第18話 トレントの階層
「うわっ、ピコン、ピコンってうるせえ!」
「あー、まあレベル1桁の奴がトレント倒せばそうなるわな」
頭の中で連続するその音に顔をしかめるニックを見ながらアレンは笑った。
トレントは初心者から抜け出た中堅の冒険者たちが相手にするようなモンスターだ。レベルで言えば70程度のパーティならば安定して倒せるほどの強さである。それを倒したのだからレベルが連続して上がるのは当然なのだ。
音が止まったため、ニックが自らのステータスを呼び出し目を見開く。
「……レベル16ってマジかよ」
「おー、けっこう上がるんだな。俺もこんな感じでレベル上げできていたら楽だったんだろうな」
自らのステータスを見ながら感動しているニックを尻目に、アレンは遠い目をしながら昔の事を思い出していた。
12歳で冒険者になったアレンだったが、そんな幼いアレンを仲間にしようとするような酔狂な冒険者などいるはずもなく、アレンは単独でゴブリンなどに挑んで地道にレベルを上げていったのだ。その中で死ぬような目にあったのは両手の指では足りないほどだった。
(まあ、だからこそ冒険者としての経験が積めたとも言えるんだけどな。この方法じゃ、レベルが上がるだけだし)
そんな事を心の中で思いながらアレンはニックが落ち着くのを待ち、うきうきした様子で「次に行こうぜ」と言い始めたニックの姿に苦笑しながら歩き始める。
2人で森の中を歩きながらトレントを探していると、少し落ち着いたニックが口を開いた。
「しかし、トレントってこんなに弱いのになんでレベルが上がるんだ?」
「あいつの攻撃手段って枝の振り回しだけなんだよ。だから先にそれを全部払っちまえば攻撃も移動も出来ないただの木になるって訳だ。本当なら結構強いモンスターだからくれぐれも慢心するなよ」
「お、おう」
そう指摘しながら向けられたアレンの鋭い視線に、思わずニックが言葉を詰まらせる。その様子にアレンはこれなら大丈夫だろうとほっとしていた。
今はアレンが完全にお膳立てしているから安全なのであって、もしニックが単独でそれをなそうとすれば死ぬのは確実だからだ。冒険者ではなく、しかもレベルが簡単に上がってしまったニックが慢心し、その結果死んでしまっては意味がないのだ。
しばらくして再びトレントを発見した2人は先ほどと同じようにして倒していく。斧の小気味良い音を響かせながら、ニックのレベルは順調に上がっていった。
もはやこれは、ただのきこりなのではないかとニックが思い始めた頃、丁度昼食の時間になったため2人は少し開けた場所に腰を下ろし簡易的な食事の準備を始める。
「うーん、不味い。アレンに任せずいつも通り弁当を作ってもらうんだったぜ」
「文句言うなよ。栄養はあるんだぞ」
冒険者御用達の携帯食料を本当に不味そうに口に運ぶニックを見ながら、アレンも同様にそれを口に運ぶ。味に言及しないのは、アレン自身もそう思っているからだ。
とは言えこの携帯食料にも利点はあるのだ。アレンの言うとおり栄養は豊富だし、保存期間も長い。量が少なくてもよいので、油断し、命取りになりやすいトイレの回数も減らせるのだから。
難点は不味い事だけなのだ。
「しかしもうレベル32か。ステータスもかなり上がったし、アレンがレベルアップの罠を勧めない理由がわかったぜ」
「まあ低レベルの頃だけだけどな。ある程度レベルが上がったらこんな事は出来なくなるぞ。あと今日は急激にステータスが上がっているから力加減とかがうまくいかない可能性があるから注意しろよ」
「そうなのか?」
聞き返してきたニックの言葉にアレンは神妙な顔でうなずく。力加減がうまくいかずに失敗をしまくった経験が記憶に新しいため、そのうなずきには実感が伴っていた。その返事にニックが頭を掻きながら少し困った顔をする。
「大工は客商売だからな。事前に確かめるにしても帰ってからじゃあ時間が……あぁ、良いもんがあるじゃねえか」
残っていた携帯食料を口に放り込み、立ち上がって歩き始めたニックをアレンが視線で追う。ニックが止まったのは、先ほど切り倒したトレントの目の前だった。その幹を拳でトントンと叩き、ニックは満足げに笑みを浮かべる。
「聞いてた話どおり、本当に倒すと水分が抜けた状態になるんだな。これなら問題なさそうだ。アレン、ちょっと俺はこいつで力加減の練習するから1時間程度時間をくれ」
「了解」
ニックが背負ってきたリュックに入っていた大工道具を取り出したところで、アレンはマジか? と思ったのだが、それを口に出す事はなかった。実際持っていくべき物は伝えたが、それ以外は持ってきてはいけないなどと言っていなかったことを思い出したからだ。
それは探索に必要ないものなど持っていくはずがないという思い込みのせいであり、自分が知らない間に冒険者基準になっていたんだなとアレンはしみじみと考えたのだった。
ニックが大工作業に集中してしまってからアレンは暇をもてあましていた。この9階層に出てくるモンスターはトレントだけであり、その他のモンスターは存在しない。トレントは動く事のないモンスターであるため、その場にとどまるのであれば危険の非常に少ない階層とも言えるのだ。
まあ他の冒険者がらみのトラブルなどは起こる可能性があるのではあるが、それはどの階層でも同じ事である。
トレントの幹の端を切り落として作った丸太の椅子に座りながら、ニックの仕事をアレンは観察する。最初は多少感覚の違いに戸惑っていたようだが、既に修正され前に見たのとそん色ない動き、と言うかそれ以上の動きになっている事にアレンは気づいていた。
ニックの作業音だけが静かに聞こえるそんな穏やかな時間が過ぎていく。だからこそ、だろうか。
(戦う音?)
アレンの耳はかすかに聞こえる戦闘音を捉えていた。それ自体は変な事ではない。不人気層である9階層であってもアレンと同様に誰かのレベル上げの補助を行っている冒険者がいるかもしれないし、人がほとんどいないということを逆手にとって訓練を行っているような者もいるのだ。
しかしアレンが気になったのは戦闘音が聞こえた事ではなかった。
(長い。苦戦しているのか?)
アレンが気になったのはその戦闘時間。既に音が聞こえ始めてから30分程度経過しているのだ。トレント相手にこれほど長時間戦いが続く事などアレンには考えられなかった。
不規則な音が続いている事から考えても普通に戦いは続いており、切り倒すのに時間がかかっているだけだという訳ではないのは明らかだった。
(苦戦するようなら逃げれば良いだけだし、何か事情があるのか? いや、もしかしてユニークモンスターか!?)
トレントは動かないモンスターだ。危機に陥ったとしてもその攻撃範囲から外れれば安全に逃げる事が可能なのだ。しかし戦闘音は続いている。となればそれなりの理由があるとしかアレンには思えなかった。
アレンが思いついたユニークモンスターとは、その階層にいるはずのないモンスター、もしくは同じ種類であっても特異な強さをもったモンスターのことである。
この9階層にユニークモンスターが出るという情報をアレンは聞いたことはなかったが今の状況から考えればあり得ないことではないと判断した。
トレントの加工を続けるニックを見つめ周囲を再確認すると、アレンは静かに立ち上がった。
「悪い、ちょっと外す。俺が戻るまで絶対にここから動くなよ」
「トイレか?」
「そんなもんだ」
アレンの方を見もせず軽く手を振って行ってこいと伝えてきたニックに軽く手を振り返し、そしてアレンは静かにそこから離れていった。
そして十分に離れたことを確認すると一気にその速度を上げた。通り過ぎるトレントが反応出来ないほどの速度で走り続けたアレンは程なくしてその現場へとたどり着いた。
そこでアレンが目にしたのは……
(あれは、イセリアだったか?)
ネラとして鬼人のダンジョンをクリアした時に出会った女性の冒険者の姿だった。