第15話 育メン冒険者?
マチルダに促され、泣き出したレックスをアレンが慎重に両腕全体で支えるようにして抱き上げる。
弟妹をあやした経験もあり、直近ではルトリシアからも抱き方について教えられていたため決して不恰好ではなかったが、その恐々とした様子に思わずマチルダが吹き出した。
「アレン、緊張しすぎよ」
「いや、だって軽いし、小さいし、下手したら壊れちまいそうでよ」
そんなことを言いながら軽く体を揺らして、なんとかあやそうとするアレンだったがレックスは一向に泣き止まない。眉根を下げて情けない顔をするアレンに向け、マチルダが微笑みながら両手を差し出した。
アレンが慎重にマチルダにレックスを手渡すと、彼女は慣れた手つきで抱きかえ、自らの服をはだけさせるとレックスへと母乳を与え始める。
慈愛に満ちたその姿は一枚の絵画のようで思わず見とれていたアレンだったが、こほんというルトリシアの咳払いに意識を取り戻す。
そして視線をマチルダから外すと、自らの腕に残ったレックスの重みや感触を思い出しながらじっと手を見つめた。
「父親になったんだな」
そんな言葉をぽつりと漏らすアレンの姿にマチルダとルトリシアは顔を見合わせ、やわらかく微笑んだのだった。
しばらくしてコルネリアの用意した朝食をマチルダと一緒に食べた後、アレンは出生の届出をすべく教会と役所へと向かった。
既に書類は完成していたためどちらもすんなりと手続きは終わり、定型であろう祝福に関する諸注意などを受けたアレンが次に向かったのは冒険者ギルドだった。
既に朝のピークの時間が過ぎ、ゆったりとした空気の漂うギルドへと入ったアレンはいつもの掲示板や依頼を受注する窓口とは違う一角へと足を向ける。
そこは、依頼人が冒険者ギルドへの依頼を相談したり発注する窓口だった。ちょうど空いていた顔なじみの受付嬢に声をかけ、アレンが依頼の手続きを慣れた様子で進めていく。
「はい、これで手続きは完了です。ロジャーさんは昨日帰ってきましたし、イーディスさんもそろそろ帰ってくるはずですのでそんなにお時間はかからないかと思います」
「了解。そこまで急ぎって訳じゃねえし、確実に届けてくれればいいさ。あいつらの腕は信用してるし」
「お二人はライラックが誇る一流の配達人ですからね」
少しだけ得意げに胸を張るその受付嬢に、アレンが笑い返す。
アレンが指名依頼をしたロジャーとイーディスはちょっと特殊な冒険者だ。ロジャーは黒翼を持つ獣人の男であり、イーディスは白毛の狼の獣人の女である。
もちろん二人とも獣人らしく身体能力は抜群であり、モンスターと戦うことができる腕は十分にもっている。しかしダンジョンに入るようなことはほとんどなく、二人は物の輸送を主に請け負っていた。今しがたアレンがした、手紙の輸送なども含めて。
通常であれば物の輸送は商人ギルドの範疇の依頼である。目的地へと向かう商隊がついでに運ぶということになるのだが、いかんせん行商がメインとなっているため、届くのには結構な期間がかかるのが常だった。
また盗賊やモンスターに出会うなど不測の事態が起こることも少なくない。そういった理由から、その物だけを迅速、確実に送り届けるという需要が生まれ、それに特化した冒険者の中でも腕利きと呼ばれているのがロジャーとイーディスの二人だった。
アレンが手紙を送ろうとしている相手はもちろん弟妹たちである。次男のエリックはライラックの街にいるため、それ以外の三人についてだ。
ドゥラレに店を構えるレベッカとその先にある学術都市国家キュリオで研究を続けるジーンは同じ方向であるため二人分をロジャーに依頼し、王都でシスターの修行中のエミリーについてイーディスに依頼していた。
その手紙の内容はもちろんレックスが無事に生まれたということである。
指名依頼であるためそれなりの金額になってしまうのだが、レックスが生まれた喜びをいち早く弟妹たちに知らせたいと考えたアレンに迷いは無かった。
手続きが全て済み、受付嬢に礼を言うとアレンが立ち上がる。そして去っていこうとするその背中に向けて受付嬢は声をかけた。
「アレンさん、おめでとうございます。落ち着いたらお祝いにうかがいますとマチルダ先輩にお伝えください」
「おう、わかった。ありがとな」
軽く振り返り、アレンがひらひらと手を振って去っていく。軽やかで、どこか浮かれているようにも見える足取りのままに。
その後、商人ギルドで万が一の保険として同じ手紙を送る依頼を出すと、アレンは家に戻って正装に着替えてからエリックの屋敷に出産の報告に行った。
しかし当然騎士のエリックは不在にしており、対応してくれたエリックの妻のジュリアにアレンはぎくしゃくしながら出産の報告をすることになる。
そりゃあこの時間にいるはずがないな、と後悔するアレンだったが、生粋の貴族でありながら心から祝福してくれるジュリアの姿に、エリックがジュリアを選んだ理由を垣間見ることができ、少しだけほっこりとしたのだった。
そんなこんなありつつ出産に関するもろもろの手続きを終えたアレンを待っていたのは、育児に勤しむ日々だった。
もちろん一番大変なのはマチルダであり、アレンはその補助にすぎない。母親の代わりは父親であるアレンには出来ないのだから当然だ。それでもアレンはなんとかマチルダの負担を減らそうと頑張っていた。
幼い弟妹たちの面倒を見てきたアレンは、育児の大変さを十分すぎるほど知っている。周囲の助けがどれほどありがたいかも。
「ふぅ、育児って思った以上に大変ね。これだけ助けてもらっても疲れが抜けないわ」
庭のベンチに腰掛け、ルトリシアが淹れてくれた授乳中用の特別なお茶に口をつけながらマチルダが苦笑いする。既に出産から2か月ほど過ぎたのだが、マチルダの顔はわずかにやつれており、その言葉が本当であると示していた。
「頼っていただければ、もっとお手伝いいたしますよ。今まで仕えた奥様に比べてマチルダ様は頑張りすぎです」
「うーん、ちょっと誘惑に負けそうになるわね」
冗談めかしながらも、ルトリシアの提案をマチルダは首を横に振って遠慮した。
たしかに授乳は思った以上に体力を奪われるし、レックスの夜泣きのために寝不足になってしまっている。しかし家事はコルネリアがしてくれるし、ルトリシアもなにかにつけて世話をしてくれる。さらには隔日ではあるが乳母も来てくれているのだ。
普通の人であればそれら全てを自分で行っていたはず、そう考えるとこれ以上任せてしまうのはどうか、という思いがマチルダの中にはあった。もちろんレックスと母子としてもっと触れ合っていたいという気持ちが一番大きいのであるが。
そのレックスではあるが、現在はマチルダの腕の中にはおらず、小さな花壇の近くでコルネリアに抱かれながら目を爛々と光らせていた。その視線が向かっているのは……
「じゃあ、ちょっと珍しい魔法いくぞ。ライトサークル!」
アレンが指を軽く振り、小さな光の輪をいくつも飛ばしていく。くるくると回ったり、不規則な動きをしては消えていくそれらを見てレックスは楽しそうに笑っていた。
ライトサークルは周囲を照らす光の輪を出すという、光属性の基礎といえる攻撃性のない安全な魔法だ。しかしそもそも光属性の魔法を扱える者自体が少ないため滅多に見ない魔法ではあるのだが、アレンは易々とそれを行使していた。
レックスの喜ぶ姿に、アレンが次々と魔法を披露していく。その姿を眺めていたルトリシアが珍しくため息を吐いた。
「魔法で赤ん坊をあやすとは、アレン様は本当に器用ですね」
「レックスが喜ぶからって、結構練習した成果らしいわよ」
「そうでしたか。なるほど」
小さくうなずき納得した様子のルトリシアの姿にマチルダがこっそりと笑みを浮かべる。
アレンが魔法であやす姿に刺激を受け、レックスを喜ばせるためにルトリシアが陰で魔法の練習を続けているとコルネリアにこっそり教えてもらっていたからだ。
「私は幸せね」
周りの人々を眺め、マチルダがぽつりと呟く。そのやわらかな表情は、言葉どおり幸せに満ち溢れていた。
その2ヵ月後。
ダンジョンで自分が調薬するための薬草採取を終えたアレンは、ついでに受けた依頼であるモンスター素材の納品のために冒険者ギルドへとやってきていた。まだ昼過ぎであるためギルド内は比較的落ち着いており、つつがなくアレンは納品を終える。
報酬を受け取り、さあ帰ろうとアレンがギルドの入り口へと足を向けたその時だった。
「アレンの兄貴!」
「おっ、イーディス。今帰りか?」
「うん。王都から走ってきたところ」
ぶんぶんと白い尻尾を振りながら楽しげに話しかけてくる、狼の獣人のイーディスにアレンが笑い返す。
女性ながらに長身でアレンよりも5センチほど背の高いイーディスを少し見上げ、そして薄汚れたままの革装備や服、毛並みにアレンがため息を吐いた。
「イーディス。身だしなみには気をつけろよ。特にお前の場合、相手が相手の場合も多いんだし」
「んっ、匂う?」
「だから毎回言うが、俺に嗅がせようとするんじゃねえよ!」
アレンの鼻付近に寄せられたイーディスの頭をぺちんと叩く。
昔、新人のイーディスをアレンが少し世話した時から続く恒例のやり取りに、頭を叩かれたイーディスは嬉しそうにしながら体勢を元に戻す。そして思い出したように手を叩くと、背負っていたバッグをおろして、ごそごそと漁りだした。
「はい、アレンの兄貴に手紙だよ。というか今回の依頼はこれだから身だしなみは必要ないでしょ」
「俺に手紙? しかもわざわざお前に依頼して? いったい誰から……」
俺はいいのかよ、と釈然としないものを感じつつ、アレンが受け取った手紙をくるりと裏返す。そしてそこに書かれていた署名にぴくりと頬を引きつらせた。
『レン兄に溺愛される妹のレベッカより愛を込めて』
確実にふざけた署名だったが、それがなによりレベッカ本人からの手紙である証拠だとアレンにはわかっていた。
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