第28話 エリクサーが必要なのは
エリクサー。それは物語などで時々登場する、どんな怪我や病でも治すという伝説の薬だ。イセリアが好きなアーティガルドの物語にも登場し、それを手に入れることで魔法使いが仲間になるというエピソードがあるため、名前と効能だけは広く知られていた。
しかしそれが現実としてあるという話をアレンは聞いたことがない。あくまで物語の中の話、それが常識だと思っていたのだが……
『本当にあるのか?』
「ある」
アレンが書いた文字を見て、テッサは迷いなく返事をする。それはエリクサーが実際に存在するとテッサが確信していることを示していた。
アレンの心の中に嫌な予感が広がっていく。
その原因はテッサがエリクサーはあるとなぜ確信しているのかということについてではない。テッサがなぜそれを欲しているのか、その理由を想像してしまったからだ。
『なぜ必要なんだ?』
「そうだね。訳も話さずに話を進めるのも不義理になるね。ネサニエル、ネラを連れて出るからしばらく護衛はそっちでなんとかしな」
部下となにやら話していたネサニエルにテッサが声をかけながら立ち上がる。ネサニエルはチラリとテッサへと目をやり、そしてニヤリとした笑みを浮かべた。
「貸し一だな」
「こんなもの貸しに入らないよ」
ネサニエルの言葉をテッサがすげなく切り捨てる。しかしネサニエルは口の端をわずかに上げただけでそれ以上はなにも言わず、部下たちとの打ち合わせに戻っていった。
その食えない態度にしばらく頬をひくつかせていたテッサだったが、諦めたのかアレンの元へと歩き始める。
「ついて来てほしい。理由を見せる」
アレンとすれ違いざまにそう伝え、テッサが先導を始める。アレンはちらりとネサニエルの方を眺め、すぐにテッサの後を追った。
階段を登りきったテッサが複雑なスラムの路地をすいすいと進んで行く。テッサにとってここが通いなれた道であると示すかのように。そんなテッサの後を複雑な感情を抱いたままアレンはついていった。
しばらくして一軒の家の前でテッサが立ち止まる。スラムの中では比較的まともで綺麗な建物であり、雨風は十分にしのげそうなそこへテッサは入っていった。
「あら、テッサさん。今日は早いんですね」
「ちょっと客を連れてきたんだ。悪いがしばらく家から出てくれるか?」
「そうですか。……ではちょっと留守をお任せして買い物にでも行ってきますね」
ぱたぱたとした足取りでやってきたおだやかな物腰の妙齢の女性とテッサがやり取りを始める。
その女性はテッサの背後に立つネラの姿を見ても動揺することなく、部屋の奥へとバッグを取りに戻ると警戒するアレンの横をすすっと通り抜けて家から出て行った。
「彼女には護衛と世話をお願いしているだけだ。信用の置ける人だから警戒しなくていい。それよりこっちだ」
動きを止めたアレンにそう声をかけ、テッサが家の奥へと案内していく。気を取り直したアレンも、外見よりはるかに綺麗に整えられた室内に驚きながらその後をついていった。
そしてその家の一室の前で立ち止まったテッサは、少しの間目を閉じ、そして息を吐いてから扉をノックした。しばらく待ったが部屋の中から返事はない。
「テッサだ。入るぞ」
そう言ってテッサはその扉を開けた。それがまるでなにかの儀式であるかのように感じながらアレンはその部屋に入り、そして目にした光景に言葉を失った。
その狭い部屋には似つかわしくない上質なベッドのみが置かれていた。そしてそのベッドの上で横になっているのは……
「リーラ、なのか?」
「やっぱりネラ、あんたは昔の知り合いだね。そうだ、リサナノーラだよ。ちょっと変わっちまってるけどね」
呆然としたアレンが漏らしたその言葉を聞き、テッサが目を伏せながらそう答える。
リサナノーラはテッサのパーティにいたエルフの魔法使いだ。見た目が幼く、それを勘違いして子ども扱いしたアレンに訓練と称して魔法をぶっ放すような人物ではあったが、その実力はたしかなものだった。
エルフという種族であることもあってその容姿は非常に整っており、ライオネルの初恋の相手でもあった。
しかしベッドの上で横たわるリサナノーラの顔の半分は溶けてしまったかのように赤くただれてしまっている。それに加えていつも杖を持っていたはずの右手は、手首の辺りでぐるぐるに包帯で巻かれており、その先はどこにも存在していなかった。
服に隠れて他の部分は見えないが、その下も無事ではないだろうと簡単に推測がつくそんな状態に、アレンの歯がギリッと音を立てた。
「なぜ、こんなことに?」
「いつものことさ。勇者の卵だからと強制的に依頼を受けさせられ、そこでへまをしちまったのさ」
なんてことないような言葉でありながら、テッサの口調に深い後悔の色をアレンは感じる。自分が勇者の卵なんかじゃなければ、リサナノーラはこんなことにならなかった、そんなテッサの思いがひしひしと伝わったのだ。
アレンにはかける言葉が見つからなかった。世話になったとは言え、アレンがテッサたちと過ごしたのは一時期だけだ。
街を離れられないということで同道しないかという誘いを断ったアレンと違い、ライオネルのように一年以上にわたって教えを受けた者であれば上手いフォローができるのだろうか。そんな考えがふと頭に浮かぶ。
そしてすぐに、ライオネルにこんな光景は見せられないと首を横に振った。
「他の仲間は無事なのか?」
「ああ、幸いと言っていいかはわからないが、ここまで重症なのはリーラだけさ」
「ルパートはどうしてる?」
アレンに最も親身になってくれ、斥候のイロハを教えてくれたルパートの行方をアレンが尋ねる。
一流の斥候であるルパートは広い知識と人脈を持っており、アレンが知る中である意味最も頭の良い人物だった。人情にも厚く、そんな彼の姿がここにないことを不思議に思ったのだ。
「あいつは伝手を辿って薬を探してくれているよ。この前も顔を見せに来たがなかなか進展はないらしい」
少しだけ柔らかく微笑みながらテッサが答える。そんな姿にアレンも僅かに頬を緩めた。
そして同時にルパートほどの男が本気で探しても手がかりすらないという状況に危機感を強める。
かなり稼いでいたはずのテッサのパーティであれば、ポーションなど金で手に入れられる物は全て試したはずだ。それでも効果がないからこそエリクサーを求めたのだろうとアレンは確信する。
そこまで考え、アレンはふと気づく。あまりアレンとは接点がなく、むしろ苦手にしていた人物の姿もないことに。
「スタンリー……」
「あいつの名前を出すんじゃないよ!」
アレンが名前を出そうとした瞬間、怒鳴るような声でテッサがそれを遮る。そこには憎しみがこれでもかと込められていた。
スタンリーはテッサのパーティにいた神父だ。皆よりも一回り上の年齢であり、時に暴走しがちなテッサたちをたしなめる役割をしていた。
ただ若干説教臭いところがあり、アレンは意図的に避けていたのだが、それでもパーティの一員としてテッサたちとはそれなりの関係を築いていたはずだった。少なくとも憎しみあう関係性ではなかった。
「いや、すまなかった。あんたに当たっても仕方ないとはわかっているんだが。……あいつは使えなくなった私たちを捨てたんだ。今では教会に戻ってお偉いさんになっているらしいよ」
ふん、と鼻から息を吐き、どこか投げやりな様子でテッサがそう答える。それを聞いたアレンはテッサのように怒るのではなく、物悲しさが胸の中に広がっていた。
何も言わずに無言でリサナノーラを見つめ続けるアレンにテッサがぽつりと語りだす。
「エリクサーはあるって言ったよね。あれは本当だよ。私たちのパーティがダンジョンの宝箱で見つけたんだ。強制的に国に買い取られちまったし、その時はそれで大金が手に入ったから十分だと思っていたんだけどね」
自嘲の笑みをテッサが浮かべる。言葉にはしないものの、それが今この場にあればという思いがそうさせていた。
「私たちが見つけたのはライラックのダンジョンさ。私が自分で行ければいいんだが、まともに動けば運よく手に入れられてもまた同じように奪われるだけだからね。どこの誰だか知らない大切な人の万が一のためにってね」
そう言ってテッサは大きく息を吐いた。
この数分で何歳も老けてしまったかのように憔悴しているテッサと、ベッドに眠り続けるリサナノーラの姿をアレンはしばらく眺め、そしてゆっくりとうなずいた。
「出来る限りのことはしよう」
「本当かい? 対価はなんでも払う。金でも武器防具でも、私がほしいって言うのならくれてやる。だから、頼む。リーラを助けてくれ」
瞳を潤ませ、床に崩れるようにして頼み込むテッサの肩にアレンが手を置く。涙を流したまま顔を上げたテッサに、アレンはゆっくりと首を横に振った。
「あなたたちに、俺は救われました。だから今度は俺が力になる番です」
そう言い残すとアレンは部屋から外へと出て行った。これ以上ここにいてもアレンに出来ることはない。ならば自分に出来ることをするべきだと決意したのだ。
(ライラックのダンジョンね。ネラの実績作りにももってこいだが……さてどうするかな)
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投稿がぎりぎりになってしまい申し訳ありませんでした。