第2話 レベルダウンの罠
その隠し通路はアレンの持っている地図には載っていないものだった。
「うわっ、もしかして調査漏れか? 今回変わったって可能性もあるが判断できねえな」
アレンがゆっくりと慎重に歩を進める。
数メートルほど先に部屋があるのは外から見てわかっていた。しかし地図に載っていない、しかもかなりわかりづらく隠されていた通路なのだ。その先への期待感はあるものの、それと同時に慎重にいかなければとアレンは自らを律していた。
未知の場所へと行くときは慎重すぎるくらいがちょうど良いのさ。
それはかつてアレンに斥候のイロハを教えてくれた斥候専門の冒険者が口を酸っぱくして言っていたことだった。
隠し通路を進んだアレンはその奥にあった部屋の入口までくると、中へと入らないようにしながら慎重に左右を見回した。
見たところ罠の類はなく、そして宝箱もなかった。
「期待させるだけさせてスカかよ。はぁ~。いや、スライムダンジョンに期待なんかしてなかったけどな」
誰に対する言い訳かよくわからないことを呟きながらアレンが複雑な表情をしながら部屋へと入る。一応部屋の四隅を歩き回り、壁を叩いたりしてみたがそれ以上隠し通路があるようなことはなかった。
ふぅ、と息を吐いたアレンがそれ以上壁を調査するのをやめ、部屋の中央へとさしかかった瞬間、足元に先ほどとは違う赤い魔法陣が現れた。そして再び脳内にピコンという音が鳴り響く。
アレンにとって初めて経験する罠ではあったが、心当たりのあったアレンはその結果を見る前からがっくりと肩を落としていた。
「ステータス」
アレンの目の前に表示されたステータスボードに書かれているレベルは167。
先ほどレベルアップの罠で上がったはずのレベルが元へと戻っており、レベルアップに伴って全て1上がったステータスもレベルアップの罠を踏む以前の数値へと戻っていた。
「はぁ、レベルダウンの罠まであるのかよ。意味ねぇ~」
アレンの愚痴がその小部屋に響く。
レベルダウンの罠はその名の通り、罠を踏んだ時のレベルになってから稼いだ経験値がすべて消え、さらにレベルが1落ちてしまうという凶悪なものだった。
今のアレンで説明するならば、レベルアップの罠を踏んで168レベルになった以降に倒してきた数体のスライムから得た経験値がなくなり、レベルが167になってしまったということである。
ただ1レベル下がって167レベルになったとはいっても、168レベルに上がる直前まで経験値は溜まっている。つまりなにかモンスターを倒せばすぐに168レベルには戻れるのだ。
実質、罠を踏んだ時のレベルの間に稼いだ経験値を全て失ってしまう罠と言っても良いかもしれない。
こういった性質からレベルアップにかかる経験値が少ない低レベルの間であれば被害は少ないのだが、レベルアップのために多くの経験値を必要とする高レベルの冒険者たちからは蛇蝎のごとく嫌われている罠である。
なにせ、次のレベルアップの直前に踏んでしまえば苦労して稼いだ経験値が全てパアになってしまうのだから当然だ。
しかもこの罠もレベルアップの罠と同様、初見では発見できない。つまり情報がなければ避けようがないのだ。
「はぁ、帰るか」
アレンは1つため息を吐くとその部屋から外へと出た。ボスは倒すと24時間は出てこないためヒュージスライムと再び戦う必要はなかった。先ほどまでは多少マシな顔になっていたアレンだったが、既にダンジョン改変前のやる気の感じられない表情に戻ってしまっていた。
アレンがとぼとぼとした足取りで出口を目指す。なまじ最後の隠し部屋への期待感が高かったため余計に疲れてしまったのだ。
「とりあえず罠の調査は終わったけど、モンスターの発生位置はまだだしなー。一応報告だけしておいて地図の完成は後日だな」
そんなことを呟きながら歩いていると目の前に一匹のスライムが現れた。
特に何も意識することなく半ば習慣のように踏み潰し、その魔石を拾おうとしたアレンだったが脳内に響いたピコンという音にその動きを止めた。
「そういえばレベルダウンしたんだったな。へぇ、スライムでも上がるなんてすげえな。ステータス」
曲げていた腰を伸ばし、レベルアップ時のいつもの癖で何気なくステータスボードを出したアレンがその画面を見て全く動かなくなる。
ステータスボードに書かれているレベルは168。それ自体におかしなところはない。レベルダウンの罠はそのレベルになってから得た経験値が0になり、1つレベルが下がるだけなのだから罠によって167レベルになったアレンがスライムを倒せば、168レベルになるのは当然の事だ。
アレンの動きを止めたその原因は、レベルアップによって上昇した自分のステータスの数値だった。
7つあるステータスの項目、攻撃力、防御力、生命力、魔力、知力、素早さ、器用さ、その全ての数値が10上がっていたのだ。
「はぁ~!?」
アレンの叫び声がダンジョン内に響き渡ったが、スライム以外誰もいないダンジョンでそれを気に留める者などどこにもいなかった。
アレンはダンジョンをジョギング程度の速度で軽く走っていた。
ダンジョンに設置された罠が発動してから再設置されるまでの時間はおおよそ3分。レベルアップとダウンの罠の間の距離は軽いジョギング程度で走って3分。検証するにはちょうど良い距離だった。
アレンは罠によってレベルアップし、そして隠し部屋の罠を踏んでレベルダウンし、レベルアップの罠を再びふみに行く道中でスライムを倒してレベルアップする、ということを繰り返す。
その検証はアレンのレベルが180になるまで続けられた。
「ふぅ、絶対に10上がるという訳ではないんだな。最初は単に運が良かっただけか」
計13回のルーチンを繰り返したアレンがそんな結論を出す。
スライムを倒した時に上がったステータスの数値は3であったり9であったり、もちろん1ということもあった。共通するのは全てのステータスの項目が同じ数値だけ上がるということ。
1度だけ例外はあったが、その理由についてもある程度アレンには予想がついていた。
「なぜすべての項目が同じ数値上がるのかは……うーん、スライムを倒すのに特に何もしていないせいか? 全部10上がって嬉しくて思わず本気で走っちまった後のレベルアップでは特化して素早さが上がったし。きっと、ちょっとした事で変わっちまうんだろうな」
実際、アレンがスライムを倒すときにしたのは足を踏み下ろしただけだ。それはモンスターを倒すためというより、歩くこととほぼ変わりがない。
特に何かの力を意識しているわけではないので、全てがまんべんなく上がったのではないか。アレンはそう予想を立てた。
「こんなこと聞いたことがないが。うーん」
アレンは迷っていた。この事実を知らせればそれこそ冒険者のみならず一般人も大挙してこのスライムダンジョンに押し寄せてくるだろう。レベルとステータスが苦も無く上がるのだ。ギルドがかなりのお金を徴収してそれに制限をかけようとしてもおそらく来るとアレンは予想した。
しかしそうなると、何の苦労もせずに強大な力を手に入れる者が街にあふれかえることになる。それがアレンには危険に思えた。
これがただのレベルアップの罠だけであれば良い。
レベル500まで上げたとしてもそのステータスはレベル1の状態のステータスである平均100を加えても600程度。レベル100強、中堅の冒険者と同等と考えればそれなりの強さではあるが、あくまでそれなりである。
鍛え上げた兵士などならあっさりと取り押さえられる程度とも言える。
しかしレベルダウンの罠とスライムを踏んでレベルアップすることを組みあわせればその何倍ものステータスを手に入れる事が可能になってしまうのだ。
人外と呼ばれる最高位の冒険者や魔法を極めし者と言われる王宮筆頭魔術師をも超えるステータスを。
アレンは冒険者としてコツコツレベルを上げてきた。危険と向き合い、そしてレベルを上げる大変さを知っているから力に酔うこともなく、住民に強く当たるようなことはしない。それは他の大多数の冒険者も似たようなものだ。
しかし時として強大な力を不意に持ってしまった者が、まるで人が変わってしまったようになることをアレンは知っていた。そしてそれがおよそ不幸な結果で終わることも。
レベルアップにより力をつけることに慣れている冒険者であってもそうなのだ。それに慣れていない一般人がそんな力を手に入れてしまえばどうなるか。少なくとも良い結果に終わるなんてほぼないだろうとアレンは予想したのだ。
「それに面倒だしな」
付け加えるように言ったその呟きもアレンの偽らざる思いだった。
レベルアップの罠だけであればまだ良い。一時期はそれを使用するために人が押し寄せるかもしれないがそれは大抵街の住人であり、いつかはその需要も落ち着くからだ。
わざわざモンスターに襲われる危険を冒してまで他の街からやってくる者はそこまで多くないだろうとアレンは考えた。
しかしもしステータスが大幅に上昇するこの方法が見つかってしまえば、国中、いや世界中からこのダンジョンへと人がやってくるようになるかもしれないのだ。
スライムダンジョンに世界中から人が押し寄せるような状況になればギルド職員であり、ギルドの誰よりもスライムダンジョンに詳しいアレンは確実に巻き込まれる。下手をすれば一生の間それが続くかもしれない。
さすがにそれはアレンも嫌だった。
「よし、知らなかったことにしよう。幸いレベルダウンの罠のある部屋はベテランの斥候じゃないと気付かないだろうし、そんな奴はここには来ないからな」
そう結論を出し、アレンは何事もなかったかのようにいつも通りの日常へと帰ろうとした。
しかしその足は地上へと続く階段を上る一歩手前で止まった。
自分の心の中から声が聞こえたような気がしたのだ。これはチャンスじゃないか。そんな声が。
年の離れた弟や妹のためにがむしゃらに働いた10代。仕事にも慣れたが固定パーティを組むことが出来ず同レベル帯の奴らから自分のどっちつかずのステータスを鼻で笑われた20代。
はっきり言ってアレンは冒険者として冒険をしたことなどない。それよりも堅実に金を稼ぎ、家族を養い、そして何より生きることに必死だったからだ。
しかしすでにアレンは29歳。弟や妹も独り立ちし、アレンの手からは離れている。ならばここから冒険者らしく生きてみるのも楽しいのではないかと。
「いやいやいや、俺はもうギルドカードも返還したし、そもそもギルド職員なんだぞ」
そう言いつつもアレンの足は階段を登ろうとはしない。その事実がアレンの本音はその言葉通りではないことを何より物語っていた。
ふぅ~、とアレンが大きく息を吐く。目を閉じてしばらく立ち尽くし、そしてそのまま振り返って目を開けた。
その瞳はやる気のないギルド職員のものではなく、初めて冒険者になる新人のようなキラキラとしたものへと変わっていた。
「やり直してみるか。もう一度」
そう言うとアレンは振り返り、再びボス部屋にある隠し通路へと足を向けるのだった。