
家族のために生活費を稼ぐことを目的に冒険者として活動してきたため、アレンは自分の命を守るためにも事前の情報収集を怠らなかった。出会うだろうモンスターについては事前に調べていたし、他の冒険者の話もよく聞いた。
それは冒険者として正しい姿ではある。しかしそのせいで今回改めてアレンが思い知った弱点。
それは、とっさの判断が遅い、というものだった。
もちろん普通の冒険者に比べれば、別段遅いということもなくむしろ早いのだが、テッサなどの歴戦の冒険者を見たことのあるアレンは、そういった経験を踏まずに強くなってしまった自分と比べ、とっさの判断が遅いと結論をだしていた。
特に不意打ちで攻撃を食らってしまったということもそれを後押ししていた。
「とは言え、そう簡単に鍛えられるもんでもないんだよな」
料理する気にもなれず、六十六階層の闘技場前の待機場でごろりと寝転びながらアレンは美味しくない携帯食料を口に運ぶ。
遠慮なく口の中の水分をもっていくそれをもそもそと噛みながら、なにかいい方法がないかとアレンは考えていたが、結局その日はなにも思いつくことはなかった。
仮眠をとって体を休めた翌朝、アレンは気持ちを切り替えた。というよりも、どうしようもないからどうもしないという結論に達していただけだったが。
気分転換のために朝食をしっかり作り、それを食べながらゆったりとアレンはくつろぐ。
昨日から今日にかけてこの待機場でモンスターを見かけることはなかった。
闘技場という戦う場がわざわざ設えられていることから考えても、きっと出ないんだろうなとアレンは推測している。
「ある意味安全地帯だし、エルフがここまで来てくれたら楽なんだがな」
暗闇の階層の手前に立てた小屋は、ライラックのダンジョン探索における休憩場所として非常にありがたいものになっていた。
モンスター対策はエルフたちがしてくれるし、なんなら食事まで用意してくれるのだ。もちろん対価としてアレンは新鮮な食料を持ち込んだりしているが、ダンジョンの中に安心して休める場所があるというのは非常にありがたく、それだけでいいのかと思ってしまうくらいだった。
小屋にいるエルフたちに必要なものがないか聞いたことのあるアレンだったが、彼らは何も要求しなかった。
むしろ小屋を維持しているのはネラのダンジョン攻略を手伝うとの約定に基づくものであるため遠慮の必要はない。それに自分たちを鍛え、ついでに属性付きの魔石を手に入れることもできるので、食料を運んでくれるだけでも十分すぎるくらいだと言われてしまったのだ。
たしかにエルフたちは毎日せっせと暗闇の階層に向かい、次々と襲い掛かってくるエレメントバッドを倒し続けているのをアレンは知っていた。
そのレベル上げの効率の良さは、イセリアがここでレベルを五百まで上げたことからも証明されている。もちろん一人で戦い続けたイセリアほどは早くないが、エルフたちのレベルも順調に上がり続けているだろう。
そう考えるとそれ以上なにも言うことは出来ず、多少食料や酒を多めに持っていくことでアレンは気持ちを返すに留めていた。
ネラのダンジョン攻略を手伝うという約束を考えれば、望めばエルフたちも来てくれるとはアレンも考えている。しかし五十階層にある小屋と違い、この六十六階層ではエルフたちは本当に待機するだけになってしまう可能性が高いのだ。
アレンが見た限り、彼らが得意なのは集団での殲滅戦であって、個の力を必要とする闘技場では通用しないように思えた。
それなのになぜアレンがそんなことを考えてしまうかというとライラックの最下層のあてが外れたからだった。
これまで話に残る限りライラックのダンジョンが攻略されたのは一度きり。現ライラック伯爵家の先祖がその偉業を達成し、その時の最下層は七十階層であったと言われている。
しかし昨日アレンが攻略した七十階層は先に続いていた。つまりどこまで続いているかの指針が消えてしまったのだ。
「うーん、俺が攻略する時だけ二人ぐらいについてきてもらうか? いやそもそも階層がそこまで深くない可能性もあるし、先延ばしするのが妥当か」
とりあえず頭の中を整理して結論を出すと、アレンはゆっくりと体をほぐし始める。昨日の今日ではあるが、アレンはもう一度六十六階層から七十階層までを攻略するつもりだった。
倒すことができたとはいえこれまでと格の違うモンスターとの戦いは非常に有意義であり、なにより自身の強さを把握する良い機会だからだ。
屈伸を終えたアレンがステッキを軽く振りながら歩き出す。
「よし、まずはデュラハンだな。昨日はステッキだけだったし、今回は魔法でもためしてみるか」
そんなことを呟きながら、アレンが待機場から闘技場に向かう。背後でがしゃんと格子の閉まる音が響き、いよいよだとアレンが覚悟した瞬間その目に入ってきたのは天から降るようにして落ちてきた山のような大きさの青色のスライムだった
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