第31話 取引の対価
イセリアと探索の約束を終えたアレンは、世間話などをすることもなくそそくさと部屋を出ていった。
帰ってきたばかりだし荷物の整理があるだろ、とイセリアには伝えたアレンだったが、長時間宿で二人きりという状況があらぬ誤解を招きかねないと内心焦っていたのだ。
本心としてはすぐにでも屋敷に帰って、マチルダにこれまでの経緯を報告しておきたいところだったがあいにく今は昼だ。
ネラの姿をしており目立つアレンを尾行するのはたやすく、着替えるために森にでも行こうものならその相手に隠し部屋の手がかりを与えかねない。
しかたなくアレンはやらなくてはいけないことを先に済ませておこうとスラムの方向へと足を向けた。
スラムの中心街に向けて堂々と歩を進めていくアレンだったがその進行を妨げるものはいなかった。
もちろん警備している者がいなくなってしまったわけではないのだが、アレンに対してちらりと視線をやるくらいで、問いかけすらする様子もない。
(動きが早いな。既に末端まで指示がいきわたっているとは。ある意味安心だが、やっかいでもある)
感心しつつも心を引き締めたアレンは、昨夜来たばかりの地下へと続く階段を降りていく。そして昨日アレンが蹴り壊した扉が既に新しいものと取り替えられていることに苦笑しながらその扉を開けた。
しっとりとした光に照らされたその酒場は、けっこうな人数が集まっていた昨夜とはうってかわり、静けさに包まれている。そこにいるのは椅子に座った屈強な大男一人であり、ネサニエルの姿はどこにもなかった。
軽く首を左右に振って周囲を確認するアレンに、立ち上がった大男が声をかける。
「ネサニエル様はいない。俺が案内するように言いつけられている。ついてこい」
それだけを言うと、大男は酒場の奥へ向かって歩き出した。アレンより頭一つ分ほど高いその大男の広い背中を追って、アレンもそのあとについていく。
そしてカウンターの奥にある調理場にたどり着いた男は部屋の片隅にあった食料棚を掴むとそれをずらしていく。その背後には人が一人通れるほどの穴がぽっかりと空いていた。
「ここだ」
穴の中に用意されていたランタンに火を入れ、その内部を大男が照らしてみせる。マスクの効果で既に明るく見えているアレンにとっては必要のないことなのだが、案外気づかいのできる奴だなと感心しながらアレンはその穴を覗き込んだ。
入り口こそ狭く、先の大男であれば頭をかがめなければ入れないほどだが、その奥に続く通路は二人が普通に並んで歩けるほどの広さがあった。
どこか湿った土っぽさを感じさせる空気が漂い、手掘りである証拠ともいえる荒々しい壁面には補強の意図か木組みの枠が設置されている。しかしその出来は、大工仕事をかじったことのあるアレンにしてみればお粗末なものだった。
(噂は本当だったな)
提案を受け入れた段階で半ば証明されたようなものだったが、改めて自分の目でこの地下通路を確認したアレンが苦笑いする。
悪い子はスラムの地下に引きづりこまれて、帰ってこれなくなるんだよ、だとか、スラムには一部の住人にのみ知られた広大な地下通路があり、それを非常用の脱出路としている。兵士や騎士がスラムを掃討できないのは、しようとしても主要な者に逃げられてしまうからだ、など地下通路に関する様々な噂や憶測をアレンは知っていた。
その多くは子どもに言い聞かせるための教訓に使われており、スラムに近い場所に住んでいたアレンも幾度か弟妹に言い聞かせたこともあるほどだ。
しかしその本物を実際に見ることになろうとは、そんな感慨にふけりながらアレンはじっくりと地下通路を眺め、触って確かめ始める。その間大男はアレンが見やすいようにランタンを掲げ続けていた。
しばらくしてアレンは紙を取り出すとさらさらとそこにペンを走らせる。そしてそれを大男に差し出した。
『結構頑丈だが、もろいところもありそうだ。崩れたりしたことはないのか?』
その問いかけに大男は首を縦に振った。
「ある。いくつかの通路が使えなくなっている」
その返答にアレンは大きく息を吐いた。
それは既に起きてしまったことでいまさらアレンにはどうしようもない。しかしそれが起きた時、きっとその上にあったはずの住居は甚大な被害を受けたはずだ。下手をすれば死人が出たかもしれない。
だがそれはスラムの支配者であるネサニエルにとってはどうでもよいことなのだろう。むしろ地下通路が使えなくなったことの方を嘆いたかもしれない。そんな想像がアレンの頭をよぎった。
(取引で行うとはいえ、せめてこれからはそんなことが起きないようにしねえとな)
少しの間目を閉じ、アレンが大きく息を吐く。
「モールディング」
そう呟いたアレンが壁面へと手を置くと、その付近の通路、壁面、そして天井がゆっくりとうごめき形を変えていく。大男が驚き目を見開く中それは進んでいき、その動きが完全に止まった時に残されたのはまるで定規で測ったかのように綺麗に真四角に整えられた通路だった。
アレンはその出来栄えを確認するように壁をこんこんと軽く叩く。硬そうな少し高めの音が響き、その音色にアレンはうなずき先へ進もうとしたのだが、肩にかかった手によってそれは止められた。
「なんだ、これは? 何が起きた?」
振り返ったアレンに大男が困惑顔で視線を左右に向けながら尋ねる。強面な男の困った表情はどこかコミカルで思わず笑いそうになってしまったアレンだったが、すんでのところで口を引き結んで我慢した。
(そういえばこの魔法ってほとんど一般には知られていなかったな。驚くのも当たり前か)
生家や森の地下に隠し部屋を作る時にこのモールディングという魔法を多用したため、少し世間と認識がずれていたことにアレンは気づく。
そしてなにをしたか大男に伝えるためにさらさらと文字を書き始めた。
アレンが使用したモールディングは物の形状を変化させる魔法である。
貴族や大商人などの邸宅を建設する時に地盤を均して固めたり、軍が簡易の基地や通路を作るときに補助的に使用されている。
攻撃魔法ではないため一般庶民にとって魔法を使う存在として身近な冒険者で覚えている者はほぼおらず、実際に目にする機会などほぼない魔法だった。
『モールディングという魔法だ。整地や補強などに使える』
「それは俺たちでも覚えられるか?」
その質問にアレンは首を傾げる。覚えられるか、覚えられないかということであれば、魔法の素質がありレベルアップした冒険者などであれば覚えることは可能だ。
しかし……
『効率が悪いぞ。形状を変える物によっては膨大な魔力が必要になるし、それが広範囲ともなれば言わずもがなだ。本職の魔法使いでやっと使い物になる、そんな魔法だ』
「あのファイヤーボールが出せるくらいの実力がなければ無理ってことか?」
肩をすくめて返したアレンの反応に大男は押し黙ってしまう。自分に直接向けられたわけではないのに死を意識せざるをえなかった昨日の恐怖を大男ははっきりと覚えていた。
そんな魔法を使う者が、効率が悪いというのだ。再び作業を始めたネラのように使えればその有益性ははかりしれないところだが、それは馬鹿げた夢でしかないと大男は理解していた。
この大男はネサニエルの右腕と言えるような存在だった。むろんいくつもある右腕の中の一人ではあるが、その中でも腕力だけでなく知識、判断力共に優れた稀有な存在だ。
ネサニエルからの信頼も厚く、だからこそネラを案内する役を任されたのだが……
「ネサニエル様。俺の力ではネラの実力を測ることさえできそうにありません。この男は規格外です」
まるでただ歩いているだけのように、真っ暗な通路を整地しながら進んでいくネラの背中を眺め、大男が大きく息を吐く。
自らの実力が不足していることを誰よりも知りながら、それでも大男は少しでも何か有益な情報を持ち帰るためにネラを追いかけたのだった。
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