第25話 新たな階層
「だー、終わったー!!」
ゾマルの道具により罠を効率的に解除できるようになって八度目の探索において、アレンはとうとう六十五階層までの地図をつくりあげることに成功した。
もしアレンが独力でしようと思えば一年以上かかったであろう。それがはるかに短い期間で済んだのだから良かったとも言えるが、数か月に及ぶ罠を解除し記録する日々のストレスは大変なもので、それから開放されたアレンの顔はとても晴れ晴れとしていた。
「まだまだ未探索の場所も残っているが、そっちはゾマルの改良型のお試しの時に調べればいいだろ」
誰にともなくそんな言い訳をしてアレンがうんうんと首を縦に振る。ギルドからはなるべく早く地図を作成してほしいとはお願いされているが、しばらくは罠のことなど考えたくないというのが正直なところだった。
目の前の下る階段を眺めアレンが思案する。
ダンジョンに入ってまだ三日目の昼前であり、体力的にも、食料などにも余裕はある。となれば必然的に先に進むという選択肢になるわけだが……
「なんか先に進むごとに面倒な階層になっているような気がするんだよな」
ぽりぽりと頬をかきながらアレンが苦笑いを浮かべる。
暗闇、廃都市、罠。
低階層に比べ、明らかに探索の難易度は上がっている。本来であればミスリル級くらいの実力がある複数の冒険者パーティが組まなければ進めないほどに。
今はまだアレンの規格外のステータスがあれば対応が可能な範囲だ。しかしそれがいつまで続くかはアレンにもわからなかった。
「とりあえず様子見するか。無理そうなら対応を考えればいいし」
レックスの安全が確保された今、そこまで無理にダンジョンを攻略していく必要はない。自分の命を優先しつつ、心に秘める冒険心のままにアレンは新たな階層に足を踏み出した。
階段を降りた先は白くつるつるとした石壁に囲まれた真っ直ぐの通路だった。少し薄暗い床の中央には赤い布が敷かれており、まるで先に行くように誘われているように感じられる。
アレンは注意深く周囲を観察したが罠があるようには見えず、かといってわき道のようなものも見当たらない。
一筋縄ではいかなそうな雰囲気を感じつつアレンが通路を歩き始める。しばらく進むと視線の先に出口を示すかのように光が差しこんでいるのが見え、そしてそこにたどり着いたアレンは不思議そうに首を傾げる。
「勇ある者よ。個の力を示してみせよ、か」
まるで待機場のような小部屋をぐるりと見回し、光の差し込む出入り口の壁に掛けられていた看板をアレンが眺める。
出入り口の先に広がっているのは円形の闘技場だ。先に進めば何が起こるかは容易に想像がつく。
「わかりやすくて好きだぜ。こういうの」
アレンは屈伸などをして軽く体をほぐすと、闘技場に向けて歩き始めた。ニヤリとした笑みをその顔に浮かべながら。
アレンが闘技場に入ってすぐ、ガチャンという音が背後で響く。アレンが振り返ると、出入り口が先ほどまでなかった格子で閉じられていた。
後戻りもできず、助けに入ることもさせない。そんな意思を感じながら、アレンはステッキをくるくると回してその時を待った。
「来たか」
アレンの対面にあった出入り口の格子が開き、ゆっくりした足取りで一体のモンスターが姿を現す。
風格のある黒馬に騎乗した騎士は漆黒の鎧に身を包み、その首元からはゆらゆらとした紫色の炎が立ち上っている。
左脇に抱えられた頭部は鋭い視線でアレンをにらみつけ、右手に掲げた長大な剣を軽々と振るって挑発してみせた。
「こりゃ、今までとはレベルが違うな。デュラハンか。話に聞くその実力見せてもらおうか」
目の前のデュラハンは、これまでアレンが戦ってきたモンスターの中でも有数の威圧感を放っている。油断のならない相手、そうわかっていながらもアレンは自分の頬が緩むのを止められなかった。
シルクハットを取って気取った一礼をし、それを宙に放り投げて頭に戻す。そしてアレンがステッキを構えた瞬間、戦いの火ぶたは切って落とされた。
カツン、カツカツ。
黒馬が蹄を鳴らし、足踏みをする。
冒険者として長く戦ってきたアレンではあるが、馬に乗った相手に対した戦闘の経験は一度もない。どう戦うべきか、そんな迷いがアレンの動きを鈍らせ、それを見逃すほどデュラハンは甘い敵ではなかった。
白い息を吐きながら黒馬が駆ける。数十メートルはあったはずの距離は一瞬にして詰められ、その巨体がアレンの眼前を埋め尽くした。
わずかに黒馬の進路が左に逸れる。その瞬間、アレンの目に入ったのは今にも自分に振り下ろされようとしている長大な剣だった。
「チッ」
ステッキでそれを受け止めようとしたアレンだったが、嫌な予感に横っ飛びしてそれをかわす。
ブォンという盛大な風切り音を響かせ、デュラハンが通り過ぎていく。地面には一文字に新たな亀裂が生えており、そこから紫色の炎がのぼり、ゆらゆらと揺らめいていた。
アレンの額に汗が滲む。
スピードもパワーもこれまで相手取ってきたモンスターとは比較にならない。デュラハンに比べれば、鬼人のダンジョンのボスであるオーガキングなど雑魚といっても差し支えないほどの実力差があった。
「でも見える」
自分を鼓舞するように呟き、アレンはデュラハンを見つめる。まるでアレンが戦う準備を済ますのを待つように、悠然と佇むその姿を。
アレンの心が震える。
レベルダウンとレベルアップの罠を利用し、異常なステータスを手に入れたアレンは、自分の本気を未だに掴みそこねていた。
アレンとしての生活を守るため、力を抑えることには長けた。しかし実力を隠す必要のないネラであっても本気で戦う必要のある相手などどこにもおらず、どこか鬱屈とした思いが心の中にうずまいていたのだ。
アレンが笑う。可能性を秘めた相手に、照準を合わせて。
「頼むから、期待に応えてくれよ」
地面を蹴りアレンが駆け出す。その速さは先ほどの黒馬と遜色なく、その勢いのままにアレンはステッキを黒馬の額へと突き出した。
当たるかに見えたその瞬間、黒馬はひょいっと首を上げてそれをかわし、お礼とばかりにアレンを前足で蹴飛ばす。
翻ったマントに前足が突き刺さる音を背後に聞きながら、アレンは目の前に迫った刃をすり抜けデュラハンの鎧の背中を思いっきりステッキで殴りつける。
甲高い音が響き多少体勢を崩したデュラハンだったが、さしたるダメージはなかったようでその鎧に凹みをつけることすら出来ていなかった。
まるで背後に目でもあるかのように正確に振るわれた長剣をアレンが後ろに飛んでかわす。そして背中を向けたまま頭だけを向けて視線を合わせてくるデュラハンの姿に思わず苦笑した。
「そりゃあそういうこともできるよな」
兜に完全に隠され、デュラハンの表情をうかがうことはできない。しかしアレンにはなぜか、デュラハンがニヤリと笑っているように感じられた。
蹄を響かせ黒馬が駆け出す。ぐるりと円を描くように助走をつけ、アレンに届く数メートル前で黒馬は跳んだ。
アレンの身長よりも高い位置から曲げられていた前足が勢いよく振り下ろされる。しかしアレンは冷静に後ろへと下がってそれをかわし、呪文を唱えた。
「ディグ」
前足の着地地点、そこに出来上がった穴に黒馬の前足がすっぽりとはまり込む。自分の想定していた反発を得られなかった黒馬は大きく体勢を崩し、前のめりになり顔面を地面に打ちつけた。
その顔を踏みつけアレンが駆ける。それを認めたデュラハンはバランスを崩しながらも長剣を振るう。しかしその速度はこれまでと比べものにならないほど遅かった。
アレンは長剣を踏みつけてかわし、そのままデュラハンに肉薄する。
「今回は俺の勝ちだ」
デュラハンの体を飛び越えながら、アレンのステッキが紫色の炎が上がる鎧の首部分に突き刺される。
何か硬いものが砕ける感触とともにステッキを引き抜いたアレンが着地する背後で、デュラハンはその鎧をバラバラに分解させながら地面に倒れ伏したのだった。
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