第23話 懐かしき我が家
そこかしこに思い出の残された部屋の中で、ゆったりとくつろぎながら三人が思い出話に花を咲かせる。
楽しそうでありながらもどこかピンと張り詰めていたものがあるように感じていたエミリーが、昔のように笑う姿に内心安堵しながら、アレンも話を盛り上げていく。
そんな時、こんこんと家の扉がノックされた。
「兄貴、いるんだろ。エリックだ。開けてくれ」
「おお、ちょっと待ってろ」
扉越しではあるものの、聞き間違い様のない弟のエリックの声に、アレンが椅子から立ち上がる。そして玄関の扉を開けると、こざっぱりとしつつもどこか品の良い服を着たエリックが紙袋を胸に抱いて立っていた。
「久しぶり、兄貴」
「そういやそうだな。まっ、こんなところで立ち話もなんだし、入れよ」
アレンに迎え入れられたエリックは視線を自分に集中させる妹たちの姿に少しだけ動きを止め、そして何事も無かったかのように空いている椅子へと歩を進める。
打ち合わせた訳でもないのに、昔自分の座っていた席の場所に皆が自然に座っていることに少しだけ笑みを浮かべながらアレンも元の席へと戻る。
「ドラゴンダンジョンの警備で忙しくしていると聞いていたが、よく来られたな」
「さすがに数年ぶりにやってきた妹に会う時間を作るくらいの余裕はあるよ。そうだ、エミリー、これ、妻からお前に贈り物だそうだ。結婚のお祝いのお手紙ありがとうございました、だと」
「へー、ジュリアさんから? どれどれ」
エリックがエミリーに差し出した紙袋を、当然のように開けて見ようとしたレベッカの頭をアレンがべしっと叩いて止める。
頭を押さえながら涙目でアレンを見つめるレベッカの姿に小さく笑ったエミリーは、紙袋を受け取るとそれをゆっくりと開ける。すると香ばしく甘い匂いがその袋の口から立ち上った。
「へー、マフィンか。このほのかに漂うお酒の良い匂いからしてお高めの品と見た」
「残念だな。これはジュリアが焼いたものだ」
「ジュリア様自らですか。たしか生粋の貴族の方でしたよね。まだお顔を拝見したことはありませんが」
「きれいな人だよ。平民の私にも優しくしてくれたし、案外乗りもいいし。私、泊めてもらった時に一緒にお風呂に入ったんだけどさ、体つき全てが洗練されてるっていうか。聞いたらエリ兄にずっと愛してもらえるように努力しているんだって」
匂いから食べ物だと判断して皿を用意に動いたアレンをよそに、残った三人がエリックの妻であるジュリアの話で盛り上がっていく。
もうエリックと結婚しているとはいえ、そういった恋愛沙汰の話には興味があるのか楽しげにレベッカの話を聞くエミリーと、顔を赤くしながらなんとかそれを止めようとするエリックの姿に懐かしさを覚えながらアレンは用意した皿とフォークをテーブルに並べていった。
「ほれ、話はそれぐらいにしておいて食べようぜ。せっかくの焼きたてなんだろ?」
「えー、これからがいいところなのに。あっ、レン兄知ってる。エリ兄ってば、ジュリアさんに甘えることがあって、その時に彼女のことを……」
「やめろやめろ! なんでお前がそんなことを知ってるんだよ」
「うしし。さーて、なんででしょうねー」
意地悪く笑うレベッカに掴みかからんばかりに身を乗り出しているエリックをアレンがなだめているうちに、手早くエミリーがマフィンを皿へと載せていく。そして小さく「あっ」と声を漏らして動きを止めた。
皆の視線がテーブルの上へと向かう。そこにはマフィンが載った四枚の皿と、今まさにマフィンを載せられようとしている一枚の皿があった。その皿が置かれていたのは誰も座っていない空席の前。昔その席に座っていたのは……
「ジーンにも会えれば良かったのだけれど」
少し寂しそうにしながらエミリーが呟く。五人家族のうち、四人が昔のようにそろっている中でぽっかりと空いたその席は嫌でも目を引いた。
少しだけ空気が重くなりかけたことを察したレベッカがことさら明るい声をあげる。
「ジー兄は相変わらず本読んでるか研究ばっかしてるでしょ。いてもいなくても変わらないって」
「たしかにここにいたとしても、僕は本を読んでいるから食べていいよ、とか言いそうだ」
「甘いな、エリック。昔のジーンなら返事すらしないだろ。でも今は恋人も出来たし、少しは……変わっている? と思うぞ」
「ああっ、お手紙に書いてあったエルフのフーノさんでしたっけ。その話も聞きたいと思っていたんでした」
皆のフォローに、エミリーも気を取り直し話題を振ると、アレンは楽しげに学術都市国家キュリオでジーンやその周囲の人々と過ごした日々を話しはじめた。
それからも話題は尽きず、マフィンをとっくに食べ終え、そろそろ日が落ちるころになってようやくそんな空気が落ち着き始める。
窓から入る日の光は赤く染まり、そろそろ帰らないとと誰しもが思い始めたところで、深く息を吐いたエミリーがゆっくりと口を開く。
「あの、話したいことがあるの。私が聖女見習いとして選ばれたのは……」
今までと明らかに違うエミリーの雰囲気に、アレンを始めとした三人が視線を向ける。深刻な表情のまま三人を見回し言葉を止めたエミリーを三人はなにも言わずにじっと見守る。
ただなにも言わずに待ち続けてくれる三人を見回していたエミリーが、ふと表情を緩める。
「私が聖女見習いとして選ばれたのは、皆が頑張ってくれたおかげよ。本当にありがとう」
「いや、エミリーが頑張ったおかげだろ」
「そうそう、エミ姉が頑張っているのを知っていたから、ちょっとだけお手伝いしただけだし」
「俺は俺の目的のために貴族を目指しただけだ。エミリーも自分の努力の結果だと胸を張ればいい」
そんな三人の言葉にエミリーが目を細める。そしてその瞳から一筋の涙を流しながら嬉しそうに笑った。
「うん。私、これからも頑張るから。立派な聖女になれるよう、皆を守れるように、清く、強く生きていくから」
そう宣言したエミリーの笑顔は、どこかふっきれた、とても綺麗なものだった。
その翌日。
「ではアレン兄様、マチルダ姉様。そしてレックス。行ってまいります。末永くお幸せに」
「ああ、元気でな。無理はするなよ。なにかあったら連絡しろよ。必ずだぞ」
「短い間だったけれど楽しかったわ。今度はゆっくりと会えるといいわね」
聖女見習いとして修行の日々へと戻るエミリーをアレンとマチルダ、そして胸に抱かれたレックスが見送る。
「じゃあね。王都に戻ってしばらくしたら、私はお店を見がてらこっちに寄ると思うから、その時はよろしく」
「おう」
「ここまで対応が違うと、いっそすがすがしいね」
「ふふっ、またね。レベッカちゃん」
「はい。マチ姉さんとレックスもまた今度ね」
エミリーに続いて別れの言葉を告げたレベッカが少しだけ頬をふくらませる。そしてアレンに、べっ、と舌を出して反抗してから爽やかにマチルダとレックスと挨拶を交わし、待機していたカイルの手も借りずに一人で馬車へと乗り込んでいった。
エミリーはそんなレベッカの姿を眺めて少しの間困ったように眉根を寄せていたが、くるりと振り返って再びアレンたちに向き合うと、ゆっくりと胸の前で手を回し、その手を自らの胸に当てた。
「皆様にユエル様のご加護があらんことを」
そう告げるとエミリーは少し名残惜しそうにしながら馬車へと向かい、カイルの手を借りて馬車へと乗り込んでいった。
パタンと扉が閉められ、手際よく階段を片付けていくカイルにアレンが声をかける。
「エミリーとレベッカのことを頼んだ」
「ええ。それが私の仕事ですから。十分すぎるほどのお土産もいただきましたし」
「まっ、教会から支給されたものがあると思うが保険程度にな」
腰に提げられた袋を軽く叩きカイルが笑みを浮かべる。カイルが所有しているそのマジックバッグの中には、アレン特製のポーションがこれでもかと詰められており、さらにドゥラレのダンジョンの攻略時に得た、アレンが使わない格闘用の装備品なども入っていた。
どちらも売ればそれなりの値段になるものではあるが、アレンにとってそれ以上に大切なものを守るためなのだ。全く惜しいとは思っていなかった。
「それでは」
「ああ。あんたも気をつけて」
するりと御者台へと乗り込んだカイルと、アレンは短く言葉を交わす。そしてカイルの指示に従い馬がゆっくりとその歩を進めていく。大した振動もなく動き始めた馬車の窓が大きく開かれた。
「じゃーねー!」
「アレン兄様、お元気で」
大きく身を乗り出して手を振るレベッカと、控えめに、しかしアレンの顔をしっかり見ながら手を振るエミリーに向け、アレンも精一杯手を振り返した。そしてその馬車の姿が消えるまでアレンは手を振り続ける。
角を曲がり馬車の姿が完全に見えなくなり、アレンはゆっくりと手を止めると大きく息を吐く。そして振り返ったアレンはマチルダに向けて少し笑いながら告げる。
「さて、活動再開といきますか」
「ええ、頑張ってね」
ルトリシアとコルネリアがいる手前、なにをとまでは言わなかったが、二人の間ではそれだけで全てが通じ合っていた。
翌日、鬼人のダンジョンのボス、オーガキングの魔石を携え、ミスリル級冒険者ネラが久しぶりにライラックの街に姿を現したのだった。
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