第38話 衝撃の告白
結局一睡もしなかったアレンだったが、再び襲撃されるといったこともなく無事に朝を迎えていた。
荒らされたリビングで朝食を取り、すぐに二人して冒険者ギルドへと昨日の状況を説明に行ったのだが、既に衛兵から連絡があったらしく、ギルド長のカミアノールから労いの言葉と共にマチルダは一週間の休みを言い渡された。
「本当にすまなかったね」
二人の去り際に、いつものどこか飄々とした様子ではなく、申し訳なさそうにカミアノールはそう言った。ギルド長室を出たアレンとマチルダが思わず目を見合わせてしまうほど、その姿は違和感を覚えさせるものだった。
「休みをもらえたのはありがたいが、変だったよな」
「たしかにギルド長らしくなかったわね」
そんな言葉を交わしながら少しの間そのことについて話していた二人だったが結論はでるはずもなく、すぐに話題はこれからしなければならない部屋の片づけへと移っていったのだった。
アレンの超人的な記憶力と働きのおかげもあり、昼前には徹底的に荒らされていたはずの部屋はおおよそ元通りに戻っていた。
破壊された扉や壁、こげついてしまった床などまだまだ修理が必要な箇所は存在しているが、午後には何とかなるだろうとアレンは大まかな見当をつけていた。
きりが良いところまで片づけをしていたせいで少し遅くなってしまった昼食を食べながら、マチルダがアレンに話しかける。
「アレンのおかげでこっちはだいぶ片付いたし玄関の扉を直したら、一度レベッカちゃんのお店に行かない?」
「俺も気になっていたからその提案はありがたいが、一度行ったら帰れなくなるんじゃねえか?」
「こき使われるから?」
「おう」
半ば笑いながら聞いたマチルダが、当然とばかりに応じたアレンの答えに頬を緩ませる。しかし次の瞬間、「うっ」とえづき、顔を青ざめさせた。
その異変にアレンが即座に席を立って駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「うん。ちょっと気分が悪くなっただけだから。少し休むわね」
「運ぶか?」
「いいわ、自分で歩けるから。悪いけれど食事の片付けお願いね」
のろのろと歩いていくマチルダを心配そうにアレンが見送る。そして寝室へとその姿が消えたところで大きく息を吐いた。
「はぁー、気丈に振舞ってはいるが、やっぱショックがでかいんだな」
そんなことを呟きながら、妙に味気なくなった食事をかき込むようにアレンが食べ終える。そして食事の片づけをしている途中にコンコンと玄関の扉がノックされた。
「イセリアです」
「私もいるよー!!」
「おっ、悪い。今、手が離せないから勝手に入ってくれ」
食器を洗っている最中のアレンがそう答え、少し遠慮がちに開かれた扉からイセリアとレベッカがその姿を現した。
イセリアの手にはドゥラレのダンジョンで採取できる果物だけでなく、町以外から運ばれてきたと思われる色とりどりの果物が入ったバスケットが提げられていた。
「あの、先ほどギルドで話を聞きまして、お見舞いに来たのですが……」
「あー、ダンジョンのことも任せちまったのに、そこまで気を遣わせて悪いな。マチルダは今ちょっと休んでいるから適当に座ってくつろいでいてくれ」
「えっ。マチ姉さん、調子悪いの?」
「午前中に家の片づけしている時はそうでもなかったんだが、やっぱりちょっとな」
まるで自分の家のようにイセリアを椅子に座らせて、自分もくつろぎはじめたレベッカの姿に、こっちは大丈夫そうだなと苦笑しながらアレンが返す。
そして洗い物を終えると、手をタオルで拭きながら二人の下へと近づいていった。
「えー、ダンジョン本当に踏破しちゃったんですか!? ボス戦の準備なんてしていませんでしたよね?」
「はい。アレンさんが嫌な予感がすると言ったので強行しました。まだ正式にギルドに報告していませんから、非公式ですけれど」
「うっわー。レン兄やったね! 怪我の功名?」
「過程はどうあれレベッカの依頼は果たせそうだし、最悪の事態も免れたからよかったといえばそうかもしれんが、その言い方はなんか違う気がするな」
バッとアレンの方を振り返り、嬉しそうに笑うレベッカに突っ込みながらアレンも椅子に座る。そしてレベッカの隣に座るイセリアへと視線を向けると、微笑の中にどこか憂いが含まれていることに気づいた。
今回の騒動のせいか、とも考えたのだが、アレンにはイセリアの意識がもっと違う遠くへと飛んでしまっているように見えていた。
しかし理由がわからず、仕方なくアレンは視線をレベッカへと戻す。
「で、店の方はどうだったんだ?」
「うん。まあちょっと荒らされてはいたけど被害はそこまでではないかな。アイクさんが頑張ってくれたみたい。今日もちゃんと営業してるよ」
「昨日の今日かよ。商魂たくましいというか、大丈夫なのか?」
「アイクさんを指名依頼で用心棒として雇ったし、店番もデレオネにお願いしたから大丈夫だよ」
まあ、うまくいくかはデレオネ次第だけどね、とぼそっと続けられた言葉に、アレンが小さく笑う。
そんな和やかな空気の中、イセリアが小さくうなずき真剣な表情でアレンを見つめた。イセリアの雰囲気が変わったことに気づき、アレンがレベッカと目配せする。
「アレンさん。しばらくダンジョンに行くのは無理でしょうか?」
「うーん、正直あんまここを離れたくねえな。もう何もないとは思うが心配だし、マチルダを支えてやらねえと」
「そう……ですよね」
しゅん、と落ち込んでしまったイセリアの姿にアレンとレベッカが再び顔を見合わせる。現状を考えれば、アレンがそう答えるのは当然だし、それを理解できないほどイセリアが馬鹿ではないと二人とも知っている。
それなのにここまで落ち込むということは、何かしらの事情があるのだろうと二人とも察したのだ。そこまでしてダンジョンに行きたい理由として考えられることに頭を巡らせ、アレンが気づく。
「ダンジョンボスの変な悪魔のせいか?」
「はい。悪魔は始まりを告げる者と自分のことを称していました」
「始まりを告げる者!?」
「知っているのか、レベッカ?」
「ううん、全然。……でもなんか嫌な予感がする名前だよね。悪魔だし」
まるで知っているかのような勢いだったのに、あっさりと知らないと掌を返したレベッカに肩をすかされたアレンが咎めるような視線を送る。それに手でごめん、と返しながら、少し不安そうにレベッカは言葉を続けた。
そんなレベッカの言葉に同意するようにイセリアも首を縦に振る。
「私も同意見です。だからもう一度、ダンジョンボスの部屋に行きたかったのですが……」
「うーん気持ちはわからないでもないが、今はちょっとな」
なにか重要なことを話そうとしていたのであろう悪魔を、急いでいるからという理由でアレンは細切れにしてしまった。
その結果、こんな状況になってしまったということを重々承知しているアレンとしても、協力したいという気持ちはもちろんあった。
しかし、それでもこの状況で何日もマチルダのそばを離れるということは、アレンの選択肢にはない。
重苦しい空気が広がる中、レベッカがパンと手を叩いた。
「それって、別にイセリアさんが行かなくちゃあダメって訳じゃないですよね。その悪魔の話の内容がわかればいいんですから」
「えっ、それはそうですね」
「じゃあレン兄、ネラとしてダンジョンに行けば? それなら1日で帰ってこれるでしょ。あっ、もしかしてライラックに衣装は置きっぱなし? 検問があるから普通には持ってこられないよね」
そのレベッカの言葉に、一瞬普通に返事をしそうになったアレンだったが、すんでのところでその言葉を止める。
すかさずアレンはとぼけようとしたのだが、その言葉を口に出すよりも先に、レベッカはにやりとした笑みを浮かべていた。
「ネラとしてダンジョンに行くって、俺はネラじゃねえぞ」
「そうですよ。アレンさんはネラ様ではありません」
「うん。ありがとう二人とも。良い人って嘘をつくのが苦手な人が多いよね」
優しい目で二人を見つめるレベッカに、それでもアレンとイセリアは否定をし続けていたのだが……
「二人ともそろそろやめなさい。傍から見ると墓穴を掘っているようにしか見えないわよ」
「マチルダ! 大丈夫なのか?」
「だいぶ落ち着いたから平気よ」
寝室から出てきたマチルダが、苦笑いを浮かべながら皆の下へと歩く。すかさずそれを助けにアレンが立ち上がり、そして椅子へと座らせた。
アレンに軽く笑いかけ、そして真っ直ぐに視線を向けてくるレベッカへとマチルダが視線を返す。
「レベッカちゃんなら大丈夫でしょ」
「ということは、マチ姉さんもネラのこと承知しているんですね」
「そうね」
あっさりと認めたマチルダの視界には、苦虫を噛み潰したような顔をしたアレンが映っていた。
アレンが何を考えているか、おおよそのことを読んでいたマチルダが大きくため息を吐く。
「話は聞こえていたわ。アレン、ネラとしてダンジョンへ行ってきなさい」
「しかしマチルダが……」
「私は大丈夫よ。アレンがダンジョンに行っている間はイセリアさんに守ってもらうわ」
「いや、でもさっきも体調悪そうにしてたし……俺がそばに居た方が不安じゃないだろ」
自分の言葉にも引こうとしないアレンの態度を嬉しく思いつつも、マチルダは首を横に振った。
マチルダ自身、寝室まで聞こえてきた始まりを告げる者という名前に嫌な予感を覚えていたのだ。
行動するのであればなるべく早い方が良いと、長年ギルド職員として働いてきたマチルダの勘は告げていた。
だからこそ今すぐにでもアレンに行ってもらわなければと考えたのだ。
「私の体調が悪いのは昨日の襲撃のせいじゃないの。妊娠しているからよ」
「……に、妊娠?」
「そうよ。アレンの子どもよ」
「俺の子?」
マチルダの衝撃の告白に、思考が停止してしまったアレンが拙い言葉を返す。その反応に、レベッカは驚いた表情でアレンへと視線を向ける。
「レン兄、気づいてなかったの!?」
「そう言われれば、最近食べ物の好みが少し変わったし、お腹周りとか5センチくらい大きくなったし、肌がかさついているなとか、他にも……」
「レン兄、ちょっと気持ち悪いよ」
「マジで妊娠しているのか」
げんなりとした視線を向けるレベッカに言葉を返すこともなく、アレンがマチルダのお腹に視線を向ける。
そんなアレンの姿に苦笑しながら、マチルダはゆっくりと自分のお腹へとアレンの手を添えた。
「アレン。あなた、父親になるのよ」
「俺が、父親か」
マチルダのお腹に置かれた手からは、ぬくもりは感じられるものの動いたりといった様子はアレンには伝わらなかった。
それでもそこに確かな鼓動を感じたような気がしてアレンが柔らかく微笑む。
「そうか。マチルダ、ありがとう。そしてごめんな。気づいてやれなくて」
「いいのよ。というわけだからアレン、ネラとしてダンジョンに行ってきなさい」
「いや、さすがにそれはねえだろ!」
すかさずアレンは反論したのだが、マチルダという愛する人に骨抜きになっているアレンでは勝ち目などなく、話し合いの結果、アレンはネラとしてダンジョンへと行くことになったのだった。