第24話 調査初日
翌日アレンが作った朝食を食べ終えて、賢者の塔の北東にある所属している研究所に行くというジーンをアレンは洗い物をしながら見送る。
そして少しだけ残っていた洗い物を仕上げると、即座に庭から家を出て先を行くジーンの後を追って歩き始めた。
通りが直線状に造られているためジーンの姿はすぐに見つかったのだが、逆に言えば監視する者にとってもやりようはいくらでもあると思い浮かび、アレンが苦笑する。
(うーん。本職が複数人がかりでやればほぼ察知不可能なんじゃねえか、これ)
ジーンの性格をよく知っているアレンは、ジーンの行動範囲の狭さもよく知っていた。
まだこの街での生活状況を見たわけでもないため確証とまではいえないが、おそらく研究所と自宅との間を行き来する以外にほとんど寄り道などしていないだろうということも、そしてその道が最短経路になっているであろうことも。
もしイセリアの言ったとおりジーンの後をつけていた者がいるのであれば、それは……
(ジーンのことをあまり知らない奴、もしくはそもそも素人がやってるってくらいか。おっと、あれはフーノだな)
せっかく昨日倒れついでに眠ったおかげで少しはマシになったはずなのに、再び研究で徹夜したらしくふらふらと歩いているジーンへ、手を元気よく振りながらフルナゼーノが近づいていく。
そして二人は横並びになって同じ方向へと歩き始めた。積極的に話しかけているのはフルナゼーノではあるのだが、ジーンも無視することはなく相づちを打って返していた。
「あぁ、マジで変わったんだな。あいつ」
その姿に思わずアレンがそんなことを呟く。
ライラックで一緒に暮らしていたとき、ジーンは家族以外の人に興味を示すことなどほぼなかった。よく行っていた本屋で本を購入したり、逆に写本の依頼を受けたりするときに会話をしているのを見たことがあるくらいで、それ以外はずっと家にひきこもっており接点すら持とうともしなかったのだ。
そんなジーンが人と横並びになって歩き、そして会話を交わしている。その光景だけでアレンの心にはぐっとくるものがあった。
鼻の奥がツンとしてくる感覚に、アレンが軽く首を振ってそれを霧散させる。そしてこれ以上このことを考えないように、別のことを考え始めた。
(しかし、ジーンの研究がレベルアップ時のステータスの上昇についてだとは思わなかったな。しかもいつの間にかレベルも上げてたし)
仲良く歩く二人を視界の端に捉えつつ、適当に散策する体で店を冷やかしたりしながらアレンは昨日ジーンから聞いた話へと思考を飛ばしていた。
ジーンが行っているレベルアップにおけるステータス上昇値の研究というのは割とこのキュリオでもメジャーな研究の一つであるらしく、その説明を聞いた後、幾つか参考文献としてジーンから渡された本をアレンも読んでみた。
参考文献というより研究を行った条件やその結果、そこから考えられる推察が並べられている研究資料をまとめたものといった本だったが、最終的に自らが望むステータスを得るという結果を得られたものは一つとしてなかった。
だからこそ研究が続いているともいえるのだが。
その本の中には任意のステータスを伸ばすための方法であればある程度具体的に記載されていたのだが、それは冒険者としてアレンが体感していたものと大きな差はない。だから驚きはあまりなかった。
それよりもジーンが研究している上で立てた仮説の方に興味がそそられたぐらいだった。
ジーンがその仮説を思いついたきっかけはこの学術都市国家キュリオで行われる特殊な授業だった。それは都市の中心にある賢者の塔の地下にあるダンジョンに行きモンスターを倒してレベルアップするというものだ。
アレンとしてはそんな場所にダンジョンがあるということ自体が初耳だったのだが、一緒に聞いていたイセリアは特に驚いておらず、その理由を聞くとこの街出身の研究者が書いた本にそういった記載があり既に知っていたということだった。
色々と思うところのあったアレンだが、その中でも最も不思議だったのは、なぜそんな授業を行うのかということだった。
冒険者という仕事をしてきたアレンだからこそ、ダンジョンの危険性は重々承知している。授業として行うのだから冒険者のように生活のためというわけではないし、そもそもこのキュリオに集められているのは戦いとは縁の遠い研究者やそれを目指す学生だ。
それなのになぜ、とそこまで考えてアレンは気づいた。それがステータスを上げるためであることに。
レベルアップで上がるステータスは攻撃力、防御力や素早さといったモンスターとの戦いに役に立つ要素が多く含まれている。しかしその中の1つに知力があった。
アレン自身、最近まではその知力というステータスの恩恵をあまり感じてはいなかったが、それを意識するようになり知識を得ることをするようになってからは、その片鱗を徐々に感じるようになっていた。
理解力、記憶力は言うに及ばず、それ以外の思考に関する能力は確かに知力のステータスによって上昇するのだとアレンは実感していたのだ。
このキュリオに来るのは研究者の中でも優秀な者ばかりだ。しかしレベルの高い者など当然ながら少ない。むしろほとんどの者はレベル1ばかりだろう。
知力のステータスも普通の人よりは高いだろうが、高レベルの冒険者には劣るといった者も多いはずだ。それでも彼らが選ばれたのはステータスの値よりも大切なもの、学習に対する貪欲な想いがあるからだった。
(もしかしたら研究のために命をかけられるかどうかが、ここに呼ばれるかの一つの基準になってるのかもな)
そんなことを考えつつ、アレンは自らの研究室のある建物へと入っていくジーンを遠くから眺める。
自らの研究のために役立つのならと、ジーンが嬉々としてモンスターに立ち向かっていく光景がアレンの脳裏にありありと浮かんでいた。
(ジーンやギデオンもそうだが、本当の研究者ってやっぱどっかおかしい……あー、でも生活のために冒険者はモンスターと戦うし、研究に関係する知力を上げるために研究者がモンスターと戦うのも一概にはおかしいとは言えねえか?)
そんなよくわからないことを考えつつ、アレンは目の前の本屋に並んだ背表紙をざっと眺めていく。
結局アレンはイセリアの言ったジーンを尾行する怪しい者を見つけることはできなかった。初日ですぐに見つかるとはアレン自身も考えていなかったので落ち込んだりはしていなかったが。
学術都市国家というだけあり、本屋が多く存在しその内容も多岐に渡っていた。
アレンが今眺めている店は特にモンスターやダンジョンなどに関する本を主に扱っており、アレンの興味を引くようなタイトルも散見された。
店主に軽く断ってから気になったタイトルをぺらぺらとめくり、役立ちそうなので買おうかと考え、その値段の高さに頬をひきつらせていたアレンのズボンがくいくいっと引っ張られる。
「お義兄さん。おはようございます。珍しいところで会いましたね」
「うんっ? おお、フーノか。おはよう」
そうフルナゼーノに声をかけられ、ドキリとしながらもそれを表情に出すことはせず、そちらを見たアレンが無難に返す。
対面したフルナゼーノの様子は昨日会ったときとあまり変わりなく、にこやかなその表情からはただ偶然見かけたから声をかけた以上の感情はアレンには読み取れなかった。
「俺は冒険者活動に役立つ本でもないかと探していたんだが、フーノもそういうのに興味があるのか?」
手に持った本をさりげなく見せながらアレンがフルナゼーノに問いかける。珍しいところ、というフレーズに少しの引っ掛かりを覚えていたので、自分がここにいるのは特に不自然ではないと示すために。
一方でその問いかけを受けたフルナゼーノはそんなアレンの心配など全く意味がないと示すように朗らかに笑いながら首を横に振った。
「私は冒険者には向いてませんよ。ここにはモンスター素材に関する珍しい本がないかよく見に来るんです。図書館にはない掘り出し物があったりするんですよ」
「へー。じゃあフーノの研究はそっち関係ってことか?」
「はい。私は魔道具の理論構築関係の研究をしているんです。そのためにはどんな素材があるのか知るというのは重要だと私は思っているんですけどね……」
そう言葉を濁してちょっと表情を暗くしたフルナゼーノの姿に、その考え方はその分野ではあまり主流ではないんだろうなとアレンが察する。
とは言えアレンは完全な素人だ。そんな者が学生とは言え研究者に的確なアドバイスなどできるはずがない。しかしその寂しそうな姿にアレンは言葉を続けずにはいられなかった。
「まっ、どんな研究かはわかんねえけど関わりのあることについて知るってのは無駄じゃねえだろ。そっから新たな発想が生まれるって可能性だってあるんだしよ」
その言葉にフルナゼーノが目を見開き、そして柔らかく微笑んだ。そこまで大したことを言った覚えがなかったアレンは、逆になにかあったのかと心配になってしまう。
しかし続いたフルナゼーノの言葉でそれが杞憂であったことがわかった。
「ジーン君と同じことを言うなんて、やっぱり兄弟ですね」
「ジーンと?」
「ええ。同じような研究をしている先輩にからまれて困っていた時に通りかかったジーン君が助けてくれたんです。その先輩をぐうの音も出ないほどやりこめちゃって、あの時のジーン君格好良かったなぁ」
目にハートマークが浮かんでいそうなほどのうっとりとした表情を浮かべるフルナゼーノの話を聞きながら、アレンは首をひねって眉を寄せる。
それは明らかにアレンの知っているジーンの行動ではなかったからだ。しかしそれをフルナゼーノに聞くわけにもいかなかった。
これ以上聞いても意味がないなと見切りをつけたアレンは、さっさと話題を変える。
「そういや、フーノは魔道具関係の研究をしているなら当然魔道具の店なんかにも詳しいよな?」
「そうですね。多少は」
「じゃあ良さそうな店をまた今度でいいから教えてくれるか? フーノもこれから授業があるんだろうし……っていうか時間いいのか?」
「あっ!?」
フルナゼーノがさっと顔を青くし、そして店から出ると一目散に走り始めた。悪いことをしちまったな、とアレンがその背中を見送りながら考えていると、フルナゼーノが片手をぶんぶんと振りながら口を開いた。
「また今度お教えしますー」
「いや、そんなのいいから前を、あっ!」
アレンの嫌な予感のとおり、足をもつれさせたフルナゼーノが地面に飛び込むような姿で倒れる。そしてズササーと地面をすべって止まった。
数秒そのままフルナゼーノは身動きせず、アレンが助けに行こうかと思い始めた頃にゆっくりと立ち上がる。そして袖で目の辺りをごしごしと拭き、再びフルナゼーノは走り始めた。
「恥ずかしいところをお義兄さんにみられちゃったー!」
「いや、それを大声で言うのもどうかと思うぞ」
振り返りもせずにそう叫んで小さくなっていくその背中に、アレンは聞こえないとわかっていながらもそう呟かずにはいられなかった。