第12話 ドルバンという男
ドルバンの下働きとしてしばらくの期間働いていたアレンには、工房内が現在どんな状況かわかっていた。昨日、ネラとしてお金を受け取った帰りにチラッと様子を見て今日なら話せるだろうと判断したから覚悟を決めてやってきたのだ。
ドルバンの鍛冶の方法は特殊で、一度始めたら完成するまで手を休めることが全く無い。食事や水分補給すらせず、ぶっ続けでひたすらに鍛冶に全てを注ぎ込むのだ。それに付き合わされたアレンが何度倒れようとも、そのスタイルが変わることは無かった。
そして製作が終わるとそのまま死んだように眠り、そして起きた次の日だけがドルバンと話せる日となる。
その翌日には新たな鍛冶仕事へと取り掛かってしまうため、今日を逃せば次がいつになるかわからないことをアレンは経験から十分すぎるほど知っていた。
扉の前でふぅ、と大きく息を吐き、アレンは覚悟を決める。そしてノックすることも呼びかけることも無く、扉のノブへと手をかけて開けて中へと入った。
その瞬間に漂ってきた、まるで酒樽をひっくり返したかのような濃いアルコール臭に思わず顔をしかめながら、アレンはその発生源へと目を向ける。
応接用のはずの机とソファーに転がる無数の空き瓶。それらの中心で一心不乱に食事しながら酒をあおっているドワーフへと。
「師匠、久しぶり」
「おう、アレンの坊主か。久しぶりって程でもねえだろ。2年くらい前にメンテしてやったじゃねえか」
「人間の感覚だと2年でも結構な時間なんだよ」
「はっ、はっ、はっ。そりゃ、悪かったな」
アレンの言葉にそのドワーフ、ドルバンが快活に笑う。その姿はアレンが2年前に見た姿と全く変わっていなかった。いや、最初に剣を打ってもらった10年前から比べてもほとんど変わっているところは無い。服装などはもちろん変わっているが、身体的な変化をアレンは見つけることが出来なかった。
それはアレンの目が節穴だからではない。ドルバンの種族であるドワーフがいわゆる長命種だからだった。
基本的に人間は60歳ほどで寿命となる。長く生きたとしても普通ならば100歳くらいが限度だ。しかしドワーフは平均して500歳程度まで生き、一部の者は1000歳を超えることもあった。
2年という期間は、人間にとってもドワーフにとっても変わりは無い。しかしその捉えようは全く違う。29歳のアレンを未だにドルバンが坊主扱いすることからもそれはうかがえた。
「んで、何か用か?」
「あー、まあな。その前にこれ、師匠が好きだった酒だろ」
言葉を濁しつつ、アレンがわざわざここに来る前に寄り道して買ってきた酒瓶を机の上に置く。次の瞬間、ドルバンはそれを奪い取るかのように掴み、本来であれば専用の道具を使って開ける栓を無理矢理抜いてゴキュゴキュと流し込んでいった。
ギルド職員の給料半月分の高級酒が瞬く間に消えていく様をアレンはなんとも言えない顔で眺める。そして全てを飲み干したドルバンがプハァーと美味そうにアルコール臭い息を吐き出した。
「で、何をやらかしたんだ?」
「いや、何のこと……」
「金にがめついアレンの坊主がこんな高級酒を買ってまでご機嫌取りするからには、それなりの理由があるんだろ」
確信を持って言われたその言葉にアレンは言葉を続けられなかった。まさしく図星としか言いようがないからだ。
アレンのプランとしては高級酒でご機嫌を取った後、部屋などを片付けながら世間話をし、自然な流れで剣へと話を振った後に、剣を折ってしまったことを告げて誠心誠意謝るはずだった。それが最初から崩れたのだ。
しばらく迷っていたアレンだったが、すぐに覚悟を決めた。というより、早くしなければドルバンの機嫌が悪くなるばかりであることを知っていたからだ。
「師匠の剣を折っちまった。本当にすまない」
腰に下げていた剣を鞘ごと抜き、アレンがそれをドルバンへと差し出す。眉間に皺を寄せながらそれを受け取ったドルバンがゆっくりと剣を抜き、折れた剣身へとその目を走らせる。アレンはその姿を直立不動の体勢で見ながら待っていた。
時間にしてほんの数分、アレンにとってはとても長い時間が過ぎ、そしてドルバンがゆっくりと視線をアレンへと向けた。その鋭い瞳にごくりとアレンの喉が鳴る。
「お前、どうやってこれを折った?」
「えっ?」
叱責されるとばかり思っていたアレンが間の抜けた声を上げる。
以前、ドルバンのもとで下働きしていた時、同じように剣を折った冒険者をドルバンはボコボコに叩きのめしたことがあったのだ。叩きのめされた冒険者はアレンよりよほど上位の冒険者だったのだが、反撃さえ出来ずにぼろ雑巾のような姿で店の外へと放り捨てられていた。
そのイメージが強すぎたため、ドルバンの問いかけはちゃんとアレンに聞こえていたが、即座に理解できなかったのだ。
「坊主に剣の手入れを教えたのは儂だ。2年前に見たときも日々の手入れを丁寧に行っているのはわかったし、剣の扱いが悪いということも無かった。そして今、この折れた剣を見てもそれに変わりはなかったことが儂にはわかる」
「……」
「剣の耐久性についても問題はなかったはずだ。自分の分を知っている坊主が使うには十分すぎるほどにな」
ドルバンの言葉に、アレンは言葉を発することさえ出来ず黙り込んでしまう。ドルバンの言はどこまでも正しいとアレン自身が承知しているからだ。
レベルアップとダウンの罠を利用したレベル上げを行う以前のアレンが戦っていたのは、お世辞にも強いモンスターとは言えないものばかりだった。生活するためには安全第一であるため徹底的にリスクを避けていたからだ。
そのことをよく知っているドルバンには、硬いものを斬りつけて刃が潰れたといった様子も無く、それどころか整備してから何かを斬った形跡さえないのに折れてしまっている剣に違和感を覚えないはずがなかったのだ。
「そういや、坊主はギルド職員になったとか聞いたような気がするが、まさか……」
そう言って言葉を止めたドルバンの姿に、アレンが覚悟を決める。なるべくなら強くなった事を人にわからないようにしたいとアレンは思っている。しかし恩人であるドルバンが、アレンの強さに気づいたのであればそれをごまかすのは不義理だと考えたのだ。
まあドルバンであればお願いすれば口外しないであろうと言う打算もあったが。
「師匠、実は俺……」
「この前発見されたスライムダンジョンのレベルアップの罠でレベルを上げやがったな」
訳知り顔でそう断定したドルバンの言葉に、アレンが目を見開き、そしてその表情が徐々になんとも言えないものに変わっていく。
「ああ……」
「そういや罠を見つけたのは元冒険者の職員だって話だったし、坊主が見つけて自分のレベルを最大まで上げてから報告したってことか。大方強くなったステータスに調子に乗って剣を振り回した挙句、変な振り方でもしたんだろう」
「……仰るとおりです」
「この馬鹿もんが!」
レベルダウンの罠を使ったこと、そして上がったステータスが予想以上であることを除けばほぼ正解のドルバンの予想に、アレンは少し考えてから首を縦に振って肯定した。
そしてその直後アレンの頭へとドルバンの拳骨が落ちる。ステータスが上がったために痛みには強くなったはずであるのに、目に涙が浮かぶほどの痛みにアレンは頭を押さえてうずくまる。
そんなアレンを見下ろしながら、ドルバンはぷらぷらとその手を振っていた。
「いつの間にか石頭になりやがって」
「んっ、何か言ったか?」
「言ってねえ! しかしそんな理由では修理は出来んな。そもそも根元から折れているし、修理しても強度が保てん。一から打ち直したほうが早い」
ほんの小さな呟きに反応して聞き返してきたアレンにドルバンが怒鳴り返す。そして持っていた剣をアレンに返しながら、一流の鍛冶師の判断としてこの剣は修復不可能であることをアレンに伝えた。
その言葉にアレンの表情が歪む。
「金なら……」
「そういう問題じゃないことは、坊主も知ってるだろうが」
「だよなぁ」
なおも食い下がろうとしたアレンに対して、ドルバンはきっぱりとそれを否定した。鍛冶師としてドルバンが求めているのは金ではない。武器としての出来なのだ。欠陥品の武器を生み出すなどドルバンがするはずがなかった。
あからさまに落ち込むアレンをじっとドルバンは眺めていた。そしてすぐにその口元をニヤリと緩める。
「儂は修理しない。でもどうしてもって言うなら……」
「やってくれるのか?」
「だからしないって言ってんだろ。どうしても修理したいなら自分でやってみな。金にも余裕があるし、ギルド職員なら時間もとれるはずだろ?」
突然の提案にぽかんとした顔で見返してきたアレンに、ドルバンは笑い声をあげながら机の上の酒瓶を掴んで上機嫌で飲み始めるのだった。