第11話 恩人の鍛冶士ドルバン
鬼人のダンジョンを単独で攻略してしまったアレンであったが、一つの問題が発生していた。それは……
「どうすんだ、これ」
アレンが困っているのは昨夜ネラとしてギルドから受け取ったオーガキングの魔石と角を売却した代金であるリビングのテーブルの上に載った600万ゼニー分の金貨600枚である。
ちなみに1回分でこの金額になっているので、5回攻略しているアレンの手元にはこの5倍の量、つまり金貨3000枚くらいが集まることになるのだ。
同じ値段で売れるとは限らないので減ってしまうことも考えられるのだが、それにしても多いことには違いない。
ちなみに冒険者時代のアレンの1年間の稼ぎは300万ゼニーあるかないかであった。ギルドの職員の給料は今のところきっかり300万ゼニーなので収入的には冒険者時代とあまり変わってはいない。
つまりアレンはたった1か月で10年間分相当の稼ぎを出したということになる。
お金があるのはいいことだ、とアレンは考えていた。アレン自身、弟や妹を育てるために散々苦労してきたのだから当たり前だ。しかし突然大金を手に入れたとしても何をどうするべきかアレンにはさっぱり思いつかなかった。
このお金はネラとして稼いだお金であるのでアレンが派手に使えば、周囲にいらぬ疑いを持たれてしまう。アレン自身上がったステータスで冒険はしてみたいが、有名になる代わりにごたごたやしがらみに囚われるような生き方をしたいとは微塵も思っていない。むしろそういったことが嫌だからこそ隠そうとしているのだから。
「保管をどうするかってのも問題だが、まずは……」
ちらりとアレンが部屋の片隅へと視線を送る。そこには長年アレンと苦楽を共にしてきた相棒である剣が鞘に入った状態でひっそりと置かれていた。もちろんその刀身はスライムダンジョンでの素振りで折れたままだ。
ゆっくりとアレンが剣へと近づき、そしてそれを抱くようにして持ち上げた。使い込まれ鞘のいたるところに薄い傷が残っており、その1つ1つがアレンのこれまでの人生の軌跡だった。
「こいつを直してやらねえとな。ちょうど金も入ったことだし」
そう言いながらアレンが困ったように眉根を寄せる。冒険にはネラとして行くため、この剣を使う予定は無いと言っても過言ではない。しかし剣を直さないという選択をするつもりはアレンには全く無かった。それほど大事な剣なのだ。
それなのにこれまで修理することを、お金に余裕がないなどと自分に言い訳して先延ばしにしてきたのは……
「おやっさん。怒るだろうなぁ」
その剣を打った職人に怒られるのが嫌だったから、ただそれだけだった。
しばらくうだうだと考えていたアレンであったが、結局は覚悟を決めて少しだけ寄り道をしてから知り合いの鍛冶職人の工房へと向かうことにした。しかしその足どりは決して軽くはない。むしろ目的地に近づくにつれて、それは明らかに遅くなっていた。
ただ止まることはなかったため、いくばくかの時間の後にアレンは目的の工房の前へとたどり着いた。
「ここに来るのも久しぶりだな。2年ぶりくらいか?」
ライラックの街の東地区。ここはいわゆる職人の多く住む地区である。鍛冶、調薬、裁縫やその他様々な職人が日々しのぎを削り、そして腕を上げていく。周囲に4つのダンジョンを擁したこの街は素材の宝庫であり、そのダンジョンへと挑戦する冒険者も多いため武器や防具、薬品類の需要も高いからだ。
しかしこの東地区に長期間住む者はそこまで多くない。職人の数はそれなりに多いのだが、その多くは見習いであり、その見習いたちはある程度の実力がついてくると別の街へと移動してしまうからだ。
他の街では十分に通用する腕前であっても、この街の基準では半端者扱い。そのうえ、実際に目にすることの出来るはるかな高みにいる職人たちの作品たちによって、向上心が折れてしまう者が多いためだ。
そのため残るのは生え抜きの腕利き職人たちと貪欲に上を目指す有望な者たちだけになるという訳だ。
アレンの目の前の鍛冶職人の工房は、それらの工房の中では比較的新しいものだった。新しいとは言ってもここに居を構えてから50年経過しているし、その時から変わらず同じ者が鍛冶をしているという点で見ればその実力は疑うべくも無い。
周りの工房が動き出しているのにもかかわらず、未だに音1つしないその薄茶のレンガ造りの工房へと視線をやり、アレンは苦笑する。
(変わらねえなぁ)
そんな感想を抱きながら、アレンはゆっくりと工房へと歩を進める。
工房の中には一部が店舗となっている所も少なくないが、アレンの目的の工房はほぼ全てが鍛冶場となっており、生活スペースとしては入り口から入ってすぐの一部屋のみであることをアレンはよく知っていた。
入り口のドアの前に立ち、そこに掲げられていた看板を見てアレンが苦笑を浮かべる。それはアレンが剣を打ってもらった10年前から全く変わっていなかった。
『ドルバン工房』
主人の名前のみの入ったシンプルな看板。それだけなら他の工房でも同じようなところはある。アレンの苦笑を誘ったのはその隣に掲げられた一言。
『用がある奴は勝手に入って待ってろ』
まるで客の都合に合わせる気がないことを示しているその文字だった。しかもそれは比喩などではないことをアレンはよく知っている。
金に余裕など全く無かった昔のアレンが剣を打ってもらうために何度も通って頼み込み、そして鍛冶の手伝いというか下働きとしてこき使われた末にもらった剣が、今回修理を依頼する予定の剣なのだから。
その当時のアレンは19歳。冒険者として脂の乗り始めた頃であり、たまたま良い縁に恵まれて上位の冒険者のサポート役として働くことが出来ていたため、普通に生活するだけであれば多少の余裕はあった。
だがそれも長くは続かなかった。その上位の冒険者たちがいなくなり、それと時を同じくしてお金が必要な事態が発生してしまったのだ。
お金が必要と言っても悪いことではない。長男アレンを筆頭とした3男2女の家族の次男エリックがこのライラックの町の兵士の採用試験に推薦されたのだ。
兵士は身元のしっかりとした者から選ばれるのが普通であり、市民権はあるもののスラムに近い位置に住み、親もいないアレンたちのような者に声がかかることは普通ならありえない。
その時はたまたま多くの兵士を募集しており、推薦枠が広まったためかろうじてエリックにも声がかかったのだ。逆に言えばこの機会を逃せば、もう二度と来ないような好機だった。
アレンと同じように冒険者になることを夢見て剣術道場に通っていたエリックの剣の才能にアレンは気づいていた。
師範の教えをスポンジのように吸い込む覚えの良さ、不意の攻撃にも反応する勘の鋭さ。先輩たちを追い抜き、着々と実力をつけていくエリックの姿は正に剣の申し子と言っても良いほどだった。
しかしいくら才能があったとしても、その先にあるのは死の危険と隣り合わせの冒険者の道しかない。アレンは大切な弟であるエリックをそんな未来へと進ませたくなかった。
だからこそアレンはこの話に飛びついた。兵士も決して安全とは言いがたい職ではあるが、冒険者と死亡率の面で比較すれば雲泥の差があった。
怪我をすれば治療してもらえ、さらに言えば収入が不安定になりがちな冒険者に比べ、兵士は給料制であるため安定感が違うからだ。
しかしそこで問題になったのが、試験で使う装備をどうするのかということだった。エリックはあくまで採用試験に推薦されただけであり、その採用試験の中には実際に真剣で行う試合が含まれていた。
もちろん冒険者として活動していたアレンも剣を使用していた。しかしそれは散々使い込まれ、なんとか壊れないように工夫しながら使っているようなボロボロのものだった。兵士として推薦されるような剣の使い手との試合に耐えるような物ではなかったのだ。
だからアレンは最低限の生活費以外の全てのお金をかき集め、偏屈だが腕は一流で話が通じないわけではないという噂だったドルバンにエリックの剣の製作を依頼したのだ。
そして苦労の末、無事にエリックの剣を打ってもらい、その剣を使用して採用試験に臨んだエリックは見事に兵士へと採用された。
ちなみに、その剣のついでとばかりにドルバンが造ってくれたのが、折れてしまったアレンの剣の正体だったりする。
ちなみにその代金をアレンは払っていない。ドルバンが頑として受け取らなかったからだ。そんな剣にアレンは何度も命を救われてきたのだ。
そんな諸々の事情もあり、アレンはドルバンに頭が上がらなかった。
まるで、いらない物とでも言わんばかりに渡されたその剣のおかげで、アレンは今まで苦労していたようなモンスターと余裕を持って戦うことが出来るようになった。そのおかげで、最低限しか残していなかった生活費にも余裕が出て、他の弟や妹に苦しい生活をさせなくて済んだのだ。
アレンにとってドルバンは正に恩人なのだ。