第32話 指名依頼
スラムの地下道の改修を一日でさっくりと終わらせ、夜の闇にまぎれてアレンは街の外へと出ると森の地下室へとやってきていた。
ネラの衣装から着替えて軽く肩をぐるぐると回すと、アレンはマジックバッグから取り出したペンを紙に走らせていく。
「たしかここで曲がってしばらくして合流したから……」
そんなことを呟くアレンのペンは止まることなく、紙には着々と地図が描かれていく。もちろんそれはアレンが今日改修したスラムの地下道のものだ。
しばらくしてそのペンが止まり、出来上がった地図を掲げて記憶と違いがないことを確認したアレンが満足げにうなずく。
「まっ、こんなもんだろ。うーん、こうしてみるとやっぱり警戒されていたな」
出来上がった地図で見る地下道は、正規と思われるルートを通ればなんの問題もなく目的地へとたどりつけるような構造だった。ただそれから外れてしまうと迷路のようになっており、下手に迷い込んでしまえば脱出は困難になるように造られていた。
アレンはそんな迷路のような路地を何度も繰り返し通らされていた。初めての地下道で目標物もない、そんな場所でそんなことをされれば方向感覚を失い、自分がどこにいるかなど判らなくなってしまうだろう。
ただアレンにはダンジョンでの探索の経験と、並外れたステータスがある。修復しつつ脳裏で地図を完成させていくことなど造作もないことだった。
「おそらくこっちはネサニエルの本拠地で、こっちが街の外への脱出路ってところか」
書き記した地図上でぽっかりと空いた2つの空間に、アレンが文字を付け足していく。とは言え確証はないため、断定はしていなかったが。
とりあえず協力の対価である地下道の改修については一通り終わっている。これ以上地図に付け足すことはないだろうと考えたアレンは、出来上がった地図を何枚か書き写すとネラの衣装の入ったマジックバッグへと一枚入れた。
「さて、そろそろいい時間だろうし帰るか」
マジックバッグを棚へと置き、アレンが地下室から地上へと戻っていく。まだ暗く人気のない森へと出たアレンは穴を埋めるとその痕跡を念入りに消した。
そして森を散策していくつかの薬草を採取すると日の出と共にライラックへと戻り、その足で冒険者ギルドへと向かう。
たどり着いた冒険者ギルドはまだまだ冒険者が残っており、その雑多な様子を眺めながらアレンはあくびを噛み殺した。
(あー、ちょっと早かったな。あとにするか? いや、でもやっと帰ることができるんだからゆっくりしたいし、仕方ねえか)
少しだけ後悔しつつ、アレンは冒険者が数人並ぶ列の最後尾へ向かう。ネラのときにあったような面倒事が起きないといいな、というアレンの願いが通じたのかどうかはわからないが、しばらくしてなにごともなくアレンの順番がまわってきた。
「おはようございます、アレンさん。お疲れのようですが大丈夫ですか?」
「そっちもお疲れさん。別に体は大丈夫なんだが、最近自分が冒険者なのか薬士なのか悩むくらいにポーションばっかり作ってるから思うところがあってな」
「はははっ、でもギルドとしては本当に助かっていますよ。最近怪我をする冒険者が増えていますし」
半ば本心のアレンの冗談に、受付嬢が苦笑いを浮かべる。そしてアレンから受け取ったポーション納品依頼の完了証を受け取ると後ろに座るギルドの男性職員へと手渡した。
これであと数分もすれば報酬が支払われるはずであり、やっと帰ることができるとほっとしていたアレンに、戻ってきた受付嬢が話しかける。
「ポーションがもっと安くなれば、新人さんでも気軽に使えるようになるんですけどね」
「まあ技術料込みだしな。安価なもぐりのポーションなんかもあるが、薬草をそのまま食った方がマシな出来のものも多いし」
暗に新人に作りかたを教えてくれませんか、という意味が込められていそうなその話題をアレンはにこやかに笑って受け流す。
時間に余裕があれば教えることはやぶさかではないのだが、そもそも今はポーションの作り手が不足しているためにアレンが作ることが歓迎されているだけなのだ。それが解消されれば、むやみに製法を広めるのは薬士ギルドと冒険者ギルドの間の確執になりかねない、そうアレンは考えた。
「それよりそっちは怪我の原因について対応しないのか?」
「いちおう動いてはいますよ。もうすぐ応援が来るらしいです」
「へー、じゃあ俺も冒険者らしい生活に戻れるかもな」
応援の効果がありすぎてポーション作製の依頼が終わってしまうと少し面倒だななどとアレンが考えていると、アレンの言葉に笑っていた受付嬢の袖を隣に座っていた受付嬢が引っ張りなにかを手渡す。
受け取った書類に口を小さく開いて驚き、隣の受付嬢に「ありがとう」と感謝を伝えた受付嬢がアレンに向き直る。
「こほん。アレンさんに指名依頼が来ています」
「ごまかし方が雑すぎるだろ。完全に忘れていたよな」
「大丈夫です。ギルド職員はいわばパーティ。私が忘れていても他の誰かがフォローしていく。それが組織としての強みです」
自信満々にそう宣言する受付嬢だったが、その頬に汗が流れていくのをアレンは見逃さなかった。そして隣の受付嬢が、若干鋭い視線を彼女へと向けたことにも。
きっと圧倒的にフォローされることの方が多いんだろうなぁ、と思いながらもアレンはそれを口に出すことはせずに続きを待った。そんなアレンの態度に、自分の主張が通ったと考えた受付嬢が口早に続きを話す。
「ミスリル級冒険者であるネラ様からの依頼です。依頼内容の詳細はこちらに。この依頼は複数に出ており、断ったとしてもペナルティ等は発生しませんのでご安心ください」
そう言って差し出された書面をアレンが確認していく。その内容は当たり前だがアレンがネラとして依頼したものであり、確認するまでもなくその全てを把握していた。
しばらく文字を追って時間をかけたアレンが顔を上げる。
「了解。引き受けるよ」
「えっ、本当にですか?」
「いや、なんだよその反応は?」
「いえ、冒険者らしくない依頼でしたし、アレンさんは断るかと。他の金級の冒険者さん二名には既に断られていますし」
「だろうな」
受付嬢が伝えた予想通りの言葉にアレンが苦笑いを浮かべる。ネラの指名依頼の先として鉄級だけでなく、銀級や金級といった上位の冒険者もいたのだ。しかしその大多数は断るだろうとアレンは踏んでいた。
もちろんアレンが報酬として用意した額は相応のものであり、決して少ないというわけではない。しかしそれでも、それほどの冒険者ともなれば普通にダンジョンを攻略した方が儲かるのだ。
なによりそのレベルの冒険者ともなると、上位の冒険者と言うことにプライドを持っている者が少なくない。そういった者は雑用のようなこの依頼を敬遠するだろうとアレンは予想していた。
少し首を傾げて不思議そうにする受付嬢にアレンは笑みを浮かべながら言葉を返す。
「ネラは街を救ってくれたからその恩返しだな。下手なやつがスラムに入って被害が出るのも嫌だし、なにより俺の実家も近いからスラムが荒れたら困るしな」
さらさらと受注のサインを書いたアレンが、それを受付嬢に手渡す。それを受け取りアレンを見つめながらそのままボーっとしていた受付嬢の脇に、隣の受付嬢がにこやかに笑いながら指を突き刺す。
思いのほか深く入ったのか脇を押さえて涙目になっている受付嬢の姿にアレンは苦笑し、そんなアレンに対して隣の受付嬢が申し訳なさそうに頭を下げる。それに対してアレンが手を振って気にするな、と伝えていると、痛みから回復した目の前の受付嬢が顔を上げた。
「では手続きさせていただきますね。それにしても皆がアレンさんみたいだったら、平和なんでしょうね」
「それはどうだろうな?」
受付嬢の発言の意図とは違うと理解しつつも、アレンの脳裏には現在の桁違いのステータスを持った存在が何人もいる光景が浮かんでいた。
ありえないことだがきっと平和ではないだろうな、そんなことをアレンが考えている内に受付嬢は依頼受注の手続きを終え、それとほぼ同時にアレンが受け取る報酬を持った職員が戻ってきた。
「ちょうど良く報酬も来ましたね。では衣装等が届き次第、また連絡させていただきます。お疲れ様でした」
「今度は忘れるなよー」
「忘れませんって!」
報酬を受け取ったアレンはひらひらと右手を振りながら去っていく。愛するマチルダとレックスのいる屋敷に向かって軽い足取りのままに。
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