第10話 正しいお店のつくりかた
「これでも旅商人ですから栄養管理とかに関してはちょっとした知識もありますし、ただ宿で休むよりは有意義だと思うんです。もちろんお金は払いますし、なにか入用ならできるかぎり用意しますよ」
「いや、店で働くって、まだ建ててもねえだろ」
「レン兄は黙ってて! で、どうですか? 体調が回復するまでちょっと違う視点に立ってみるのもいいかなって思っただけなので、断ってもらっても全然問題ないんですけど」
余計なツッコミを入れたアレンをレベッカがキッと睨んで黙らせる。それに対して両手をあげて降参のポーズをアレンが示したことを確認すると、レベッカはうかがうような視線をイセリアへと向けた。
そのレベッカの提案に驚き、悩むような仕草をイセリアが見せる。そして視線をアレンへとしばらく向け、小首を傾げて少し微笑むと何かを確認するかのようにゆっくりとうなずいた。
「わかりました。私に出来る範囲でお手伝いさせていただきます」
「ありがとうございます。いやー、美人店員がいるだけで店に箔がつくんですよ」
「おまえ、完全にそれが狙いだろ」
「失礼だなぁ、レン兄は。それも狙いだ、って言ってよ。厳しい商人業界じゃあ、狙いをいくつももって動かないと大手に潰されちゃうんだから。私みたいな新人は特に」
「なるほど。商人の方々の世界もなかなか厳しいのですね。勉強になります」
軽口のようなレベッカの言葉に、真剣な表情で感心しているイセリアを眺め、色々と言いたいこともあったのだがアレンはそれを飲み込んだ。そして少し天井を見上げて大きく息を吐くと、楽しげにイセリアと話を続けているレベッカへと向き直った。
「話がまとまったところで次はニックのところでいいのか? 俺も依頼を受けるつもりだからあんまりのんびりしてられねえんだが」
「そうだね。そういえばレン兄って今なんの依頼を受けてるの?」
「あー、森の木をきこりが切った後に残った切り株の除去だな。ディグを唱えるだけの簡単な仕事なんだが、なにせ魔法を使える奴らがここには少なくてなぁ」
腕を組みながらしみじみとアレンがそんなことを言うのをイセリアとレベッカが眺める。
現在このドゥラレの町にいる冒険者には偏りがあった。
元々冒険者だった、別の場所からやってきた者たちの中には当然、土を掘る基礎の魔法であるディグを使える者はいる。しかしそういった者たちはアレンがやっているような切り株の除去などといった地味なお金にもあまりならない依頼など受けず、新しく発見されたダンジョンの探索を行っている。
残るのは周辺から集まった冒険者希望の新人たちがほとんどであり、その中で魔法を習ったことがある者などほぼいなかった。
魔法の習得など、普通は一朝一夕でできるものではないため、そういった依頼は結局ディグの魔法が使えるアレンが一手に引き受けているというのが現状だったのだ。
アレンとしても、ディグなどといった基礎的な魔法はダンジョン探索などの冒険を行う上で便利であるし特に秘匿する必要もないため、そのうち新人たちに教えようとは思っている。
しかし現時点ではギルドで起きる厄介ごとを防ぐ方を優先していることと、マチルダと過ごす時間を少しでも増やすためにそれを後回しにしていた。
でも、ダンジョンへと続く道もそろそろ完成だし、新人たちがダンジョンへと本格的に入っていく前に指導した方がいいかもなぁ、などと考えを巡らせるアレンは気づかなかったが、レベッカの口元は三日月のようにニンマリと変化していた。
「じゃ、行こっか、レン兄。あっ、イセリアさんも来ますか?」
「うーん、そうですね。それではお供させていただきます」
「おぉ、レン兄。両手に花だよ!」
するりとアレンの腕に抱きつくように腕を絡ませ、ニシシとからかうような笑みを浮かべるレベッカを呆れた目でアレンが見下ろす。
「いや、花って言っても、片方は妹だし、片方は冒険者仲間だろ。それにニックのところに行くだけだし」
「わかってないなぁ、レン兄は。妹とか行く場所とか全然関係ないんだよ。美女2人を連れて歩く、それだけで世の男の嫉妬を独り占めだね。レン兄の場合はマチルダさんと結婚していることを知っている人も多いでしょ。刺されるんじゃない?」
「男の嫉妬……いらねぇ。っていうか物騒な内容を嬉々として話すなよ。それに自分で自分を美女って、お前……」
「私、正直者なの」
さも純真ですといわんばかりの無垢な表情をしながら上目遣いで見つめてくるレベッカの姿に、ため息を吐いたアレンが頭をかくために手を動かそうとしてそれを止める。
それはアレンの意思によるものではなく、その腕に少し恥ずかしそうにしながらイセリアが腕を絡ませたからだった。
思わぬ状況にイセリアを見つめたまま固まるアレンに対し、徐々に頬を赤く染めていきながらイセリアが口を開く。
「ええっと、なにか楽しそうだなぁって思って。ダメ、でしたか?」
「いや、ダメと言うか……」
少し瞳を潤ませながらそんなことを言うイセリアの姿にアレンが思わず言葉を詰まらせる。
妹であるレベッカに何をされたところでなんとも思わないが、父親のように思われていると伝えられても実際にアレンがイセリアの父親である訳がない。腕を組まれて平常心でいられるほどアレンの肝は太くなかった。
そんな2人の様子を反対側から眺めていたレベッカが、ジロッと目を細めながら呟く。
「……レン兄、本当になにもなかったんだよね? 嘘なら私が刺しちゃうよ」
「ないから刺すな。というかお前、実はまだエミリーに愚痴られたこと根にもってるだろ」
物騒な言葉に正気を取り戻したアレンがそちらへと視線を向けて指摘すると、レベッカはなにも言わずにただ視線をあさっての方へと向けた。そしてするりと組んでいた腕を解くと、自然な感じでイセリアの手を取り話し始める。
「いやー、イセリアさんもそういう冗談が通じる人なんですね。でもレン兄と腕を組んでると妊娠しちゃいますから私と一緒に行きましょう」
「えっ、あの?」
「するわけねえだろ」
戸惑うように聞いてきたイセリアに、ため息を吐いてアレンが返事をする。
そしてレベッカに手をとられ、困惑しつつも嬉しげに部屋を出て行くその後姿を眺め、1人になったその部屋でアレンはこっそりと安堵の息を吐いてから2人を追って歩き始めたのだった。
まだ日が昇ってそこまで時間は経っていないが、既にドゥラレの町には人々が行き交い、活気に満ちていた。もちろん大きな街のようなものではなく、発展途上ゆえの雑多な活気ではあるが。
本当の姉妹であるかのように楽しそうに手を繋いで歩くイセリアとレベッカの後ろをついていきながら行く先を指示していたアレンだったが、今まさに建築途中の家を見つけてふと考えに思い至る。
「なぁ、店を建てるっていってもニックのところも仕事が詰まってるはずだし、どうするつもりなんだ? さすがに俺が頼んだだけじゃ無理だぞ。あいつも工房の看板を背負ってここにいるわけだし」
「ふふっ、我に秘策あり、だよ」
歩き続けたまま上半身だけをひねってアレンの方を振り向いたレベッカの顔は自信満々だった。なにか考えてるなら別にいいか、とそれ以上は聞かなかったアレンだったが、心のどこかになにか引っかかるものを覚えていた。
それがなんなのかアレンが思い至る前に、3人はいくつかのログハウスが建てられた場所へとたどり着く。そこはニックが所属するブラント工房の職人たちが、自分たちの寝泊りのために簡易に建築した家々だった。
そのうちの1軒、ニックと3人の職人が共同で暮らしているログハウスへとアレンが足を向ける。そしてドアをノックしようとしたところで突然扉が開き、アレンが後ろへと下がってそれを避けた。
「んっ、アレンか? どうした?」
「よう。俺がどうこうというより、用のある奴を連れてきた」
「おはようございます。ニックさん」
「おー、レベッカちゃんか。久しぶり、ってほどでもねえか?」
アレンの背後から横へとずれ、礼儀正しく挨拶をするレベッカに対してニックが親しげに声をかける。そのなれなれしい態度に一瞬イラッとした感情がわき上がったアレンだったが、ニックの妻や娘に対する愛情を思い出し、それをなんとか収めた。
続いて出てきた職人たちが不思議そうにアレンたちを見る。アレンとは仕事でなんども顔をあわせたことがあったが、イセリアやレベッカとは彼らは初対面だった。
美女2人を連れるアレンに話しかけたそうにする職人たちにニックが指示を出し、しぶしぶといった感じで彼らは去っていった。
そして少しの世間話を挟み、レベッカが店舗の建設依頼という本題へと入ったのだが……
「そりゃ無理だな。まだ2軒ほど予定が入っているんだ。工期を延ばしたらブラント工房の名に泥を塗っちまうことになる」
しごくあっさりとニックはその話を断った。それはアレンの予想の範囲内であり、当然レベッカもそれに対して落胆している様子はなく、当然ですよね、とばかりに首を縦にふっていた。
さて、どうするつもりなんだ、とアレンが様子をうかがっていると、レベッカは腰に下げていたマジックバッグをごそごそと漁りだす。
「ちなみに、受けてくれるのならこんなものがあるんですけど」
そう言ってレベッカがニックに差し出したのは、高級そうな小さな陶器の箱と何かの液体の入った小さな小瓶だった。
なんとなく高そうなもんだな、とアレンとニックが同じような感想を抱きながらそれを眺めていると、にこやかな笑みを浮かべながらレベッカが説明を始めた。
「こっちの小瓶は、今王都の女子に流行の香水です。ほんのりとフローラルな香りが漂うだけでなく、かけた部分がキラキラと光を反射してとっても可愛いんですよ。リリーちゃん、そういうの好きそうですよね」
「うっ」
愛娘の名前を出され、しかもレベッカの言葉の誘導に乗ってそれをつけた姿を想像してしまったニックが明らかな動揺を見せる。
その姿に一瞬だけニヤリとした笑みを浮かべ、すぐに元に戻したレベッカが追い討ちをかけるように陶器の蓋を開けた。
「こちらは、王都の一流の職人が造ったペアリングですね。シンプルなデザインですが、それだけに職人のセンスが光る一品です。ニックさんに、今最も必要な品じゃありませんか?」
「ぐっ、なんでそれを?」
「レン兄のことだからマチルダさんも連れてニックさんのところに報告に行ったはずです。その時、レン兄とマチルダさんの指に光るペアリング。それに気づかない女性はいません。庶民で指輪を贈るなんて珍しいですし、憧れちゃいますよねー」
その言葉にニックの心が大きく揺れる。確かにレベッカの言うとおりニックにとってそのペアリングは喉から手が出るほど欲しいものだった。
実際、愛妻から直接欲しいなどと言われたわけではない。しかし想い続けてやっと結婚し、何年もの時を過ごしてきた大事な人なのだ。アレンたちが来たときの反応や、ぼーっとしながら手を見つめる様子を偶然見てしまったニックにはその心の内が手に取るようにわかっていた。
実際、愛する家族と離れてまでこのドゥラレの町での仕事を受けると決めたのは、こちらの方がはるかに報酬が高かったからだった。
ぐらぐらと自分の心が揺れるのを自覚しつつも、ニックは最後の最後で踏みとどまっていた。自分の欲のために無謀な建築計画を立て、その結果失敗しては意味がない。大工という職人としての意地だけでなく、上に立つ者としての自覚がニックの中には芽生えていたのだ。
「すまないが、やっぱり……」
断りの言葉を告げようとしたニックに、レベッカが微笑みかける。そして……
「レン兄を自由に使っていいですよ」
「よし、詳しい建築計画を立てようか。あっ、その前に他の奴らの指示を変更してくるから待っていてくれ。アレンが使えるなら基礎部分は任せちまえばいいしな」
「ちょ、おい!」
先ほどまでの悩んでいた姿が嘘のように、晴れ晴れとした顔で他の職人たちのもとへと走っていく親友の姿を見送り、アレンがじとっとした視線をレベッカへと向ける。
そんなアレンに対して、レベッカはべっ、と少しだけ舌を出して笑ったのだった。