第36話 限界
すみません。書き上げて満足してしまい投稿を忘れていました。
その二週間後、何度かのダンジョン探索の末にアレンとイセリアは問題の五十一階層に続く階段の前でたたずんでいた。
四十六階層から五十階層までは高原のフィールドであり、モンスターさえ出てこなければピクニックさえできそうなほどの牧歌的な風景が広がっていた。
その分広さはあるものの、溶岩地帯や豪雪地帯を通ってきた者にとってはほっと一息つけるような階層ではあるのだが……
「おーい、大丈夫か?」
「はぁ、はぁ。はい。怪我はしていません」
「疲労困憊って感じだけどな」
ぺたんと腰を地面に落としてしまい、荒い息を吐いているイセリアの姿にアレンが苦笑する。その原因はアレンの目の前でずたずたに引き裂かれて息絶えているこの階層のボスであるファイブテールフォックスのせいだった。
俊敏に動くうえに魔法を自在に使い、さらには後衛であるイセリアを隙あらば狙おうとする頭の良いボスであり、その対応をするためにイセリアはかなり無理をしたのだ。
むろん前衛であるアレンが全てを防ごうと思えば出来ないことはなかった。しかし強くなるために最低限でお願いします、というイセリアの希望にアレンが応えた結果、このような状態になってしまったのだ。
(うーん、そろそろ厳しいかもなぁ)
なんとか息を整えようとしているイセリアを気にしながら周囲を警戒していたアレンの頭にそんな考えが浮かぶ。
この高原エリアは環境が悪くない代わりに出現するモンスターの強さは今までと比べて段違いだった。むろんアレンであればまだまだ余裕で対処できる範囲ではあるのだが、それに比べてイセリアの対応は後手に回ることが多くなっていたのだ。
(経験不足の上にステータスも足らなくなってきた。今のところ魔法の種類の多さでカバーできているが、このまま進むのは危険だな)
今までの経験からアレンは冷静に判断を下す。
一般のモンスターとは隔絶した実力を持つボスと戦って無傷でいられたことから考えても、もう少々であればイセリアは問題なく探索をすることができるだろうとはアレンにもわかっている。
しかし冒険者として長く生きたいのであれば、そこはもう引き返すべき場所なのだということを幼いころから冒険者として生活してきたアレンは誰よりも知っていた。
「じゃあ今回はこれで帰るか。しばらくはこの辺りでレベル上げすることになりそうだし、そのための準備もしておいた方がいいだろうからな」
「っ、私はまだ行けます!」
ハッ、と顔を上げ、立ち上がろうとしたイセリアの額をアレンが軽くこづく。出鼻をくじかれたイセリアはバランスを崩し、再びその腰を地面へと落とした。
非難の目で見つめてくるイセリアにアレンは首を横に振ってみせる。
「駄目だ。今のイセリアにとってここが限界だ。余裕のない探索はしない。それが冒険者として最も大切なことだってのは最初に教えたはずだぞ」
「それは、そうですが……」
諦めの悪い言葉を漏らしながら、イセリアが悔しそうに顔を歪ませる。その姿にアレンは違和感を覚えた。
元々勇者アーティガルドに憧れているイセリアが強くあろうと努力していたのは知っている。アレンに教えを請い、それだけでなく自ら勉強して実践し、着実に実力をつけていく過程をそばで見ていたのだから当然だ。
だが今のイセリアの姿は……
(なんか焦っているような感じがするんだよな。ちょっと危ういというか)
いつもと違うイセリアの姿を眺めながらアレンは眉根を寄せる。きっと今までのイセリアであれば悔しそうにしながらも現状を理解し、アレンの言葉に従ったはずなのだ。
その原因が踏み込んでよい問題なのかどうかを考えて少し躊躇したアレンだったが、そのまま放置した場合取り返しのつかないことになるかもしれないと覚悟を決めた。
「なあ、なんかあったのか?」
「いえ、特になにもありませんよ」
「その割に目を逸らすのはなんでだろうな?」
「ネラ様が見つめてくるので、私が周囲の警戒をしなくてはと思いまして」
アレンはしばらくの間じっとイセリアを見つめていた。視線を合わせず、周囲を警戒するように振舞う彼女を。
アレンが視線の圧を強める。それは常人であれば逃げ出したいと思わせるほどに鋭いもので、それを向けられたイセリアの頬に先ほどまでの疲れから来るものとは違う汗が伝っていく。それでもイセリアは視線を合わせようとしなかった。
その強情な態度に、アレンは大きく息を吐いて視線を外した。
「はぁ、言いたくないなら別にいい。誰にでも事情はあるもんだ。でも無理だけはすんな。一時はよくても、それを続ければいずれ死ぬ。冒険者ってのはそういうもんだ」
「はい。感謝します」
力強い瞳で見返してきたイセリアに、こいつ絶対わかってないだろ、と思いつつもそれ以上アレンは言葉を続けなかった。
イセリアが抱える問題は、アレンにも踏み込ませたくない領域にあるのだ。であるならばアレンに出来るのはイセリアの願いをなるべく早く、安全に叶えるための手助けをするくらいしかない。
手を出すとしたらイセリアが助けを求めた時だけ。しかしいつでも助けられるように覚悟だけはしておこうとアレンは心に秘めた。
「仕方ない。俺がちょっと偵察してくるから、イセリアはここで待機していてくれ。可能性は低いだろうが対応できないような危険が迫ったなら大声で叫べ。すぐに駆けつける」
「わかりました。ネラ様が大丈夫だと思ったら、後で私も連れて行ってくださいね」
「暗視できる装備はまだ届いてないんだろ?」
「ナブおじさまによると一か月以内に届くらしいです」
「じゃあどっちにしろ本格的な探索はそれ以降だな」
妥協点を提示したアレンに、少しだけ要求をイセリアが付け加える。それに苦笑して返しながらアレンはイセリアに背を向け、階段を降りていった。
その姿が完全に消えるまで見送ったイセリアがゆっくりと立ち上がる。少し膝が震えることを悔しく思いながら、それでもイセリアは真っ直ぐに顔をあげた。
「強く、もっと強くならなくちゃ」
自分に言い聞かせるようなその言葉はアレンには届かず、誰もいない高原の野へと消えていった。
一方階段を降りて五十一階層へとたどりついたアレンは、その異様な光景に圧倒されていた。
「地図を作るつもりだったんだが……これ必要あるか?」
アレンがそういうのも無理はない。アレンの目の前には漆黒の床が広大な円状に広がっており、その空間から別の場所に行くような通路など確認できる範囲では陰も形もなかったからだ。
まだ詳しく調査してみなければわからないが、この階層はこの一部屋だけなのではないか。そんな予感がアレンの頭に浮かぶ。
「とりあえずそれは後々確認するとして、まずは現状把握といくか?」
そう呟いたアレンがマスクへと手をかけそれを外す。一瞬にしてアレンの視界は暗転し、想像以上の暗闇にアレンは即座に気配を察知できるように気を張った。
すぐに襲い掛かられそうな範囲にモンスターがいないか確認したうえで外したこともあり、静かに時が過ぎていく。その中でじっとアレンは暗闇を見つめ続けていた。
「あー、しばらくしたら目が慣れるかと思ったんだが、マジで何も見えないな。ここまでは資料どおり。んじゃ、次は『ライトサークル』」
資料と現実を一致させるためにアレンが調査を続ける。
アレンが唱えた魔法に従い円形の光が暗闇の中に浮かび上がり、その下にいるアレンと階段を照らした。その次の瞬間、アレンの視界に入ったのは様々な色をした丸い毛玉にこうもりの羽が生えたようなモンスターが大挙して押し寄せてくる姿だった。
いくつもの毛玉が、まるで一つの生き物であるかのようにうねうねと動くその姿は、モンスターに見慣れているアレンといえど生理的な嫌悪感を覚えるほど醜悪なものだった。
「げっ、『ファイヤーボール』『ファイヤーボール』『ファイヤーボール』」
アレンが本能の赴くままにファイヤーボールを放ち、巨大な火の玉がモンスターたちを焼き尽くしていく。その多くは黒い塊となって地面に落ちていったのだが……
「うおっ、危ね!」
ファイヤーボールの火の玉から、その炎を身にまとったまま飛び出してきたそのモンスターを間一髪でアレンが避ける。
アレンとしてもけっこう本気で放ったファイヤーボールだったのでまさか抜けられるとは思っていなかった。しかし炎を纏ったまま飛び続けるモンスターは今もなお元気にアレンに狙いを定めていた。
「うーん、威力は十分だったと思うんだが」
飛び回るモンスターからアレンは一瞬だけ視線を外し、地面に黒焦げになって転がるモンスターを眺める。
そして飛び回るモンスターを改めて眺め、共通点があることを発見した。飛んでいるモンスターの体毛は全て赤であるということを。
「ある属性のみに耐性を持っているモンスターか? もしそうなら暗闇の中の一瞬でそれを判断するのは難しいだろうな」
そんなことを呟き、考えながらアレンが別の魔法を次々と残った赤い体毛のモンスターへと放っていく。
アレンの魔法を浴びたモンスターは程度の差はあれどあっさりと倒されていった。それはアレンの推測が正しいと示しているかのようだった。
「ははっ、魔法使いにとっても訓練になりますって情報を追加しとくか? いや、そもそも多属性魔法を使える者自体が希少だからなぁ。おっと、第二陣か」
先ほど一掃したはずなのに再びやってきたモンスターの大群を、アレンはため息混じりに再び殲滅しようと手を掲げ、そしてふと思い立つ。
「うん、イセリアのレベル上げにぴったりだ。高原エリアは強いけど点在していて効率が悪いしな。よし収穫はあったし帰ろう」
上機嫌になったアレンが幾種もの魔法を放ち、モンスターの大群を再び殲滅する。そしてそのままくるりと身を翻すと、イセリアの待つ五十階層へと戻っていったのだった。
お読みいただきありがとうございました。




