第36話 処分品の有効活用
アレンがフルナゼーノの先生であるトラエノールの部屋の片づけをするようになった翌日、研究室内での選考によって学会で発表することが決まったと報告を受けたアレンは、意気揚々と自分の研究部屋へと向かったジーンの背中を眺めながら苦笑していた。
この学術都市国家キュリオに来たばかりの学生であるジーンがそんな偉業を成し遂げたことを、嬉しく、そして誇らしくも思う気持ちはあるのだが、それより先にアレンの頭に思い浮かんだのはまた無茶するんだろうなという心配だった。
「残り1週間か」
そんなことを呟きながらアレンは食器の片づけを終えると、先ほどアレンとジーンが食べた夕食と同じものが入ったかごを持って家を出た。トラエノールへとそれを届けるために。
昨日、夕食を差し入れた時には食べないかもなと考えていたアレンだったが、今日の朝部屋へ行ってみるとそれは綺麗になくなっていた。それに加えて短いながら感謝を伝える手紙まで入っていたのだ。
相変わらず直接しゃべることはないし、失敗すれば紙が飛んでくるのだが、それでもアレンは終始上機嫌だった。ジーンを基準に考えれば感謝の手紙が入っているなど奇跡のようなことだったからだ。
夕闇から完全に夜へと移り変わる直前の人通りの少なくなった通りをすいすいと進みつつアレンが物思いにふける。
残り1週間、それは色々なことに関してあてはまる。トラエノールの面倒にしても、ジーンと一緒に住むことにしても学会までの期間限定であり、それが終わればアレンはギデオンの護衛として再びライラックへと戻ることになる。
2、3日の猶予はあるかもしれないが、アレンがこの街で過ごす時間はもうそこまで長くない、それは確かだった。
「あー、だめだな。この街にちょっと愛着が湧いちまったからかなんか寂しくなっちまって」
心に浮かんでくるその思いをあえて口に出し、アレンが自嘲の笑みを浮かべる。
アレンもわかっているのだ。自分のいるべき場所はここではなくライラックであることを。しかしフルナゼーノを始め、この街で出会った風変わりな人々や一風変わった街の雰囲気、そしていくらでも知識を得られるという環境にアレンは確かに惹かれていた。
それを自覚しつつも、その事実を振り払うようにアレンが軽く首を横に振る。
「やめやめ。最後の最後にいい思い出ができそうなんだし、幸運だと思わねえと」
アレンがマジックバッグにしまったままの、ギデオンからもらった1枚の紙を思い出しつつそんなことを呟く。
その紙とは学会の会場に入るための入場券だった。様々な研究者が発表を行うのは賢者の塔に存在する大講堂と呼ばれる広い会場なのだが、いくら広いと言っても席には限りがある。そのため会場に入ることができるのはその入場券を持った者に限られているのだ。
発表を行う研究の協力者だからという理由でギデオンに半ば無理矢理渡されたものであり、もしジーンが見たいと言うのであれば譲り渡そうかとアレンは考えていた。
しかしジーンが発表者に選ばれたということでそれは必要なくなり、逆にジーンの発表する姿を生で見ることができるというアレンにとって非常に重要なものへと変わっている。
そしてアレンが持っている入場券は自由席のものであるため、既にアレンは学会の日には早く会場に向かおうと決意しているのだ。
そんなことを考えているうちにアレンはフルナゼーノの所属する研究室へと到着した。
受付を通りトラエノールの部屋へと向かうと、未だに執筆を続けているトラエノールを眺めて慎重に食事の入ったかごを昨日と同じように部屋の隅へと置く。
匂いにも反応するトラエノールの基準を鑑みて、あまり匂いの出ない食事をアレンは作っているが、それでも万全を期すためだ。昨日それで良かったからということもあるが。
一心不乱に執筆を続けるトラエノールへ向けて無言のまま軽く手を挙げて別れを告げ、アレンは静かに部屋を出ていく。
そして受付の男に軽く挨拶をして帰ろうとしたところで、以前入った入り口すぐの部屋から光が漏れ、先ほど通ったときにはなかったゴウン、ゴウンという重い音が聞こえてきた。
なにしてるんだろうな、と少し疑問に思いつつもそのまま帰ろうとしたアレンの耳に、その音にまぎれて小さな声が届く。
「はぁ、また仕入れに行かないと」
少し疲れたような雰囲気を感じさせる聞き覚えのある声に、アレンがその足の行き場を変え部屋に向かって歩き出す。
そして部屋の中に入ったアレンが見たのは、その予想通りフルナゼーノだった。
フルナゼーノはその音を鳴らしている、自身と同じくらいの大きさの四角い箱の前に座りながら、ぼーっとそれを眺めていた。
「よっ、フーノ」
「あっ、お義兄さん。先生に食事の差し入れですか?」
「おう。それよりフーノはこんな遅い時間までなにしてんだ? あっ、なんか研究の秘密とかに関わることなら話さなくていいからな」
途中でその可能性に気づき、慌てて付け足したアレンの様子に、にこりと笑い、首を横に振ってフルナゼーノが答える。
「違うから大丈夫ですよ。なにをしているかというと紙を作っているんです」
「紙? つまりそれは紙を作る魔道具ってことか。へー、そんな魔道具があるんだな」
アレンがただの四角い箱に見える魔道具へと近づき、興味深そうにそれを眺める。
箱の上部には円形の蓋がついており、現在それはしっかりと閉じられている。そのため内部をうかがうことはできないが、先ほどのフルナゼーノの呟きから考えてここから材料なんかを入れるんだろうなと予想し、アレンは魔道具からフルナゼーノへと視線を戻した。
「はい。出来上がった紙を買う方法もあるんですが、私たちの研究室はどうも紙の消費が多くて自分たちで作っているんです。研究費も有限ですから」
「確かに紙の消費は多そうだ」
その言葉だけでアレンがなにを想像したのか察したフルナゼーノがくすりと笑いをもらす。その様子にアレンも同じく笑みを浮かべていた。
和やかな空気が流れる中、アレンが質問を続ける。
「そういや、冒険者ギルドでも結構紙が使われているけどそもそも材料まで気にしたことがなかったな。結局紙ってどうやって作るんだ?」
「そうですね。動物の皮などを使用するものや、樹木を薄く切ったものなど昔から今まで使われている物も多いんですが、本などに使われる紙の多くはモンスターの素材ですね」
「へー、そうなのか。本の形のモンスターとは戦ったことがあるが、実際の本もモンスター素材で出来てるとはな」
ジーンの研究の検証のために散々倒し、手に持って移動した赤の魔導書のことを思い出しつつアレンが感心する。
身の回りにある何気ないものでも結構モンスター素材だったってことがあるのかもな、と考えていたアレンにフルナゼーノが言葉を続ける。
「紙の主材料はそれですよ。物体系書籍類に属するモンスターを分解して紙に作り直しているんです。賢者の塔にもいますけれど、有名なのはヴェルダナムカ大樹林の……」
「いや、ちょっと待ってくれ。本のモンスターがそのまま紙になってるのか?」
「はい。他にもいくつか材料がいりますけれど」
こてんと首をかしげ、不思議そうに聞き返してきたフルナゼーノの様子に苦笑を返しながらアレンが考える。これはある意味でチャンスじゃないかと。
アレンの持っているマジックバッグには検証で大量に倒したまま放置してある赤の魔導書が入っているのだ。他のモンスターについても残っているのだが、少なくともこの状況なら自分にとってもフルナゼーノにとってもお互い得な取引ができる、そう考えたのだ。
アレンが少し口の端を上げ、そしてフルナゼーノに提案する。
「なあ、フーノ。この前ダンジョンで大量の赤の魔導書を倒してきたんだが、買わねえか?」
「申し出は嬉しいんですが、普段買っているのは赤の魔導書よりもっと安いモンスター素材なので」
やんわりと断るような流れをすぐに察し、アレンは言葉をつけ加える。
「いや、別に儲けようとか思ってねえからその仕入値以下でいいぞ」
「でも……」
「俺としても不用品の処分ができてありがたいし、余った予算でより良い研究ができるようになれば研究者として本望だろ。そもそもあの先生のお守りの報酬にしたってもらいすぎみたいなもんだし」
それでも遠慮しようとするフルナゼーノにアレンは説得の言葉を続け、そして多少強引にでも話を進めるために背負っていたマジックバッグから赤の魔導書の残骸を次々と取り出していく。
アレンの魔法によってそのほとんどはバラバラに切り裂かれており、あれっ、これってそのまま使えるのか? と少しアレンが不安になってきたところで聞こえてきた、少し重みの感じられるフルナゼーノの声にアレンが顔を上げる。
「お義兄さん。なんでそんなに他人に親切にするんですか?」
真剣な表情でじっと自分を見つめるフルナゼーノの姿に、これがなにか重要な意味があるんだろうとアレンは察したが、それがなにかまで推理することはできなかった。
しかしその質問に関する答えはアレンの中で明確であったため、全く迷うことなくアレンは即答した。
「俺自身、人の親切のおかげで家族を養いながら生きてこられたって思っているからな。だから俺もできる限り親切にしようって考えてるんだ。まっ、できる限りってところが俺らしいかもな」
「そうですか……それがお義兄さんの信念なんですね」
「そんな大したもんじゃねえよ。それに今回は他人じゃねえだろ。まだ先とはいえ義妹の、いや家族のためになるんだから」
そう言ってアレンが少しからかうように笑いながらフルナゼーノの頭を撫でる。その瞳はとても優しく、その温かさに溶かされたようにフルナゼーノの表情も柔らかく変わっていった。
そしてお互いに見つめあい、本当の家族のような穏やかな空気が流れる。少しだけ恥ずかしそうに二人して頬を染めながら。
「まっ、そんなわけだ。わかったか、義妹よ」
「はい、お義兄さん」
空気を少し変えるためにわざとらしくそう言ったアレンの言葉にフルナゼーノも笑顔で応える。そして……
「お義兄さん。赤の魔導書を素材にするとなると、今あるのと別のモンスターの素材が必要になってしまうんですが」
「えっ、マジで! どんなモンスターだ?」
急に慌て始めたアレンのその様子にくすくすと笑いながら、フルナゼーノは新たに少しだけ必要になる素材類について話し始めたのだった。