第27話 テッサとの戦い
アレンがテッサと最後に会ったのはもう十年以上前だ。
テッサは加齢によるものか顔には皺が増え、ベリーショートだった髪は肩まで伸びている。男装の麗人のようだった昔の姿からは一変し、大人しくしていれば年より若く見える美しい女性といった姿になっていたが、アレンが見間違えるはずはなかった。
(なんでテッサがこんな場所に……いや、それよりも来る!)
疑問に頭が埋め尽くされそうになっていたアレンだったが、テッサの僅かな筋肉の動きを察してそれを打ち切る。その瞬間、テッサは一足飛びに近づくとアレンを真っ二つにするような軌道で両手剣を振り下ろした。
迫り来る刃を反射的に避けようとしたアレンだったが、その場に留まるとステッキを振って剣を弾き、その軌道を逸らす。
「ほう、私の剣のことも知っているとは……ネラ、あんたやっぱり昔の知り合いかい?」
「……」
面白そうにアレンのことを眺め、テッサが笑みを浮かべる。それに無言で反応を見せなかったアレンだったが、内心冷や汗をかいていた。
テッサが振り下ろした剣の軌道の先では置かれていた机や椅子がずたずたに引き裂かれている。もしアレンがステッキで弾かずに避けていれば、アレンの背後にいた若い女や浮浪者風の男は自らの血だまりに伏すことになっただろう。
(昔見たときは憧れだけだったんだが、相手にしてみると厄介極まりないな)
ステッキをくるりと回して気持ちを落ち着けつつ、アレンが現状を打開するために頭をめぐらせる。
テッサの愛剣である両手剣はダンジョン産の武器であり、剣の軌道の先に風の刃を発生させることが出来るのだ。
あくまで補助的なものであり、その威力は実際に振られる剣に比べれば三分の一に満たない。それでも一般人にとっては致命的な威力であった。
(後ろのやつらがどこかに逃げてくれれば話は早いんだが、まあ無理だよな)
ほんのわずかに期待をこめてそんなことを考えたアレンだったが、背後の気配が動くようなことはなかった。
「さあて、どこまで我慢できるかねぇ。あんたの実力試させてもらうよ」
そんな挑発の言葉を発し、テッサがアレンに斬りかかる。それをアレンはステッキで全て弾いていく。
その言葉のとおり徐々に早くなっていく剣をなんとかしのぎながらアレンは不思議に思っていた。テッサがしている不可思議な行動を。
相手を本気で倒そうと思うのであれば、初手から全力を出して不意をつくのが定石だ。しかしテッサは慣らすように徐々に剣速を上げている。それではただ時間がかかるだけで、メリットなどない。
(いや、時間稼ぎをしているってことか)
ふと、そんな考えがアレンに浮かぶ。そしてそう考えるとテッサの行動がすんなりと腑に落ちた。
攻撃の間に挟まれる会話も、時おり出ない風の刃も、その行動全てが示しているのは……
(後ろの奴らを連れて逃げろってことだよな、テッサ)
若干いらついた顔で攻撃をしてくるテッサの姿に、アレンが笑みを浮かべる。強敵と相対した時、テッサは笑うはずなのだ。あのいらついた顔は、察しの悪い自分に対するものだったのだろうとアレンは気づいた。
テッサがここにいる理由はわからない。しかしその心根が変わっていないことを理解したアレンの心はすっきりとはれていた。
再び振り下ろされるテッサの両手剣を、アレンはステッキに力を込めて弾き返す。体が浮き上がるほどのその威力に、テッサはその勢いに乗って背後へと飛んだ。
その瞬間、テッサが笑ったのをアレンは見逃さなかった。それはアレンの考えを確信へと変えるのに十分な仕草だった。
アレンとテッサ、二人の距離が開く。背後の二人を連れて逃げるには絶好のタイミングだ。しかしアレンが取った行動はそうではなかった。
「ウインドカッター」
手を掲げ、ぼそりと呟くようにアレンは魔法を唱える。かなりの速さで風の刃が飛んでいくその先にいるのは、椅子に座ったまま余裕の表情で二人の戦いを眺めていたネサニエルだった。
「ちぃ!」
視認しづらい風の刃をテッサは走りこみながら剣で斬り払い、ネサニエルを守るようにその前に立つ。そんな彼女に向かって、アレンはひたすらにウインドカッターを打ち続けた。
「苦戦しているようだな」
「そう思うんならどっかに行きな。あんたを守るためにこっちは苦労しているんだ」
ウインドカッターを切り払い続けるテッサに、ネサニエルが世間話のような気軽さで声をかける。それにいらつきながら返したテッサだったが、ネサニエルは動こうともしなかった。
「勝てそうにないか?」
「馬鹿言うんじゃないよ。私だってまだ本気を出してないさ。ただ、あいつの底が見えない。今はウインドカッターしか使っていないが、本当にそれだけかどうか怪しいしね。正直に言って勝てるかはわからない」
「それほどか。お前が本気を出せばここが壊滅してしまうな。ふむ、ここは案外気に入っているし、希少な酒も保管してある。それは困るな」
呆れた表情を浮かべるテッサとは違い、笑みを消して真剣な表情でネサニエルが考え始める。そしてゆったりとした仕草で椅子から立ち上がった。
「ネラ、取引を……」
そこまで言ったネサニエルの顔のすぐ近くを何かが通り過ぎる。視認できず、それが通った後の風を感じたためそのことに気づいたネサニエルだったが、背後から聞こえたパンッという音と刺激臭に言葉を止めざるをえなかった。
振り返ったネサニエルの目に飛び込んできたのは、一部の壁がぐずぐずに崩れ去った姿だった。その光景に固まるネサニエルをよそに、アレンがさらさらと紙に文字を書いていく。
『お前たちなどいつでも殺せる。ただそれをすると余計に面倒だからしないだけだ。スラムも混乱するしな』
その紙を掲げ、そしてそれを証明するかのようにアレンがファイヤーボールを傍に浮かべる。
いつもの威力を抑えたものでなく、レベルアップを終えて初めて魔法を使った時にダンジョンの壁を溶かしたものと同等の巨大なファイヤーボールが、周囲をまばゆく照らしながら熱を放つ。
それを見た皆が死を意識する中、平然とした様子でテッサは笑うと構えていた剣を納めた。
「やめだ。あんなのを放たれたら私はともかくここにいる全員死ぬよ。さすがに守りきれん」
肩をすくめたテッサが床に転がっていた椅子を器用に足で立たせるとそこにどっかりと腰をおろす。それを見たアレンは、少し苦笑いしながらファイヤーボールの大きさを徐々に絞り、指先ほどの大きさになったそれをふっ、と吹いて消して見せた。
しばらくの間沈黙が続き、口を開いたのは苦虫を噛み潰したような顔をしたネサニエルだった。
「要求を聞こう」
その言葉にアレンがマジックバッグから一枚の紙を取り出す。細かな文字で詳細が書かれたその紙を、ネサニエルに指示された部下が恐る恐る受け取りにきた。
細かく震えるその手を眺めながら、襲ってこなきゃなにもしねえよ、などと考えるアレンをよそに、なんとか紙を受け取った部下が逃げるようにしてネサニエルの元へと戻っていく。
部下から紙を受け取ったネサニエルがその文字を追う。始めは険しい表情をしていたネサニエルだったが、それは徐々に面白そうなものへと変わっていく。
「こちらとしてはネラの偽物を用意するだけでいい、あとは身代わりの冒険者が出入りすることを容認するくらい。それでこの報酬は魅力だな」
顔を上げたネサニエルが素直な感想をもらす。そして手を差し出していたテッサへと紙を渡すとアレンへと向き直った。
紙を受け取ったテッサはそれを眺め、しばらくして声をあげて笑い始めた。
「はっはっは。ネラ、あんた正体がばれるのは嫌ってことかい?」
それに対してアレンがこくりとうなずく。
アレンが紙に書いた要望は、スラムの住人の中でアレンに似た背格好の者を選びネラの格好をさせてスラムをうろつかせること、またネラに変装した冒険者がスラムに入ってくるのを容認すること、彼らがスラムの施設を利用することに協力すること、そしてこの件に関して調べようとしないことだった。
冒険者ギルドでネラの偽物の話を聞いたときにアレンは思いついていた。正体を隠したいのなら、自分で偽物をたくさん用意してしまえばいいんじゃないかと。そしてその場所に最適なのはスラムに他ならなかった。
スラムは路地が入り組んでおり死角が多い。さらによそ者に敏感で危険も多いため、普通の者は入り込みづらい環境が整っていた。
「冒険者が襲われても責任は取らんぞ」
ネサニエルの言葉にアレンはうなづき、さらさらと紙に文字を書いていく。
『依頼内容に記載するし、対処できる実力の者をこちらで選ぶ。元々そちらに協力している者もいるようだからそいつらも入れておこう。報酬が増えて良かったな』
そんなアレンの皮肉にもネサニエルは動じなかった。アレンの提示した対価を考えれば、その程度どうでもよいと考えたのだ。
ネサニエルがテッサから紙を取り戻し、それを燃やしてみせる。パッと放された紙がひらひらと舞いながら灰になり、そして床を少しだけ焦がしてそれは消えうせた。
「取引は成立した。ネサニエルの名において、ネラ、お前との約束を守ると誓おう」
突然の行動に少し戸惑いを見せるアレンに向け、テッサが笑いながら補足する。
「スラムでは書類は残さないんだってさ。まあ、こいつが名に誓うとまで言ったんだ、当面は守られるから安心していいよ」
逆に言えばいつ裏切られるかもしれないから覚悟しておけよってことか、とアレンはテッサの言葉に反論することなくニヤニヤ笑っているネサニエルを見ながら苦笑する。
元々アレンもスラムの主ともいえるネサニエルを信用する気はない。利用し、利用される、それでいいと思っていたし、それで十分だということはここにテッサがいることではからずも証明された。
アレンはこくりとうなずくと、きびすを返して帰ろうとし、いつの間にか気を失っていた若い女と目を覚まさない浮浪者風の男を指差ながらネサニエルへ視線を送った。
「そいつらの命ぐらいサービスしといてやる。大切な取引相手の頼みだしな」
まるで二人の命には何の価値もないといわんばかりの言葉に、内心イラッとしながらも要求が通るのであればいいかとアレンが気持ちを切り替える。
そして改めてこの場を去ろうとしたアレンの背中にテッサが声をかけた。
「なあネラ。あんたもしかしてエリクサーを持ってないかい?」
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